携挙に関係していますが、少し脱線して昨年、過去ブログに書いた個人的な夢の話をします。
昨年、携挙の夢を見たという人の英語動画のスレに行きました。自分が空を飛んでいる携挙の夢を見たという海外の人たちが動画をあげています。
そこである姉妹とスレで会話をしました。すると、“もうすぐ携挙が起こるから、天国で会おうねシスター!”と言われました。
それで、私はこう返信しました。“私は携挙については、どの説を信じれば良いのか未だ判らない。もし、携挙が起こるのなら、その啓示として夢で見れたら信じる!”と書き込みました。
すると、スレを読んだ何人かの人たちが祈ってくれたのだと思いました。なぜなら、ほとんど夢を見ない私が、その同じ晩、ある夢を見ました。
そのブログはあまりにも個人的な夢の話だったので、少し前、削除してしまいましたが、こんな夢でした:
父と母が国際線の搭乗ゲートに向かって、わたしよりかなり先に、ウイング( 飛行場の廊下) を歩いてました。
私は、だいぶ遅れをとっており、でも全く焦ってる様子もなく、余裕の気持ちで搭乗ゲートに着きました。ただ、足もひきずっており何だかボコボコに疲れ切っていた様子でした。それなのに、心は歓びでいっぱいでした。搭乗ゲートの女性スタッフ3人から、「お客様が一番最後ですよ、急いで下さい‼」と、冷たい表情で注意されるかとハラハラして到着しましたが、待ってました!といわんばかりの心からの笑顔で迎えられれました。
すると、スタッフの 1人が、疲れ切った私をヒョイと肩に担ぎ、搭乗口に向かって歩きだしました。とても細身の女性なのに、私を軽々と持ち上げる怪力な人でした。そして搭乗口の少し手前で私を下ろしたら、とても温かいハグをくれました。「さようなら~、行ってらっしゃい!!」と、笑顔で大きく手を振ってくれ、最高のもてなしで見送られました🥰
そして、わたしが、搭乗扉に向かって歩き出しはじめた所で、夢が終わりました。
目が覚めた時、久しぶりに見たこの夢に、何らかの意味があるに違いない、と感じ、“夢の意味を知りたい”、と祈り始めました。
私のパスポートは更新しておらずもう何年も有効期限が切れて使えないのに、国際線から家族全員でどこに旅立つ夢なのか?家族そろって旅行するなんてほとんどないし…一体どこに向かって旅立つ夢なんだろ?
と頭をひねりました。よくわからない夢でしたが、この夢に何らかの霊的な意味があると感じられ、意味を考え続けました。
そして、想いに来たのは、“国際線から国外に出発するのに、パスポートなしで入国出来る国はどこなのか??と、考えていたら、 紛れもなく、天国しかない!!と思いました。
外国に入国する時、パスポートやビザが必要になるのは地上の制度ゆえにです。でも、天国に入国するにはイエスを信じることだけがパスポートとなります。
神の国に旅立つ(携挙)される霊的な夢だったと納得しました。
スレで会話したクリスチャンたちが、私が携挙の夢を見れるように祈ってくれたから、その夜、こういう夢を見たのだと察知しました。
ですので、私は、この夢を見た後から、艱難前携挙があるのだと少しずつ信じ始めてました。
ところがです、
でも、現在の私は、艱難時代前携挙に疑いを抱き始めています.....
ですので、昨日、神様に「昨年見たあの旅立つ夢は、携挙の夢ではなかったのですか?携挙の夢だという確信を神様が下さったのだと思いましたが・・・今になって、あの夢をどう理解すれば良いのですか?」と質問しました。
すると、数分後、想いに来た答えは、あれは紛れもなく天国へ行く旅立ち(携挙?)が起こるという意味だったと確信しました。
ただ、私が見た夢は、搭乗ゲートに向かって長いウイング(飛行場の廊下) を歩いて行く+搭乗ゲートに到着する夢 でした。空中に引き上げられ携挙体験している夢ではありませんでした。
そして、続けて、このような理解が想いに来ました。
携挙は起きるけど、スグに起きる事ではなく、携挙される時期に目指して歩んでいる過程(プロセスを歩んでいる)の夢であること。そして、夢の中の私が、一番遅れて到着し、かなり疲れ切っていたのは、艱難時代に入って神様のことを伝える苦労をしたからということでした。でも、神様の救いを伝える任務を果たせたので、その割に心は歓んでいたのです。
そして、笑顔で迎えてくれた搭乗ゲートの3人の女性スタッフたちは、実は天使たちで、神様の任務を務めた私が、神様の国に旅立てることを心から歓んでくれたから、素晴らしい対応をしてくれたのでした。女性なのに、怪力だった理由は天使だからでした💪👼‼
ほんとに個人的な解釈だと笑われるかもしれませんが、このような解釈を受けました。とにかく、天国に向かって飛び立てることは確認できた夢でした。後は、夢で終わらないようにです😅
16歳の時、「神様、私はあなたが存在する事さえもわかりません。世界には多くの宗教もありますから、だれが本当の神様かもわかりません。でも、もし神様がおられ、イエス様、あなたが神様なら、どうか、このことを叶えて下さい。もし、叶えて下さるなら、生涯あなたに着いて行きます。」とノートのページを破り、神様に対する契約書を書き、日付と署名をしました。そして、2週間、人生であれほど祈ったことないほど必死で祈りました。すると、大奇跡が起き、祈りが叶いました。
16歳の時に神様に生涯ついて行きますと誓いました。なので、これを全うしなければ、私がこの世に生まれてきた意味がないのです。本来、神に誓いを立てることは、やってはいけないことだと後で知りましたが、ド素人だったので、勢いで大胆にも誓いを立ててしまいました ^_^;
信仰など全く縁のなかったド素人の16歳の私に、スゴい大奇跡が起きました。私は教会にも行ったことなかったですし、聖書も読んだことなかったです。ある時、クリスチャンの日系人のおばさんとの電話の会話の中で、「疑うことなく、イエスの御名で祈ったら何でも叶う」と言われたのがキッカケでした。神様という存在が本当にいるのかさえわかりませんでしたが、大ピンチが起きたので、一か八か藁をもすがる想いで、神様がいるかどうか試してみようと想い、真剣に祈り始めました。
神様の手を動かすことに、信仰の長さはあまり関係ないです。一回一回に、信念の深さが大事です。あなたも、私も同じラインにいます。神の国は、人間界の先輩後輩、上下関係のピラミッド・システムではありません。 謙虚になり、全能者である神様に結果を委ねるなら働かれます。
神様からの祈りの応えとして、YES ・NO ・GO・WAIT などの答えがあります。 たとえ、祈った通りにならなかっとしても、それ以上に最善な所に導かれることもあります。また、すぐに叶わなくても、時が来たら叶う事もあります。塵も積もれば山となる、信仰はコツコツが大事です。奇跡や異言を求める信仰よりも、単調な生活の中に神を見つけ、当たり前の事にでも感謝し、コツコツ継続し続ける信仰のほうが難しいと感じられます。もちろん、奇跡や異言を望むのなら、それは自身のチャレンジになるので、求めてもよいかとは思います。でも、イエスが救い主だと心で想い告白出来れば、既にその人に聖霊は宿っているのです。
イエス様はこう言われました。「見ないのに信じる人は、幸いである。」ヨハネ20:29
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