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④【イエスの再臨】2028年!!??

2021-03-27 10:58:02 | 聖書メッセージ

主の再臨の日は、天使も含め誰も知りません。

しかし、日時の予測は不可能ですが、だいたいの年を期待しながら生きれば、艱難時代中に、主の再臨を待ち焦がれる励ましとなります。

その日がいつなのか誰も知らない、と書いてはあります。但し、その日を予測してはいけません、とは書いてありません。

以下は、個人的な見解なので、フーンと思って読んでみて下さい。

 

以前、イエスの再臨は2028年!!? と、ブログに書きました:

①【イエスの再臨】2028年‼? - gooブログはじめました!

②【イエスの再臨】2028年!!? - gooブログはじめました!

③【イエスの再臨】2028年!!?? - gooブログはじめました!

 

他に、どんな意見があるかと言えば、

2028年までに再臨は来ない、無理だという意見もあります。

2030年ー2033年の間に、再臨して下さるという意見もあります。

(但し、2030年までに悪魔勢力が相当に優勢になってしまいますから、2030年、2033年まで、神様が戻って来られないなら地上は恐ろしい状態になっています。)

また、選民のために戻って来られる時を早めて下さるとも書いてあるので、2027年だという説もあります。

私は、個人的に、2027年、2028年を期待します。

現状から判断して2031年以降に再臨が起きるとは考えられません。

なぜなら、既に現在、反キリストの秘密の霊的な力が、地上で活発に働いているのを感じます。

そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである。その時になると、不法の者が現れる。この者を、主イエスは口の息をもって殺し、来臨の輝きによって滅ぼすであろう。Ⅱテサロニケ2:7-8

携挙を調べて行くうちに確信して来たのは、阻止している者は大天使ミカエルだという確信が強くなってきました。それについては、また、携挙シリーズのブログに書きます。

もちろん、再臨の年は、いつ艱難時代7年がスタートするか、反キリストが神殿に座り込むかによって変わって来ます。

しかし、コロナにより第1の封印が既に開いたのではないかと睨んで来ます(黙示録6章)。

Before the Second Coming of Christ, This Happens

Update: We are now working on a needed sequel to Law of Christ Documen...

youtube#video

 

 

実は、想い込みだと笑われるかもしれませんが、こんなことがありました。

②の再臨のブログを書いた翌日、ランチに中華店へ行きました。

注文後、2028年の再臨というブログを書いたことについて、"いや、神様からの示しをもっと祈らないと、2028年かどうかは判らないし… 確実に示されるよう もっと祈らなければ… "と、自分に言い聞かせてました。

そして、ふと目をあげた時、反対側の壁にある貼り紙に目が行きました。

280🌟と書いてあるのが、一瞬で目に飛び込んできました!! 

一瞬、えっ~っ!?と フリーズしました。 そう、2028年なのかどうか確実に示されるよう、もっと祈らなければ… と、思った次の瞬間です。

別に、意識の中で、28という数字も他の数字も単語も、追っかけていません。

これってサイン??と思いました。 そして、くるっとふり向くと、自分の頭側の壁にも同じ貼り紙がありました。

とてもドキドキしました。逆に、この出来事以来、再臨の年を知るのが畏れ多くなって、それから再臨の年がいつなのか神様に聞けなくなってしまいました💦

※今、ふと気付いたら、壁の瓶の数は、8本、9本、10本置かれています。8+9+10=27です‼ これも、偶然でしょうか??

 

とは言っても、再臨は いつ起きるのかは神のみぞ知ることです。詳細な日付けまで予想できません。

でも、心の用意をしておいて下さい。そして、空中再臨は起きません(信者が耳障りの良い教えに惑わされると、神様が予告しておられます)。

キリスト教徒も抜けがけはなく、他の人と同じく艱難時代を通らされます。そして、迫害も来ます。しかし、その中にあっても神の奇跡を見るでしょう!!

 

携挙携挙‼と、自分たちが逃げることばかり考えている人たちは、お花畑脳まっしぐらです。

イエスの受難の道の生涯を歩かれたことを どういうふうに、どの程度まで理解しているのか自答してみてください。

イエスの弟子ならば、受難の道をも通らされるという覚悟がなければ、弟子ではないのと同じです。

想像してみて下さい。もし、空中再臨が起きるのなら、それはマナが天から降って来る以上に、大きな出来事ですよね。だって、世界中の、何十億という人数のクリスチャンが一瞬で天に挙げられるという出来事ですから。

でも、そういう大イベントが起こる事が福音書にハッキリと書かれていませんよね。ゼロです。それは再臨の終わりの時代に起こる出来事を空中再臨に摩り替えただけの説です。 

神様は、混乱するような紛らわしいことで私たちを惑わされません。聖書を素直に読めば理解出来ます。

イエスが「自分の十字架を負って、わたしについて来なさい。」(マタイ16:24、マルコ8:34、ルカ9:23)と言われたのはどう意味だったのか考えてみて下さい。

The Crucifixion of Jesus

Three Crosses

youtube#video

 

>>それで、彼らは思わず「「それでは、だれが救われることができるでしょう。」と言ったのです。それに対する主イエスの言葉は、「人にはできないことが、神にはできるのです。」というものでした。この言葉が教えているのも、天国に入ること、言い換えれば、罪が赦されて救いを得ることは、人間的な方法では不可能だということです。どんなに財産があっても、どんなに良い行いに励んでも、人間は自分の力や方法では不可能なのです。神様が働く時、特に、今の時代は、聖霊が私たちの心の中に働く時に、救いが可能になるのです。この若い役人と違って、ペテロやほかの弟子たちは自分の仕事や家族や財産を捨てて、イエスに従っていました。従って、イエスの弟子になったために、彼らは以前よりも貧しい生活をしていました。このペテロの言葉を聞いた主イエスは、ペテロを叱ってはいません。むしろ、彼に大きな約束を与えられました。

「まことに、あなたがたに告げます。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子どもを捨てた者で、だれひとりとして、この世にあってその幾倍かを受けない者はなく、後の世で永遠のいのちを受けない者はありません。」イエスは、弟子たちに対して、「彼らのようにイエスに従って来た人々は、この世においても犠牲にしたものにはるかに勝る祝福を受けますし、さらには、後の世においても、永遠のいのちが与えられ、この世で経験するものとは次元の違う新しい祝福を受けると約束されました。私たちも、主イエスを信じたことによって、この世のものでは得ることのできない、喜びや平安や祝福を神様から受けて来ました。自分のためにいのちをも捨ててくださった神様が目には見えませんがいつもともにいて、私たちの祈りを聞き、それに答えてくださることを知っていることはなんと素晴らしいことではないでしょうか。私たちも、すでに、たくさんの祝福と恵みを受けています。しかし、それよりもはるかに優れた時がやがて来るのです。あなたは、自分の永遠についての確信がありますか。確信がなければ、神様の言葉を信じなさい。神様はどんな人をも救うことがおできになる方です。天国へ入る事の難しさより

 

 

 

 



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