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②聖書は悪魔の書なのか?

2020-12-08 22:40:41 | 日記

① 聖書は悪魔の書か? - gooブログはじめました! の続きです。

 

さて、黙示録1章を読んでみて下さい。終末時代に起こる事の予告の“まえがき”が されています。

ヨハネの黙示録 第1章「アルファでありオメガである方」

1:1イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。
1:2ヨハネは、神の言とイエス・キリストのあかしと、すなわち、自分が見たすべてのことをあかしした。 
1:3この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。
1:4ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、 
1:5また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、1:6わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。
1:7見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン。
1:8今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルファであり、オメガである」。
1:9あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難と御国と忍耐とにあずかっている、わたしヨハネは、神の言とイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。 
1:10ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。 
1:11その声はこう言った、「あなたが見ていることを書きものにして、それをエペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤにある七つの教会に送りなさい」。 
1:12そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとしてふりむいた。ふりむくと、七つの金の燭台が目についた。 
1:13それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子のような者がいた。 
1:14そのかしらと髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える炎のようであった。 
1:15その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、声は大水のとどろきのようであった。 
1:16その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭いもろ刃のつるぎがつき出ており、顔は、強く照り輝く太陽のようであった。
1:17わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたしの上において言った、「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、1:18また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。 
1:19そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさい。 
1:20あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台との奥義は、こうである。すなわち、七つの星は七つの教会の御使であり、七つの燭台は七つの教会である。

 

こういう解説があります。

>>「ヨハネの黙示録」は新約聖書の中でも特異な書物です。将来起こる出来事を描いている箇所は新約聖書の中ではこの書物以外にもあります。たとえば「終末」についてのイエス様の教えがあげられます(マタイ24章、マルコ13章、ルカ21章など)。しかし、将来起こる出来事に焦点を絞っている書物は「ヨハネの黙示録」だけです。

「ヨハネの黙示録」はおそらく西暦90年代に書かれたと思われます。当時ローマ帝国を支配していたのは皇帝ドミティアヌスでした。彼は宗教的に地域の差がある帝国内部を均一化するために、ユダヤ人を除きローマ帝国内の住民は皆、皇帝を神として敬うように、という旨の勅令を出しました。当然ながらキリスト信仰者はこのような要求を受け入れることができませんでした。彼らは第一戒(「あなたには私のほかに神があってはならない」)の命じていることを守っていたからです。結果、キリスト信仰者は迫害の対象になりました。皇帝の像の前で敬礼するよう、キリスト信仰者は死の脅迫をもって強制されました。おそらくこうした迫害の中で、ヨハネはパトモスという島に追放されたものと思われます。そこでイエス様が彼の前に現れて「ヨハネの黙示録」に書かれてあることを幻として見せてくださったのでした。多くの研究者は「ヨハネによる福音書」と「ヨハネの黙示録」を比較して、言葉遣いがあまりにも相違しているため両者の書き手が同じであるとは到底思えない、という結論を出しました。そして多くの人は、「ヨハネの黙示録」のヨハネは使徒ヨハネとは別人物であると理解しています。

 「ヨハネの黙示録」の冒頭部分で、イエス様はヨハネに「現在のことと今後起ころうとしていること」を見せてくださいました(1章19節)。これからわかるように、「ヨハネの黙示録」には実はふたつの部分があるのです。最初の1~3章は、ヨハネがイエス様にお会いした時すでに実際に起きていた出来事について語っています。4~22章は、その後の時代に起こるはずのことを描いています。もっとも「ヨハネの黙示録」はこのようにまったく単純な二部構成になっているわけではありません。すでに1章には、将来起こるはずの出来事に関する記述があります。その一方で4~22章は、ヨハネがパトモス島で生活していた時期についても触れています。

 「ヨハネの黙示録」はヨハネが生活していた当時の状況を描くことから始まります。主の日である日曜日にヨハネは復活したイエス様に出会います。そして、西暦一世紀の終わり頃に存在していた七つの教会に宛てて彼が書き送るべきメッセージをイエス様から聞かされます(2~3章)。

 

1章1~3節

 「ヨハネの黙示録」という題名は誤解を生みかねません。黙示を受けたのはイエス様であって、ヨハネではないからです。復活されたキリストが父なる神様から受けた黙示を伝えるためにヨハネに天使を遣わしたことが、最初の節に書いてあります。罪深い存在である人間は聖なる神様の直接の語りかけに耐えることができません。イエス様は人間と神様の間をつなぐ仲介者です。将来起こることを自らの僕に伝えるために、イエス様は黙示を受けたのです。

 「ヨハネの黙示録」の書き手は自分のことを「イエス様の僕(あるいは奴隷)」と呼んでいます。パウロも自らを同じ名称で呼んでいます(フィリピ1:1)。このヨハネとはいったい誰なのか、私たちは序章で究明を試みました。断言はできませんが、十二弟子の一人、使徒ヨハネその人であった可能性は大いにあります。

 「ヨハネの黙示録」はヨハネ自身の考えやこれから世界で起こることに関する想像が記された書物ではありません。ヨハネは神様から書くように言われたことを書き記しました。彼は神様の御言葉とキリストの証について語るのです。このことを念頭におくかぎり、私たちは「ヨハネの黙示録」を正しく読んでいると言えます。この本は、人間の精神が作り出したものではなく、神様が私たちに語るべきだと思われたことがらだからです。

 神様がヨハネに黙示を与えた目的は、その黙示が記録保存され、神の教会で読まれ、皆に聴かれるようにすることでした。黙示が与えられたのは、人間の際限ない好奇心を満たすためではなく、人々が黙示の内容を信じ、それに基づいて正しい判断を下すようになるためでした。3節にある「守り抜く」というのは、そういう意味です。「ヨハネによる黙示録」は、イエス様の再臨を直前に控えた時代に生きている人々のためだけに書かれたものではありません。この書物には、あらゆる時代のすべての人々に対するメッセージが込められています。それゆえ、ヨハネは自分に示された黙示をすべての人が読むように促しているのです

 新約聖書では「さいわいなる者」(ギリシア語で「マカリオス」)という言葉には主としてふたつの意味があります。ひとつは、天国への旅を続けている「救われた者」という意味です。もうひとつは、「おめでとう」と言われるのにふさわしい人のことです。この節では後者の意味に近いでしょう。「おめでとう」と言われるのにふさわしい者とは、「ヨハネの黙示録」を読み、聴き、その内容を信じる人のことです。「時が迫っている」からこそ、なおいっそうそう言えるのです。その「時」とは、キリストが再臨される時のことを意味しているのでしょう。それはもうすぐ来ます。「ヨハネの黙示録」を読む人はこのことを知って、自分でもキリストの再臨に備えるようになります。このように行動する人に「おめでとう」と言うのは、ふさわしいことなのです。

 

 

気付くべきことは、聖書の預言の警告がある故、聖書を信じる人たちが、2000年間、悪魔勢力の動きにアンテナを張り続けてきたのです。

ワクチンが危ないのも世界政府が台頭するのも、キリストの信者が現代の情況と聖書の預言を照らし合わせて熱心に研究してきたからです。

聖書の預言が警告していることを念頭に生きて来た信仰者たちのゆえ、悪の策略を察知出来たのです。

他の宗教書には、世界政府の台頭や、その中心人物となる反キリストの出現など、666の事についても、将来の警告が載っていません。

聖書には神の権威が宿っている恐るべき書物なのです。

人間が作り出した宗教ではないんです。

神が人間より先に存在し、人間やあらゆる被造物を造られました。

それが聖書の神=神社の神です。

 

聖書=神のコトバ(The Word of God)=イエスキリスト=神のことです。

神は、全知全能(Omniscient + Almighty)であり、初めであり(Alpha) 終わり(Omega)の方。

そして、聖書のコトバは預言書であるからこそ、先見(foreseeing)の目を持って描写されています。

神様は正義の方。何が起こるか未来に住む者(特に神のコトバを信じる者)ののために、預言を残して警告して下さいました。

神を信じない人は、聖書の警告をスルーしたら済む事なのに、聖書の預言に「悪魔のシナリオ」だとイチャモンをつける必要もないと思う。

 

また、聖書の神を信じてない人が、時と場合によって、黙示録や聖書の話題をネタとして便利使いするのを見かけます。

聖書を深く知らずして、動画の視聴率を上げるために、黙示録の解説動画をあげるなども、神や聖書を軽視し過ぎです。

信じる者にとって、聖書=神のコトバを題材にして、気軽に扱うことは畏れ多いです。

十戒に、「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」とありますが、

「みだりに唱えてはならない」というのは、自分勝手に神の名前を利用してはならないということです。

不都合なことを神のせいにするのはもちろんですが、自分の都合で神の名をみだりに唱えることもこれに当たります。

自分勝手に、都合の良いことだけを神に願ってはいけない、というのもこれに当たります。

 

預言の警告は、信じる人のために残された書です。信じないなら、批判せず、聖書を話題に持ち出さずスルーして欲しい。

神を信じてないのに、どうして都合により聖書を引用するのか?

キリスト教徒でない者が、どうして黙示録や聖書の預言について、動画をUPしてまで教えようとするのか?

キリストが自身の神だと信じてないなら聖書を引用すべきでないし、神の善意の警告を、ディープステイトの悪魔のシナリオ だと非難するのは傲慢だと感じます。

逆に、一切聖書のことは無視してスルーして欲しい。中途半端に「聖書にはこう書かれています」なんて話題に持ち出して欲しくない!

なぜなら、私たち信仰者は、神様を真剣に愛しているし、神からの警告を真剣に捉えてます。

 

Mr関を応援しているlK Aさんという若い女性が、以前、間違った黙示録の解説動画を上げてました。

悪魔勢力のエ作員が、聖書の解説をすると、本来の教えでない嘘と惑わしが意図的に吹き込まれるのは案の定でした。

それに対し、聖書を解ってない彼女のフォロワーたちは、そのハチャメチャな解説に対し、イイネ!をどんどん押してましたw 

視聴率のために知ったかぶりして黙示録を教えようとするなんて、恐ろしすぎます。

 

イザヤ書1章にこんなコトバがあります。

『あなたがたはくりかえし聞くがよい、しかし悟ってはならない。
あなたがたはくりかえし見るがよい、しかしわかってはならない』と。
あなたはこの民の心を鈍くし、その耳を聞えにくくし、その目を閉ざしなさい。
これは彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟り、
悔い改めていやされることのないためである」。

イザヤ書 6 | 口語訳 聖書 | YouVersion (bible.com)

 

そう、神はあまりにも強情で頑なな人を、更に頑ななままで放置されることもあります。

頑固過ぎて、聞く耳をもたないからです。英語ではsend delusion(惑わしを送る)と表現されている。

第2テサロニケ2:10-11にもあります。

>>そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、 こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。

And for this cause God shall send them a strong delusion, that they should believe a lie:

テサロニケ人への第二の手紙 2 | 口語訳 聖書 | YouVersion (bible.com)

 

だから、何度言っても神を疑い神を冒涜し、聞く耳を持たない者に対し、神は滅びに突き進むのをそのままにされることがあります。

神は愛の方であり忍耐の方ではあります。しかし、調子に乗って神をなめてはいけません。

人間はたかが被造物。目に見えない小さな小さなミクロのウイルスに殺られてしまうほど、自分の命でさえ救う力がありません。

神は大裁判官(the Great Judge)であり、全ての被造物を裁かれる方です。

 

わたしの愛する者たちよ。そういうわけだから、あなたがたがいつも従順であったように、わたしが一緒にいる時だけでなく、いない今は、いっそう従順でいて、恐れおののいて(Fear and Trembling) 自分の救の達成に努めなさい。 あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。すべてのことを、つぶやかず疑わないでしなさい。 それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。 このようにして、キリストの日に、わたしは自分の走ったことがむだでなく、労したこともむだではなかったと誇ることができる。第二ピリピ 2 :12-16 

Therefore, my dear friends, as you have always obeyed—not only in my presence, but now much more in my absence—continue to work out your salvation with fear and trembling, for it is God who works in you to will and to act according to his good purpose.

 

そして、最後に言いたいのは、聖書は預言書であり、バビロン崩壊、ペルシャ帝国滅亡、ローマ帝国滅亡などについても預言されています。

イエス誕生、十字架の死、3日後の復活、昇天、再臨などについても沢山預言されている。

そして、これらは悪の勢力(グローアリスト)が聖書をシナリオとして演出したため起こった事柄ではないですw

義である神の計画と、おぞましい悪魔の計画は真逆です。

神が人間にマイクロチップを入れるシナリオを作るのなら、そんな意味のない面倒な事はせず、

生まれた時から既に人間にマイクロチップを入れてます。

バベルの塔も神が人間の傲慢さ故、破壊されました。

神は、マイクロチップ社会において、警告を聞かなかった者を放っておかれます。

警告しているのに、神のコトバの警告を信じず、悪魔の罠に自ら引っかかりに行く者を放っておかれます。

残念ですが、スカンジナビアの若者はどんどんマイク口チップが便利だからとハマってます。パン屋でパンを買うのさえキャッシュレス社会。

日本にも既に2万人以上(特に若者)がマイク口チップを身体に挿入しています。

私も、頑張って神様の事を伝えていますが、ノアの時代と同じで、聴く耳を持たない人ばかりです。

ノアが警告した洪水が来る前日まで、人々は、食べて呑んで、仕事して、娶って嫁いで、出産して… そう普通の生活をしていたのです。

それが、まさか洪水が起こったのです。

ノアの警告を信じなかった人は溺死しました。

作り話でなく、歴史です。

考古学も証明しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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