やっと周産期センターに到着。
看護師さんが迎えてくれたような・・。
夜間の救急で人がたくさんいたような・・・。
あとで聞くと、年末の忘年会シーズン。
祝日前のこの日、急性アル中のような若い人が多かったみたい。
寒くて固まっていた私に
看護師さんが気がついて「かわいそうに・・」って毛布をかけてくれたような。
ここはスタッフがたくさん。
常にそばにいてくれて
一緒に呼吸法をしてくれる。
それだけでも、意識して呼吸をあわせようと頑張れる。
ちゃんとたくさん酸素を吸って
ちゃんと呼吸をしてあげないと
赤ちゃんが弱ってしまう。
救急車で一緒に来てくれた先生は
引継ぎをしたら帰っていった。
外で待っている母たちや夫に
「難産です」と告げて去っていったそうだ。
父も夫も、すごく不機嫌だったらしい。(母談)
こんなことになるなら、どうして個人病院で分娩をしたのか
分娩前に病院を替えてくれてたら・・・
多分、そんなことを考えていたからだろう。
関係ないけど、先生の帰りのタクシー代は
請求書にしっかり入っていた。
私は、その先生を恨んでいるわけではない。
分娩は何が起こるかわからないし
先生は先生なりにちゃんとしてくれてたから。
母も同意見。
さて、話は戻って・・・・
病院を替わったのでカルテの作り直し。
ひとつひとつ質問される。
その質問のひとつひとつが
前にいた個人病院の質問内容と同じ。
カルテってコピーできないんだろうか?
結婚した年は?とか
家族は?とか、etc・・・
陣痛は容赦なくやってくる・・・。
血液検査したり、骨盤のレントゲンを撮ったり。
もう、どうにかして欲しい。
手術するなら早くして!赤ちゃんを早く出してあげて。
そう思いながらも周りで人があわただしくしている。
で、担当の先生があらわれて
「出血も多いし、赤ちゃんのためにも帝王切開にしたほうがいいかも。」と。
私は、どうでもいいから早く出してあげてほしいから承諾。
もう手段は選べない状態に来ている。
で、手術の説明。
その間にも陣痛がやってくる。
どーん、どーん。って感じ。
なので、説明も聞けない状態。
・・・すると、
「奥さんが聞けてないので、もういちど奥さんに説明します。」
は~?
って感じ。
まぁ、ちゃんとしておかないと後で問題になったときに
困るからだろう。
手術で開腹したあとで、癒着があったりしたら
また傷を開腹しないといけないとか
肝炎になるかも?とか
輸血のこととか・・・
忘れたけど、細かいことを念押しさせられたって感じ。
手術をすることに決定。
震える手で署名。
(きちんとしないと問題になったときに困るからだろうなぁ。)
すると、今度は手術のための準備と検査。
あとで夫に聞いたら、短い時には1分間隔で陣痛が来ていたらしい。
私は時間の感覚が全くなし。
どのくらいかかっているのか
もう全くわからない。
とにかく、陣痛の波に耐えるのみ。
こっちとしては、切るなら早く~!
って怒りもこみ上げてきてる。
手術はすごくこわい。
説明でも不安になることばかり。
でも、もうどうしようもない。
赤ちゃんを助けるために、手段は選べない。
1分間隔・・・今考えると
よく耐えたな~。
手術するなら、早くしてくれ~。
もう叫びそうでした。
「早くして!!」
母は青い顔で私の側にいたそうだ。
(後で聞いた。)
親としては、娘の出産でこんな状態になったら
心配で不安で きっと怖かっただろう。
「若いときに戻りたいけど、 出産だけはもういや
」
って昔、聞いたことがあった。
同じ女性としてわかるだけに
すごく怖かったに違いない。
私の記憶では、こんな感じ。
実際は違っているのかも・・・・。