昨夜、今よりずっと若々しく感じられる(笑)シュワちゃん主演の映画を
TVにていつもながら「PCにてリンク編集作業をしながら」だが愉しんだ。
シュワちゃんと言えばターミネーターなどに代表されるようにSFアクション作品への
出演が多いのだが、今回の敵はなんとずばり「サタン」そのものだから凄い。
時は2000年より20年前の夜、独りの女の赤ちゃんが産まれた時まで遡ってスタートする。
なにやら「ローズマリーの赤ちゃん」を彷彿させるような出だしでオカルトチック。
意味ありげで薄暗い産院の様子に、ただならぬ気配を感ずると、なんとなんと
産まれ立ての赤ちゃんをこともあろうか、「サタン」誕生として祝福しているのだ。
勿論母親さえ知らない産湯の時間に勝手に赤ちゃんに儀式を施す場面はショックだった。
赤ちゃんの腕にサタンの印が…あったのだ。
場面は今度は1999年の冬となり、事件は段々速度を増し展開を始める。
突如地下が爆発し何か蠢く透明な「もの」が高級レストランに侵入したかと思うと
ある男性の身体の中に憑依し不敵な笑みを不気味に浮かべ、
颯爽とサタンの登場となった。どうやら、サタンは肉体がないので
生きている人間に憑依することで実体を得るようなのだ。
その男はサタンに繰られているので全く制御不能で、サタンそのものの性格を反映し
邪悪で厭らしく姑息で悪知恵がやけに働く。
美しく成長したクリスチーヌが登場する。
彼女は自分に課せられた重たい運命をまだ知らない様子だったので、
何事もなく無事にちゃんと育ったのねと安堵したのも束の間、
サタンの企てを阻止しようと聖職者教会から送られた殺し屋に命を狙われ
自分がどういう存在かを思い知ることとなる。
この場面でシュワちゃんと遭遇し物語りは速度が増す。
力がない聖職者が考えることは彼女を守るのではなく、彼女を抹殺することだった。
彼女を生かしておくとサタンの思う壷となり世界が破滅するというのであった。
真相はこうだ、1999年12月31日の真夜中午後11時~2000年1月1日ジャストの間に
選ばれたサタンの花嫁がこれも選ばれたサタンと出会い交わると真のサタンが
再臨し、世界がサタンの意のままになり人類が滅亡するという言い伝えが
2000年前から囁かれたいたということなのだった(苦笑)
教会へ逃げ込んだシュワちゃんの様子が見ていて辛いものがあった。
その昔、在宅していた妻子が彼が出勤中に追っていた犯人一味に殺害され
「神を信じない」側でいたシュワちゃんは教会に対して不信気味で
サタンの存在を認めようとしない。しかし、彼女は教会を支持しシュワちゃんと
別行動をとってしまう。ところが、教会の幹部はやはり信仰が弱いのか
彼女を救うのではなく殺害する事を選びまたもやクリスチーヌは
殺される一歩手前まで追い詰められる。
シュワちゃんの家に忍び込んだサタンは殺害されたシュワちゃんの妻子を
再度蘇生させてやるから「彼女の居場所」を教えろとうるさい。
「無能な神は事件を阻止することもできず、殺されるままに妻子は儚くなった」と
巧妙に耳元で囁く。シュワちゃんの魂を摑んで揺らす誘惑であったけれど
シュワちゃんは負けないで乗り越えた。
サタンは本当に根回しが巧み、人心を繰るのも巧みだから、シュワちゃんの同僚でも
なんでも簡単に自分の味方にしてしまい利用する。
聖書ではサタンと直接対決することで成功したのは最後のアダムと呼ばれる
イエス・キリストだけだったが、映画はシュワちゃんをサタンに勝てる人に仕立てた。
サタンの血の色は黒色、鉄砲で撃たれても即乾き、傷は消えてしまう。
いらくなった者は友人もなんでも切り捨て無造作に殺してしまう。
サタンにとっては目的以外の命には関心がないからのようだ。
1999年12月31日午後7時、クリスチーヌはサタンに捕まり花嫁となる
準備を無理強いされているが、その現場へシュワちゃんが登場し彼女を奪還する。
地下鉄での直接対決は凄絶を究めた、タフネスで何度痛めつけられても大丈夫だった
男の肉体もやがて戦闘の連続でボロボロになるまで破損する。
すると嫌気がさしたサタンはその男の身体から逃亡しまた地下へと潜んでゆく。
なんて自分勝手な存在だと想った、お世話になったのに
いらなくなったら破壊する。…だから、悪魔、サタンなのねと納得できた。
2000年の新年まであと数分のところでは、遂にサタンはその邪悪な全貌を現したが
シュワちゃんの強さには勝てない。最後にはそのシュワちゃんに乗り移ったが、
シュワちゃんの精神力はサタンの意志に打ち克ち、自らの身体を細身の抜き身刀に
躍らせたので、サタンはシュワちゃんの身体から出ざるを得ない。
時間が2000年ジャストとなり、時間切れ!
サタンはもといた地下へと虚しく飲み込まれ消えてゆき、シュワちゃんは
意識がなくなる直前に、愛しい妻子の幻と再会できるが、事切れて…しまう。
何も事情を知らない人々は平和な2000年の夜明けを祝うが
クリスチーヌは放心状態のまま暫く佇む…。
…。怖い話しだと想った。悪(サタン)と善(正義)の鬩ぎ合いは常に何処でも起こり得る。
常に善が勝つとは限らないのがこの世だ。
現に米国ブッシュ大統領が再選したこと事態が、良かったのか悪かったのかわからない。
イラク戦争が起きたことが良かったとはとっても云えないし、自衛隊がイラクに留まる
その事が最高策だとは思えないし…ね。
聖職者達の情けない描き方は問題が多いと感じた。少々辛く感じた。
私は信仰はしてはいないが聖書には親しんで来たものとして悲しかった。
自らの意志で神への信仰の道を歩いている者が、その道を信じきれずにいるなんて
偽善だと…哀しく想えた。
命を守る側であり、善なる存在である筈の者が自分達の命を守る為に
「命を奪う行為を簡単に正当化」してしまう。
…これって、全く戦争と同じ原理じゃないって…反射的に悟った。
…じゃさ、戦争を好むその大統領というか、その国ってそれ自体がひょっとして…?
(@◇@;) ウ・・・エッ? (;゜⊿゜)ノ マジ?…怖くて云えないわよ…ええ。
いくら私でも…
・・・( ̄  ̄;) うーん
From★Eruzeッ Mint.mamu…★
TVにていつもながら「PCにてリンク編集作業をしながら」だが愉しんだ。
シュワちゃんと言えばターミネーターなどに代表されるようにSFアクション作品への
出演が多いのだが、今回の敵はなんとずばり「サタン」そのものだから凄い。
時は2000年より20年前の夜、独りの女の赤ちゃんが産まれた時まで遡ってスタートする。
なにやら「ローズマリーの赤ちゃん」を彷彿させるような出だしでオカルトチック。
意味ありげで薄暗い産院の様子に、ただならぬ気配を感ずると、なんとなんと
産まれ立ての赤ちゃんをこともあろうか、「サタン」誕生として祝福しているのだ。
勿論母親さえ知らない産湯の時間に勝手に赤ちゃんに儀式を施す場面はショックだった。
赤ちゃんの腕にサタンの印が…あったのだ。
場面は今度は1999年の冬となり、事件は段々速度を増し展開を始める。
突如地下が爆発し何か蠢く透明な「もの」が高級レストランに侵入したかと思うと
ある男性の身体の中に憑依し不敵な笑みを不気味に浮かべ、
颯爽とサタンの登場となった。どうやら、サタンは肉体がないので
生きている人間に憑依することで実体を得るようなのだ。
その男はサタンに繰られているので全く制御不能で、サタンそのものの性格を反映し
邪悪で厭らしく姑息で悪知恵がやけに働く。
美しく成長したクリスチーヌが登場する。
彼女は自分に課せられた重たい運命をまだ知らない様子だったので、
何事もなく無事にちゃんと育ったのねと安堵したのも束の間、
サタンの企てを阻止しようと聖職者教会から送られた殺し屋に命を狙われ
自分がどういう存在かを思い知ることとなる。
この場面でシュワちゃんと遭遇し物語りは速度が増す。
力がない聖職者が考えることは彼女を守るのではなく、彼女を抹殺することだった。
彼女を生かしておくとサタンの思う壷となり世界が破滅するというのであった。
真相はこうだ、1999年12月31日の真夜中午後11時~2000年1月1日ジャストの間に
選ばれたサタンの花嫁がこれも選ばれたサタンと出会い交わると真のサタンが
再臨し、世界がサタンの意のままになり人類が滅亡するという言い伝えが
2000年前から囁かれたいたということなのだった(苦笑)
教会へ逃げ込んだシュワちゃんの様子が見ていて辛いものがあった。
その昔、在宅していた妻子が彼が出勤中に追っていた犯人一味に殺害され
「神を信じない」側でいたシュワちゃんは教会に対して不信気味で
サタンの存在を認めようとしない。しかし、彼女は教会を支持しシュワちゃんと
別行動をとってしまう。ところが、教会の幹部はやはり信仰が弱いのか
彼女を救うのではなく殺害する事を選びまたもやクリスチーヌは
殺される一歩手前まで追い詰められる。
シュワちゃんの家に忍び込んだサタンは殺害されたシュワちゃんの妻子を
再度蘇生させてやるから「彼女の居場所」を教えろとうるさい。
「無能な神は事件を阻止することもできず、殺されるままに妻子は儚くなった」と
巧妙に耳元で囁く。シュワちゃんの魂を摑んで揺らす誘惑であったけれど
シュワちゃんは負けないで乗り越えた。
サタンは本当に根回しが巧み、人心を繰るのも巧みだから、シュワちゃんの同僚でも
なんでも簡単に自分の味方にしてしまい利用する。
聖書ではサタンと直接対決することで成功したのは最後のアダムと呼ばれる
イエス・キリストだけだったが、映画はシュワちゃんをサタンに勝てる人に仕立てた。
サタンの血の色は黒色、鉄砲で撃たれても即乾き、傷は消えてしまう。
いらくなった者は友人もなんでも切り捨て無造作に殺してしまう。
サタンにとっては目的以外の命には関心がないからのようだ。
1999年12月31日午後7時、クリスチーヌはサタンに捕まり花嫁となる
準備を無理強いされているが、その現場へシュワちゃんが登場し彼女を奪還する。
地下鉄での直接対決は凄絶を究めた、タフネスで何度痛めつけられても大丈夫だった
男の肉体もやがて戦闘の連続でボロボロになるまで破損する。
すると嫌気がさしたサタンはその男の身体から逃亡しまた地下へと潜んでゆく。
なんて自分勝手な存在だと想った、お世話になったのに
いらなくなったら破壊する。…だから、悪魔、サタンなのねと納得できた。
2000年の新年まであと数分のところでは、遂にサタンはその邪悪な全貌を現したが
シュワちゃんの強さには勝てない。最後にはそのシュワちゃんに乗り移ったが、
シュワちゃんの精神力はサタンの意志に打ち克ち、自らの身体を細身の抜き身刀に
躍らせたので、サタンはシュワちゃんの身体から出ざるを得ない。
時間が2000年ジャストとなり、時間切れ!
サタンはもといた地下へと虚しく飲み込まれ消えてゆき、シュワちゃんは
意識がなくなる直前に、愛しい妻子の幻と再会できるが、事切れて…しまう。
何も事情を知らない人々は平和な2000年の夜明けを祝うが
クリスチーヌは放心状態のまま暫く佇む…。
…。怖い話しだと想った。悪(サタン)と善(正義)の鬩ぎ合いは常に何処でも起こり得る。
常に善が勝つとは限らないのがこの世だ。
現に米国ブッシュ大統領が再選したこと事態が、良かったのか悪かったのかわからない。
イラク戦争が起きたことが良かったとはとっても云えないし、自衛隊がイラクに留まる
その事が最高策だとは思えないし…ね。
聖職者達の情けない描き方は問題が多いと感じた。少々辛く感じた。
私は信仰はしてはいないが聖書には親しんで来たものとして悲しかった。
自らの意志で神への信仰の道を歩いている者が、その道を信じきれずにいるなんて
偽善だと…哀しく想えた。
命を守る側であり、善なる存在である筈の者が自分達の命を守る為に
「命を奪う行為を簡単に正当化」してしまう。
…これって、全く戦争と同じ原理じゃないって…反射的に悟った。
…じゃさ、戦争を好むその大統領というか、その国ってそれ自体がひょっとして…?
(@◇@;) ウ・・・エッ? (;゜⊿゜)ノ マジ?…怖くて云えないわよ…ええ。
いくら私でも…
・・・( ̄  ̄;) うーん
From★Eruzeッ Mint.mamu…★
『エンドオブデイズ』ご覧になったのですね。昨夜は観ませんでしたがまさに2000年一月一日、映画館で観てました(笑
エルゼさんの絶妙な要約解説を拝見したら、忘れていたのに内容をみんな思い出しました。たしかに・・・聖職者であるものが自らを信じられなくなり、助けを求めるものに手をかける、というのはわたしもとてもショックでした。宗教戦争や聖職者が私腹を肥やし、権力をむさぼっていた事実を聞き、「教会」とは決して聖域ではないのだ、ということを知ったときはとても悲しかったものです。わたしもクリスチャンではありませんが子どもの頃から神(キリストに限らず)という存在はかならずそこにあるものとしてとらえていましたので。
権力者が信仰という傘のしたで勝手なことをして、結果的にとんでもないひどいことが生じた、というのが西欧その他の歴史ですよね。そういうことを思うと、神は人間に信仰を授けることで、罰をあたえたのではないかとすら感じてしまいます。
なんて、なんか、超まじめなコメントになってしまいました(^^;
多分誰だって、醜いものや残虐なものは見たくないし、私はなるべく目をそむけてしまうのですが、そうしたことは流れる時間の中で美しいものたちと表裏一体にそこに存在し同じように進行しているのですよね。
事実を知ることの怖さ、でも知らなければ現実を見ることは出来ない。そうした中で本当に真実を知ることの難しさをつくづく感じます。
実は、この前 ellie さんのブログのコメントにこのようなことを書こうとしたのでした。
今日、こちらにお邪魔したら共通することかなと思い、全く同じにはいきませんが書いてみました。
えるぜさんの映画コラム、アーノルド・シュワルツェネッガーのことを終始シュワちゃんと書かれているのがとっても救いです。(笑)
書き込みをありがとうございました。
知ろうとする意欲は失いたくないなと
想うわけでして…。でも怖いものは怖くて
意志をしっかりと持っていないとたちまち
恐怖に飲み込まれてしまいそうです。
そういう世に我々は存在してる事実を
忘れないでいなくっちゃって、想うのです。