『赤毛のアン』(L・M・モンゴメリ・著、松本侑子・訳、集英社)≪prelude≫
何冊くらい本をもっていれば蔵書といっても恥ずかしくないのだろうか。雑誌類を除いてたぶん3桁は超えている自分の“蔵書”(といえるならば)だが、いまはこちら(関東平野の片隅に立つアパートの一室)の“新館”と実家の“本館”に分けて置いてある。読み返したりする必要度の高い本はほぼ新館に移っているが、なつかしい本は本館の“書庫”(押し入れの中に設えた本棚)に収蔵されているものもある。『赤毛のアン』以降の松本侑子さん関係の本や雑誌などはほとんど新館に置いてあり、木製の本棚の一段を占有している。最近はもう一段上の棚にも進出する勢いだ。初期のフェミ系小説三部作(と勝手に自分で呼んでいる『巨食症の明けない夜明け』、『植物性恋愛』、『偽りのマリリン・モンロー』の三作品)や初期のエッセイ集などは本館の書庫に大事に保管してある。ただ残念なことに当時は本の帯を取ってしまう悪いクセがあって、帯がなくなってしまっているものが多い。いまとなっては悔やんでも悔やみきれない!
ここ数ヶ月は両親の介護や看病の関係で田舎にいることが多くなった。実家で読もうと思って持参した新しい本は意外と読めないものだが、逆にむかし読んだなつかしい本たちの背表紙を眺めているとついつい手に取ってしまう。松本侑子さんの初期のエッセイ集4冊(『作家以前』、『読書の時間』、『ブドウ酒とバラの日々』、『私の本棚』)も読み返してみた。あらためて目次を見たりページをめくっていて気がついた。ほとんどのエッセイは読んだ記憶がかなり鮮明に残っているか、おぼろげながら頭の片隅に残っていたが、一方で初めて読んだかのように思えるものもあった。「赤毛のアン」について書かれたいくつかのエッセイだ。
以前に何度か書いたことだが、「赤毛のアン」の英語セミナーに参加するまでは「松本侑子」と「赤毛のアン」が結びつかず違和感がつきまとっていた。「赤毛のアン」関係のエッセイも当時読んだにちがいないのだが、知らず知らずのうちに自分の中でフィルターにかけていたのかもしれない。字面だけを読んで松本侑子さんの思いを理解することもなく、心の内に受け入れることを拒否していたのだろう。だから記憶から除外されていたのだと思う。「松本侑子」ファンだと言いながらも、いわば片面のファンにすぎなかった。英語セミナーに参加していなかったならば、名前は知っていても『赤毛のアン』を生涯まともに読むこともなく、「松本侑子」ファンだと口に出すときもどこか後ろめたさを引きずっていたにちがいない。勝手に作り上げた「松本侑子」の虚像を偏愛するだけで終わってしまっていたかもしれない。それに何よりも、『赤毛のアン』の奥深い魅力を知らずに人生を終えて大損をするところだった。
松本侑子さんの『赤毛のアン』は文学音痴の自分を文学の沃野へと引き入れてくれた。『赤毛のアン』の背景や隠された謎を知ることで英米文学にかぎらず文学一般に対する興味が増した。『赤毛のアン』で語られた言葉の数々は松本侑子さんの発掘で言葉の宝石となり、生きる上での励ましにもなった。『赤毛のアン』との出会いは松本侑子さんとの出会いのお陰であり、少なくともこの出会いだけは人生に感謝したい。
それでは松本侑子さんと『赤毛のアン』との出会いはどのようなものだったのだろうか。ざっと見直したかぎりでは、初めてのエッセイ集である『作家以前』には「赤毛のアン」に関する記述はなかったように思う。次の書評を主としたエッセイ集『読書の時間』では『赤毛のアン・夢紀行』(日本放送出版協会)が紹介されていて、初めてアンに出会ったのは14歳の秋だったと書かれている。読み始めたら止まらなくなり、すぐに『赤毛のアン』に夢中になったという。集英社から翻訳の依頼がきたことも控え目に書かれていた。さらに次の書評エッセイ集『私の本棚』と『ブドウ酒とバラの日々』では翻訳の経緯などがもう少し詳しく語られている。興味深かったのは翻訳の依頼を受けるかどうか若干逡巡されたことだ。「赤毛のアン」の世界とそれまでの「松本侑子」の世界とがかけ離れているのではないかと、いくらか不安を感じたという。松本侑子さんも当初は二つの世界の乖離を感じていたことを知り、自分の心も許されたような安堵を感じた。
しかし、松本侑子さんは英語の原文を読むことで『赤毛のアン』が完全に大人向けの小説であること発見する。原文は少女小説のイメージとはかけ離れていて、英米文学が無数に引用された知的な文学作品だった。もっともよく知られている村岡花子さんの翻訳に敬意を表しながらも、松本侑子さんは原典からの引用を解き明かした完訳を決意する。『赤毛のアン』の背景やアン・シャーリーを育てた風土を知るためにプリンスエドワード島へも旅立つ。『赤毛のアン』を読むと、その繊細な自然描写にも驚かされる。『赤毛のアン』は膨大な引用を含むストーリー、アンや登場人物のキャラクター、舞台であるプリンスエドワード島の自然が一体となって緻密に組み立てられている印象を受ける。松本侑子さんはプリンスエドワード島を旅しその風土にふれたことで「綿菓子のように甘くロマンチックだったアンのイメージが、しっかりと地に足をつけて生きる現実的なアンの姿へと変わった」(『ブドウ酒とバラの日々』)という。『赤毛のアン』を心から味わうには、松本侑子さんに倣って(可能ならば)プリンスエドワード島を一度は訪ねてみるべきだろう。
というわけで(どんなわけで?)、プリンスエドワード島へちょっと行ってみようと思う・・・。
『赤毛のアン』≪in a tour to PEI≫に続く
何冊くらい本をもっていれば蔵書といっても恥ずかしくないのだろうか。雑誌類を除いてたぶん3桁は超えている自分の“蔵書”(といえるならば)だが、いまはこちら(関東平野の片隅に立つアパートの一室)の“新館”と実家の“本館”に分けて置いてある。読み返したりする必要度の高い本はほぼ新館に移っているが、なつかしい本は本館の“書庫”(押し入れの中に設えた本棚)に収蔵されているものもある。『赤毛のアン』以降の松本侑子さん関係の本や雑誌などはほとんど新館に置いてあり、木製の本棚の一段を占有している。最近はもう一段上の棚にも進出する勢いだ。初期のフェミ系小説三部作(と勝手に自分で呼んでいる『巨食症の明けない夜明け』、『植物性恋愛』、『偽りのマリリン・モンロー』の三作品)や初期のエッセイ集などは本館の書庫に大事に保管してある。ただ残念なことに当時は本の帯を取ってしまう悪いクセがあって、帯がなくなってしまっているものが多い。いまとなっては悔やんでも悔やみきれない!
ここ数ヶ月は両親の介護や看病の関係で田舎にいることが多くなった。実家で読もうと思って持参した新しい本は意外と読めないものだが、逆にむかし読んだなつかしい本たちの背表紙を眺めているとついつい手に取ってしまう。松本侑子さんの初期のエッセイ集4冊(『作家以前』、『読書の時間』、『ブドウ酒とバラの日々』、『私の本棚』)も読み返してみた。あらためて目次を見たりページをめくっていて気がついた。ほとんどのエッセイは読んだ記憶がかなり鮮明に残っているか、おぼろげながら頭の片隅に残っていたが、一方で初めて読んだかのように思えるものもあった。「赤毛のアン」について書かれたいくつかのエッセイだ。
以前に何度か書いたことだが、「赤毛のアン」の英語セミナーに参加するまでは「松本侑子」と「赤毛のアン」が結びつかず違和感がつきまとっていた。「赤毛のアン」関係のエッセイも当時読んだにちがいないのだが、知らず知らずのうちに自分の中でフィルターにかけていたのかもしれない。字面だけを読んで松本侑子さんの思いを理解することもなく、心の内に受け入れることを拒否していたのだろう。だから記憶から除外されていたのだと思う。「松本侑子」ファンだと言いながらも、いわば片面のファンにすぎなかった。英語セミナーに参加していなかったならば、名前は知っていても『赤毛のアン』を生涯まともに読むこともなく、「松本侑子」ファンだと口に出すときもどこか後ろめたさを引きずっていたにちがいない。勝手に作り上げた「松本侑子」の虚像を偏愛するだけで終わってしまっていたかもしれない。それに何よりも、『赤毛のアン』の奥深い魅力を知らずに人生を終えて大損をするところだった。
松本侑子さんの『赤毛のアン』は文学音痴の自分を文学の沃野へと引き入れてくれた。『赤毛のアン』の背景や隠された謎を知ることで英米文学にかぎらず文学一般に対する興味が増した。『赤毛のアン』で語られた言葉の数々は松本侑子さんの発掘で言葉の宝石となり、生きる上での励ましにもなった。『赤毛のアン』との出会いは松本侑子さんとの出会いのお陰であり、少なくともこの出会いだけは人生に感謝したい。
それでは松本侑子さんと『赤毛のアン』との出会いはどのようなものだったのだろうか。ざっと見直したかぎりでは、初めてのエッセイ集である『作家以前』には「赤毛のアン」に関する記述はなかったように思う。次の書評を主としたエッセイ集『読書の時間』では『赤毛のアン・夢紀行』(日本放送出版協会)が紹介されていて、初めてアンに出会ったのは14歳の秋だったと書かれている。読み始めたら止まらなくなり、すぐに『赤毛のアン』に夢中になったという。集英社から翻訳の依頼がきたことも控え目に書かれていた。さらに次の書評エッセイ集『私の本棚』と『ブドウ酒とバラの日々』では翻訳の経緯などがもう少し詳しく語られている。興味深かったのは翻訳の依頼を受けるかどうか若干逡巡されたことだ。「赤毛のアン」の世界とそれまでの「松本侑子」の世界とがかけ離れているのではないかと、いくらか不安を感じたという。松本侑子さんも当初は二つの世界の乖離を感じていたことを知り、自分の心も許されたような安堵を感じた。
しかし、松本侑子さんは英語の原文を読むことで『赤毛のアン』が完全に大人向けの小説であること発見する。原文は少女小説のイメージとはかけ離れていて、英米文学が無数に引用された知的な文学作品だった。もっともよく知られている村岡花子さんの翻訳に敬意を表しながらも、松本侑子さんは原典からの引用を解き明かした完訳を決意する。『赤毛のアン』の背景やアン・シャーリーを育てた風土を知るためにプリンスエドワード島へも旅立つ。『赤毛のアン』を読むと、その繊細な自然描写にも驚かされる。『赤毛のアン』は膨大な引用を含むストーリー、アンや登場人物のキャラクター、舞台であるプリンスエドワード島の自然が一体となって緻密に組み立てられている印象を受ける。松本侑子さんはプリンスエドワード島を旅しその風土にふれたことで「綿菓子のように甘くロマンチックだったアンのイメージが、しっかりと地に足をつけて生きる現実的なアンの姿へと変わった」(『ブドウ酒とバラの日々』)という。『赤毛のアン』を心から味わうには、松本侑子さんに倣って(可能ならば)プリンスエドワード島を一度は訪ねてみるべきだろう。
というわけで(どんなわけで?)、プリンスエドワード島へちょっと行ってみようと思う・・・。
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『赤毛のアン』≪in a tour to PEI≫に続く