「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『生物と無生物のあいだ』

2008年08月28日 | Science
『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一・著、講談社現代新書)
  「第1章 ヨークアベニュー、66丁目、ニューヨーク」は「摩天楼が林立するマンハッタンは、ニューヨーク市のひとつの区(ボロー)であり、それ自体ひとつの島でもある。西をハドソンリバーが、東をイーストリバーが流れる。」とニューヨークの情景描写ではじまる。ここだけを読むと、この本が科学書であるとは思えない。科学書としては冗長とも思える文学的な表現が実はいたるところに出てくる。この本が科学書の枠をこえてベストセラーともいえる売り上げ(2008年5月28日第15刷発行の本書の帯には「50万部突破!」とある)を示した理由の一つはそのあたりにありそうだ。
  専門家ではないので断定はできないが、分子生物学の先端的な内容が紹介されていて内容の程度はけっして低くはない。PCRは分子生物学研究の基本的なツールだが、その原理も紹介されている(正直に自らを告白すれば、その名前は聞いていたが原理は知らなかった)。動的平衡や相補性の話題も本来上級者向けだろう。文章表現もかなりこっていて、たとえば難読ともいえる漢字(たいていはふりがなが付いているが)や英語読みさせる語句も少なくない。その文学的表現が逆に、科学書にありがちな無味乾燥さを救っているようにも思える。DNAの二重らせん構造の発見とノーベル賞受賞に関わるロザリンド・フランクリンの不運など、科学者のエピソードも豊富だ。著者自身の体験などもおりまぜたポスドクの悲哀も読ませる。
  科学の営みは本来知的興奮に満ちていてミステリアスなものだ。また科学者の世界も夢や希望とともに運・不運・悲哀・羨望がうずまき、一般社会やビジネス界と何ら変わるところがない。たいていの科学書はその実態をうまく伝えきれていない。ところが本書の著者・福岡伸一さんは非凡な筆力で読む者を引きつけてはなさない。この本を読んで読者の科学(分子生物学)リテラシーが上がるかどうかはわからない。しかし、専門外の読者が分子生物学に知的興味をいだき「一見難解だが、なかなかおもしろい!」と思わせることには成功しているように思う。
  一方ミステリー仕立ての流れに目を奪われて、「生命とは何か」の問いかけや「生命機械論」への疑問がやや見えにくくなってしまったようにも思える。それでも「生物と無生物のあいだ」を語ることで「科学的と文学的のあいだ」を橋渡しし、SFではない本物の「科学ミステリー」を味わう一時を与えてくれたのはたしかだ。

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