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☆『ヒポクラテスたち』(大森一樹・監督、古尾谷雅人・主演)☆
京都府立医科大学出身の大森一樹監督が描いた青春グラフティ。舞台は京都の医大「洛北医科大学」。「ヒポクラテス」になりきれない医学生たちの青春の日々が綴られいく。1980年の封切り時、たしか金沢の映画館で見たように思う。懐かしいの一言。懐かしすぎて何から書けば良いのかわからない。当時どのような気持ちで見たのか覚えがないが、もう一度見てみたいとずっと思っていた。今回マーケットプレイスで運良く廉価で購入できた。
主演は今は亡き古尾谷雅人。準主役を演じた伊藤蘭は、キャンディーズが解散した後、「普通の女の子」からの復帰後、女優としてのデビュー作。その意味でも当時は話題となったはずだ。脇をかためる役者たちも、いまとなってみればすごいメンバーである。柄本明、内藤剛、斉藤洋介、小倉一郎、阿藤快など。柄本明のひょうひょうとした演技は、今も昔も変わらない。一方で、実質的なデビュー作だった内藤剛は、今でこそ強面の刑事役が定番だが、当時からは想像がつかない。若き日の彼らは、一様にしてすばらしい演技力である。若い彼らもまた俳優としての青春を過ごしていたはずだが、その実力の萌芽はこの映画で十分に示されていたように思う。
さらに驚かされるのは、チョイ役で出演している面々。手塚治虫、鈴木清順(映画監督)、北山修、軒上泊(作家)、原田芳雄(俳優)など。医学部出身だった手塚治虫は小児科の教授役で(『ブラックジャック』も出てくる)。大森監督と同じく京都府立医大出身の北山修は「フォーククルセダーズ」で日本の音楽シーンの一時代を築き、その後、現役の精神科医(精神医学者)となった(「フォーククルセダーズ」のメンバーだった加藤和彦、はしだのりひこは残念なことに故人となってしまった)。原田芳雄演じる豪快な外科医は、どこかにいそうな気がしてくる。
前半は産婦人科の臨床実習を舞台に健全な(?)下ネタが連続し、ウケを狙っているようにも見えるが、時間と共にテーマは重みを増してくる。医学生ならではのシーンも多いが、投げかけられたテーマは、医学生でなくとも共感・共有できる普遍的なものだ。それは将来への期待と不安であったり、「生と死」であったりする。日本中を席巻した学生運動は終息したが、まだどこかに「政治の季節」を引きずっていた1980年という時代。デモ行進やゲバ棒こそ出てこないが、立て看やビラ配り、学生寮での熱い議論など、その片鱗を窺わせる。その後バブルの時代とその崩壊を経て、若者たちこそが現政権を支持している今の時代、「政治の季節」などもはや過去の遺物となってしまったかのようだ。
それはさておき、ネットで検索してみると、自分にはわからない小ネタも多く隠されているようで、それを探すのもDVD視聴の一興かもしれない。物語は終始笑いを誘いながらも、ハッとさせられるシーンも少なくない。出だしの朗読のようなセリフは『分裂病の少女の手記』というのも秀逸だ。解剖実習室や主役の古尾谷雅人が白衣ならぬ黒衣で現われるシーンもけっこう衝撃的だが、最後の最後に、伊藤蘭演じる女子医学生の肖像画のようなシーンは深くこころに突き刺さってくる。そこに加えられたキャプションは「睡眠薬自殺」。
後年(2003年)、古尾谷雅人は現実に自ら命を絶ってしまい、その事実は現実として本当に衝撃的だった。いま生きていれば、伊藤蘭や内藤剛たちと同じく初老の域に達しているはずだが、どのような演技を見せてくれただろうか。
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京都府立医科大学出身の大森一樹監督が描いた青春グラフティ。舞台は京都の医大「洛北医科大学」。「ヒポクラテス」になりきれない医学生たちの青春の日々が綴られいく。1980年の封切り時、たしか金沢の映画館で見たように思う。懐かしいの一言。懐かしすぎて何から書けば良いのかわからない。当時どのような気持ちで見たのか覚えがないが、もう一度見てみたいとずっと思っていた。今回マーケットプレイスで運良く廉価で購入できた。
主演は今は亡き古尾谷雅人。準主役を演じた伊藤蘭は、キャンディーズが解散した後、「普通の女の子」からの復帰後、女優としてのデビュー作。その意味でも当時は話題となったはずだ。脇をかためる役者たちも、いまとなってみればすごいメンバーである。柄本明、内藤剛、斉藤洋介、小倉一郎、阿藤快など。柄本明のひょうひょうとした演技は、今も昔も変わらない。一方で、実質的なデビュー作だった内藤剛は、今でこそ強面の刑事役が定番だが、当時からは想像がつかない。若き日の彼らは、一様にしてすばらしい演技力である。若い彼らもまた俳優としての青春を過ごしていたはずだが、その実力の萌芽はこの映画で十分に示されていたように思う。
さらに驚かされるのは、チョイ役で出演している面々。手塚治虫、鈴木清順(映画監督)、北山修、軒上泊(作家)、原田芳雄(俳優)など。医学部出身だった手塚治虫は小児科の教授役で(『ブラックジャック』も出てくる)。大森監督と同じく京都府立医大出身の北山修は「フォーククルセダーズ」で日本の音楽シーンの一時代を築き、その後、現役の精神科医(精神医学者)となった(「フォーククルセダーズ」のメンバーだった加藤和彦、はしだのりひこは残念なことに故人となってしまった)。原田芳雄演じる豪快な外科医は、どこかにいそうな気がしてくる。
前半は産婦人科の臨床実習を舞台に健全な(?)下ネタが連続し、ウケを狙っているようにも見えるが、時間と共にテーマは重みを増してくる。医学生ならではのシーンも多いが、投げかけられたテーマは、医学生でなくとも共感・共有できる普遍的なものだ。それは将来への期待と不安であったり、「生と死」であったりする。日本中を席巻した学生運動は終息したが、まだどこかに「政治の季節」を引きずっていた1980年という時代。デモ行進やゲバ棒こそ出てこないが、立て看やビラ配り、学生寮での熱い議論など、その片鱗を窺わせる。その後バブルの時代とその崩壊を経て、若者たちこそが現政権を支持している今の時代、「政治の季節」などもはや過去の遺物となってしまったかのようだ。
それはさておき、ネットで検索してみると、自分にはわからない小ネタも多く隠されているようで、それを探すのもDVD視聴の一興かもしれない。物語は終始笑いを誘いながらも、ハッとさせられるシーンも少なくない。出だしの朗読のようなセリフは『分裂病の少女の手記』というのも秀逸だ。解剖実習室や主役の古尾谷雅人が白衣ならぬ黒衣で現われるシーンもけっこう衝撃的だが、最後の最後に、伊藤蘭演じる女子医学生の肖像画のようなシーンは深くこころに突き刺さってくる。そこに加えられたキャプションは「睡眠薬自殺」。
後年(2003年)、古尾谷雅人は現実に自ら命を絶ってしまい、その事実は現実として本当に衝撃的だった。いま生きていれば、伊藤蘭や内藤剛たちと同じく初老の域に達しているはずだが、どのような演技を見せてくれただろうか。
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