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『火の女 シャトレ侯爵夫人』(辻由美・著、新曜社)
18世紀のフランスに生きた一人の情熱的な女性の物語である。シャトレ侯爵夫人はその名のとおりシャトレ侯爵の妻であったが、宮廷やサロンを舞台にいくつもの情熱的な恋をし、なかでも当代きっての風刺作家であったヴォルテールの愛人として名を馳せた。ヴォルテールは舌鋒の鋭さゆえに投獄されたり当局から追及されるなど何度も危険な目にあったが、一度ならず危機を救ってくれたのがシャトレ侯爵夫人だった。
シャトレ侯爵夫人には、少女時代のガブリエル=エミリ・ド・ブルトゥイユの頃からもう一つ情熱を傾けていたものがあった。エミリは数学や物理学に熱中する早熟な少女だったのである。シャトレ侯爵に嫁ぎ社交界にデビューすると華やかな生活や遊びにも夢中になった。何事にも一途なエミリは恋をしても駆け引きとは無縁な熱情へと走った。しかし熱愛はいずれ終わりをつげる。そんなエミリの心の空隙を埋めてくれたのは学問への情熱だった。エミリとヴォルテールはお互い単なる恋の相手としてではなく、知的な面でも惹かれあう間柄だった。二人の間の男女としての愛が終わっても、エミリとヴォルテールは生涯にわたって知的な強い絆で結ばれていた。ヴォルテールとの友情を支えていたのは、やはりエミリの学問への情熱だったいえるだろう。
ヴォルテールは科学者ではなく作家だが、フランスにおけるニュートンの信奉者として知られている。当時のフランスではニュートンの理論はほとんど知られておらず、フランスが生んだ偉大な哲学者であるデカルトの説が君臨していた。本書によるとニュートン説を初めて本格的にフランスに紹介したのは数学者のモーペルチュイである。モーペルチュイもまたエミリと恋仲となった。ヴォルテールとモーペルチュイはフランスにおけるニュートン派として同じ戦列に立ったが、一方でエミリをめぐっては恋敵でもあった。(まるで昼メロのような展開だ!) やがてエミリもニュートン派の戦列に加わり、シャトレ侯爵夫人の名を科学史上に残すこととなった『プリンキピア』(『自然哲学の数学的原理』)のフランス語訳を成し遂げる。エミリは数学や物理のみならずラテン語にも精通していた。ラテン語で書かれた『プリンキピア』を翻訳する仕事はエミリにとって適任だった。時代がエミリの出番を用意してくれたともいえるだろう。
エミリの生きた時代は「女の時代にして科学の時代」だったと著者の辻さんはいう。科学への関心が人々の間に広まり、宮廷やサロンでも話題をさらっていた。一方で―にわかに信じがたいことだが―当時のフランス貴族社会では既婚女性の恋愛が大手を振って歩いていたという。そんな舞台にエミリはシャトレ侯爵夫人として登場したのである。社交界では女性たちが大きな影響力を持っていたが、彼女たち自身が政治家や科学者や作家であることはなかった。シャトレ侯爵夫人の恋愛と学問への情熱は時代が用意した舞台で花開いたといえるが、他の女性たちとただ一つ異なっていたのはエミリには数学や物理学のたしかな素養があり、女性として第一人称の科学者となったことである。
シャトレ侯爵夫人の翻訳した『プリンキピア』は現在でもフランスで復刻され市販されているという。学術書とは別に、出版を意図して書かれたものではなく心情を吐露した『幸福論』という著作もあり、これは現在フランスの高校の教材としても使われているとのことだ。エミリは『幸福論』の中で幸福になる条件を挙げている。「幻想を抱くことができること、先入見を持たないこと、高潔であること、健康であること、情熱や意欲を持つこと」の5つである。科学者でありながら幻想を挙げているところがおもしろい。幻想とは「ものごとをあるがままに見せずに、そのあるべき姿を見せてくれるもの」なのだという。芝居を見る楽しみと舞台裏を覗くことに例えているが、幻想に支えられた恋愛をいくつも経験してきたエミリならではの言葉のようにも思える。
5つの条件の中で、辻さんは最後の「情熱や意欲を持つこと」にもっとも注目している。恋愛であれ学問であれ情熱は人を幸福にする。とくに恋の情熱は最大の幸せを与えてくれるとエミリはいう。しかし恋愛がもたらす幸福は他人に依存している。これに対して学問への情熱は自分自身にしか依存していない。だから学問は不幸にならないためのもっとも確実な手段であり、さらに男の幸福よりも女の幸福に貢献する。(男には自分の才能を活かす機会がいくらでもあるが、女は遠ざけられているからだという―現在でも完全に払拭されたとは言いがたい。) 著者はシャトレ侯爵夫人のこの言葉を何よりも伝えたかったのではないかと思う。本書「あとがき」で辻さんは「彼女の考え方や生き方は、むしろ二十一世紀に生きる私たちの共感をさそう」と書いている。
われわれが生きるいまの時代はシャトレ侯爵夫人が生きた時代以上に享楽にあふれ、人は自由な恋愛を楽しんでいる。だからといって恋愛が幸福を約束してくれるとは限らないのはいまも昔も変わらない。では学問への情熱はどうだろうか。制度化された学問は、研究者に論文生産工場の労働者のごとき苦しみを与えている。高学歴は将来を保証するものではなくなり、大量の高学歴ワーキングプアを生み出しているのが現実である。学問もまた幸福を約束してくれない。だがしかし、われわれは原点に戻らなければならないのではないだろうか。学問の原点は子どものような好奇心だったことを思い出そう。少なくとも少女のエミリが科学を志したとき、それは知的好奇心の発露であり純粋な楽しみだったはずだ。学問の楽しみは時代を経ていつのまにか飯のタネに成り下がってしまった。
上野千鶴子さんは『サヨナラ、学校化社会』(ちくま文庫)の中で「好きなこと」がカネになるとは限らない、だからカネになるスキルは別に身に付けておいて、自分が本当に「好きなこと」をやって「あーおもしろかった」と言えるような生き方を勧めている。この際、結果や第三者の評価は関係ない。大事なことは「自分になにがキモチいいかという感覚を鈍らせないこと」であり、それこそが「生きる力」なのだと上野さんは結んでいる。シャトレ侯爵夫人は自分の快楽に忠実だった。彼女の恋愛や学問への情熱は「生きる力」の表れだったのである。
18世紀のフランスに生きた一人の情熱的な女性の物語である。シャトレ侯爵夫人はその名のとおりシャトレ侯爵の妻であったが、宮廷やサロンを舞台にいくつもの情熱的な恋をし、なかでも当代きっての風刺作家であったヴォルテールの愛人として名を馳せた。ヴォルテールは舌鋒の鋭さゆえに投獄されたり当局から追及されるなど何度も危険な目にあったが、一度ならず危機を救ってくれたのがシャトレ侯爵夫人だった。
シャトレ侯爵夫人には、少女時代のガブリエル=エミリ・ド・ブルトゥイユの頃からもう一つ情熱を傾けていたものがあった。エミリは数学や物理学に熱中する早熟な少女だったのである。シャトレ侯爵に嫁ぎ社交界にデビューすると華やかな生活や遊びにも夢中になった。何事にも一途なエミリは恋をしても駆け引きとは無縁な熱情へと走った。しかし熱愛はいずれ終わりをつげる。そんなエミリの心の空隙を埋めてくれたのは学問への情熱だった。エミリとヴォルテールはお互い単なる恋の相手としてではなく、知的な面でも惹かれあう間柄だった。二人の間の男女としての愛が終わっても、エミリとヴォルテールは生涯にわたって知的な強い絆で結ばれていた。ヴォルテールとの友情を支えていたのは、やはりエミリの学問への情熱だったいえるだろう。
ヴォルテールは科学者ではなく作家だが、フランスにおけるニュートンの信奉者として知られている。当時のフランスではニュートンの理論はほとんど知られておらず、フランスが生んだ偉大な哲学者であるデカルトの説が君臨していた。本書によるとニュートン説を初めて本格的にフランスに紹介したのは数学者のモーペルチュイである。モーペルチュイもまたエミリと恋仲となった。ヴォルテールとモーペルチュイはフランスにおけるニュートン派として同じ戦列に立ったが、一方でエミリをめぐっては恋敵でもあった。(まるで昼メロのような展開だ!) やがてエミリもニュートン派の戦列に加わり、シャトレ侯爵夫人の名を科学史上に残すこととなった『プリンキピア』(『自然哲学の数学的原理』)のフランス語訳を成し遂げる。エミリは数学や物理のみならずラテン語にも精通していた。ラテン語で書かれた『プリンキピア』を翻訳する仕事はエミリにとって適任だった。時代がエミリの出番を用意してくれたともいえるだろう。
エミリの生きた時代は「女の時代にして科学の時代」だったと著者の辻さんはいう。科学への関心が人々の間に広まり、宮廷やサロンでも話題をさらっていた。一方で―にわかに信じがたいことだが―当時のフランス貴族社会では既婚女性の恋愛が大手を振って歩いていたという。そんな舞台にエミリはシャトレ侯爵夫人として登場したのである。社交界では女性たちが大きな影響力を持っていたが、彼女たち自身が政治家や科学者や作家であることはなかった。シャトレ侯爵夫人の恋愛と学問への情熱は時代が用意した舞台で花開いたといえるが、他の女性たちとただ一つ異なっていたのはエミリには数学や物理学のたしかな素養があり、女性として第一人称の科学者となったことである。
シャトレ侯爵夫人の翻訳した『プリンキピア』は現在でもフランスで復刻され市販されているという。学術書とは別に、出版を意図して書かれたものではなく心情を吐露した『幸福論』という著作もあり、これは現在フランスの高校の教材としても使われているとのことだ。エミリは『幸福論』の中で幸福になる条件を挙げている。「幻想を抱くことができること、先入見を持たないこと、高潔であること、健康であること、情熱や意欲を持つこと」の5つである。科学者でありながら幻想を挙げているところがおもしろい。幻想とは「ものごとをあるがままに見せずに、そのあるべき姿を見せてくれるもの」なのだという。芝居を見る楽しみと舞台裏を覗くことに例えているが、幻想に支えられた恋愛をいくつも経験してきたエミリならではの言葉のようにも思える。
5つの条件の中で、辻さんは最後の「情熱や意欲を持つこと」にもっとも注目している。恋愛であれ学問であれ情熱は人を幸福にする。とくに恋の情熱は最大の幸せを与えてくれるとエミリはいう。しかし恋愛がもたらす幸福は他人に依存している。これに対して学問への情熱は自分自身にしか依存していない。だから学問は不幸にならないためのもっとも確実な手段であり、さらに男の幸福よりも女の幸福に貢献する。(男には自分の才能を活かす機会がいくらでもあるが、女は遠ざけられているからだという―現在でも完全に払拭されたとは言いがたい。) 著者はシャトレ侯爵夫人のこの言葉を何よりも伝えたかったのではないかと思う。本書「あとがき」で辻さんは「彼女の考え方や生き方は、むしろ二十一世紀に生きる私たちの共感をさそう」と書いている。
われわれが生きるいまの時代はシャトレ侯爵夫人が生きた時代以上に享楽にあふれ、人は自由な恋愛を楽しんでいる。だからといって恋愛が幸福を約束してくれるとは限らないのはいまも昔も変わらない。では学問への情熱はどうだろうか。制度化された学問は、研究者に論文生産工場の労働者のごとき苦しみを与えている。高学歴は将来を保証するものではなくなり、大量の高学歴ワーキングプアを生み出しているのが現実である。学問もまた幸福を約束してくれない。だがしかし、われわれは原点に戻らなければならないのではないだろうか。学問の原点は子どものような好奇心だったことを思い出そう。少なくとも少女のエミリが科学を志したとき、それは知的好奇心の発露であり純粋な楽しみだったはずだ。学問の楽しみは時代を経ていつのまにか飯のタネに成り下がってしまった。
上野千鶴子さんは『サヨナラ、学校化社会』(ちくま文庫)の中で「好きなこと」がカネになるとは限らない、だからカネになるスキルは別に身に付けておいて、自分が本当に「好きなこと」をやって「あーおもしろかった」と言えるような生き方を勧めている。この際、結果や第三者の評価は関係ない。大事なことは「自分になにがキモチいいかという感覚を鈍らせないこと」であり、それこそが「生きる力」なのだと上野さんは結んでいる。シャトレ侯爵夫人は自分の快楽に忠実だった。彼女の恋愛や学問への情熱は「生きる力」の表れだったのである。
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