「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

『素敵にサイエンス~研究者編』(&『なでしこたちの挑戦~日本の女性科学者技術者』)

2008年08月16日 | Science
『素敵にサイエンス~研究者編』(鳥養映子・横山広美・編著、近代科学社)(&『なでしこたちの挑戦~日本の女性科学者技術者』(国立科学博物館))
  『素敵にサイエンス~研究者編』は主に女子中高生を対象にして、理系の進路選択を応援している本だ。サブタイトルに「かがやき続ける女性キャリアを目指して」とあるように、紹介されている8名の研究者と4名の大学院生の女性たちはたしかに輝いている。自らが光を放っているかのようにまぶしく見える。では、なぜ輝いて見えるのだろうか。彼女たちの研究業績がどの程度のものなのか、その正確な評価は門外漢の者にはわからない。だから彼女たちの輝きは必ずしも業績によるものだけではないように思える。
  田崎和江さん(金沢大学教授)は11年前のナホトカ号重油流出事故で、その解決に先進的な役割を果たした女性だ。田崎さんの業績は、あとでふれるマイクロマシンや薬剤耐性菌の話にくらべればわかりやすい。成果が直接目に見えるといってもいい。それでも田崎さんの輝きは、日本海沿岸の環境浄化に寄与したことだけではなく、そこに至るまでの人生の道のりそのものから発しているように見える。働きながら定時制高校から大学へ進学し、そして結婚、出産。さらに独学の研究で学位を取得し、カナダへ留学。一見紆余曲折に満ちた人生行路だが、チャンスをつかんできただけと田崎さんは言い切る。田崎さんのチャンスを活かしてきた姿勢そのものが輝いて見えるのだ。薬剤耐性菌の研究をしている塩田澄子さん(就実大学准教授)も修士課程を修了後結婚し、15年のブランクを経て研究生活へとカムバックした女性だ。塩田さんは準備のできた人だけがチャンスをつかめるというが、与えられたチャンスを活かしてきたことに他ならない。塩田さんもまた研究者、教育者、主婦、母親と何足ものわらじを履いてきた。安藤妙子さん(名古屋大学助教*)は苦手な数学を克服し文系から理系へと進路を変更して進学したが、大学院へ進学する際、第一志望の学科に不合格となった。ところが第二志望の学科へ進学したことが幸運の転機になったと語る。それがマイクロマシンの研究だった。安藤さんは新しいことに対してオープンマインドでいることが道を切り開くことにつながるという。柔軟に対処して与えられた場をチャンスとして活かした結果といえるだろう。児童文学の作家になることを夢見ていた横山広美さん(東京大学准教授)はふとしたきっかけから物理学にのめりこみ、いまではサイエンス・コミュニケーションの分野で活躍する女性の一人である。苦手な数学も物理に対する興味で乗り越えたという。「好き」を「不得意」であきらめない姿勢も柔軟性の表れといえるだろう。
  この本に登場する女性たちは専門分野も異なれば、キャリアパスも一人ひとり異なる軌跡を描いている。しかし共通しているのは、その場に応じたチャンスを活かそうとする姿勢と、直線的な歩みに固執しない柔軟性だ。初めからゴールを設定し馬車馬のように進むのではなく、プロセス自体を楽しんでいるように思える。もちろんすべてとは言わないが、男性研究者が直線的なキャリアパスをよしとし、めざすゴールに誰よりも早く入ろうとするのとは対照的だ。いまの時代、女子生徒が理系進学を志すのはめずらしいことではなくなった。それでも結婚・出産・育児といった女性役割との葛藤(それが多様なキャリアパスを生み出すもっとも大きな原因でもあるのだが)や、いまだ男性社会と思われている(実際否定できない面がある)理系の世界で仕事をこなしていくことの不安などが根強く存在する。だからこのような本が必要とされるのである。とはいえ、一昔前にくらべてもジェンダーロールや能力観に関わる意識は大きく変化し、機会均等や待遇改善などの社会的な整備も徐々に進んでいるようだ。いまを生きる女性たちの努力が大きな役割を果たした結果といえるが、その礎をつくった先人の女性たちのことも忘れてはならない。
  この春『なでしこたちの挑戦~ 日本の女性科学者技術者』展がお茶の水女子大学ジェンダー研究センターの協力のもと国立科学博物館で開かれた。あまり大体的なPRもされていなかったようで、ほぼ同時に開催されていた『ダーウィン展』とくらべると会場は閑散としていた。まばらな見学者が幸いして、見るべきものをゆっくりと見、考えるべきことも少しは考えることができた。明治~大正~昭和に活躍した6人の女性たちもやはり輝いて見えた。日本は封建社会から民主主義を基盤とした近代社会に移ったとはいえ、男女差別は歴然として存在していた。そんな時代にあって彼女たちは医学をふくむ科学技術の世界へと身を投じていった。6人の生涯を振り返ると苦難の連続だったことがわかる。同時に苦難をうわまわる情熱で道なき道を切り開いていった。荻野吟子は夫からうつされた病気治療で恥辱をうけ、それを機に苦難や偏見と闘いながら日本初の公的な女性医師となった。植物学・細胞学の道を進んだ保井コノはようやく実現したアメリカ留学で新しい研究手法を学び、帰国後石炭植物の研究で日本初の女性博士となった。それでも女性が男子学生を指導することに渋い顔をされたという。6人の女性たちは与えられた苦難も情熱の矛先も一人ひとり異なるが、ここでもチャンスを活かそうとする姿勢が共通していることに驚かされる。男性(科学者)であってもチャンスを逃すことはしない。女性(科学者)に対してあまりにえこひいきではないか。そう思わないでもないが、ふつう男性にとってのチャンスとは、せいぜい科学者社会の中での話である。女性は、科学者社会を超えて社会全体の中でチャンスをつかまないことには科学にたずさわることさえできない。チャンスを意味する範囲そのものが男女では異なっている。極端な表現をすれば蛸壷の中の話ではなく、広い海の中での冒険譚なのだ。苦難も多いが感動もまた大きい。だから『素敵にサイエンス』に登場する女性たちも6人の「なでしこたち」も輝いて見えるのではないだろうか。
  ここでひとつ問題を提起することができる。将来社会的な整備が完遂し、女性が出産や育児に煩わされる(!)ことなく、また能力的にも男性と対等に渡り合える(!)ようになったとき、理系女性は輝きを失うことになるのだろうか。だがそれは女性が蛸壷の中に引き込まれてしまった未来だ。女性は現状の男性と対等になどなる必要はない! 研究環境の改善や出産・育児をサポートするシステム作りはもちろん必要だが、むしろ男女共に出産・育児にたずさわることができるような、性別にかかわらず多様なキャリアパスが認められる社会を構築していかなければならない。女性も男性も蛸壷ではなく広い海の中で冒険を楽しむことができれば、男女共に輝いて見えるにちがいない。能力的な男女差も正当に評価されるべきだが、むしろ性別に関わりなく個としての能力を発揮できる社会が理想だろう。そう考えると、理系女性は理想社会へ向けて先鞭をつける存在であるように思えてくる。現状の社会に対して、それこそ問題を投げかけているともいえるだろう。
  『素敵にサイエンス』で奈良女子大学准教授の肥山詠美子さんは、女子大とはいえ残念ながら女性スタッフが多いとは言えないと語っている。女子大にかぎらず女性研究者の活躍する場がさらに広がることが望まれ、職場の男女比率が故意に不均衡であるならば是正もされなければならない。一方で、いまの時代共学ではなく女子大を存続していく意義も問われているように思う(この件に関しては女性の意見をぜひとも聞いてみたいものだと思う)。だがしかし、女性が学問の世界に入ることさえ認められていなかった時代には、女性に専門的な教育を受けさせる場を設けることが当の女性にとって急務だった。だから「なでしこたち」の吉岡弥生は東京女医学校(現・東京女子医科大学)を創立し女性医師の育成に努めた。その東京女医学校の後身である東京女子医学専門学校を卒業した香川綾もまた家庭食養研究会を発足させ、のちに女子栄養大学へと発展した。香川は家庭(女性)を通じて予防医学・栄養学の普及を考えていたのだろう。女性初の帝国大学入学生となった黒田チカ、日本の女性物理学者として戦前から国際的な活躍をした湯浅年子、女性初の博士となった保井コノたちも女子高等教育の確立をめざして国立女子総合大学の設立を求めて奔走した。彼女たちの悲願はやがて「お茶の水女子大学」として結実した。「なでしこたち」の悲願を思うとき、彼女たちが男性社会と対峙しながらもけっしてあきらめることなく、苦難もチャンスと捉えて道を切り開いてきた経験が活かされ、その結果として彼女たちの女性の人生をも輝きにかえているように思う。現代を生きる理系女性たちが輝いているのも、「なでしこたち」の末裔として、その資質を知らず知らずのうちに受け継いでいるからではないだろうか。
  『私は女性にしか期待しない』(岩波新書)という本がある。初版は20年近く前の1990年で、著者は当時80歳をすぎた男性小児科医の松田道雄さん。すでにフェミニズムに関心をもっていたが、このタイトルはかなり衝撃的だった覚えがある。松田さんは政治制度と日常生活の男女平等の落差を指摘し「草の根のところでデモクラシーを実現できるのは女しかない」と断じている。「社会が急速にかわっていくのに、女は適応してかわったのに、男は一向かわろうとしません」とも書いている。18年たったいま、男性はかわっただろうか。男性の一人として心もとないように思う。男性はいまだに既得権益を手放そうとしないし、硬直した考え方から抜け出せずにいるように思える。もちろん自分もまた内心を見直して払拭できているという自信があるわけではない。冶部眞里さん(科学技術政策研究所上席研究官)は英語英文学科出身でありながら「量子脳理論」を研究し医学博士号やMBAも取得した女性だ。冶部さんは茂木健一郎さん(簡単にいえば物理学科→法学部→理学系大学院→脳科学という道を歩んできた人だ)さえ「ジグザグ」とよぶ自らの人生を肯定的に捉え、『素敵にサイエンス』のなかで「決して無駄はしていないと自負している」と語っている。「喜びごとは喜ぶ顔にやってくる」ともいう。失礼ながら融通無碍とでもいえそうな「ジグザグ人生」を歩み、自分の人生をこれほどまでに自らが評価できる人は、男性には少ないのではないだろうか。松田さんならずとも男性として「私は女性にしか期待しない」と言いたくなることの多い現状では(一方で既存の男性に同化するかのような女性も少なからずいるように思え、これはこれで危惧すべき現状である)、「素敵にサイエンス」する理系女性たちは女子中高生のみならず、むしろ男性にとってのお手本になるように思える。柔軟なアタマと熱いココロをもった理系女性にますます期待したい。同時に男性も変わっていくことを願わずにはいられない。
  ちなみに肥山さんによれば、今日8月16日は「女子大生の日」だそうである。黒田チカを含む3人の女性が初めて帝国大学(東北帝国大学)に入学した1913年(大正2年)8月16日に由来するという。

*助教:大学教員等の職階の一つで2007年度より導入された。一般的には旧来の「助手」に該当するようだが、「講師」に相当する扱いのところもあると聞く。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『レオナルド・ダ・ヴィンチ... | トップ | “ウソ”と“軸” »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Science」カテゴリの最新記事