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☆『太宰治の愛と文学をたずねて』(松本侑子・著、潮出版社)☆
あるCM風にいえば、「そうだ、津軽へ行こう」、そう思った。今年は、憧れの国イタリアへの旅をこころづもりにしていた。ところが、ある事情でイタリア旅行は頓挫してしまった。そのかわりとして真っ先にこころに浮かんだのが、津軽への旅だった。津軽は、自分が生まれてから成人を過ぎかなりの歳になるまで世話になった、ある女性の生誕の地であり、いまは静かに眠りについている土地である。乳母ではないが、太宰にとってのキヱやたけのように、ある意味では実の母以上に世話をしてくれた人である。彼女が亡くなってから、一度は津軽を訪れてみたいと念じながらも、いまだ実現していなかった。また偶然にも、歳若い先輩が今春から弘前の大学に奉職していて、久しぶりにゆっくりと話をしてみたいとも思った。『太宰治の愛と文学をたずねて』を片手に津軽へ一人旅をすることに決めて、先輩にメールで連絡をとった。
本書の表紙をめくると、何枚もの鮮やかなカラー写真が目に飛び込んでくる。本文中のモノクロ写真を含めて、写真のほとんどは著者・松本侑子さんご自身が撮ったものである。いままでにも書いたことだが、松本さんの写真は構図も見事であり、作家が片手間に撮ったというたぐいのものではない。松本さんは何冊もの文学紀行の書物を著しているが、読者はいつも、実際に足を運んでの精緻な調査にもとづくストーリー展開と、それを補ってあまりまる数々の写真に魅せられる。文学紀行は空間的な広がりのみならず、時間軸をも移動する旅のようなもので、読者は著者の道案内で時空の旅を追体験する。時間と空間との交わったある地点で立ち止まったとき、そこに視覚的なイメージが示されれば、点は面となり、さらに時空間的な広がりをもったものとなる。読者は時空間の中に、作家やそこで生きた人たちの息遣いを、より身近に感じることができるように思う。
先の評伝小説『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』では山崎富栄がメインであり、太宰については死に至る後半生に焦点が当てられている。世に太宰ファンを自認する人は多いが、自分はといえば『恋の蛍』に接してはじめて、太宰そのものも少しは読みはじめたような人間である。それにもかかわらず―むしろ太宰に対する固定的なイメージがあまりないので―だからこそというべきかもしれないが、本書に乗っての太宰をめぐる時空の旅は、ある種のなつかしさを呼び起こす旅だった。太宰は関東や伊豆などさまざまな場所に足跡を残しているが、やはり津軽での太宰にもっとも惹かれるようなところがある。世話になった女性のこともあるが、異性への関心など太宰の初々しい行動や感情に、自分の十代を重ね合わせてしまうからかもしれない。甘酸っぱい感情が込み上げてきて、気恥ずかしいことこの上ない。
太宰は十代後半のころ心中物の義太夫に夢中になった。後年太宰が自殺や心中を繰り返すのは、心中物の世界観によるものではないかと松本さんは推察する。「人が十代後半に夢中になったことがらは、美意識や思考の土台を形作り、生涯を通じて影響をあたえるのではないだろうか」と松本さんはいう。思えば小学生のころ、宵の明星を見てその美しさにこころ奪われてから天文に夢中になり、いまも星や宇宙に対する興味は失せていないし、その感動が自分の世界観を支えているように思うことがしばしばある。また、日本海に面した津軽の風景は、山陰育ちの松本さんの目に親しくうつったという。数年前、友人の招きで出雲を訪れたとき、その風景が郷里の北陸とあまりにも似かよっていて、五感にすっと入り込んでくることに驚かされた。それに比べ、関東平野の一角にあるいまの街には十年以上も住んでいるが、慣れ親しんだとはいえ、どこか違和感をぬぐいきれずにいる。太宰や恩人の女性が見て育った深浦の海岸や岩木山を自分の目で見て、何を感じるのかたしかめてみたいと思った。
先輩にメールを送ってから数日後、返信のメールがきた。短いながら歓迎する旨が書かれていた。ところが、その数日の間に自分の状況が変わり、旅は諦めざるを得なくなってしまった。イタリアに続いて津軽もと思うと、やりきれない脱力感におそわれた。昨年末に父が亡くなって以来、次々と不条理な出来事にあい、こころは萎えるばかりである。しかし、大震災の被災地の人たちにくらべれば、自分の不条理などはたかが知れている。「付記」で松本さんが引用している太宰のことば―
―過ぎ去ったことは、忘れろ。そういっても、無理かも知れぬが、しかし人間は、何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも、堪えて、そ知らぬふりして生きているのではないのか。
―人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。(略)人間は不幸のどん底につき落とされ、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。
そういえば、太宰の『津軽』はツンドクのままで読んでいなかった。『太宰治の愛と文学をたずねて』と『津軽』を携えて、来年こそは津軽へ行こう!
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あるCM風にいえば、「そうだ、津軽へ行こう」、そう思った。今年は、憧れの国イタリアへの旅をこころづもりにしていた。ところが、ある事情でイタリア旅行は頓挫してしまった。そのかわりとして真っ先にこころに浮かんだのが、津軽への旅だった。津軽は、自分が生まれてから成人を過ぎかなりの歳になるまで世話になった、ある女性の生誕の地であり、いまは静かに眠りについている土地である。乳母ではないが、太宰にとってのキヱやたけのように、ある意味では実の母以上に世話をしてくれた人である。彼女が亡くなってから、一度は津軽を訪れてみたいと念じながらも、いまだ実現していなかった。また偶然にも、歳若い先輩が今春から弘前の大学に奉職していて、久しぶりにゆっくりと話をしてみたいとも思った。『太宰治の愛と文学をたずねて』を片手に津軽へ一人旅をすることに決めて、先輩にメールで連絡をとった。
本書の表紙をめくると、何枚もの鮮やかなカラー写真が目に飛び込んでくる。本文中のモノクロ写真を含めて、写真のほとんどは著者・松本侑子さんご自身が撮ったものである。いままでにも書いたことだが、松本さんの写真は構図も見事であり、作家が片手間に撮ったというたぐいのものではない。松本さんは何冊もの文学紀行の書物を著しているが、読者はいつも、実際に足を運んでの精緻な調査にもとづくストーリー展開と、それを補ってあまりまる数々の写真に魅せられる。文学紀行は空間的な広がりのみならず、時間軸をも移動する旅のようなもので、読者は著者の道案内で時空の旅を追体験する。時間と空間との交わったある地点で立ち止まったとき、そこに視覚的なイメージが示されれば、点は面となり、さらに時空間的な広がりをもったものとなる。読者は時空間の中に、作家やそこで生きた人たちの息遣いを、より身近に感じることができるように思う。
先の評伝小説『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』では山崎富栄がメインであり、太宰については死に至る後半生に焦点が当てられている。世に太宰ファンを自認する人は多いが、自分はといえば『恋の蛍』に接してはじめて、太宰そのものも少しは読みはじめたような人間である。それにもかかわらず―むしろ太宰に対する固定的なイメージがあまりないので―だからこそというべきかもしれないが、本書に乗っての太宰をめぐる時空の旅は、ある種のなつかしさを呼び起こす旅だった。太宰は関東や伊豆などさまざまな場所に足跡を残しているが、やはり津軽での太宰にもっとも惹かれるようなところがある。世話になった女性のこともあるが、異性への関心など太宰の初々しい行動や感情に、自分の十代を重ね合わせてしまうからかもしれない。甘酸っぱい感情が込み上げてきて、気恥ずかしいことこの上ない。
太宰は十代後半のころ心中物の義太夫に夢中になった。後年太宰が自殺や心中を繰り返すのは、心中物の世界観によるものではないかと松本さんは推察する。「人が十代後半に夢中になったことがらは、美意識や思考の土台を形作り、生涯を通じて影響をあたえるのではないだろうか」と松本さんはいう。思えば小学生のころ、宵の明星を見てその美しさにこころ奪われてから天文に夢中になり、いまも星や宇宙に対する興味は失せていないし、その感動が自分の世界観を支えているように思うことがしばしばある。また、日本海に面した津軽の風景は、山陰育ちの松本さんの目に親しくうつったという。数年前、友人の招きで出雲を訪れたとき、その風景が郷里の北陸とあまりにも似かよっていて、五感にすっと入り込んでくることに驚かされた。それに比べ、関東平野の一角にあるいまの街には十年以上も住んでいるが、慣れ親しんだとはいえ、どこか違和感をぬぐいきれずにいる。太宰や恩人の女性が見て育った深浦の海岸や岩木山を自分の目で見て、何を感じるのかたしかめてみたいと思った。
先輩にメールを送ってから数日後、返信のメールがきた。短いながら歓迎する旨が書かれていた。ところが、その数日の間に自分の状況が変わり、旅は諦めざるを得なくなってしまった。イタリアに続いて津軽もと思うと、やりきれない脱力感におそわれた。昨年末に父が亡くなって以来、次々と不条理な出来事にあい、こころは萎えるばかりである。しかし、大震災の被災地の人たちにくらべれば、自分の不条理などはたかが知れている。「付記」で松本さんが引用している太宰のことば―
―過ぎ去ったことは、忘れろ。そういっても、無理かも知れぬが、しかし人間は、何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも、堪えて、そ知らぬふりして生きているのではないのか。
―人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。(略)人間は不幸のどん底につき落とされ、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。
そういえば、太宰の『津軽』はツンドクのままで読んでいなかった。『太宰治の愛と文学をたずねて』と『津軽』を携えて、来年こそは津軽へ行こう!
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