「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

いま読み返す朝永の言葉―『科学者の自由な楽園』

2014年06月26日 | Science
☆『科学者の自由な楽園』(朝永振一郎・著、江沢洋・編、岩波文庫)☆

  朝永振一郎と湯川秀樹とは、ついつい比較して見てしまうところがある。ともに東京生まれの京都育ち。中学(旧制京都一中)、高校(旧制三高)、大学(京都帝国大学理学部物理学科)も同期(正確には湯川は1つ若いが、飛び級で朝永に追いついた)。湯川が日本人初のノーベル賞を受賞したのが1949年。次いで朝永が2人目のノーベル賞受賞者となったが、1965年のことであり、湯川に遅れること16年である。
  朝永と湯川の書いたエッセイの類をいくつも読んだわけではないので、たんなる印象にすぎないのだが、湯川は高嶺に立つ天才を仰ぎ見るような近寄りがたさがあるのに対して、朝永は庶民的で親しみやすい感じがする。少年時代は病弱で、物理学に憧れて大学に入ったものの講義には幻滅し、大学を卒業しても就職先は見つからないなど、誠に不遜ながら、自分の人生を引き写したようにも思われるため、いっそう親近感をいだくのかもしれない。
  本書は朝永のエッセイ、講演、紀行文を編纂したものである。ちなみに、編者の江沢洋さんも理論物理学者であり、朝永や朝永が師と仰いだ仁科芳雄の本を多く手がけている。子ども時代の思い出や身辺雑記からはじまり、物理学などを学ぶこと、師や友との交流、研究生活と進み、ノーベル賞受賞後のスウェーデン訪問など、旅の思い出で終わる。風呂場でころびケガをしたため、ノーベル賞授賞式には出席できなかったことを初めて知った。湯川のエッセイを読んだのはずいぶん昔だが、あまりユーモアを感じた覚えはない。ところが、朝永の文章や講演を読んでいると、しぜんに笑みがこぼれてくるものが多い。「天才(災)は忘れた頃にやってくる」など、今風にいえばオヤジギャグそのものだ。
  朝永はいう。知的好奇心は科学の基礎をなしているが、現在(1973年頃?)では情報過多のため知的好奇心が麻痺している。イギリスの物理学者ブラッケット(パトリック・ブラケット、Patrick Maynard Stuart Blackettのことか?)の言葉を引いて「科学とは国の費用によって、科学者の好奇心を満たすことである」が、科学者と政治家との関係は雇用関係ではなくパトロンの関係であるべきである。そのためには、科学者の側も専門に閉じこもることなく、広い視野をもって専門外の人々とも話す能力が必要である。そこに科学ジャーナリズムが果たす役割や意義も大きい。好奇心で動く科学(科学者)と「損得勘定」で動く政治(政治家)とは、本質的にまったく異なった性格をもつが、相違点を理解した上で、統一原理を模索していかなければならない。
  朝永は1979年に亡くなっているから、彼の言葉は新しいものでも35年以上が経っていることになる。しかし、まったく古びた感じがしない。本書のタイトルになっている「科学者の自由な楽園」とは、朝永が在籍していた当時の理化学研究所を指している。古き良き時代と言ってしまえばそれまでだが、昨今の理研の問題を見るにつけ、どこかで道を誤ったのではないかと思ってしまう。科学者の側も「損得勘定」が勝ってしまったのかもしれない。
  巻末の江沢さんによる解説は、専門的にならず朝永の人柄をよく伝えている。朝永の未完の絶筆となった『物理学とは何だろうか』(岩波新書)が出てくるが、この本を買って読んだのはいつだっただろうか。当時はよくわからない部分も多く、それほど感銘を受けたとは思わなかったが、いまあらためて読み直してみたい気持ちである。

  

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