「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

震災と美術との邂逅―『あなたは誰? 私はここにいる』

2011年12月10日 | Arts
☆『あなたは誰? 私はここにいる』(姜尚中・著、集英社新書)☆

  姜尚中さんは政治思想史の専門家だが、専門の著書は読んだことがない。在日コリアンであり、早稲田を出て、いまは東大の有名教授の一人として活躍しているという程度のプロフィールは知っていたが、むしろNHKの「日曜美術館」という番組の司会としての顔になじんでいた。司会は2009年4月に始まり、2011年3月まで続いた。司会を終えるその月に東日本大震災が起きた。
  本書の企画はたぶん震災以前にすでにあったのだろう。しかし、震災を経たことで、たんなる美術エッセイを超えた厚みを本書に与えたように思う。だからといって―「日曜美術館」で取り上げられた作品をベースにして、その魅力と著者の思いが語られているのだが―すべてを直接震災に結び付けているわけではない。
  絵や美術作品には何らかの意図が込められている。その意図を読み取ることが鑑賞の醍醐味の一つである。言語を理解するには文法というコードが必要だが、美術に関するコードを教えてくれるのが美術エッセイというものだ。とはいえ、コードは不変なものではなく、自前のコードで読み取っても必ずしも不都合が生じるわけではない。
  震災を経たことで、姜さんは震災前とは異なるものを作品に読み取ったにちがいない。われわれ読者もまた、姜さんの目を通して、あるいは著者の目を通さずとも、震災前には抱かなかった感慨を持つかもしれない。たとえばミレーの「晩鐘」に、被災地の情景を重ね合わせて見てしまわないだろうか。熊田千佳慕や伊藤若冲の描く生きものたちに、いままでにも増して愛おしさを感じないだろうか。
  大震災とそれに連なる原発事故という大きな不幸を経験したわれわれは、すべての領域にわたって―政治・経済・社会はいうまでもなく科学・技術や文化においても―いままでとは異なるコードを持たなくてはならなくなっている。不幸を経て獲得した新たなコードは、きっと再生への足がかりともなるはずである。
  もちろん、そんなに肩肘はってこの本を読むことはない。著者のナビゲーションに従って読み進むだけで、姜尚中さんのことが少しはわかるかもしれないし、美術作品に癒しや救いを感じて、こころが落ち着くかもしれない。それだけでも本書は十分に読む価値がある。

  

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