「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

肉筆の力―『筆談ホステス』、『筆談ホステス 67の愛言葉』

2009年12月16日 | Life
☆『筆談ホステス』(斎藤里恵・著、光文社)、『筆談ホステス 67の愛言葉』(斎藤里恵・著、光文社)☆

  障害は社会が作る。初めから自分が障害者だと思っている障害者はいない。「私にとっては現在のこの状態、耳の聴こえないこと、静寂な音のない世界がごくごく当たり前なのです」―斎藤里恵さんのこの気持ちがよくわかる。もし世界に自分一人しかいなかったとしたら、自分の“苦痛”や“不便”を文字どおり苦痛や不便と認識するだろうか。自分自身「軽度障害者」として、障害を認識すること、あるいは障害を他者に認識されることについて考えさせられてきた。人間は人の世に出て人間となるように、“障害者”も人の世に出て一人前の障害者となる。
  人間が人の世に出て人間となるためには、人と人との間を取り持たねばならない。コミュニケーションが生まれる必然性はそこにある。障害者も人間であるからにはコミュニケーションを取らずに生きていくことはできない。人間にとって、言葉を発し、言葉を聴くことはごく当たり前のコミュニケーション手段である。しかし、音のない世界を当然のものとして生きてきた里恵さん―親しみを込めて「斎藤さん」ではなく「里恵さん」と書かせていただくが―にとって、音声によるコミュニケーションは自らの“障害”を認識することでもあった。
  人間という生き物はすばらしい。里恵さんは音声という壁をものともせず、筆談というコミュニケーションの術(すべ)を見出し、筆談の技(わざ)を磨いていく。不良少女が銀座のホステスになるだけならば、よくある話のようにも思える。斎藤里恵という若い女性が筆談の技術(「わざ」と「すべ」)で人生を拓いていく。筆談に人間の持つ可能性を見るからこそ『筆談ホステス』は人のこころを打つのだろう。
  肉声に優る声がないように、肉筆に優る文字や文章もまた、ない。メールの利便性は認めなければならないが、筆を執った人のこころの綾まで読み取ることはできない。肉筆による一文字ひと文字には人の文(あや)が宿る。肉筆とは“人文字”なのである。肉筆による筆談は人と人とのこころの綾(文)をも伝えるコミュニケーションである。
  肉声は瞬時に虚空へと消えていくが、肉筆は時空を超えて在り続ける。「筆談のいいところのひとつは、時間と空間を超えた会話が可能なところです」と里恵さんも書いている。「実際の筆談のやりとりの中から特に心に残った」言の葉を編んだのが『筆談ホステス 67の愛言葉』である。もちろん「愛言葉」は里恵さんの肉筆で書かれている。言の葉には人を動かす力がある、とりわけ肉筆の言の葉には。とくにこころに響いた言の葉を二つ。

  「花はその花弁のすべてを失って果実を見いだす」(インドの詩人タゴールの言葉だとのこと)

  「小さいことを積み重ねることがとんでもないところへ行くただひとつの道」(イチローの言葉)



  『筆談ホステス』は最初新聞か何かの書評で知り、ずっと気になっていた。その後、友人のブログで紹介されたのを読み、購入を決めた。『67の愛言葉』のほうはネットで発売を知り、すぐに購入した。ところが両方ともツンドク状態が続き、やっと読了した次第。なぜか軽々しく読むのが失礼なように思い、内心で居住まいを正すまで待っていたような感じだ。やはり同じ障害者としての想いが強かったからなのかもしれない。
  里恵さんはホステスで終わらない夢を描いている。だからといってホステスが夢への単なるステップというわけではない。ホステスになったからこそ、また障害者だからこそ描けた夢だと思う。まだ25歳の里恵さん。まだまだ荒波が襲うこともあるだろう。それでも、筆談の力、肉筆の力で新たな人生を拓いていってほしいと願わずにはいられない。
  

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