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先日、「レディ・プレイヤー」という映画をCSで放映していたので、まず解説を読むと、なんとなく子供向けのような気がしたのだが、監督がスピルバーグだというし、最近のフルCGの完成度も確かめたかったので見始めた。
見始めたはいいが、たいして面白くもなかったのでどうしようかと考えながら観ていた。まあスピルバーグだからそのうち何かやってくれるだろう、という期待だけで最後までスイッチをオフにせずにいたのだが、とくに何も目新しいことは起こらず終わってしまった。これはなんだろう。要するに私には合わない作品だったようだ。
物語に捻りがなく、隠し扉、3つの鍵、隠された宝、髭の賢者、呪文だか箴言だかの数々、そのうち仮想と現実が徐々に混じわっていくだろうな、きっと世界は救われるだろうな、大団円、そしてチュー♡(をしたかどうか憶えていないが、たぶんしただろう)など、ああなってこうなるんだろうな、という予測をことごとく終始外さず、つまりこの作品は話の流れを重視せず、ディティールに心血が注がれているのだろう。
楽しみ方はおそらく、作品内に散りばめられた80年代?のポップカルチャーへのオマージュやトリビアを見つけることにあるのだと思う。
そういったことに興味がない私には面白くあるはずもなく、だから私の評価はまったく価値がない。好きな人には玉手箱なのでしょう。きっと。
だからこの映画を私のように単にひとつの物語として観たらそれほど面白くはない。
たとえていうなら、多くの古典からの引用を盛り込み、その知識がなければ意味がわからないというほど難解なエリオットの詩「荒地」のように、物語に幾重にも織り込まれた小さな世界観をひとつずつ開けてゆく楽しみをスピルバーグは提示したのではないか。
とはいえ、その夜に観た「スーサイド・スクワッド」の方が私には断然楽しめた。
ハーレイ・クインはもちろんよかったのだが、彼氏のジョーカーが一番よかった。キチっぷりに深い香りがあった。ジョーカーだけが他のキャラクターに比べその作り込みが一段上にあったと思う。
しかしハーレイ・クインは元々ただの精神科医なのに、なんであんなに強いのかが謎だった。ジョーカーに頭に通電されて、身体的にも何か増幅されたものがあったのだろうか。まあ魅力的だったからどうでもいいのだが。
おつかれさまでした。evolucio