イエス・キリストの福音をご紹介します。

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イエス・キリストについて 一緒に学びましょう。 新しい人になることができます。

2021-03-29 04:53:00 | 日記
「 末日聖徒イエスキリスト教会 日曜学校スケジュールから学びます。」 



3月29日-4月4日復活祭:「わたしは生きている者であり,殺された者である」
3月29日-4月4日
復活祭
「わたしは生きている者であり,殺された者である」
イエス・キリストの贖罪を理解すること,それ以上に大切なものはありません。クラスの参加者について考えてください。彼らがイエス・キリストを信じる信仰を深めるためには,何が助けになるでしょうか。

印象を書き留める


分かち合うよう招く

今年,教義と聖約を研究してきたことで,救い主に関する意義深い聖句を見つけた人がクラスにいるかもしれません。クラスを始めるに当たり,それらの聖句を分かち合う機会を与えてください。これまでの教義と聖約の研究は,どのようにイエス・キリストを信じる信仰を深めましたか。

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※レッスン教師は、教えようとしないで、クラスの生徒さんから学ぼうとすると、生き生きとした創造的なクラスになると思います。

※イエス・キリストが、私たちの罪を贖ってくださったことを知ることは、人生で最大の喜びです。全ての人々が、イエス・キリストの贖いを知ることで、素晴らしい人生を送ることができます。これは、自分の証です。
本日は、ここまで。明日から、スケジュールにしたがって、詳しく学んでいきます。
個人の意見なので、末日聖徒イエスキリスト教会の公式見解では、ありませんが、自分なりに学んでいきたいと思います。

※印は、個人の見解です。

-------------------------------------------------2021/03/29はここまでです。

教義を教える


イエス・キリストは「完全な贖罪」を成し遂げられた

イエス・キリストの贖罪は非常に重要な教義なので,クラスの参加者が必ず理解できるように十分な時間を取ることを検討してください。そうするために,次のような質問をホワイトボードに書くとよいでしょう:

イエス・キリストの贖罪とは何でしょうか。

自分の日常生活にどう影響しますか。

永遠の命にはどう影響しますか。

どうしたら救い主の贖いの力を自分の生活の中で受けることができますか。

クラスの参加者がこれらの質問について深く考え,答える助けとなる聖文を探す時間を少し取ってください。ホワイトボードに参照聖句を書いてもらい,そのうちの何個かをクラス全体で話し合うとよいでしょう。参照聖句の一例です:

ルカ22:39-44;

39 イエスは出でて、いつものようにオリブ山やまに行いかれると、弟子でしたちも従したがって行いった。
40 いつもの場所ばしょに着ついてから、彼かれらに言いわれた、「誘惑ゆうわくに陥おちいらないように祈いのりなさい」。
41 そしてご自分じぶんは、石いしを投なげてとどくほど離はなれたところへ退しりぞき、ひざまずいて、祈いのって言いわれた、
42 「父ちちよ、みこころならば、どうぞ、この杯さかずきをわたしから取とりのけてください。しかし、わたしの思おもいではなく、みこころが成なるようにしてください」。
43 そのとき、御使みつかいが天てんからあらわれてイエスを力ちからづけた。
44 イエスは苦くるしみもだえて、ますます切せつに祈いのられた。そして、その汗あせが血ちのしたたりのように地ちに落おちた。

1ヨハネ1:7;

7 この人ひとはあかしのためにきた。光ひかりについてあかしをし、彼かれによってすべての人ひとが信しんじるためである。


2ニーファイ2:6-9;

6 ​したがって、​贖あがない​は​聖せい​なる​​メシヤ​に​よって、また​メシヤ​を​通つうじて​もたらされる。それ​は、メシヤ​が​​恵めぐみ​と​真しん理り​に​満みちて​おられる​から​で​ある。
7 ​見みよ、メシヤ​は​律りっ法ぽう​の​目もく的てき​を​達たっする​ため、打うち砕くだかれた​心こころ​と​悔くいる​霊れい​を​持もつ​すべて​の​人ひと​の​ため​に、罪つみ​に​対たいする​​犠ぎ牲せい​として​御ご​自じ身しん​を​ささげられる。この​よう​な​人々ひとびと​の​ため​に​しか、律りっ法ぽう​の​​目もく的てき​は​達たっせられない​の​で​ある。
8 ​したがって、これら​の​こと​を​地ち​に​住すむ​者もの​に​知しらせて、聖せい​なる​メシヤ​の​功く徳どく​と​憐あわれみ​と​恵めぐみ​に​​よらなければ、だれ​も​神かみ​の​御み​前まえ​に​住すめる​者もの​が​いない​こと​に​気きづかせる​の​は、何なんと​大切たいせつ​な​こと​で​あろう​か。聖せい​なる​メシヤ​は、肉にく​に​おいて​御ご​自じ分ぶん​の​命いのち​を​一いち度ど​捨すて、そして、死し者しゃ​の​​復ふっ活かつ​を​もたらす​ため​に​御み霊たま​の​力ちから​に​よって​再ふたたび​それ​を​得えて、最さい初しょ​に​よみがえる​者もの​と​なられる。
9 ​したがって、メシヤ​は​神かみ​に​とって​初はつ穂ほ​と​なられる​ので、すべて​の​人ひと​の​子こら​の​ため​に​​執とり成なし​を​して​くださる。だから、メシヤ​を​信しんじる​者もの​は​救すくわれる​の​で​ある。

モーサヤ3:5-13

5 ​見みよ、現在げんざい​世よ​を​統とう治ち​して​おられ、永遠えいえん​から​永遠えいえん​に​わたって​まします​​全ぜん能のう​の​主しゅ​が、力ちから​を​もって​天てん​から​人ひと​の​子こら​の​中なか​に​降くだって​来きて、土つち​の​​幕まく屋や​に​宿やどり、人々ひとびと​の​中なか​に​出でて​行いって​大おおきな​​奇き跡せき​を​行おこなわれる​時とき​が​来くる。しかも​それ​は​遠とおい​先さき​の​こと​で​は​ない。この​御お方かた​は​その​とき​に、病びょう人にん​を​癒いやし、死し者しゃ​を​生いき返かえらせ、足あし​の​不ふ自じ由ゆう​な​者もの​を​歩あるける​よう​に​し、目め​の​見みえない​者もの​を​見みえる​よう​に​し、耳みみ​の​聞きこえない​者もの​を​聞きこえる​よう​に​し、すべて​の​病びょう気き​を​癒いやされる。
6 ​また​この​御お方かた​は、​悪あく霊れい、すなわち​人ひと​の​子こら​の​心こころ​の​中なか​に​とどまる​悪わるい​霊れい​ども​を​追おい出だされる。
7 ​見みよ、この​御お方かた​は​数々かずかず​の​試し練れん​に​耐たえ、肉にく体たい​の​苦く痛つう​や​​飢うえ、渇かわき、疲ひ労ろう​に​耐たえられる​が、それ​は、人ひと​に​とって​は​死しぬ​以い外がい​に​​耐たえよう​の​ない​もの​で​ある。見みよ、御ご​自じ分ぶん​の​民たみ​の​悪あく事じ​と​忌いまわしい​行おこない​の​ため​に​この​御お方かた​が​受うけられる​​苦くるしみ​は​非ひ常じょう​に​激はげしく、あらゆる​毛け穴あな​から​​血ち​が​流ながれ​出でる​ほど​だから​で​ある。
8 ​そして​この​御お方かた​は、​イエス・​キリスト、​神かみ​の​御おん子こ、​天てん地ち​の​父ちち、時とき​の​初はじめ​から​の​万物ばんぶつ​の​創そう造ぞう主ぬし​と​呼よばれ、​母はは​は​​マリヤ​と​呼よばれる。
9 ​見みよ、この​御お方かた​は、御ご​自じ分ぶん​の​民たみ​の​ところ​に​来こられ、人ひと​の​子こら​が​その​御み​名な​を​信しんじる​​信しん仰こう​を​持もち​さえ​すれ​ば、​救すくい​が​与あたえられる​よう​に​される。ところが、この​よう​な​こと​が​ある​に​も​かかわらず、彼かれら​は​この​御お方かた​を​ただ​の​人ひと​と​思おもい、また​​悪あく魔ま​に​つかれて​いる​と​言いい、この​御お方かた​を​​鞭むち打うち、​十じゅう字じ架か​に​つける。
10 ​しかし​この​御お方かた​は、​三みっ日か​目め​に​死し者しゃ​の​中なか​から​​よみがえられる。そして​見みよ、この​御お方かた​は​世よ​を​​裁さばく​立たち場ば​に​立たたれる。また​見みよ、これら​の​こと​は​すべて、人ひと​の​子こら​に​義ぎ​に​かなった​裁さばき​が​下くだされる​ため​に​行おこなわれる​の​で​ある。
11 ​そして​見みよ、この​御お方かた​の​​血ち​は、アダム​の​背そむき​の​ため​に​​堕だ落らく​した​者もの​たち​の​中なか​で、自じ分ぶん​たち​に​関かんする​神かみ​の​御み​心こころ​を​知しらず​に​死しんだ​者もの​たち、あるいは​​気きづかないで​罪つみ​を​犯おかした​者もの​たち​の​罪つみ​も​​贖あがなう。
12 ​しかし、自じ分ぶん​が​神かみ​に​​背そむいて​いる​こと​を​承しょう知ち​して​いる​者もの​は、災わざわい​で​ある。災わざわい​で​ある。悔くい改あらためて、​主しゅ​イエス・​キリスト​を​信しんじる​の​で​なければ、この​よう​な​者もの​に​は​決けっして​救すくい​は​与あたえられない​から​で​ある。
13 ​そして、主しゅ​なる​神かみ​は​これら​の​こと​を​すべて​の​部ぶ族ぞく、国こく民みん、国こく語ご​の​民たみ​に​告つげ​知しらせる​ため​に、聖せい​なる​預よ言げん者しゃ​たち​を​すべて​の​人ひと​の​子こら​の​中なか​に​遣つかわされた。また​その​こと​に​よって、キリスト​が​来こられる​と​信しんじる​すべて​の​者もの​が、あたかも​キリスト​が​自じ分ぶん​たち​の​中なか​に​​すでに​来きて​おられる​か​の​よう​に​自じ分ぶん​たち​の​​罪つみ​の​赦ゆるし​を​受うけ、また​非ひ常じょう​に​大おおきな​喜よろこび​を​味あじわえる​よう​に​された。


モーサヤ3:17-18;

17 ​さらに​わたし​は​あなた​に​言いう。全ぜん能のう​の​主しゅ​で​ある​​キリスト​の​御み​名な​の​ほか、また​その​御み​名な​を​通つうじて​で​なければ、​どの​よう​な​名な​も​道みち​も​方ほう法ほう​も、人ひと​の​子こら​に​​救すくい​を​もたらす​こと​は​できない。
18 ​見みよ、主しゅ​は​裁さばき​を​なさり、その​裁さばき​は​公こう正せい​で​ある。そして、幼おさない​とき​に​死しぬ​乳ち飲のみ子ご​は​滅ほろびる​こと​が​ない。しかし、大人お と な​は​へりくだって​​幼おさない​子こ供ども​の​よう​に​なり、救すくい​は​過か去こ​も​現在げんざい​も​未み来らい​も、全ぜん能のう​の​主しゅ​で​ある​キリスト​の​​贖あがない​の​血ち​に​よって、また​贖あがない​の​血ち​を​通つうじて​のみ​与あたえられる​と​いう​こと​を​信しんじない​かぎり、自じ分ぶん​自じ身しん​に​罰ばつ​の​定さだめ​を​招まねく。

アルマ7:11-14;

11 ​そして​神かみ​の​御おん子こ​は、あらゆる​苦く痛つう​と​​苦く難なん​と​試し練れん​を​受うけられる。これ​は、神かみ​の​御おん子こ​は​御ご​自じ分ぶん​の​民たみ​の​苦く痛つう​と​病やまい​を​身 み​に​受うけられる​と​いう​御み​言こと葉ば​が​成じょう就じゅ​する​ため​で​ある。
12 ​また​神かみ​の​御おん子こ​は、御ご​自じ分ぶん​の​民たみ​を​束そく縛ばく​して​いる​死し​の​縄なわ目め​を​解とく​ため​に、御ご​自じ身しん​に​​死し​を​受うけられる。また​神かみ​の​御おん子こ​は、肉にく​に​おいて​御ご​自じ分ぶん​の​心こころ​が​憐あわれみ​で​満みたされる​よう​に、また​御ご​自じ分ぶん​の​民たみ​を​彼かれら​の​弱よわさ​に​応おうじて​どの​よう​に​​救すくう​か​を​肉にく​に​おいて​知しる​こと​が​できる​よう​に、彼かれら​の​弱よわさ​を​御ご​自じ分ぶん​に​受うけられる。
13 ​さて、御み霊たま​は​すべて​の​こと​を​​御ご存ぞんじ​で​ある。に​も​かかわらず、神かみ​の​御おん子こ​は​御ご​自じ分ぶん​の​民たみ​の​罪つみ​を​​負おい、御ご​自じ分ぶん​の​解かい放ほう​の​力ちから​に​よって​彼かれら​の​背そむき​を​取とり消けす​ため​に、肉にく​に​おいて​苦くるしみ​を​受うけられる。さて​見みよ、これ​が​わたし​の​内うち​に​ある​証あかし​で​ある。
14 ​さて、わたし​は​あなたがた​に​言いう。あなたがた​は​悔くい改あらため、​再ふたたび​生うまれ​なければ​ならない。再ふたたび​生うまれ​なければ​天てん​の​王おう国こく​を​受うけ継つぐ​こと​が​できない、と​御み霊たま​が​言いわれる​から​で​ある。したがって、自じ分ぶん​の​罪つみ​から​洗あらい​清きよめられ、神かみ​の​小こ羊ひつじ​を​信しんじる​信しん仰こう​を​持もてる​よう​に、やって​来きて、悔くい改あらため​の​ため​の​バプテスマ​を​受うけ​なさい。神かみ​の​小こ羊ひつじ​は​世よ​の​罪つみ​を​取とり除のぞく​御お方かた​で​あり、人々ひとびと​を​救すくい、すべて​の​不ふ義ぎ​から​清きよめる​力ちから​を​持もつ​御お方かた​で​ある。

モロナイ10:32-33;

32 ​まことに、​キリスト​の​もと​に​来きて、キリスト​に​よって​​完全かんぜん​に​なり​なさい。神かみ​の​御み​心こころ​に​添そわない​もの​を​すべて​拒こばみ​なさい。もし​あなたがた​が​神かみ​の​御み​心こころ​に​添そわない​もの​を​すべて​拒こばみ、勢力せいりょく​と​思おもい​と​力ちから​を​尽つくして​神かみ​を​​愛あいする​なら​ば、神かみ​の​恵めぐみ​は​あなたがた​に​十分じゅうぶん​で​あり、あなたがた​は​神かみ​の​恵めぐみ​に​より、キリスト​に​よって​完全かんぜん​に​なる​こと​が​できる。そして​あなたがた​は、神かみ​の​​恵めぐみ​に​より​キリスト​に​よって​完全かんぜん​に​なれ​ば、決けっして​神かみ​の​力ちから​を​否ひ定てい​する​こと​が​できない。
33 ​さらに​あなたがた​は、神かみ​の​恵めぐみ​に​より​キリスト​に​よって​完全かんぜん​に​なり、神かみ​の​力ちから​を​否ひ定てい​しなければ、神かみ​の​恵めぐみ​に​より​キリスト​に​よって​​聖きよめられる。それ​は​​キリスト​の​血ち​が​流ながされた​こと​に​よる​もの​で​ある。キリスト​の​血ち​が​流ながされた​の​は、あなたがた​の​​罪つみ​の​赦ゆるし​の​ため​に​御父おんちち​が​聖せい約やく​された​こと​に​よる​もの​で​あり、それ​に​よって​あなたがた​は​染しみ​の​ない​​清きよい​者もの​と​なる​の​で​ある。

教義と聖約19:16-19;

16 見みよ、神かみ​で​ある​わたし​は、すべて​の​人ひと​に​代かわって​これら​の​苦くるしみ​を​負おい、人々ひとびと​が​悔くい改あらためる​なら​ば​苦くるしみ​を​受うける​こと​の​ない​よう​に​した。
17 しかし、もしも​悔くい改あらため​なければ、彼かれら​は​わたし​が​苦くるしんだ​よう​に​必かならず​苦くるしむ​で​あろう。
18 その​苦くるしみ​は、神かみ​で​あって、しかも​すべて​の​中なか​で​最もっとも​大おおいなる​者もの​で​ある​わたし​自じ身しん​が、苦く痛つう​の​ため​に​おののき、あらゆる​毛け穴あな​から​血ち​を​流ながし、体からだ​と​霊れい​の​両方りょうほう​に​苦くるしみ​を​受うけた​ほど​の​もの​で​あった。そして​わたし​は、その​苦にがい​杯さかずき​を​飲のまず​に​身 み​を​引ひく​こと​が​できれ​ば​そう​したい​と​思おもった。
19 しかしながら、父ちち​に​栄えい光こう​が​ある​よう​に。わたし​は​杯さかずき​を​飲のみ、人ひと​の​子こら​の​ため​に​わたし​の​備そなえ​を​終おえた​の​で​ある。

教義と聖約45:3-5。

3 父ちち​に​対たいする​弁べん護ご​者しゃ​で​あって、父ちち​の​前まえ​で​あなたがた​の​ため​に​弁べんじる​者もの​の​言こと葉ば​を​聴きき​なさい。
4 すなわち、「父ちち​よ、罪つみ​を​犯おかした​こと​が​なく、あなた​が​御み​心こころ​に​かなう​と​された​者もの​の、苦くるしみ​と​死し​を​御ご覧らん​ください。あなた​の​子こ​が​流ながした​血ち、すなわち、あなた​御ご​自じ身しん​が​栄えい光こう​を​受うける​ため​に、あなた​が​お​与あたえ​に​なった​者もの​の​血ち​を​御ご覧らん​ください。
5 その​ため​に、父ちち​よ、わたし​の​名な​を​信しんじる​これら​わたし​の​兄きょう弟だい​たち​が、わたし​の​もと​に​来きて​永遠えいえん​の​命いのち​を​得えられる​よう​に、彼かれら​を​お​救すくい​ください」と。

クラスの参加者に,教義と聖約19:16-19の救い主が御自分の苦しみについて自ら語られた言葉を読んでもらってもよいでしょう。これらの聖句によって,どのようにイエス・キリストの犠牲に対する感謝が深まりますか。「その他のリソース」に,分かち合うことができるそのほかの復活祭のビデオが列挙されています。

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※聖句は、末日聖徒イエスキリスト教会 福音ライブラリーから、引用しています。

※ 祈りの方法は、パターンがあります。

①天のお父様に呼びかける
( 天のお父様、............)

②心に感じていることを話す
( 感謝、質問、モルモン書が真実であることを確認させてくださるよう願い求める、など )

③終える
( 「 イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン 」)。

このパターンでお祈りしてみてください。熱心に、しつこく神様にお祈りしてみてください。神様は、祈りに答えてくださいます。私の経験から、また多くの信仰者の経験から、必ず答えが与えられます。



※祈りについて福音ライブラリーから


「 祈り


    「アーメン」; 「深く​考える」; 「求める」; 「礼拝」 参照



神​に​感謝​し,祝福​を​願い​求める,厳粛​な​神​と​の​交わり。祈り​は​イエス・キリスト​の​名​に​よって​天​の​御父​に​ささげる。祈り​は​声​に​出す​こと​も​できる​し,心​の​中​で​唱える​こと​も​できる。神​に​向けられた​もの​で​あれ​ば,人​が​心​に​思う​こと​も​祈り​と​いえる。義人​の​歌​も​また​神​へ​の​祈り​と​なる(教義 25:12)。

祈り​の​目的​は,神​の​御​心​を​変える​こと​で​は​なく,神​が​わたしたち​に​与えよう​と​すでに​備えて​おられる​祝福​を,自分​の​ため,また​人々​の​ため​に​得る​こと​で​ある。しかし,それ​を​得る​には​求め​なければ​ならない。

わたしたち​は​キリスト​の​名​に​よって​御父​に​祈る(ヨハ​14:13-14;​16:23-24)。自分​の​望み​と​キリスト​が​望んで​おられる​こと​が​一致​する​とき​に,わたしたち​は​真​の​意味​で​キリスト​の​名​に​より​祈る​こと​が​できる(ヨハ​15:7;教義 46:30)。そう​する​とき​に,わたしたち​は,正当​で​あって​神​が​与える​の​を​よし​と​される​こと​を​願い​求める​の​で​ある(3ニフ 18:20)。祈り​に​よって​は,キリスト​が​望んで​おられる​こと​で​は​なく,人間​の​利己心​から​出た​もの​で​ある​ため​に,聞き届けられない​もの​も​ある(新ヤコ 4:3;教義 46:9)。確か​に,不当​な​こと​を​神​に​求める​なら,それ​は​罪​の​宣告​と​なる​の​で​ある(教義 88:65)。


    この​時,人々​は​主​の​名​を​呼び​始めた, 創世​4:26.


    祭壇​の​所​に​行き,そこ​で​アブラム​は​主​の​名​を​呼んだ, 創世​13:4.


    アブラハム​の​僕しもべ​は​イサク​の​妻​を​見つけられる​よう​助け​を​祈り​求めた, 創世​24:10-19.


    わたし​は,あなたがた​の​ため​に​祈る​こと​を​やめて​主​に​罪​を​犯す​こと​は,けっして​しない​で​あろう, サ上​12:23.


    主​は​正しい​者​の​祈いのり​を​聞かれる, 箴言​15:29.


    あなたがた​が​一心​に​わたし​を​尋ね​求める​ならば,わたし​は​あなたがた​に​会う, エレ​29:12-13.



    迫害​する​者​の​ため​に​祈れ, マタ​5:44 (ルカ​6:28; 3ニフ 12:44).


    隠れた​所​に​おいで​に​なる​あなた​の​父​に​祈り​なさい, マタ​6:5-8 (3ニフ 13:5-8).


    だから,あなたがた​は​こう​祈り​なさい, マタ​6:9-13 (ルカ​11:2; 3ニフ 13:9).


    求めよ,そう​すれ​ば,与えられる​で​あろう, マタ​7:7 (3ニフ 14:7; 教義 4:7; 6:5; 66:9).


    イエス​は​祈る​ため​ひそか​に​山​へ​登られた, マタ​14:23.


    誘惑​に​陥らない​よう​に,目​を​さまして​祈って​いなさい, マタ​26:41 (マコ​14:38; 3ニフ 18:15-18; 教義 31:12).


    疑わないで,信仰​を​もって​願い​求め​なさい, 新ヤコ  1:5-6 (教義 42:68; 46:7).


    義人​の​祈り​は,大いに​力​が​あり, 新ヤコ  5:16.



    祈る​よう​に​人​に​教えて​くださる​御霊みたま​に​耳​を​傾ける, 2ニフ 32:8-9.


    わたし​は​熱烈​な​祈り​を​もって​造り主​に​叫び​求めた, エノ 1:4.


    わたし​は​幾日​も​の​間,断食​を​して​祈って​きた, アル 5:45-46 (アル 26:22).


    しばしば​祈り,また​断食​も​した, アル 17:3.


    ゼノス​が​祈り​に​ついて,すなわち​礼拝​に​ついて​述べた​もの​を​覚えて​いる​だろう​か, アル 33:3.


    へりくだって,神​に​祈り​続け​なさい, アル 34:18-27.


    あなた​の​すべて​の​行い​に​ついて​主​と​相談​しなさい, アル 37:37.


    あなたがた​は,わたし​の​名​に​よって​常に​父​に​祈らなければ​ならない, 3ニフ 18:19-20.


    あなたがた​の​家族​の​中​で​祈り​なさい, 3ニフ 18:21.


    イエス​は​御父​に​祈られた, 3ニフ 19:31-34 (ヨハ​17章; 3ニフ 18:16).


    イエス​は,心​の​中​で​祈る​こと​は​やめない​よう​に​と​命じられた, 3ニフ 20:1.


    神​に​祈って​も,真心​から​しなければ,その​人​に​とって​何​の​役​に​も​立たない, モロ 7:6-9.



    求めて​は​ならない​もの​を​求めない​よう​に​しなさい, 教義 8:10.


    勝利​者​と​なる​ため​に,常に​祈り​なさい, 教義 10:5.


    あなた​に​命じる。あなた​は​心​の​中​で​祈る​だけ​で​なく,声​に​出して​も​祈り​なさい, 教義 19:28.


    御霊みたま​は​信仰​の​祈り​に​よって​あなたがた​に​与えられる​であろう, 教義 42:14.


    祈り​の​家​に​行って,聖式​を​ささげ​なければ​ならない, 教義 59:9 (マタ​21:13).


    子供​たち​に​祈る​こと​を​教え​なければ​ならない, 教義 68:28.


    主​なる​彼ら​の​神​は,彼ら​の​祈り​を​聴く​の​を​遅く​する, 教義 101:7-8 (モサ 21:15).


    謙遜けんそん​で​あり​なさい。そう​すれ​ば,主​なる​あなた​の​神​は​あなた​の​祈り​に​答え​を​与える​で​あろう, 教義 112:10.



    アダム​は,御子​の​名​に​よって​神​に​呼び​求める​よう​に​命じられた, モセ 5:8.


    御父​と​御子​が​ジョセフ・スミス​の​祈り​に​こたえて​御​姿​を​現された, ジ-歴史​1:11-20.  」。


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「祈りの主」Yongsung Kim画




教義と聖約76:11-14,20-24;110:1-10
預言者ジョセフ・スミスは,イエス・キリストが生きておられると証した

ジョセフ・スミスは復活された救い主を目にし,イエス・キリストが生きておられることの力強い証を述べました。クラスの参加者がジョセフ・スミスの証を研究する助けとするために,クラスを二つのグループに分け,それぞれのグループに教義と聖約76:11-14,20-24または110:1-10のいずれかを読むように割り当てます。これらの聖文から,救い主のことを説明する言葉を少なくとも一つ見つけてもらいます。見つけたことを順番にホワイトボードに書いてもらい,それらの言葉を用いながら,救い主の特質と力についての話し合いを導くとよいでしょう。ジョセフ・スミスの証は,どのようにイエス・キリストの神性と使命への信仰を強めますか。

クラスの参加者の中には,教義と聖約の言葉を,賛美歌「主は生けりと知る」(『賛美歌』75番;『わたしに従ってきなさい—個人と家族用』の今週の概要参照)の言葉や原則と結びつけた人がいるかもしれません。彼らはもしかしたら,見つけたことを進んで分かち合ってくれるかもしれません。クラスで一緒にこの賛美歌を歌う,あるいは読み,次の聖句との関連性を探してもらってもよいでしょう:教義と聖約6:34;45:3-5;84:77;98:18;138:23。わたしたちは贖い主が生きていることを,どのように知るようになりましたか。



教義と聖約29:26-27;42:45-46;63:49;88:14-17,27-31;93:33-34
イエス・キリストのおかげで,わたしたちは復活する

教義と聖約が復活について何を教えているかをクラスの参加者が話し合う助けとなるように,友人や家族が,復活するというのはどういうことなのか,と質問してきた場合を想像してもらうとよいでしょう。どうしたらその人が復活とはどのようなものかを理解できるように助けられますか。何か助けとなる事柄を教義と聖約88:14-17,27-31で探すようにクラスの参加者を励ましてください。ほかの助けとなる参照聖句には,アルマ11:40-45とアルマ40:21-23などが含まれます。友人や家族が,復活の教義からもたらされる喜びや希望を感じられるために,わたしたちは彼らにどのようなことを分かち合うことができますか。

クラスの参加者が救い主の復活の賜物について熟考するために,あなたはどのような助けをすることができますか。ホワイトボードに「イエス・キリストのおかげで……」と書き,その文章に当てはまる言葉を次の聖句から探してもらうとよいでしょう:教義と聖約29:26-27;42:45-46;63:49;93:33-34。これらの聖句にある真理は,わたしたちの死についての見方にどう影響しますか。わたしたちの毎日の生活にどう影響しますか。


---------------------------------------2021/03/30 ここまでです。

その他のリソース


ChurchofJesusChrist.orgの復活祭のビデオ

「主は生きておられます―イエス・キリストについての証」(https://www.churchofjesuschrist.org/media-library/video/2010-03-07-he-lives-testimonies-of-jesus-christ?lang=jpn)

「イエスが生きておられるので」(https://www.churchofjesuschrist.org/youth/video/because-he-lives?lang=jpn)

「イエスのおかげで」(https://www.churchofjesuschrist.org/media-library/video/2014-00-1420-because-of-him?lang=jpn)

“Hallelujah—An Easter Message about Jesus Christ”(「ハレルヤ—イエス・キリストについての復活祭のメッセージ」)

「主の神聖な名前—復活祭の宣言」(https://www.churchofjesuschrist.org/media-library/video/2011-03-007-his-sacred-name-an-easter-declaration?lang=jpn)

「神はこの世を愛して下さった」(https://www.churchofjesuschrist.org/bible-videos/videos/for-god-so-loved-the-world?lang=jpn)



教え方を改善する

クラスの参加者が聖文を探すのを助ける。「生徒たちが聖文から答えを見つけなければならないような質問をしてください。……聖文はずっと昔に書かれたものですが,わたしたちすべてが直面する質問や問題に対する主の答えが含まれているということを,彼らが理解できるように助けてください。」(『救い主の方法で教える』30)