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ネヘミヤ書 第8章

2022-07-25 05:13:00 | 日記

ネヘミヤ書

第8章
8:1その時民は皆ひとりのようになって水の門の前の広場に集まり、主がイスラエルに与えられたモーセの律法の書を持って来るように、学者エズラに求めた。 

8:2祭司エズラは七月の一日に律法を携えて来て、男女の会衆およびすべて聞いて悟ることのできる人々の前にあらわれ、






 8:3水の門の前にある広場で、あけぼのから正午まで、男女および悟ることのできる人々の前でこれを読んだ。民はみな律法の書に耳を傾けた。

 8:4学者エズラはこの事のために、かねて設けた木の台の上に立ったが、彼のかたわらには右の方にマッタテヤ、シマ、アナヤ、ウリヤ、ヒルキヤおよびマアセヤが立ち、左の方にはペダヤ、ミサエル、マルキヤ、ハシュム、ハシバダナ、ゼカリヤおよびメシュラムが立った。

 8:5エズラはすべての民の前にその書を開いた。彼はすべての民よりも高い所にいたからである。彼が書を開くと、すべての民は起立した。 

8:6エズラは大いなる神、主をほめ、民は皆その手をあげて、「アァメン、アァメン」と言って答え、こうべをたれ、地にひれ伏して主を拝した。

 8:7エシュア、バニ、セレビヤ、ヤミン、アックブ、シャベタイ、ホデヤ、マアセヤ、ケリタ、アザリヤ、ヨザバデ、ハナン、ペラヤおよびレビびとたちは民に律法を悟らせた。民はその所に立っていた。

 8:8彼らはその書、すなわち神の律法をめいりょうに読み、その意味を解き明かしてその読むところを悟らせた。

8:9総督であるネヘミヤと、祭司であり、学者であるエズラと、民を教えるレビびとたちはすべての民に向かって「この日はあなたがたの神、主の聖なる日です。嘆いたり、泣いたりしてはならない」と言った。すべての民が律法の言葉を聞いて泣いたからである。

 8:10そして彼らに言った、「あなたがたは去って、肥えたものを食べ、甘いものを飲みなさい。その備えのないものには分けてやりなさい。この日はわれわれの主の聖なる日です。憂えてはならない。主を喜ぶことはあなたがたの力です」。

 8:11レビびともまたすべての民を静めて、「泣くことをやめなさい。この日は聖なる日です。憂えてはならない」と言った。

 8:12すべての民は去って食い飲みし、また分け与えて、大いに喜んだ。これは彼らが読み聞かされた言葉を悟ったからである。

8:13次の日、すべての民の氏族の長たち、祭司、レビびとらは律法の言葉を学ぶために学者エズラのもとに集まってきて、

8:14律法のうちに主がモーセに命じられたこと、すなわちイスラエルの人々は七月の祭の間、仮庵の中に住むべきことがしるされているのを見いだした。

 8:15またすべての町々およびエルサレムにのべ伝えて、「あなたがたは山に出て行って、オリブと野生のオリブ、ミルトス、なつめやし、および茂った木の枝を取ってきて、しるされてあるとおり、仮庵を造れ」と言ってあるのを見いだした。

 8:16それで民は出て行って、それを持って帰り、おのおのその家の屋根の上、その庭、神の宮の庭、水の門の広場、エフライムの門の広場などに仮庵を造った。




 8:17捕囚から帰って来た会衆は皆仮庵を造って、仮庵に住んだ。ヌンの子ヨシュアの日からこの日まで、イスラエルの人々はこのように行ったことがなかった。それでその喜びは非常に大きかった。




8:18エズラは初めの日から終りの日まで、毎日神の律法の書を読んだ。人々は七日の間、祭を行い、八日目になって、おきてにしたがって聖会を開いた。


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モーサヤ2:5 (モルモン書)


さて,彼ら神殿来ると,その周り天幕張った。たちは自分息子から成る各々の家族に応じて,最年長から最年少まで,すべての家族互い離れ場所取った。


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本日もお読みいただいてありがとうございます。

から、引用させていただいています。

画像は、ScripturePlus から引用させていただいています。









人生に永遠の祝福をもたらしてくれた宣教師としての奉仕

2022-07-22 04:01:15 | 日記
人生に永遠の祝福をもたらしてくれた宣教師としての奉仕
M・ラッセル・バラード会長
十二使徒定員会会長代理
若い男性と若い女性とその両親が,宣教師としての奉仕がどのように永遠にわたって人生に祝福をもたらすのかを知り,理解できるよう祈ります。
ネルソン大管長,伝道について再度勧告してくださりありがとうございます。
兄弟姉妹の皆さん,わたしは数年前に総大会で話をしていたときに,黄斑変性症のために突然左目の視力が損なわれ,その後さらに悪化し,左目で見ることができなくなりました。
この問題に対処する中で,ほかの視力についてさらに感謝の念を抱くようになりました。過去の出来事に対する新たな視点もその一つです。自分の人生を振り返り,自分に大きな影響を与えた経験が見えるようになりました。そのうちの一つは,若い専任宣教師としてのイギリスでの奉仕が人生に祝福をもたらし,霊的な行く末を形成した,ということです。
わたしは,1930年代の大恐慌に関連した経済的な困難のために,両親や家族に不幸な変化がもたらされたことに思いをはせました。父は,この厳しい時期に,経営する自動車販売店を維持し,家族を養うことに打ち込んでいたため,一時期両親は教会に出席していませんでした。
家族で教会の礼拝行事に出席してはいませんでしたが,わたしは時折友人と教会に出席していました。
当時,伝道に出たい気持ちは心の片隅にあったのですが,実際にそれについて両親と話すことはありませんでした。
大学に通っている間に,数人の友人とわたしは伝道に出る決意をしました。わたしはビショップと会い,両親が町を留守にしている間に宣教師の志願書を書きました。両親が戻って来ると,わたしはイギリスで奉仕するよう召されたという知らせで両親を驚かせました。この決意を一生懸命に応援してくれた両親と,奉仕する決意ができるよう助けてくれた良い友人たちに感謝しています。
宣教師としての奉仕により,わたしはより良い夫,父親となり,仕事で成功する備えができました。また,主の教会において生涯にわたって主に仕えるための備えにもなりました。
1985年4月の総大会で,わたしは神権部会で話す割り当てを受け,若い男性に向けて話をしました。宣教師として奉仕するための備えについて話しました。「わたしが教会の責任を通し受けた訓練の中で,イギリスで専任宣教師として働いた19歳のときの訓練ほど大切なものはありません。」
主は皆さんを御存じです。皆さんは宣教師として奉仕している間に,主をさらによく知るようになる経験をするでしょう。主に仕える中で,霊的に成長するでしょう。主の御名により,人々に仕える用向きを行うよう送られるでしょう。主は皆さんに,聖霊からの促しを受ける経験を与えられるでしょう。主の御名により教える権能をお授けになるでしょう。皆さんは,主に信頼していただけること,頼っていただけることを示すことができます。
わたしと同じくイギリスで伝道したジェフリー・R・ホランド長老とクエンティン・L・クック長老とわたしは,5か月ほど前にその美しい地の会員と宣教師のもとを訪れました。滞在中,わたしは若い宣教師だったころの経験を思い返しました。天の御父と救い主イエス・キリストがわたしを御存じで愛しておられることを知ったのは,まさに伝道中だったことを証します。
わたしは恵まれて,二人のすばらしい伝道部会長と彼らの献身的な同僚の下で奉仕しました。セルボイ・J・ボイヤー会長とグラディ・ボイヤー姉妹,ステイナー・リチャーズ会長とジェーン・リチャーズ姉妹です。振り返ると,彼らがわたしを信頼し,愛してくれたことがさらにはっきりと見て取れます。彼らはわたしに福音を教えてくれました。わたしに多くを期待してくれました。難しい割り当てや,指導する責任をわたしに与えて,わたしの成長を助け,奉仕の人生に備えてくれました。
もう一つの出来事についても思いをはせました。スペンサー・W・キンボール大管長より,妻のバーバラとともに,子供を連れてカナダ・トロント伝道部を管理するよう召されたときのことです。わたしたちは,1974年4月にキンボール大管長から奉仕するよう召されました。キンボール大管長が「この世が改宗するとき」という,伝道に関する霊感あふれる説教を行って間もなくのことでした。この説教の中で,キンボール大管長は福音がどのように全世界に伝えられるかについて,大管長のビジョンを説明しました。大管長は世界中からさらに多くの宣教師が伝道に出るよう,呼びかけました。「すべての人が……地に住む者に警告の声を上げ〔る〕」よう期待されていることを指摘しました。若い男性は宣教師として奉仕するよう期待されているというキンボール大管長の教えは,世界中の家庭の話題に上りました。その期待は今も変わってはいません。今朝,ラッセル・M・ネルソン大管長もこの主の期待を再確認してくれたことに感謝しています。
トーマス・S・モンソン大管長が若い男性と若い女性の宣教師の年齢を引き下げることを発表してから,約10年になります。この変更のおもな理由は,宣教師として奉仕するという,人生を変える機会をさらに多くの若人に与えることだと思います。
主イエス・キリストの使徒として,わたしは若い男性と,宣教師として奉仕したいと望む若い女性の皆さんに,宣教師として奉仕することについて,今すぐ両親と話し合いを始めるようお勧めします。また,宣教師として奉仕することについて友人とも話し合い,もし友人が伝道に出るかどうか迷っているならば,ビショップと話をするよう勧めてください。
宣教師として奉仕することと,今から,心と手と思いを清く,ふさわしく保つことを,自分と天の御父に約束してください。回復されたイエス・キリストの福音についての確固とした証を得るようお勧めします。
これらのすばらしい若人の父親と母親の皆さん,皆さんはこの備えの過程において重要な役割を担っています。宣教師としての奉仕について,今日から子供と話し合いを始めてください。若い男性と若い女性の備えを助けるうえで家族が最も大きな影響を与えることを,わたしたちは知っています。
まだ伝道に出られる年齢でありながら,パンデミックやその他の理由のためにまだ伝道に出ていない皆さんに,今伝道に出るようお招きします。ビショップと話し,主に仕える備えをしてください。
ビショップの皆さん,伝道に出る年齢が近づいているすべての若い男性と若い女性が伝道に出る備えをするよう助けてください。また,伝道に出られる年齢でありながらまだ伝道に出ていない人を特定するようビショップたちにお勧めします。若い男性一人一人に,そして奉仕したいと望んでいる若い女性一人一人に,宣教師になるよう勧めてください。
現在宣教師として奉仕している宣教師の皆さんに感謝します。皆さんは,世界規模のパンデミックのさなかに伝道しています。その結果,皆さんの伝道の経験は,わたしや,2020年より前のどの宣教師の経験とも異なります。たやすいものではないことを理解しています。しかし,この困難な時期でさえ,皆さんが行うべき主の業があり,皆さんはそれを非常によく行ってきました。例えば,新たな方法でテクノロジーを使って,イエス・キリストの回復された福音について学ぶ備えのできている人を見つけています。皆さんは,熱心に,また自分の能力に応じて仕えてきました。主が皆さんの努力を喜んでおられることを知っています。皆さんの奉仕は皆さん自身の人生に祝福をもたらすでしょう。
宣教師から解任されるときに,教会での活動から解任されるわけではないことを覚えておいてください。伝道で身につけたよい習慣を土台として,引き続き証を強め,一生懸命働き,祈り,主に従順であってください。交わした聖約を尊んでください。引き続き人々に祝福をもたらし,仕えてください。
若い男性と若い女性とその両親が,宣教師としての奉仕がどのように永遠にわたって人生に祝福をもたらすのかを知り,理解できるよう祈ります。主が,偉大な宣教師であったモーサヤの息子たちに授けられた,人を招く力を,皆さんが思いと心で知ることができますように。主はこのように言われました。「行〔って〕,わたしの言葉を確立しなさい。しかし,あなたがたはわたしにあって……良い模範を示せるように,長い苦しみと苦難の中で忍耐強くありなさい。 そうすれば,わたしはあなたがたをわたしの手に使われる者として多くの人を救おう。」
主が教会の若人たちを祝福し,彼らが,備え,主に仕えたいという望みを抱けるよう,へりくだり祈ります。 イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。
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本日も、お読みいただいて、ありがとうございます。

このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年4月の総大会から、ご紹介しました。

良い1日をお祈りします。

平和の福音を宣べ伝える

2022-07-21 05:05:28 | 日記
平和の福音を宣べ伝える
ラッセル・M・ネルソン 大管長
末日聖徒イエス・キリスト教会大管長
わたしたちには,耳を傾けるすべての人に,イエス・キリストの力と平安を分かち合う神聖な責任があります。
愛する兄弟姉妹,総大会へようこそ!わたしは大きな期待に胸を膨らませつつ,この日を楽しみにしてきました。皆さんのために毎日祈っています。また,この大会が皆さん一人一人にとって霊的な活力を得る時となるよう祈り求めてきました。
前回の大会以来,世の中の困難は続いています。世界規模のパンデミックは,今なおわたしたちの生活に影響を及ぼしています。そして今,世界は何百万人もの罪のない男性,女性,子供たちに恐怖の雨を降らせる紛争に揺らいでいます。
預言者たちは,戦争と戦争のうわさが起こり,全地が混乱する時代を予見してきました。わたしたちはイエス・キリストに従う者として,各国の指導者たちに,お互いの違いに対する平和的解決を懇願します。わたしたちは世界中のあらゆる場所にいる人々に,困っている人々のために祈り,苦しんでいる人々を助けるためにできることを行い,いかなる大きな紛争をも終わらせるために主の助けを求めるよう呼びかけます。
兄弟姉妹の皆さん,イエス・キリストの福音が今日ほど必要とされている時はありません。争いは救い主が擁護し,教えられたすべてのことに反しています。わたしは主イエス・キリストを愛しており,主の福音が平和を得るための唯一の永続的な解決策であることを証します。主の福音は平和の福音です。
世界の多くの人々が恐怖で呆然としている中,主の福音が唯一の答えです。これは,「全世界に出て行って,すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」という主の弟子たちへの指示に従うことの緊急性を際立たせています。わたしたちには,耳を傾け,人生の中で神に勝利を得させるすべての人に,イエス・キリストの力と平安を分かち合う神聖な責任があります。
神と聖約を交わした人は皆,ほかの人を気遣い、助けの必要な人に仕えると約束しています。神への信仰を示し,「〔わたしたち〕のうちにある望み」について尋ね求めるすべての人にいつでも応えられるように備えることができます。わたしたち一人一人に,イスラエルの集合において果たすべき役割があります。
今日わたしは,主がすべてのふさわしく,能力のある若い男性に,伝道に備え,伝道に出るよう求めておられることを再び強く断言します。末日聖徒の若い男性にとって,伝道活動は神権の責任です。若い男性の皆さんは,約束されたイスラエルの集合が行われているこの時のために取っておかれました。皆さんが伝道に出るとき,この前例のない出来事においてきわめて重要な役割を果たすのです。
若くて能力がある姉妹の皆さんにとっても,伝道は任意のすばらしい機会です。わたしたちは姉妹宣教師を愛し,心から歓迎します。この業に対する皆さんの貢献は実に偉大なものです。伝道に出ることを主が望んでおられるかどうか知るために祈れば,聖霊があなたの心と思いにこたえてくださいます。
愛する若い友人の皆さん,皆さん一人一人が主にとって不可欠です。主はイスラエルの集合を助けるために,今まで皆さんを取っておかれました。ティーチング伝道,または奉仕伝道のいずれにせよ,伝道に出るというあなたの決断は,あなたや多くの人々に祝福をもたらすでしょう。また,状況が許す場合に奉仕するシニア夫婦も歓迎します。彼らの働きはほんとうにかけがえのないものです。
すべての宣教師は救い主について教え,証します。この世の霊的な暗闇により,イエス・キリストの光が今までにないほど必要です。だれもが,イエス・キリストの回復された福音について知る機会を与えられるに値します。すべての人が,「人知ではとうてい〔測り知ることのできない〕」希望と平安をどこで見いだせるかを知るに値するのです。
この大会が,皆さんにとって平安と霊的な養いの時となりますように。これからの部会で個人の啓示を求め,それを受けられますように,イエス・キリストの聖なる御名によって祈ります,アーメン。
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本日もお読みいただいて、ありがとうございます。

このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年4月の総大会から、ご紹介しました。

良い1日をお祈りします。

一人一人の持つストーリー

2022-07-20 05:03:19 | 日記
一人一人の持つストーリー
ゲレット・W・ゴング長老
十二使徒定員会
来て,自分の家族,自分につながる世代をすべて見つけ出し,家に連れて帰りましょう。
友人と兄弟姉妹の皆さん,わたしたち一人一人にはストーリーがあります。自分のストーリーを見いだすことで,わたしたちはつながり,一員となり,家族となります。

わたしの名前はゲレット・ウォルター・ゴングです。ゲレットはオランダの名前,ウォルター(父の名)はアメリカの名前で,ゴングはもちろん中国の名前です。
専門家は,これまでおよそ700億人から1,100億人が地上に生を受けてきたと推定していますが,ゲレット・ウォルター・ゴングと名付けられたのは,恐らく一人だけです。
わたしたち一人一人にはストーリーがあります。わたしは,「雨がほほぬらしたり,風が通り過ぎたり」という歌が大好きです。南極大陸でペンギンとよちよち歩きをしたり,グアテマラの孤児やカンボジアのストリートチルドレン,アフリカのマラのマサイ族の女性には,本人たちが写った初めての写真をプレゼントしたりしました。
子供の誕生を毎回病院で待ち構え,一度は医師の依頼で手伝ったこともあります。
わたしは神を信頼しています。「〔わたしたち〕が存在するのは喜びを得るため」であり,天が下のすべての事に時があり,季節があると信じています。
皆さんは自分のストーリーを知っていますか。皆さんの名前にはどんな意味がありますか。

1820年に11億人だった世界の人口は,2020年には78億人近くに増加しました。1820年は,歴史の転換点であったように思えます。1820年以降に生まれた人には,多くの場合,数世代の家族を明らかにする生きた記憶や記録が残されています。皆さんは,祖父母やそのほかの家族との特別で懐かしい記憶を思い出すことができるでしょうか。
これまで地上に生を受けた人がどれだけいようと,その数には限りがあって,一人一人は数えられる存在であり,皆さんもわたしも,一人一人が大切なのです。
考えてみてください。親を知っているかどうかにかかわらず,わたしたちはそれぞれ父と母から生まれています。そして,父と母もそれぞれ,自分自身の父と母から生まれています。血筋と養子縁組により,わたしたちは突き詰めていくと,神の家族として,また人類家族として皆つながっているのです。
紀元837年に生まれた,わたしの32代前の先祖であるドラゴン・ゴング一世は,中国南部に家族の村落を作りました。初めてゴング村を訪れたときには,村人たちにこう言われました。「江文回来了(ウェンハンホエライラ)。」(「おかえり,ゲレット。」)
わたしの母方の生きた家系図には,何千もの家族の名前が載っていますが,まだまだ見つけられます。わたしたち一人一人には,つながりのある親族がまだ大勢いるのです。家族の系図探求は,親戚がすべて終えてしまったと思うなら,いとこやいとこのいとこを探してください。自分が覚えている親族の名前を,ファミリーサーチのオンラインコレクションにある検索可能な100億人の名前や,ファミリーツリーに存在する13億の人々と結びつけましょう。

友人や家族に,生きた木の絵を描いてもらいましょう。

ラッセル・M・ネルソン大管長が教えているように,生きた木には根と枝があります。自分が最初の世代であろうと,10代目の世代であろうと,明日のために昨日をつなげましょう。自分の生きた家系図の根と枝をつないでください。 「あなたはどこから来ましたか」という質問は,血筋や出生地,そして母国や故郷について尋ねるものです。

世界規模で故郷をたどっていくと,わたしたちの25パーセントは中国,23パーセントはインド,17パーセントがアジアのほかの地域や太平洋地域,18パーセントがヨーロッパ,10パーセントがアフリカ,7パーセントがアメリカ大陸から来ているそうです。

また,「あなたはどこから来ましたか」という質問は,自らの神聖な本質と,人生における霊的な目的を見いだす助けにもなります。

わたしたち一人一人にはストーリーがあります。

わたしが知っているある家族は,カナダのウィニペグにあるかつての住まいを訪れたときに,5世代の家族を結びつけました。その場所で,彼らのおじいさんは孫たちに,二人の宣教師(おじいさんが言うところの天からの使い)がイエス・キリストの回復された福音を携えて来て,自分たちの家族を永遠に変えた日のことを話したのです。

また,わたしが知っているある母親は,自分ときょうだいの子供たちに,子供時代の経験について曽祖母に尋ねるよう勧めました。ひいおばあちゃんの冒険と人生の教訓は,今や世代間をつなぐ大切な家族の書物となっています。

わたしの知っているある若い男性は「お父さんの記録」をまとめています。父親は数年前,車にはねられて亡くなりました。今,この勇気ある若い男性は,父親のことを知るために,子供のころの思い出や,家族や友人の話を記録に残しているのです。

人生の意義について尋ねると,ほとんどの人は家族を第一に挙げます。これには生きている家族と亡くなった家族が含まれます。もちろん,わたしたちは死んでも存在し続けます。幕の向こう側で生き続けるのです。 わたしたちの先祖は,今なお生き続けており,覚えておくに値する人々です。

わたしたちは,口述歴史,一族の記録や家族のストーリー,記念物や思い出の場所,そして愛する人を思い出させてくれる写真や食べ物,品物を用いたお祝いを通して,自分の受け継ぎを思い起こします。

自分が住んでいる場所について考えてみましょう。自分の国や地域社会が,奉仕し犠牲を払った先祖や家族,そのほかの人々を覚え,敬意を表すのはすばらしいことではないでしょうか。

例えば,ゴング姉妹とわたしは,イギリスのデヴォンシャー州サウスモルトンでの秋の収穫記念祭で,ボーデン家が何世代にもわたって暮らしてきた地域の小さな教会や集落を見て回るのを心から楽しみました。

わたしたちは,神殿・家族歴史活動を通して天を開き,わたしたちの世代の鎖の中で固いつながりとなることで,先祖に敬意を払います。 「自分優先」のこの時代にあって,それぞれの世代が有意義な形でつながることが,社会に恩恵をもたらします。翼を持つには根を張る必要があります。すなわち,真の人間関係や意義ある奉仕,目まぐるしいうわべだけのソーシャルメディアを超えた生活が必要です。

先祖とつながると,驚くような方法でわたしたちの生活を変えることができます。先祖が直面した試練や成し遂げた事柄から,わたしたちは信仰と強さを得ます。先祖の愛と犠牲から,わたしたちは赦すことと前に進むことを学びます。子供たちは立ち直る力を身につけ,わたしたちは守りと力を得ます。先祖とのきずなは家族の親密さや感謝の気持ちを深め,奇跡が増し加えられます。そのようなきずなは,幕の向こう側からの助けをもたらします。

家族に喜びが訪れるように,悲しみも訪れます。完璧な人はいませんし,完璧な家族もありません。愛し,養い,守ってくれるはずの人がそのようにしてくれないとき,わたしたちは見捨てられ,当惑し,傷つけられたと感じます。家族が空虚な殻と化すこともあります。それでも,天の助けによって,わたしたちは家族を理解し,互いに平和を築くことができるようになります。 家族のきずなを守るという揺るぎない決意が,困難なことを成し遂げる力となることもあります。

場合によっては,周りの人々が家族になることもあります。引っ越しの多い問題を抱えた家庭に育ったあるすばらしい若い女性は,行く先々で,自分を養い,居場所を与えてくれる愛に満ちた教会の家族と出会いました。

遺伝や家族形態は影響を及ぼしますが,わたしたちのことを決定づけるわけではありません。

神はわたしたちの家族が幸せであり,永遠に続くよう望んでおられます。わたしたちがお互いを不幸にするなら,永遠はあまりにも長すぎます。大切な関係がこの世で終わってしまうのなら,幸せはあまりにも短すぎます。

イエス・キリストは,神聖な聖約を通して愛と力と恵みをお与えになり,それらはわたしたちを変え,わたしたちの関係を癒します。

愛する人々のために神殿で無私の奉仕を行うことで,救い主の贖罪が,奉仕を行った相手とわたしたちにとって現実のものとなるのです。聖められたわたしたちは,永遠に結ばれた家族として神のみもとに帰ることができます。

わたしたち一人一人のストーリーの旅路は今もなお続いています。その過程でわたしたちは,発見し,作り出し,実現します。そこには想像を超えた可能性があります。

預言者ジョセフ・スミスは次のように述べています。「わたしたちが語っていること,すなわち地上で記録し,すなわちつなぎ,かつ天でもつなぐ力があるということは,ある人々には,非常に大胆な教義であると思われるかもしれません。」わたしたちが地上で作る交わりは,永遠の栄光を伴って天で存続させることができます。実に,「〔わたしたちの家族〕なしにはわたしたちが完全な者とされることはなく,またわたしたちなしには彼らが完全な者にされることは〔ありません。〕」すなわち,「すべての,ことごとくの,完全な和合」は実現しないのです。

わたしたちに今,何ができるでしょうか。

第1に,永遠という二つの鏡の間に映し出される自分の姿を想像してみましょう。一方の鏡には,娘,孫娘,ひ孫娘としての自分を思い浮かべてください。もう一方には,おばや母親,祖母となった自分にほほえみかけてみましょう。時は瞬く間に過ぎ去ります!それぞれの時間と役割において,あなたとともにいるのはだれでしょうか。その人たちの写真やストーリーを集め,彼らの思い出を現実のものとし,名前や経験,重要な日付を記録しましょう。彼らは皆さんの家族です。皆さんが持っている家族であり,皆さんが望む家族です。 自分の家族のために神殿での儀式を実際に行うとき,「家族が神聖な起源を有していることを証する聖霊の現れで〔ある〕」エリヤの霊が,皆さんの父親,母親,子供たちの心を愛で結びます。

第2に,家族歴史の冒険を計画的かつ自発的に行いましょう。おばあさんに電話をかけ,生まれたばかりの赤ちゃんの瞳の奥をのぞき込みましょう。時間を作り,人生の旅路の各段階で永遠を見いだしてください。感謝と誠実さをもって家族の受け継ぎについて学び,受け入れてください。良いことは称賛しそれに倣い,悪いことがある場合は,それを引き継がないよう謙遜にできるかぎりのことを行ってください。良いことは自分から始めましょう。

第3に,FamilySearch.orgにアクセスしてください。利用できるモバイルアプリをダウンロードしましょう。無料で楽しめます。発見し,つながり,一員となってください。部屋にいる人と自分がどのような関係にあるのか見てみましょう。生きた家系図に名前を加え,自分の根や枝を見つけ祝福をもたらすことは,実に簡単でやりがいがあります。

第4に,家族を永遠に結ぶ手助けをしましょう。天にいる人々の数を思い起こしてください。幕の向こう側には,こちら側よりも多くの人々がいます。神殿がさらに身近になっていますので,どうか神殿の儀式を待っている人々に,儀式を受ける機会を与えてください。

復活祭で約束されていること,そして常に約束されていることは,イエス・キリストにより,イエス・キリストを通してわたしたちが最高のストーリーをつむぎ,家族が幸せになり,永遠の家族になれるということです。

イエス・キリストは,わたしたちのあらゆる世代において,心が深く傷ついた者を癒し,囚人を解放し,打ちひしがれている者に自由を得させてくださいます。

神と,そしてお互いと聖約によりつながることには,わたしたちの霊と体が復活の時に再び結合し,わたしたちの最も貴い関係が満ちみちる喜びとともに死を超えて続くことを知ることが含まれます。

わたしたち一人一人にはストーリーがあります。来て,自分のストーリーを見つけてください。来て,主にあって自分の声を,自分の歌を,そして調和を見いだしてください。これこそ,神が天と地を創造され,それらを良しとされた目的なのです。

神の幸福の計画とイエス・キリストの贖罪,主の福音と教会において今なお続く回復をたたえましょう。

来て,自分の家族,自分につながる世代をすべて見つけ出し,家に連れて帰りましょう。

イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。

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お読みいただいて、ありがとうございます。
このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年4月の総大会から、ご紹介しました。
良い1日を、お祈りします。

2022/07/12

2022-07-12 04:49:00 | 日記
キリストへの堅固で揺るぎない信仰

D・トッド・クリストファーソン長老
十二使徒定員会

キリストへの堅固で揺るぎない信仰を保つには,イエス・キリストの福音が心と精神を貫かなければなりません。

    旧約の歴史の中では,イスラエルの子らがエホバと交わした聖約を尊び,主を礼拝していた時代もあれば,その聖約を無視し,バアル,つまり偶像を礼拝していた時代もありました。
          
        
      
アハブの統治期間は,イスラエルの北王国の背教の時代でした。預言者エリヤはある時,イスラエルの民とバアルの預言者あるいは祭司たちをカルメル山に集めるようアハブ王に言いました。民が集まると,エリヤは言いました。「『あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。〔言い換えると,『いつ最終的な結論を出すのですか。』〕主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば,それに従いなさい。』民はひと言も彼に答えなかった。」
          
 そこで,エリヤは自分とバアルの預言者がともに牛を切り裂き,それぞれの祭壇の上のたきぎの上に載せて,「火をつけずにお〔く〕」よう指示しました。
          
 それから,こう言いました。「『こうしてあなたがたはあなたがたの神の名を呼びなさい。わたしは主の名を呼びましょう。そして火をもって答える神を神としましょう』。民は皆答えて『それがよかろう』と言った。」
                  
 バアルの祭司たちは何時間にもわたって,火を送るようにと存在しない神に騒々しく叫び求めましたが,「なんの声もなく,答える者もなく,また顧みる者もなかった」とあります。
          
 エリヤは自分の番が来ると,壊れた主の祭壇を直し,たきぎと燔祭を祭壇に載せて,それらに水を浴びせるよう命じました。1度ではなく,3度行うよう命じました。エリヤを始め,人間に火をともす力がないのは明らかでした。

「夕の供え物をささげる時になって,預言者エリヤは近寄って言った,『アブラハム,イサク,ヤコブの神,主よ,イスラエルでは,あなたが神であること,わたしがあなたのしもべであって,あなたの言葉に従ってこのすべての事を行ったことを,今日知らせてください。……』
そのとき主の火が下って燔祭と,たきぎと,石と,ちりとを焼きつくし,またみぞの水をなめつくした。
民は皆見て,ひれ伏して言った,『主が神である。主が神である』。」
          
        
今日,エリヤは次のように言うでしょう。

  天の父なる神は存在するかしないかのどちらかだが,もし存在するのなら,神を礼拝しなさい。

  イエス・キリストは神の御子,復活した人類の贖い主であるかないかのどちらかだが,もし主が救い主なら,主に従いなさい。

  モルモン書は神の言葉であるかないかのどちらかだが,もし神の言葉であるなら,「その教えを〔研究し〕守ることにより,…神に近づ〔き〕」なさい。
              
 ジョセフ・スミスは1820年の春に御父と御子と会い,言葉を交わしたかそうでないかのどちらかだが,もしジョセフが神にまみえていたなら,預言者の外套に従いなさい。それには,わたしエリヤが彼に授けた結び固めの鍵も含まれている。
      
 前回の総大会の中で,ラッセル・M・ネルソン大管長はこう宣言しました。「何が真実かと迷う必要はありません。〔モロナイ10:5参照〕間違いなく信頼できるのはだれかと迷う必要もありません。個人の啓示を通して,モルモン書が神の御言葉であること,ジョセフ・スミスが預言者であること,この教会が主の教会であることについて,自分自身の証を得ることができます。だれが何を言い,何をするとしても,皆さんの心と思いに何が真実かを告げた証を取り去ることは,だれにもできません。」        
      
知恵を求める人に対して神は「惜しみなくすべての人に与える」と約束したときに,ヤコブはこのように忠告しています。        
      
「ただ,疑わないで,信仰をもって願い求めなさい。疑う人は,風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。
そういう人は,主から何かをいただけるもののように思うべきではない。
そんな人間は,二心の者であって,そのすべての行動に安定がない。」        
      
一方,救い主は,安定の完全な模範であられました。このように述べておられます。「わたしは,いつも神のみこころにかなうことをしているから,わたしをひとり置きざりになさることはない。」
          
 救い主のように堅固で揺るぎない男女についての次の聖文について考えてみてください。
彼らは「真実の信仰に帰依してい〔た〕。堅く確固として動かず,喜んで力の限り主の戒めを守っていたので,真実の信仰から離れようとしなかった。」
                       
「彼らは……考えはしっかりしていて,絶えず神に頼っています。」
                
「見よ,あなたがた自身見て知っているとおり,彼らの多くは今真理を知っており,……信仰において,また彼らに自由を得させた事柄において確固として堅固である。」
                     
「そして一同はひたすら,使徒たちの教を守り,信徒の交わりをなし,共にパンをさき,祈をしていた。」        
      
キリストへの堅固で揺るぎない信仰を保つには,イエス・キリストの福音が心と精神を貫かなければなりません。つまり,福音が単に人の生活に及ぶ様々な影響の一つではなく,その人の生活と人格を決定づける中心的存在にならなければなりません。主はこう言っておられます。

「わたしは新しい心をあなたがたに与え,新しい霊をあなたがたの内に授け,あなたがたの肉から,石の心を除いて,肉の心を与える。
わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて,わが定めに歩ませ,わがおきてを守ってこれを行わせる。
あなたがたは,わたしの民となり,わたしはあなたがたの神となる。」
          
 これは,わたしたちがバプテスマや神殿の儀式で交わす聖約です。しかし,イエス・キリストの福音をまだ生活に完全に受け入れていない人がいます。パウロが言うように,そのような人々は「バプテスマによって,〔キリスト〕と共に葬られた」にもかかわらず,「キリストが……死人の中からよみがえらされたように,わたしたちもまた,新しいいのちに生きる」という部分がまだ欠けているのです。
          
  福音によって特徴づけられてはいないのです。まだキリストを中心としてはいないのです。従うべき教義や戒めをえり好みし,いつ,どこで教会の奉仕をするかを選んでいます。対照的に,「聖約による選民」は,厳密に聖約を守ることによって欺きを避け,キリストを信じる信仰を固く保つのです。
                
ほとんどの人は,現在二つの状態の間のどこかに位置しています。一方の状態は社会的な動機により福音の儀式に参加することであり,もう一方はキリストと同じように神の御心に沿おうと献身することです。この二つの状態の間のどこかでイエス・キリストの福音のよい知らせが心に入り,精神を占有します。一度には起こらないかもしれませんが,だれもがこの祝福された状態に向かって進んでいくべきです。

「苦難の炉」の中で精錬されるときに,堅固で揺るぎなくあり続けることは難しいことですが,きわめて重要です。苦難の炉は,遅かれ早かれ,現世に生きるすべての人に訪れます。神なしには,そのような暗い経験は,落胆や失望,そして苦しみさえもたらします。神の助けがあれば,慰めは苦痛に,平安は混乱に,希望は悲しみに取って代わります。キリストを信じる信仰を固く保つことにより,主の恵みと支えに力づけられるでしょう。
          
 主は,試練を祝福に変え,イザヤの言葉で言えば「灰にかえて冠を与え」てくださるでしょう。       
      
個人的な経験を3つ,例として挙げたいと思います。

ある女性が慢性的な病気を患い,治療や神権の祝福を受け,断食や祈りをしたにもかかわらず,衰弱しています。しかしながら,祈りの力を信じる彼女の信仰と,神に愛されているという確信は薄らいではいません。彼女は,日々(時には,刻一刻と)前進しています。教会で召されるままに奉仕し,夫とともに,できるかぎりの笑顔で,若い家族の世話をしています。苦難により精錬され,周りの人への思いやりは深まり,度々我を忘れて人に仕えます。彼女は堅固であり続け,まわりの人を幸せにしています。

教会の中で育ったある男性は,専任宣教師として奉仕し,愛情豊かな女性と結婚しましたが,驚いたことにきょうだいたちが教会と預言者ジョセフ・スミスについて批判するようになりました。程なくきょうだいたちは教会を離れ,彼にも離れるよう説得しました。そのような場合によくあることですが,きょうだいたちは彼に,批評家が作成した論文やポッドキャストや動画を次々に見せてきました。批評家のほとんどは,不満を抱いた元教会員でした。きょうだいたちは彼の信仰をあざ笑い,彼がだまされやすく,欺かれていると言いました。きょうだいたちの主張にすべては答えられず,執拗な反対に遭って彼の信仰は揺らぎ始めました。教会に出席するのをやめた方がいいか考えました。妻と話し,信頼できる人々と話し,祈りました。この悩みについて瞑想していると,聖霊を感じそれが真実だという証を御霊から受けてきたことを思い出しました。そして,このように結論づけました。「自分に正直であるならば,御霊が何度もわたしを訪れ,確かに証をしてくださったことを認めざるを得ない。」彼は,妻と子供たちからもらっていた幸せと平安を新たにしました。

これまで指導者の勧告に常に喜んで従ってきたある夫と妻は,子供をもうけることに関して苦難を経験し,深い悲しみを味わいました。相当な金額を費やして有能な医師とともに取り組み,やがて息子に恵まれました。ところが残念なことに,わずか1年後に,赤ん坊はだれのせいでもない事故の犠牲者となり,脳に深刻な損傷を負って半昏睡状態となりました。赤ん坊は最善の治療を受けましたが,医師は今後の展開を見通すことができません。この夫婦が,一生懸命祈ってこの世に迎えようとした子供は,ある意味取り去られ,戻ってくるかどうかも分かりません。夫婦は,ほかの責任を果たしながらも,赤ん坊の重要な要求を満たすために必死で世話をしています。きわめて困難なこのさなかに,夫婦は主に目を向けています。主からいただく「日々のパン」に頼っています。思いやりの深い友人や家族に助けられ,神権の祝福に強められています。互いの結びつきが強くなり,ほかの方法では実現できなかったほど深く完全に一致しています。

1837年7月23日,主は当時の十二使徒定員会会長のトーマス・B・マーシュに啓示をお授けになりました。次のような啓示です。

「また,十二使徒会の兄弟たちのために祈りなさい。わたしの名のために彼らを厳しく訓戒しなさい。そして彼らに,すべての罪のために訓戒を受けさせなさい。 また,あなたはわたしの前でわたしの名に忠実でありなさい。
彼らが試練と多くの艱難を受けた後,見よ,主なるわたしは彼らを探ろう。そして,彼らがわたしに対してその心をかたくなにせず,強情でなければ,彼らは心を入れ替えるので,わたしは彼らを癒そう。」      
      
この節で述べられている原則は,すべての人に当てはまると確信しています。わたしたちが経験する試練と艱難に加え,主がふさわしいとされるあらゆる試しは,わたしたちを完全な改心と癒しへと至らせます。しかしそれは,わたしたちが心をかたくなにせず,強情でない場合に限ります。わたしたちが堅固で揺るぎなくあるならば,何が起ころうと,救い主がペテロに語られた改心を成し遂げられます。「あなたが立ち直ったときには,兄弟たちを力づけてやりなさい。」
          
完全な改心となり,二度と元の状態に戻ることはできなくなります。約束された癒しは,罪のために傷ついた心を清め,浄化し,わたしたちを聖なる者としてくれます。

母親たちの勧告を思い出します。「野菜を食べなさい。あなたのためになるわよ。」母親たちは正しいものです。堅固な信仰に照らし合わせると,「野菜を食べる」とは常に祈ること,日々聖文を味わうこと,教会で奉仕し礼拝すること,毎週ふさわしい状態で聖餐を取ること,隣人を愛すること,日々神に従順に十字架を負うことです。
          
        
 キリストへの固く揺るぎない信仰を保つ人には,今もこれからも良いことが訪れるという約束を常に覚えておきましょう。「永遠の命と聖徒たちの喜び」を心に留めましょう。
          
「おお,あなたがた,心の清いすべての人よ,頭を上げて,喜びをもたらす神の御言葉を受け入れ,神の愛をよく味わいなさい。あなたがたの思いが確固としていれば,とこしえにそうすることができるからである。」
          
イエス・キリストの御名により,アーメン。

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本日も、お読みいただいて、ありがとうございます。

このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2018年10月の総大会から、ご紹介しました。

良い一日をお祈りします。