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姉妹たちへの懇願 ( 女性の独特の能力と直感力 )

2022-02-28 23:51:37 | 日記
姉妹たちへの懇願

十二使徒定員会会長
ラッセル・M・ネルソン会長

わたしたちは,皆さんの力,改心,確信,指導力,知恵,そして声を必要としています。


【 末日聖徒イエス・キリスト教会 総大会 日曜午前の部 会 | 2015 年 1 0 月 4 日】

 愛するラズバンド長老,スティーブンソン長老,そしてレンランド長老,皆さんの兄弟であるわたし
たちは,皆さんを十二使徒定員会に歓迎します。わたしたちは神が御自分の預言者であるトーマス・S・モンソン大管長にこの啓示を与えてくださったことに感謝しています。

 兄弟姉妹の皆さん,6 か月前の総大会でお会いしたとき,わたしたちは誰一人として,全教会員の心を揺り動かす今回の変更を予期していませんでした。 L・トム・ペリー長老は,主の計画にあって,結婚と家族が占めるかけがえのない役割について力強いメッセージを伝えてくれました。それからほんの数日して,長老ががんで余命いくばくもないことを知り,わたしたちはがく然としました。

 ボイド・K・パッカー会長の健康は衰えていましたが,長老は主の業に「邁し」続けました。 4 月にはかなり衰弱していましたが,それでも息の続く限り,証あかしを宣べ伝える決意をしていました。ペリー長老が亡くなってわずか 34 日後,パッカー長老も幕のかなたへと旅立ちました。

 リチャード・G・スコット長老は先の総大会を欠席しました。しかしわたしたちは,それまでの多くの大会で,彼が述べた救い主に関する力強い証を振り返りました。そしてほんの 12 日前に,スコット長老は,天に召され,愛するジェニーン姉妹と再会しました。

 わたしはこの兄弟たちの最後の日々をともに過ごす機会にあずかりました。パッカー会長とスコット長老の家族とは,お二人が亡くなる直前まで,一緒に過ごしました。この三人の大切な友人,主の偉大な僕しもべたちが,突然,この世からいなくなったことは,今でも信じがたいことです。彼らがいなくなって,言葉では表現できないほど寂しく思います。

 この一連の予期せぬ出来事について振り返るときに,わたしの心にいつもよみがえってくる印象の一つは,彼らの奥様方から受けた印象です。わたしの心に刻み込まれているのは,枕元で夫を見守るドナ・スミス・パッカー姉妹とバーバラ・デイトン・ペリー姉妹の穏やかな姿です。二人とも,愛と真理,純粋な信仰にあふれていました。

 パッカー会長の亡くなる数時間前,夫の横に座るパッカー姉妹には,人知ではとうてい測り知ることのできないあの平安があふれていました。1   70 年近く連れ添った愛する伴はんりょが間もなく旅立つことを知りながらも,彼女の姿から信仰にあふれる女性の落ち着きが感じられました。彼女はまるで天使のようでした。ユタ州ブリガムシティー神殿の奉献 式のときに二人を写したこの写真の彼女とまったく同じでした。



 同じような愛と信仰が,ペリー姉妹にもあふれていました。彼女が夫と主に献身していることは明白でした。それを見て,わたしは深い感動を覚えました。



 夫が亡くなる前の数時間,そして,それから今きょう日に至るまでずっと,この確固たる強さを持つ女性たちは,聖約を守る女性たちが常に体現している力と勇気を示してきました。2 そのような女性たちが,妻として,母として,祖母として,姉として,妹として,おばとして,また,教師として,指導者として,そして特に,模範を示す者として,敬けいけんな信仰の擁護者として,家の中のみならず,主の教会の中において及ぼす影響を測り知ることは不可能でしょう。3

 それはアダムとエバの時代から今
こんにちでのあらゆる福音の神権時代において真実です。しかし,この神権時代の女性は,他のいかなる時代の女性よりも際立っています。なぜなら,この時代は他のいか
なる時代よりも際立っているからです。4 この違いは特権と責任の両方をもたらします。

 今 から 36 年 前の 1979 年に,スペンサー・W・キンボール大管長は,聖約を守る女性がこれからの主の教会に及ぼす影響について深遠な預言をし,次のように述べました。「終わりの時に教会に大きな発展がもたらされようとしていますが,その多くは,世界中にいる善良な女性たち……が大勢教会に引き寄せられることが理由となって起きるでしょう。これがどの程度の規模になるかは,教会の女性たちがどの程度まで義を反映した生活を送り,自分をしっかりと表現できるか,また,どの程度まで世の中の女性と良い意味で区別され,異なって見られるかによって決まるでしょう。」5

 愛する姉妹の皆さん,この締めくくりの時代にあって,わたしたちの大切な同僚である皆さん,キンボール大管長が見た時代は,今この時代です。皆さんこそ,彼が予見した女性たちなのです! 皆さんの徳,光,愛,知識,勇気,人格,信仰,義にかなった生活は,世の善良な女性たちを,その家族とともに,前例がないほど多く,教会へ引きつけるでしょう。6

 皆さんの兄弟であるわたしたちは,皆さんの力,改心,確信,指導力,知恵,そして声を必要としています。神聖な聖約を交わし,それを守る女性,神の力と権能をもって語ることのできる女性がいなければ,神の王国は完全ではありませんし,そうなれないのです。7

 パッカー会長はこう宣言しました。
教会には,組織的に考える女性,物事や人を組織できる女性が必要です。計画,指導,管理ができる実行力のある女性,教えることのできる女性,躊ちゅうちょすることなく意見を述べることのできる女性が必要です。……世の風潮を見極め,たとえどんなにもてはやされても浅薄なものや危険なものを確実に判別する識別の賜たまものを持った女性
が,教会には必要です。」8

 今日,さらに付け加えたいと思います。わたしたちは信仰を行使して,価値あることを起こす方法を知っている女性,罪のまんえんする世界で道徳や家族を雄々しく擁護する女性が必要です。聖約の道を昇栄を目指して歩めるように,神の子供たちを献身的に導く女性が必要です。個人の啓示を受ける方法を知っている女性,神殿のエンダウメントから得られる力と平安を理解している女性,子供と家族を守り,強めるために天の力を呼び求める方法を知っている女性,恐れることなく教える女性が必要です。

 わたしは自らの人生を通して,そのような女性たちから祝福を受けてきました。亡くなったわたしの妻,ダンツェルもそのような女性でした。彼女から人生が変わるような影響を受けたことにいつまでも感謝することでしょう。その影響力は,開
胸手術の道を切り開く取り組みを含め,わたしの人生のあらゆる面に及んでいます。

 58 年前に,先天性の重い心臓疾患の少女の手術を依頼されました。少女の兄も同じ病気で亡くなっていました。両親は助けを懇願しました。予断を許さない状況でしたが,少女の命を救うために,全力を尽くすと約束しました。最善を尽くしたにもかかわらず,少女は亡くなりました。
後に,その両親は,当時まだ 16 か月だったもう一人の娘を連れて来ました。この子も生まれつき心臓の構造に問題がありました。もう一度,彼らの要請に応えて,手術を行いました。しかし,この子も亡くなったのです。この家族にとって 3 度目
となるこの悲痛な死は,文字どおり,わたしを打ちのめしました。

 わたしは気落ちして帰宅しました。居間の床に身を投げ出し,一晩中泣きました。
「もう二度と心臓の手術はしない」と,わたしが何度も繰り返している間,ダンツェルはそばで聞いていてくれました。それから,朝の 5 時ぐらいになって,ダンツェルはわたしを見詰め,愛情を込めてこう言いました。「泣くのは終わった? じゃあ,着替えて。研究室に戻るの。仕事に行くの! もっと学ぶのよ。今やめたら,あなたがすでに知っていることを,他の人たちが苦労して学ばなければならなくなるわ。」

 妻のあのときのビジョンと,不屈の精神と,愛が,どれほど必要だったでしょう!わたしは仕事に戻り,もっと学びました。ダンツェルの霊感あふれる励ましがなかったら,開胸手術の腕を磨くことも,1972 年にスペンサー・W・キンボール大
管長の命を救った手術を執刀する備えもできていなかったことでしょう。9

 姉妹の皆さん,皆さんは,御
たまの導きを受けているときに皆さんが考え,感じていることを語るときに,皆さんの影響力がどれほど広範囲に及ぶか気づいているでしょうか。ある優れたステーク会長が,ス
テーク評議会集会で難しい問題を解決するために悪戦苦闘したときのことを話してくれました。集会中に,初等協会の会長がまだ話していないことに気づいた彼は,彼女に何か考えがないかと尋ねました。
「実は,あります。」彼女がその考えを述べると,集会の流れがすっかり変わりました。ステーク会長はこう語っています。
「彼女が話しているとき,御霊がわたしに証しました。彼女が述べたことこそ,この評議会が求めていた啓示なのだと。」

 愛する姉妹の皆さん,皆さんの召しが何であれ,皆さんの置かれた環境がどうであれ,わたしたちには皆さんの考えや,洞察,霊感が必要です。ワードやステークの評議会で,気兼ねなく率直に意見を述べてください。伴侶と協力して家族を管理するときに, 献身的かつ全面的な協力
者 10 として口を開いてください。既婚の姉妹も,独身の姉妹も,神の賜物として与えられた独特な能力と特別な直感力があります。皆さんの比類ない影響力は,わたしたち兄弟にはまねのできないものなのです。

 創造の全ての業の中で有終の美を飾ったのは女性の創造であったことをわたしたちは知っています!11 わたしたちは皆さんの力を必要としています。

 教会とその教義,教会員の生き方に対する攻撃は激しくなっていきます。だからこそ,キリストの教義を根本から理解している女性,その理解を用いて教え,罪に対抗する世代の成長を助けられる女性が必要なのです。12 あらゆる形の欺きを見抜くことのできる女性が必要です。神が
聖約を守る人に提供しておられる力にアクセスする方法を知っている女性,信じていることを確信と慈愛をもって伝えられる女性が必要なのです。母なるエバの勇気とビジョンを持った女性が必要なのです。

 愛する姉妹の皆さん,皆さんの永遠の命にとって何より大切なのは,皆さん自身の改心です。それは,改心し,聖約を守る女性たち,わたしの愛する妻ウェンディのような女性たちです。その義にかなった生活は,道徳的に腐敗していく世界に
あってますます際立ち,そのため彼女たちは,その真に幸福な 生き方によって際立ち,異なって見られるでしょう。

 ですから今日,わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の姉妹の皆さんに懇願します。前に踏み出してください! これまで以上に,家庭,地域社会,神の王国において皆さんの本来果たすべき役割を果たしてください。スペンサー・W・キンボー
ル大管長の預言を成就するよう,皆さんに懇願します。そしてイエス・キリストのによって約束します。皆さんがそうするときに,聖霊が皆さんの影響力をこれまでになかったほど強めてくださいます。

 主イエス・キリストが実在の御方であり,人を贖あがない戻し,罪を贖い取り,人を聖きよめる主の力が現実のものであることを証します。また,使徒の一人として,愛する
姉妹の皆さんに感謝し,わたしたちがともに主の御業に携わるとき,皆さんが自分の可能性に到達し,皆さんが創造された目的を成就することができるよう祝福します。ともに手を携えることにより,わたしたち主の再臨に世を備える助けをすることができるのです。そのことを,皆さんの兄弟として,イエス・キリストの御名によって証します,アーメン。■
【注 1~12省略 】

動かされないようにしなさい

2022-02-24 10:05:55 | 日記
創世記24:4~67
24:4あなたはわたしの国へ行き、親族の所へ行って、わたしの子イサクのために妻をめとらなければならない」。 24:5しもべは彼に言った、「もしその女がわたしについてこの地に来ることを好まない時は、わたしはあなたの子をあなたの出身地に連れ帰るべきでしょうか」。 24:6アブラハムは彼に言った、「わたしの子は決して向こうへ連れ帰ってはならない。 24:7天の神、主はわたしを父の家、親族の地から導き出してわたしに語り、わたしに誓って、おまえの子孫にこの地を与えると言われた。主は、み使をあなたの前につかわされるであろう。あなたはあそこからわたしの子に妻をめとらねばならない。 24:8けれどもその女があなたについて来ることを好まないなら、あなたはこの誓いを解かれる。ただわたしの子を向こうへ連れ帰ってはならない」。 24:9そこでしもべは手を主人アブラハムのももの下に入れ、この事について彼に誓った。
24:10しもべは主人のらくだのうちから十頭のらくだを取って出かけた。すなわち主人のさまざまの良い物を携え、立ってアラム・ナハライムにむかい、ナホルの町へ行った。 24:11彼はらくだを町の外の、水の井戸のそばに伏させた。時は夕暮で、女たちが水をくみに出る時刻であった。 24:12彼は言った、「主人アブラハムの神、主よ、どうか、きょう、わたしにしあわせを授け、主人アブラハムに恵みを施してください。 24:13わたしは泉のそばに立っています。町の人々の娘たちが水をくみに出てきたとき、 24:14娘に向かって『お願いです、あなたの水がめを傾けてわたしに飲ませてください』と言い、娘が答えて、『お飲みください。あなたのらくだにも飲ませましょう』と言ったなら、その者こそ、あなたがしもべイサクのために定められた者ということにしてください。わたしはこれによって、あなたがわたしの主人に恵みを施されることを知りましょう」。
24:15彼がまだ言い終らないうちに、アブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘リベカが、水がめを肩に載せて出てきた。 24:16その娘は非常に美しく、男を知らぬ処女であった。彼女が泉に降りて、水がめを満たし、上がってきた時、 24:17しもべは走り寄って、彼女に会って言った、「お願いです。あなたの水がめの水を少し飲ませてください」。 24:18すると彼女は「わが主よ、お飲みください」と言って、急いで水がめを自分の手に取りおろして彼に飲ませた。 24:19飲ませ終って、彼女は言った、「あなたのらくだもみな飲み終るまで、わたしは水をくみましょう」。 24:20彼女は急いでかめの水を水ぶねにあけ、再び水をくみに井戸に走って行って、すべてのらくだのために水をくんだ。 24:21その間その人は主が彼の旅の祝福されるか、どうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。
24:22らくだが飲み終ったとき、その人は重さ半シケルの金の鼻輪一つと、重さ十シケルの金の腕輪二つを取って、 24:23言った、「あなたはだれの娘か、わたしに話してください。あなたの父の家にわたしどもの泊まる場所がありましょうか」。 24:24彼女は彼に言った、「わたしはナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘です」。 24:25また彼に言った、「わたしどもには、わらも、飼葉もたくさんあります。また泊まる場所もあります」。 24:26その人は頭を下げ、主を拝して、 24:27言った、「主人アブラハムの神、主はほむべきかな。主はわたしの主人にいつくしみと、まこととを惜しまれなかった。そして主は旅にあるわたしを主人の兄弟の家に導かれた」。
24:28娘は走って行って、母の家のものにこれらの事を告げた。 24:29リベカにひとりの兄があって、名をラバンといった。ラバンは泉のそばにいるその人の所へ走って行った。 24:30彼は鼻輪と妹の手にある腕輪とを見、また妹リベカが「その人はわたしにこう言った」というのを聞いて、その人の所へ行ってみると、その人は泉のほとりで、らくだのそばに立っていた。 24:31そこでその人に言った、「主に祝福された人よ、おはいりください。なぜ外に立っておられますか。わたしは家を準備し、らくだのためにも場所を準備しておきました」。 24:32その人は家にはいった。ラバンはらくだの荷を解いて、わらと飼葉をらくだに与え、また水を与えてその人の足と、その従者たちの足を洗わせた。 24:33そして彼の前に食物を供えたが、彼は言った、「わたしは用向きを話すまでは食べません」。ラバンは言った、「お話しください」。
24:34そこで彼は言った、「わたしはアブラハムのしもべです。 24:35主はわたしの主人を大いに祝福して、大いなる者とされました。主はまた彼に羊、牛、銀、金、男女の奴隷、らくだ、ろばを与えられました。 24:36主人の妻サラは年老いてから、主人に男の子を産みました。主人はその所有を皆これに与えました。 24:37ところで主人はわたしに誓わせて言いました、『わたしの住んでいる地のカナンびとの娘を、わたしの子の妻にめとってはならない。 24:38おまえはわたしの父の家、親族の所へ行って、わたしの子に妻をめとらなければならない』。 24:39わたしは主人に言いました、『もしその女がわたしについてこない時はどういたしましょうか』。 24:40主人はわたしに言いました、『わたしの仕えている主は、み使をおまえと一緒につかわして、おまえの旅にさいわいを与えられるであろう。おまえはわたしの親族、わたしの父の家からわたしの子に妻をめとらなければならない。 24:41そのとき、おまえはわたしにした誓いから解かれるであろう。またおまえがわたしの親族に行く時、彼らがおまえにその娘を与えないなら、おまえはわたしにした誓いから解かれるであろう』。
24:42わたしはきょう、泉のところにきて言いました、『主人アブラハムの神、主よ、どうか今わたしのゆく道にさいわいを与えてください。 24:43わたしはこの泉のそばに立っていますが、水をくみに出てくる娘に向かって、「お願いです。あなたの水がめの水を少し飲ませてください」と言い、 24:44「お飲みください。あなたのらくだのためにも、くみましょう」とわたしに言うなら、その娘こそ、主がわたしの主人の子のために定められた女ということにしてください』。
24:45わたしが心のうちでそう言い終らないうちに、リベカが水がめを肩に載せて出てきて、水をくみに泉に降りたので、わたしは『お願いです、飲ませてください』と言いますと、 24:46彼女は急いで水がめを肩からおろし、『お飲みください。わたしはあなたのらくだにも飲ませましょう』と言いました。それでわたしは飲みましたが、彼女はらくだにも飲ませました。 24:47わたしは彼女に尋ねて、『あなたはだれの娘ですか』と言いますと、『ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です』と答えました。そこでわたしは彼女の鼻に鼻輪をつけ、手に腕輪をつけました。 24:48そしてわたしは頭をさげて主を拝し、主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は主人の兄弟の娘を子にめとらせようと、わたしを正しい道に導かれたからです。 24:49あなたがたが、もしわたしの主人にいつくしみと、まことを尽そうと思われるなら、そうとわたしにお話しください。そうでなければ、そうでないとお話しください。それによってわたしは右か左に決めましょう」。
24:50ラバンとベトエルは答えて言った、「この事は主から出たことですから、わたしどもはあなたによしあしを言うことができません。 24:51リベカがここにおりますから連れて行って、主が言われたように、あなたの主人の子の妻にしてください」。
24:52アブラハムのしもべは彼らの言葉を聞いて、地に伏し、主を拝した。 24:53そしてしもべは銀の飾りと、金の飾り、および衣服を取り出してリベカに与え、その兄と母とにも価の高い品々を与えた。 24:54彼と従者たちは飲み食いして宿ったが、あくる朝彼らが起きた時、しもべは言った、「わたしを主人のもとに帰らせてください」。 24:55リベカの兄と母とは言った、「娘は数日、少なくとも十日、わたしどもと共にいて、それから行かせましょう」。 24:56しもべは彼らに言った、「主はわたしの道にさいわいを与えられましたから、わたしを引きとめずに、主人のもとに帰らせてください」。 24:57彼らは言った、「娘を呼んで聞いてみましょう」。 24:58彼らはリベカを呼んで言った、「あなたはこの人と一緒に行きますか」。彼女は言った、「行きます」。 24:59そこで彼らは妹リベカと、そのうばと、アブラハムのしもべと、その従者とを送り去らせた。 24:60彼らはリベカを祝福して彼女に言った、
「妹よ、あなたは、ちよろずの人の母となれ
あなたの子孫はその敵の門を打ち取れ」。
24:61リベカは立って侍女たちと共にらくだに乗り、その人に従って行った。しもべはリベカを連れて立ち去った。
24:62さてイサクはベエル・ラハイ・ロイからきて、ネゲブの地に住んでいた。 24:63イサクは夕暮、野に出て歩いていたが、目をあげて、らくだの来るのを見た。 24:64リベカは目をあげてイサクを見、らくだからおりて、 24:65しもべに言った、「わたしたちに向かって、野を歩いて来るあの人はだれでしょう」。しもべは言った、「あれはわたしの主人です」。するとリベカは、被衣で身をおおった。 24:66しもべは自分がしたことのすべてをイサクに話した。 24:67イサクはリベカを天幕に連れて行き、リベカをめとって妻とし、彼女を愛した。こうしてイサクは母の死後、慰めを得た。


中央若い女性会長
イレイン・S・ダルトン
「動かされないようにしなさい」
(以下は、2013年4月の総大会で話されたなかから抜粋です。
この創世記の上記の箇所について、以下のように話されています。)


では最後に,これまで語られた中で最もすばらしい愛の物語を話して終わりにしたいと思います。多分「愛の物語が聖なる場所に立つこととどういう関係があるの」と思われることでしょう。ところが聖なる場所に立つことと大いに関係があるのです。
これはリベカという若い女性の話です。13
この話の中で,アブラハムは,息子イサクの妻にふさわしい若い女性を見つけて来るように僕しもべに言いつけます。その女性は結婚の聖約にふさわしい,徳高く,清い,立派な
女性でなければなりません。そこで彼は僕をハランと呼ばれる場所に遣わします。長い,危険な旅路です。そこに行かなければならない理由は明白です。互いに支え合うために,聖なる男性には聖なる女性が必要だからです。僕はナホルの町に近づくと,らくだに水を飲ませるために井戸に立ち寄り,祈りました。選ばれたその若い女性のところに導かれるように,また自分と10頭のらくだに水を飲ませましょうと言ってくれる女性がその人だと分かるように祈ったのです。わたしはかつて,らくだに乗ったことがあり,これだけは知っています。らくだはとてもたくさん 水を飲むのです。
創世記にはリベカが井戸に降りて行き,水をくんだだけでなくこの仕事を成し遂げるために「急い〔だ〕」14,または走ったとあります。それから僕はリベカに腕輪や宝石を与え,彼女の父の家には彼が泊まる場所があるか尋ねました。宝石が役
に立ったと思います。聖書には次のようにあります。「娘は走って行って,母の家のものにこれらの事を告げた。」15 きっとリベカは走るのが得意だったのでしょう。
僕はリベカの家族にこの長旅の目的を告げ,リベカはイサクの妻になることに同意しました。僕は次の日リベカとともに出発したいと思いましたが,家族は娘に少なくともあと 10日間はとどまるように懇願しました。彼らはリベカにどうしたいか尋
ねると,彼女の答えはただ一言「行きます」16 でした。この答えは,預言者トーマス・S・モンソン大管長によって若い男性と若い女性にもっと若い年齢で伝道する機会が与えられるとの発表がなされたとき,「わたしは行って行います」17 と確固
として答えた多くの若人の答えと似ていませんか。
さて,この愛の物語の教訓と結末です。
リベカは聖約を交わし,守り,イサクの聖約の妻となるために備えられ,ふさわしくありました。彼女は自らを備えるために待つ必要はありませんでした。家族から離れる前に,彼女は祝福を受けましたが,そ
の言葉はわたしにとって感動的なものでした。なぜなら彼女は「ちよろずの人の母とな〔る〕」18 と約束されたからです。しかしこの愛の物語の最もすばらしいところは,リベカが初めてイサクを見て,イサクも
初めてリベカを見たときのことです。聖書には記されていませんが,これは一目ぼれではないかとわたしは思います。なぜなら徳は徳を愛し,光は光に結びつ〔く〕」19
からです。イサクが一行に会おうとやって来たとき,リベカは「らくだからおり」ました。20 そして「イサクは……彼女を愛した」とあります。21 わたしにとって,ここがため息をついてしまうところです。
リベカとクリスティーナにとって,聖なる場所に立つことは容易ではありませんでした。動かされないようにすることは簡単なことではありません。風は激しく吹きつけ,井戸の水は重く,慣れ親しんだ家や,前
の生活から離れることはほんとうに容易ではありませんでした。しかし彼女たちは正しい選択をしたのです。彼女たちは聖霊に導かれました。また高潔な女性でした。
聖約を交わし,守るために自らを備えました。救い主はリベカの家系の子孫です。
リベカはこのことが起こることを当時知っていたのでしょうか。いいえ。あなたの今の選択は大切ですか。確かにそうです。
若い女性の皆さん,皆さんの選択,純潔,ふさわしい生活に幾世代もの人々の行く末がかかっているのです。動かされないようにしてください。皆さんには偉大な運命が待っています。今があなたの時です。御霊に導かれた一人の徳高い若い女性は,世界を変えることができるとわたしは心から信じています。
救い主が生きておられることを証します。主は皆さんとともにおられ,皆さんを支えてくださるでしょう。そして苦難のときに主の「天使たちはあなたがたの周囲にいて,あなたがたを支える」でしょう。22 イエ
ス・キリストの御により,アーメン。■
(途中省略)
13. 創世 24 章参照
14. 創世 24:20
15. 創世 24:28
16. 創世 24:58
17. 1ニーファイ 3:7 参照
18. 創世 24:60
19. 教義と聖約 88:40
20. 創世 24:64
21. 創世 24:67
22. 教義と聖約 84:88
(終わり)

お読みいただいてありがとうございます。
リベカの親切を模範にしたいと思います。

良い1日をお祈りします。


人生の重みに沈み行く人、倒れこんでしまいそうな人に手を伸ばして捕まえてくださるイエス

2022-02-20 09:17:33 | 日記
マタイ14:22~33

14:22それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。

14:23そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。

14:24ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。

14:25イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。

14:26弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。

14:27しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。

14:28するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。

14:29イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。

14:30しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。

14:31イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。

14:32ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。

14:33舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。

(この聖句は、https://bible.salterrae.net › html
口語訳聖書(新約および旧約 索引) 
から引用させていただいています。



沈み行く人を救われたお話をご紹介します。



すぐに与えられる神の慈しみ
カイル・S・マッケイ長老
七十人
主を信頼し忍耐強く待っている間でも,すぐに与えられる祝福もあるのです。
数年前,5歳になる息子がわたしのところに来て言いました。「パパ,分かったことがあるんだ。パパの『もうすぐ』は,ぼくにとっての『すごく長い時間』なんだってこと。」

主や主の僕が「今から日ならずして」または「時は遠くない」というような言葉を使うとき,それは生涯またはそれ以上の長さを実際に意味することがあります。主の時,そして多くの場合,主のタイミングはわたしたちの尺度とは異なっています。忍耐が鍵です。それがなければ,命と救いに至る神への信仰を育むことも,表すこともできません。しかし,わたしが今日お伝えするメッセージは,主を信頼し忍耐強く待っている間でも,すぐに与えられる祝福もあるということについてです。

アルマとその民はレーマン人に捕らえられたとき,解放されるように祈りました。すぐには解放されませんでしたが,彼らが忍耐強く待つ間,主はすぐに与えられる幾つかの祝福で慈しみを示されました。例えば,主はレーマン人の心をすぐに和らげて,アルマの民を殺さないようにされました。また,彼らを強め,彼らの重荷を軽くしてくださいました。彼らはついに解放されると,ゼラヘムラへ行き,驚く人々に自分たちの経験について話しました。ゼラヘムラの人々は驚嘆し,「アルマと彼の同胞を……奴隷の状態から救い出してくださった神の直接の慈しみ〔訳注—英語のimmediateは「直接の」のほかに「即座の」という意味がある〕と神の力のことを思っては,声を上げ,神に感謝をささげ〔まし〕た。」

神の直接〔あるいは即座〕の慈しみは,真心から,誠心誠意で神を呼び求めるすべての人にもたらされます。これには,解放の時がとても遠く,苦難が長引き,激化しているようにすら思える中で,必死に叫び求める人々も含まれます。

若き預言者が湿った地下牢の中で瀬戸際まで追い詰められ,ついにこう叫び求めたときもそうでした。「おお,神よ,あなたはどこにおられるのですか。……あなたの御手はいつまでとどめられ……るのですか。まことに,おお,主よ……どれほど長く……ですか。」そのこたえとして,主はジョセフをすぐに救い出すことはされませんでしたが,すぐに平安をお与えになりました。

また,最終的に解放されるという希望をすぐにお与えになりました。たとえ何があろうと,どこであろうと,キリストにより,キリストを通して,わたしたちの前には「明るき希望」が常にあります。すぐそばにあるのです。

さらに,主はこう約束されました。「わがいつくしみはあなたから移る……ことがない。

何よりも,神の愛はすぐそばにあります。パウロとともに,わたしは証します。どんなものも「キリスト・イエスにおける神の愛から,わたしたちを引き離すことはできない」のです。罪でさえも,それが神の御霊からわたしたちを一時的に引き離しても,いつでもすぐに与えられる神聖な御父の愛からわたしたちを引き離すことはできません。

様々な方法や手段で,「神はすぐに祝福を授けてくださる」のです。さて,これらの原則が今でも有効で身近にあることを示すために,すぐに与えられる神の慈しみについての証となる二人の体験を紹介しましょう。

エミリーは十代のころから,薬物の乱用で苦しんでいました。試しに使ったことから習慣になり,ついには薬物依存となって彼女を何年もとりこにし,健康な時期はわずかしかありませんでした。エミリーは,結婚して母親になってからは特に,自分の問題をひた隠しにしていました。

救出の扉が開かれても,自分が救出されるとは少しも思えませんでした。エミリーは定期健康診断を受けているときに,突然救急車で入院施設に運ばれたのです。彼女は動転し,子供たちや夫や家庭から引き離されると思いました。

その夜,寒くて暗い部屋で独り,エミリーはベッドで丸くなってすすり泣きました。思考力が低下し,やがて不安や恐れ,また部屋の中と心の中にある耐え難い暗闇に圧倒されて,エミリーはその晩自分が死ぬのではないかと本気で思いました。だれにも看取られずに。

そうした絶望的な状況の中で,エミリーは何とか力を振り絞ってベッドから転がり出ると,ひざまずきました。これまでの祈りとは違い,少しも気取らずに,すべてを主に委ね,必死に嘆願しました。「神さま,あなたが必要です。わたしを助けてください。独りでいたくありません。今晩,乗り切れるようにしてください。」

するとすぐに,主は昔のペテロにされたように,その御手を伸ばし,沈みゆく彼女の心をつかまえてくださいました。エミリーは,すばらしい安らぎと勇気,確信,愛に満たされました。部屋はもはや寒くなく,エミリーは独りではないことを知りました。14歳の時以来,初めて,すべて大丈夫だと感じたのです。「〔神に対して〕目覚め〔た〕」エミリーは,安心して眠りにつきました。このように,「あなたがたが悔い改めて心をかたくなにしなければ,偉大な贖いの計画はすぐにあなたがたに効果を及ぼす」ことが分かります。


エミリーの癒しと究極の解放には,何か月にも及ぶ治療や訓練,カウンセリングが必要でしたが,その間,彼女は神の慈しみによって支えられ,時にはそれに頼りきりました。その後も引き続き神の慈しみを受けて,彼女は夫や子供たちと神殿に参入し,永遠に結び固められました。ゼラヘムラの民のように,エミリーは今,束縛から解放されるうえで,すぐに与えられる神の慈しみと神の力を思い返して,感謝をささげています。

さて,もう一人の勇敢な信者の経験です。2013年12月27日,アリシア・シュローダーは,思いがけず玄関先にやってきた親友のショーンとシャーラ・チルコートを喜んで迎えました。アリシアのビショップでもあるショーンは,自分の携帯電話を渡すと,厳かに言いました。「アリシア,わたしたちはあなたを愛しています。この電話に出てください。」

アリシアの夫マリオからの電話でした。彼は,以前から楽しみにしていたスノーモービル旅行に,子供を連れて人里離れた地に出かけていました。そこでひどい事故に遭ったのです。マリオは重傷を負い,10歳の息子カレブは亡くなりました。アリシアは,マリオから涙ながらにカレブの死を告げられたとき,ほとんどの人が経験したことのないショックと恐怖に襲われ,倒れ込みました。言葉にできないほどの苦しみでまひし,話すことも動くこともできませんでした。

ビショップとチルコート姉妹は,素早く彼女を起こして抱き締めました。三人はしばらくの間,ともに涙を流し,深い悲しみにくれました。それからチルコートビショップは,アリシアに祝福を授けることを申し出ました。

次に起こったことは,イエス・キリストの贖罪とすぐに与えられる神の慈しみをある程度理解していないと,分かりにくいことです。チルコートビショップは,アリシアの頭に優しく手を置くと,震える声で語り始めました。アリシアは,神ご自身が語られたかのように,二つのことを聞きました。最初に聞いたのは,自分の名前,アリシア・スーザン・シュローダーでした。それから,ビショップが全能の神の権能を行使するのを聞きました。その瞬間です。単に彼女の名前と神の力が言葉として発せられただけで,アリシアは言葉で言い表せない平安と愛,慰め,そしてどういうわけか喜びに満たされたのです。そして,それらの気持ちがずっと続きました。

もちろんアリシアとマリオと彼らの家族は,今でもカレブの死を嘆き,いないことを寂しく思っています。実につらいことです。わたしがアリシアと話すときはいつも,彼女の目にいっぱい涙をためて,どんなに幼い息子を愛し,寂しく思っているか話してくれます。そして涙ぐんだ目のままで,絶望のどん底にいたときに「すぐに与えられる神の慈しみ」をきっかけに,偉大な解放者があらゆる苦しい試練を乗り越えられるように支えてくださったこと,また現在は「今から日ならずして」起こるであろうすばらしい再会への輝く希望があることについて話してくれます。

わたしは,時に人生の経験が混乱や動揺を引き起こし,エミリーやアリシアが得られたような慰めを受けたり,認識したり,あるいは保ち続けたりするのを難しくしてしまうことがあるということに気づきました。わたし自身にもそのような経験がありました。そのようなときに,わたしたちをただ守ってくれるのは,「すぐに与えられる神の慈しみ」の優しく力強い現れであることを証します。古代イスラエルの民が日々「自分たちを守ってくださったあの同じ神によって」最終的に救い出されたことを思い出してください。

イエス・キリストが偉大な解放者であられることを証します。誠心誠意で主に心を向けるならば,生活を破壊したり,喜びを損なったりする恐れのあるすべてのものから主が救い出してくださることを,主の御名により約束します。その解放には自分が望む以上に長く,恐らく生涯またはそれより長くかかることもあり得ます。ですから,最終的な解放の日まで,皆さんに慰めや勇気,希望を与え,皆さんを支え,力づけるすぐに与えられる神の慈しみを求めるようお勧めし,また証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。

( 以上 )


このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2019年4月の総大会からご紹介しました。

赤字青字下線は付加しています。

今まで、水の上を歩くペテロについては、理解できませんでした。

しかし、人生の重みに沈み行く人、倒れこんでしまいそうな人に手を伸ばして捕まえてくださるイエスは、希望のメッセージを伝えてくださっていることが分かりました。



〔  参考 モーサヤ25:10    ]
10 さらにかれらは、アルマとかれ同胞はらからをレーマンじんれいじょうたいからすくしてくださったかみ直接ちょくせついつくしみとかみちからのことをおもっては、こえげ、かみ感謝かんしゃをささげた。
10 And again, when they thought of the immediate goodness of God, and his power in delivering Alma and his brethren out of the hands of the Lamanites and of bondage, they did raise their voices and give thanks to God. 

直接ちょくせついつくしみ ➡  即座の慈しみ

と翻訳したほうが、希望のメッセージになると感じます。(翻訳にはご苦労されていると思いますが。)



本日もお読みいただいてありがとうございます。

このお話は、前回もご紹介しています。

教訓に富んだお話でした。

お読みいただいてありがとうございます。

良い安息日をお祈りします。



アブラハムがイサクを捧げたことの意味

2022-02-20 07:49:21 | 日記

創世記 第22章

22:1これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。

22:2神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。

22:3アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。

22:4三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。

22:5そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。

22:6アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。

22:7やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。

22:8アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。こうしてふたりは一緒に行った。

22:9彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。

22:10そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、

22:11主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。彼は答えた、「はい、ここにおります」。

22:12み使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。

22:13この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭としてささげた。

22:14それでアブラハムはその所の名をアドナイ・エレと呼んだ。これにより、人々は今日もなお「主の山に備えあり」と言う。

22:15主の使は再び天からアブラハムを呼んで、

22:16言った、「主は言われた、『わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、

22:17わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。あなたの子孫は敵の門を打ち取り、

22:18また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである』」。

22:19アブラハムは若者たちの所に帰り、みな立って、共にベエルシバへ行った。そしてアブラハムはベエルシバに住んだ。
(聖句は、以下から引用させていただいています。)
https://bible.salterrae.net › html
口語訳聖書(新約および旧約 索引)
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※この聖句については、たくさんの優れた解釈説明がなされています。
私自身が感じたことを、少しお伝えしてみます。(読みきれないほどの解釈説明の中には同じことを言っているかもしれません。その時は、ご容赦ください。)
人は肉欲を滅ぼして、神の霊によって新しく生まれ、永遠の命の祝福を得る、 つまり偉大な贖いの計画の象徴であると捉えてみました。
モルモン書には、次の聖句があります。
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① モーサヤ5:7
7 さて、あなたがたがわしたせいやくのために、あなたがたはキリストのばれ、キリストのむすおよびむすめばれる。よ、それは、今日こんにちキリストが霊的れいてきにあなたがたをとしてもうけられたからである。あなたがたは、キリストのしんじてこころあらたまったう。だから、あなたがたはキリストからまれ、キリストのむすおよびむすめとなったのである。
② アルマ5:7, 5:14
7 よ、かみかれらのこころあらためさせ、かれらをふかねむりからまされたので、かれらはめてかみしたがった。よ、かれらはかつてくらやみのただなかにいたにもかかわらず、のち永遠えいえんことひかりらされるようになった。まことにかれらはなわごくくさりしばられ、永遠えいえんほろびがかれらをけていた。
14 さてよ、きょうかい同胞はらからよ、わたしはあなたがたにたずねる。あなたがたは霊的れいてきかみからまれているか。あなたがたのかおかみ面影おもかげけているか。あなたがたはこころなかに、このおおきなへん経験けいけんしたか。
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※この心の変化は、実際に、私自身も経験しました。みなさんも、「誠心誠意で主に心を向けるならば,」 経験することができます。
人は肉欲に生きた自分を殺し、新しくキリストにより、霊的に生まれ変わることができます。
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※「 たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。 」
      ⬇
「  かれらはなわごくくさりしばられ永遠えいえんほろびがかれらをけていた 」
これは、私たちの人生が、生まれながらの肉欲に縛られていることを象徴として教えています。
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次に紹介するのは、生まれ変わることについての、説教です。
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すぐに与えられる神の慈しみ
カイル・S・マッケイ長老
 七十人
主を信頼し忍耐強く待っている間でも,すぐに与えられる祝福もあるのです。
数年前,5歳になる息子がわたしのところに来て言いました。「パパ,分かったことがあるんだ。パパの『もうすぐ』は,ぼくにとっての『すごく長い時間』なんだってこと。」
主や主の僕が「今から日ならずして」または「時は遠くない」というような言葉を使うとき,それは生涯またはそれ以上の長さを実際に意味することがあります。主の時,そして多くの場合,主のタイミングはわたしたちの尺度とは異なっています。忍耐が鍵です。それがなければ,命と救いに至る神への信仰を育むことも,表すこともできません。しかし,わたしが今日お伝えするメッセージは,主を信頼し忍耐強く待っている間でも,すぐに与えられる祝福もあるということについてです。
アルマとその民はレーマン人に捕らえられたとき,解放されるように祈りました。すぐには解放されませんでしたが,彼らが忍耐強く待つ間,主はすぐに与えられる幾つかの祝福で慈しみを示されました。例えば,主はレーマン人の心をすぐに和らげて,アルマの民を殺さないようにされました。また,彼らを強め,彼らの重荷を軽くしてくださいました。彼らはついに解放されると,ゼラヘムラへ行き,驚く人々に自分たちの経験について話しました。ゼラヘムラの人々は驚嘆し,「アルマと彼の同胞を……奴隷の状態から救い出してくださった神の直接の慈しみ〔訳注—英語のimmediateは「直接の」のほかに「即座の」という意味がある〕と神の力のことを思っては,声を上げ,神に感謝をささげ〔まし〕た。」
( 付加します。
モーサヤ 10 さらにかれらは、アルマとかれ同胞はらからをレーマンじんれいじょうたいからすくしてくださったかみ直接ちょくせついつくしみとかみちからのことをおもっては、こえげ、かみ感謝かんしゃをささげた。
10 And again, when they thought of the immediate goodness of God, and his power in delivering Alma and his brethren out of the hands of the Lamanites and of bondage, they did raise their voices and give thanks to God. )

神の直接〔あるいは即座〕の慈しみは,真心から,誠心誠意で神を呼び求めるすべての人にもたらされます。これには,解放の時がとても遠く,苦難が長引き,激化しているようにすら思える中で,必死に叫び求める人々も含まれます。
若き預言者が湿った地下牢の中で瀬戸際まで追い詰められ,ついにこう叫び求めたときもそうでした。「おお,神よ,あなたはどこにおられるのですか。……あなたの御手はいつまでとどめられ……るのですか。まことに,おお,主よ……どれほど長く……ですか。」そのこたえとして,主はジョセフをすぐに救い出すことはされませんでしたが,すぐに平安をお与えになりました。
また,最終的に解放されるという希望をすぐにお与えになりました。たとえ何があろうと,どこであろうと,キリストにより,キリストを通して,わたしたちの前には「明るき希望」が常にあります。すぐそばにあるのです。
さらに,主はこう約束されました。「わがいつくしみはあなたから移る……ことがない。」
何よりも,神の愛はすぐそばにあります。パウロとともに,わたしは証します。どんなものも「キリスト・イエスにおける神の愛から,わたしたちを引き離すことはできない」のです。罪でさえも,それが神の御霊からわたしたちを一時的に引き離しても,いつでもすぐに与えられる神聖な御父の愛からわたしたちを引き離すことはできません。
様々な方法や手段で,「神はすぐに祝福を授けてくださる」のです。さて,これらの原則が今でも有効で身近にあることを示すために,すぐに与えられる神の慈しみについての証となる二人の体験を紹介しましょう。
エミリーは十代のころから,薬物の乱用で苦しんでいました。試しに使ったことから習慣になり,ついには薬物依存となって彼女を何年もとりこにし,健康な時期はわずかしかありませんでした。エミリーは,結婚して母親になってからは特に,自分の問題をひた隠しにしていました。
救出の扉が開かれても,自分が救出されるとは少しも思えませんでした。エミリーは定期健康診断を受けているときに,突然救急車で入院施設に運ばれたのです。彼女は動転し,子供たちや夫や家庭から引き離されると思いました。
その夜,寒くて暗い部屋で独り,エミリーはベッドで丸くなってすすり泣きました。思考力が低下し,やがて不安や恐れ,また部屋の中と心の中にある耐え難い暗闇に圧倒されて,エミリーはその晩自分が死ぬのではないかと本気で思いました。だれにも看取られずに。
そうした絶望的な状況の中で,エミリーは何とか力を振り絞ってベッドから転がり出ると,ひざまずきました。これまでの祈りとは違い,少しも気取らずに,すべてを主に委ね,必死に嘆願しました。「神さま,あなたが必要です。わたしを助けてください。独りでいたくありません。今晩,乗り切れるようにしてください。」
するとすぐに,主は昔のペテロにされたように,その御手を伸ばし,沈みゆく彼女の心をつかまえてくださいました。エミリーは,すばらしい安らぎと勇気,確信,愛に満たされました。部屋はもはや寒くなく,エミリーは独りではないことを知りました。14歳の時以来,初めて,すべて大丈夫だと感じたのです。「〔神に対して〕目覚め〔た〕」エミリーは,安心して眠りにつきました。このように,「あなたがたが悔い改めて心をかたくなにしなければ,偉大な贖いの計画はすぐにあなたがたに効果を及ぼす」ことが分かります。


エミリーの癒しと究極の解放には,何か月にも及ぶ治療や訓練,カウンセリングが必要でしたが,その間,彼女は神の慈しみによって支えられ,時にはそれに頼りきりました。その後も引き続き神の慈しみを受けて,彼女は夫や子供たちと神殿に参入し,永遠に結び固められました。ゼラヘムラの民のように,エミリーは今,束縛から解放されるうえで,すぐに与えられる神の慈しみと神の力を思い返して,感謝をささげています。
さて,もう一人の勇敢な信者の経験です。2013年12月27日,アリシア・シュローダーは,思いがけず玄関先にやってきた親友のショーンとシャーラ・チルコートを喜んで迎えました。アリシアのビショップでもあるショーンは,自分の携帯電話を渡すと,厳かに言いました。「アリシア,わたしたちはあなたを愛しています。この電話に出てください。」
アリシアの夫マリオからの電話でした。彼は,以前から楽しみにしていたスノーモービル旅行に,子供を連れて人里離れた地に出かけていました。そこでひどい事故に遭ったのです。マリオは重傷を負い,10歳の息子カレブは亡くなりました。アリシアは,マリオから涙ながらにカレブの死を告げられたとき,ほとんどの人が経験したことのないショックと恐怖に襲われ,倒れ込みました。言葉にできないほどの苦しみでまひし,話すことも動くこともできませんでした。
ビショップとチルコート姉妹は,素早く彼女を起こして抱き締めました。三人はしばらくの間,ともに涙を流し,深い悲しみにくれました。それからチルコートビショップは,アリシアに祝福を授けることを申し出ました。
次に起こったことは,イエス・キリストの贖罪とすぐに与えられる神の慈しみをある程度理解していないと,分かりにくいことです。チルコートビショップは,アリシアの頭に優しく手を置くと,震える声で語り始めました。アリシアは,神ご自身が語られたかのように,二つのことを聞きました。最初に聞いたのは,自分の名前,アリシア・スーザン・シュローダーでした。それから,ビショップが全能の神の権能を行使するのを聞きました。その瞬間です。単に彼女の名前と神の力が言葉として発せられただけで,アリシアは言葉で言い表せない平安と愛,慰め,そしてどういうわけか喜びに満たされたのです。そして,それらの気持ちがずっと続きました。
もちろんアリシアとマリオと彼らの家族は,今でもカレブの死を嘆き,いないことを寂しく思っています。実につらいことです。わたしがアリシアと話すときはいつも,彼女の目にいっぱい涙をためて,どんなに幼い息子を愛し,寂しく思っているか話してくれます。そして涙ぐんだ目のままで,絶望のどん底にいたときに「すぐに与えられる神の慈しみ」をきっかけに,偉大な解放者があらゆる苦しい試練を乗り越えられるように支えてくださったこと,また現在は「今から日ならずして」起こるであろうすばらしい再会への輝く希望があることについて話してくれます。
わたしは,時に人生の経験が混乱や動揺を引き起こし,エミリーやアリシアが得られたような慰めを受けたり,認識したり,あるいは保ち続けたりするのを難しくしてしまうことがあるということに気づきました。わたし自身にもそのような経験がありました。そのようなときに,わたしたちをただ守ってくれるのは,「すぐに与えられる神の慈しみ」の優しく力強い現れであることを証します。古代イスラエルの民が日々「自分たちを守ってくださったあの同じ神によって」最終的に救い出されたことを思い出してください。
イエス・キリストが偉大な解放者であられることを証します。誠心誠意で主に心を向けるならば,生活を破壊したり,喜びを損なったりする恐れのあるすべてのものから主が救い出してくださることを,主の御名により約束します。その解放には自分が望む以上に長く,恐らく生涯またはそれより長くかかることもあり得ます。ですから,最終的な解放の日まで,皆さんに慰めや勇気,希望を与え,皆さんを支え,力づけるすぐに与えられる神の慈しみを求めるようお勧めし,また証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2019年4月の総大会からご紹介しました。
赤字青字下線は付加しています。
お読みいただいてありがとうございます。
良い安息日をお祈りします。



アブラハムと賀川豊彦から学ぶ子供の可能性

2022-02-17 23:07:51 | 日記
アブラハム​しょ
ジョセフ・​スミス​が
​パピルス​から​ほんやく​した​もの​
1章
5 わたしのせんかれらのしゅなるかれらのかみあたえられたせいなるいましめからはなれて、きょう神々かみがみれいはいし、わたしのことくのをまったくこばんだ。
6 かえらはあくおこなうことをそのこころめ、エルケナのかみと、リブナのかみと、マーマクラのかみと、コラシのかみと、エジプトのおうパロのかみにすっかりたよっていたからである。
7 そこで、かれらはきょうせいにそのこころけて、これらくちけないぐうぞうかれらのどもたちをささげ、わたしのこえこうとせず、エルケナのさいによってわたしのいのちろうとした。エルケナのさいはまた、パロのさいであった。
8 さてとう、カルデヤのきずかれたさいだんじょうでこれらこく神々かみがみへのせいとしてだんじょどもをささげることが、エジプトのおうパロのさいならわしであった。
9 そして、さいはエジプトじんりゅうしたがって、パロのかみにささげものをし、またシャグレールのかみにもささげものをした。ところで、シャグレールのかみ太陽たいようであった。
10 パロのさいは、オリシェムのへいおくにあるポテパルのおかばれたおかのそばにあったさいだんじょうで、ども感謝かんしゃのささげものとしてささげることさえおこなった。
11 さて、このさいは、かつてこのさいだんじょうで三にんのおとめをささげた。このおとめたちは、ハムのちょっけいおうひとであるオニタのむすめたちであった。このおとめたちはそのせっそうのゆえにささげられたのである。彼女かのじょたちはいし神々かみがみをひれしておがもうとしなかったために、このさいだんじょうころされた。そして、それはエジプトじんりゅうしたがっておこなわれた。
12 さて、さいたちはわたしにぼうりょくるい、このさいだんじょうでそのおとめたちをころしたように、わたしもころそうとした。このさいだんについてるために、このろくはじめにある参照さんしょうしてほしい。


30 このために、きんがカルデヤのぜんひろがった。すると、わたしのちちそのきんのためにひどくくるしみ、わたしのいのちろうとわたしにたいしてくわだてたあくいた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※先祖や父母がどうであれ、アブラハムは、神様にその信仰により、大いなる国民として祝福されました。
このことから、賀川豊彦を思い出しました。
賀川豊彦の生涯をご紹介します。




ビデオは、こちらから引用させていただきました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(また、ウィキペディアから、引用します。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E5%B7%9D%E8%B1%8A%E5%BD%A6    



生い立ち
兵庫県神戸市に、回漕業者・賀川純一と徳島で芸妓をしていた菅生かめの子として生まれる。4歳の時に相次いで父母と死別して、姉と共に徳島の本家に引き取られる。徳島では血のつながらない父の本妻と祖母に育てられるが、「妾の子」と周囲から陰口を言われるなど孤独な幼年時代を過ごした[2][3] 。兄の放蕩により15歳の時に賀川家は破産してしまい、叔父の森六兵衛の家に移る。旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)に通っていた1904年(明治37年)、日本基督教会徳島教会にて南長老ミッションの宣教師H・W・マヤスより受洗。この頃安部磯雄・木下尚江の著作を読み、キリスト教社会主義に共感を覚える。また『戦争と平和』に代表されるトルストイの反戦思想にも影響を受け、軍事教練サボタージュ[要曖昧さ回避]事件を起こす。伝道者を志し、1905年(明治38年)に明治学院高等部神学予科に入学、卒業後の1907年(明治40年)、新設の神戸神学校(のちの中央神学校)に入学する。 社会事業家として結核に苦しみ、また信仰への懐疑に煩悶(はんもん)しながら、やがて「貧民問題を通じて、イエスの精神を発揮してみたい」と一念発起し、1909年(明治42年)神戸市新川のスラムに住み込み、路傍伝道を開始する。12月24日、神戸新川の貧民窟に転居し、救霊団(のちの神戸イエス団)の事業を始めた[4]。1911年(明治44年)に神戸神学校を卒業、1912年(大正元年)には一膳飯屋「天国屋」を開業した。


芝ハルとスラムで出会い、1913年(大正2年)に神戸の教会で簡素な結婚式を挙げた。ハルは印刷工場に勤務していた父の転勤に伴い、家族とともに横須賀から神戸に転居、父が勤務する印刷工場の女工となった。賀川はスラムの隣人を招いて披露宴を行い、普段はきつねうどん以上のご馳走を口にしない彼が寿司の折詰を配って妻ハルを紹介して言った。「私はみなさんの女中をお嫁にもらいました。あなた方の家がお産や病気で手が足らなくて困った時には、いつでも頼みに来てください。喜んで参ります」[5]。 ハルは結婚後、賀川とともにスラムで貧民の救済活動に献身、不衛生なスラムの環境によりトラコーマに感染し右目を失明するも、救貧活動を続けた。なお、賀川も両眼ともトラコーマに冒され、何度も失明の危機を経験している[2][3]。 1914年(大正3年)に渡米し、アメリカの社会事業、労働運動を垣間見つつ[6]プリンストン大学・プリンストン神学校に学び、1915年(大正4年)にスラムでの経験をふまえて渡米前に執筆した『貧民心理之研究』が出版される。同書は、貧民を外から観察するのではなく、貧民の中にあって観察・分析した「日本の貧民研究史上不朽のもの」[7]との評価もあるが、文中に被差別部落の人々への誤った差別的見解や表現があり、のちに、部落解放運動関係者から批判されている[8]。 1917年(大正6年)に帰国すると、神戸のスラムに戻り無料巡回診療を始めた。また、米国留学中の体験から貧困問題を解決する手段として労働組合運動を重要視した賀川は、鈴木文治率いる友愛会に接触し、1919年(大正8年)に友愛会関西労働同盟会を結成、理事長となった。また同年日本基督教会で牧師の資格を得た。 1920年(大正9年)に自伝的小説『死線を越えて』を出版、わずか1年で100万部超という一大ベストセラーとなり、賀川の名を世間に広めた。その後もベストセラー作家として、『一粒の麦』、『空中征服』、『乳と蜜の流るゝ郷』など、数々の小説を発表する。これらの原稿料や莫大な印税はほとんど関与した社会運動のために投じられた[2][3]。また同年、労働者の生活安定を目的として神戸購買組合(灘神戸生協を経て現・コープこうべ=日本最大の生協)を設立、生活協同組合運動にも取り組んだ。また、武藤富男らと共に、キリスト教系業界紙、キリスト新聞(発行元:キリスト新聞社)を立ち上げた。
(以下省略します。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
先祖や父母がどうであれ、子供は立派な人物となり、立派な業績をあげることができます。
決して、先祖や父母の姿を見て、子供を判断してはなりません。
そのことを、アブラハムと賀川豊彦が証明しています。
その生い立ちがどうであれ、すべての子供に、素晴らしい可能性があることを、アブラハムと賀川豊彦は教えてくれています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
お読みいただいてありがとうございます。
赤字青字下線は追加しています。