イエス・キリストの福音をご紹介します。

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3日間の暗闇

2022-03-31 05:15:51 | 日記
出エジプト記 

10章


10:1そこで、主はモーセに言われた、「パロのもとに行きなさい。わたしは彼の心とその家来たちの心をかたくなにした。これは、わたしがこれらのしるしを、彼らの中に行うためである。

10:2また、わたしがエジプトびとをあしらったこと、また彼らの中にわたしが行ったしるしを、あなたがたが、子や孫の耳に語り伝えるためである。そしてあなたがたは、わたしが主であることを知るであろう」。

10:3モーセとアロンはパロのもとに行って彼に言った、「ヘブルびとの神、主はこう仰せられる、『いつまで、あなたは、わたしに屈伏することを拒むのですか。民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。

10:4もし、わたしの民を去らせることを拒むならば、見よ、あす、わたしはいなごを、あなたの領土にはいらせるであろう。





10:5それは地のおもてをおおい、人が地を見ることもできないほどになるであろう。そして雹を免れて、残されているものを食い尽し、野にはえているあなたがたの木をみな食い尽すであろう。

10:6またそれはあなたの家とあなたのすべての家来の家、および、すべてのエジプトびとの家に満ちるであろう。このようなことは、あなたの父たちも、また、祖父たちも、彼らが地上にあった日から今日に至るまで、かつて見たことのないものである』と」。そして彼は身をめぐらして、パロのもとを出て行った。

10:7パロの家来たちは王に言った、「いつまで、この人はわれわれのわなとなるのでしょう。この人々を去らせ、彼らの神なる主に仕えさせては、どうでしょう。エジプトが滅びてしまうことに、まだ気づかれないのですか」。

10:8そこで、モーセとアロンは、また、パロのもとに召し出された。パロは彼らに言った、「行って、あなたがたの神、主に仕えなさい。しかし、行くものはだれだれか」。

10:9モーセは言った、「わたしたちは幼い者も、老いた者も行きます。むすこも娘も携え、羊も牛も連れて行きます。わたしたちは主の祭を執り行わなければならないのですから」。

10:10パロは彼らに言った、「万一、わたしが、あなたがたに子供を連れてまで去らせるようなことがあれば、主があなたがたと共にいますがよい。あなたがたは悪いたくらみをしている。

10:11それはいけない。あなたがたは男だけ行って主に仕えるがよい。それが、あなたがたの要求であった」。彼らは、ついにパロの前から追い出された。

10:12主はモーセに言われた、「あなたの手をエジプトの地の上にさし伸べて、エジプトの地にいなごをのぼらせ、地のすべての青物、すなわち、雹が打ち残したものを、ことごとく食べさせなさい」。

10:13そこでモーセはエジプトの地の上に、つえをさし伸べたので、主は終日、終夜、東風を地に吹かせられた。朝となって、東風は、いなごを運んできた。

10:14いなごはエジプト全国にのぞみ、エジプトの全領土にとどまり、その数がはなは多く、このようないなごは前にもなく、また後にもないであろう。

10:15いなごは地の全面をおおったので、地は暗くなった。そして地のすべての青物と、雹の打ち残した木の実を、ことごとく食べたので、エジプト全国にわたって、木にも畑の青物にも、緑の物とては何も残らなかった。

10:16そこで、パロは、急いでモーセとアロンを召して言った、「わたしは、あなたがたの神、主に対し、また、あなたがたに対して罪を犯しました。

10:17それで、どうか、もう一度だけ、わたしの罪をゆるしてください。そしてあなたがたの神、主に祈願して、ただ、この死をわたしから離れさせてください」。

10:18そこで彼はパロのところから出て、主に祈願したので、

10:19主は、はなはだ強い西風に変らせ、いなごを吹き上げて、これを紅海に追いやられたので、エジプト全土には一つのいなごも残らなかった。

10:20しかし、主がパロの心をかたくなにされたので、彼はイスラエルの人々を去らせなかった。

10:21主はまたモーセに言われた、「天にむかってあなたの手をさし伸べ、エジプトの国に、くらやみをこさせなさい。そのくらやみは、さわれるほどである」。

10:22モーセが天にむかって手をさし伸べたので、濃いくらやみは、エジプト全国に臨み三日に及んだ。





10:23三日の間、人々は互に見ることもできず、まただれもその所から立つ者もなかった。しかし、イスラエルの人々には、みな、その住む所に光があった。





10:24そこでパロはモーセを召して言った、「あなたがたは行って主に仕えなさい。あなたがたの子供も連れて行ってもよろしい。ただ、あなたがたの羊と牛は残して置きなさい」。

10:25しかし、モーセは言った、「あなたは、また、わたしたちの神、主にささげる犠牲と燔祭の物をも、わたしたちにくださらなければなりません。

10:26わたしたちは家畜も連れて行きます。ひずめ一つも残しません。わたしたちは、そのうちから取って、わたしたちの神、主に仕えねばなりません。またわたしたちは、その場所に行くまでは、何をもって、主に仕えるべきかを知らないからです」。

10:27けれども、主がパロの心をかたくなにされたので、パロは彼らを去らせようとしなかった。

10:28それでパロはモーセに言った、「わたしの所から去りなさい。心して、わたしの顔は二度と見てはならない。わたしの顔を見る日には、あなたの命はないであろう」。

10:29モーセは言った、「よくぞ仰せられました。わたしは、二度と、あなたの顔を見ないでしょう」。



※本日もお読みいただいてありがとうございます。

三日の間の暗闇は、

ルカ書
24:45そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて 24:46言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。


マタイ書
27:45さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。 27:46そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

を連想させます。

良い1日をお祈りします。



あなたの手を天にむかってさし伸べ

2022-03-30 05:03:22 | 日記

出エジプト記 9章


9:1主はモーセに言われた、「パロのもとに行って、彼に言いなさい、『ヘブルびとの神、主はこう仰せられる、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。

9:2あなたがもし彼らを去らせることを拒んで、なお彼らを留めおくならば、

9:3主の手は最も激しい疫病をもって、野にいるあなたの家畜、すなわち馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に臨むであろう。

9:4しかし、主はイスラエルの家畜と、エジプトの家畜を区別され、すべてイスラエルの人々に属するものには一頭も死ぬものがないであろう」と』」。

9:5主は、また、時を定めて仰せられた、「あす、主はこのことを国に行うであろう」。

9:6あくる日、主はこのことを行われたので、エジプトびとの家畜はみな死んだ。しかし、イスラエルの人々の家畜は一頭も死ななかった。

9:7パロは人をつかわして見させたが、イスラエルの家畜は一頭も死んでいなかった。それでもパロの心はかたくなで、民を去らせなかった。

9:8主はモーセとアロンに言われた、「あなたがたは、かまどのすすを両手いっぱい取り、それをモーセはパロの目の前で天にむかって、まき散らしなさい。

9:9それはエジプトの全国にわたって、細かいちりとなり、エジプト全国で人と獣に付いて、うみの出るはれものとなるであろう」。

9:10そこで彼らは、かまどのすすを取ってパロの前に立ち、モーセは天にむかってこれをまき散らしたので、人と獣に付いて、うみの出るはれものとなった。

9:11魔術師らは、はれもののためにモーセの前に立つことができなかった。はれものが魔術師らと、すべてのエジプトびとに生じたからである。

9:12しかし、主はパロの心をかたくなにされたので、彼は主がモーセに語られたように、彼らの言うことを聞かなかった。



(そしてパロは彼の心を頑なにした :ジョセフ・スミス訳)

9:13主はまたモーセに言われた、「朝早く起き、パロの前に立って、彼に言いなさい、『ヘブルびとの神、主はこう仰せられる、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。

9:14わたしは、こんどは、もろもろの災を、あなたと、あなたの家来と、あなたの民にくだし、わたしに並ぶものが全地にないことを知らせるであろう。

9:15わたしがもし、手をさし伸べ、疫病をもって、あなたと、あなたの民を打っていたならば、あなたは地から断ち滅ぼされていたであろう。

9:16しかし、わたしがあなたをながらえさせたのは、あなたにわたしの力を見させるため、そして、わたしの名が全地に宣べ伝えられるためにほかならない。

9:17それに、あなたはなお、わたしの民にむかって、おのれを高くし、彼らを去らせようとしない。

9:18ゆえに、あすの今ごろ、わたしは恐ろしく大きな雹を降らせるであろう。それはエジプトの国が始まった日から今まで、かつてなかったほどのものである。

9:19それゆえ、いま、人をやって、あなたの家畜と、あなたが野にもっているすべてのものを、のがれさせなさい。人も獣も、すべて野にあって家に帰らないものは降る雹に打たれて死ぬであろう」と』」。

9:20パロの家来のうち、主の言葉をおそれる者は、そのしもべと家畜を家にのがれさせたが、

9:21主の言葉を意にとめないものは、そのしもべと家畜を野に残しておいた。

9:22主はモーセに言われた、「あなたの手を天にむかってさし伸べ、エジプトの全国にわたって、エジプトの地にいる人と獣と畑のすべての青物の上に雹を降らせなさい」。

9:23モーセが天にむかってつえをさし伸べると、主は雷と雹をおくられ、火は地にむかって、はせ下った。こうして主は、雹をエジプトの地に降らされた。

9:24そして雹が降り、雹の間に火がひらめき渡った。雹は恐ろしく大きく、エジプト全国には、国をなしてこのかた、かつてないものであった。

9:25雹はエジプト全国にわたって、すべて畑にいる人と獣を打った。雹はまた畑のすべての青物を打ち、野のもろもろの木を折り砕いた。

9:26ただイスラエルの人々のいたゴセンの地には、雹が降らなかった。

9:27そこで、パロは人をつかわし、モーセとアロンを召して言った、「わたしはこんどは罪を犯した。主は正しく、わたしと、わたしの民は悪い。

9:28主に祈願してください。この雷と雹はもうじゅうぶんです。わたしはあなたがたを去らせます。もはやとどまらなくてもよろしい」。

9:29モーセは彼に言った、「わたしは町を出ると、すぐ、主にむかってわたしの手を伸べひろげます。すると雷はやみ、雹はもはや降らなくなり、あなたは、地が主のものであることを知られましょう。

9:30しかし、あなたとあなたの家来たちは、なお、神なる主を恐れないことを、わたしは知っています」。

9:31――亜麻と大麦は打ち倒された。大麦は穂を出し、亜麻は花が咲いていたからである。

9:32小麦とスペルタ麦はおくてであるため打ち倒されなかった。――

9:33モーセはパロのもとを去り、町を出て、主にむかって手を伸べひろげたので、雷と雹はやみ、雨は地に降らなくなった。

9:34ところがパロは雨と雹と雷がやんだのを見て、またも罪を犯し、心をかたくなにした。彼も家来も、そうであった。

9:35すなわちパロは心をかたくなにし、主がモーセによって語られたように、イスラエルの人々を去らせなかった。

※本日もお読みいただいてありがとうございます。

「あなたの手を天にむかってさし伸べ」

の意味は

祈りを通して心の奥底にある思いを打ち明け,あなたがどのように感じているかを天の御父に説明してください。

Lift up your soul in prayer and explain to your Heavenly Father what you are feeling.

( 神の光のもたらす希望

大管長会第二顧問
ディーター・F・ウークトドルフ管長 )

※祈りで、自分の魂を神さまに差し出す、差し上げる、差し出す感覚です。

良い1日をお祈りします。

カエルとブヨとアブ

2022-03-29 05:13:00 | 日記

出エジプト記 8章


8:1主はモーセに言われた、「あなたはパロのところに行って言いなさい、『主はこう仰せられます、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。

8:2しかし、去らせることを拒むならば、見よ、わたしは、かえるをもって、あなたの領土を、ことごとく撃つであろう。

8:3ナイル川にかえるが群がり、のぼって、あなたの家、あなたの寝室にはいり、寝台にのぼり、あなたの家来と民の家にはいり、またあなたのかまどや、こね鉢にはいり、

8:4あなたと、あなたの民と、すべての家来のからだに、はい上がるであろう」と』」。

8:5主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『つえを持って、手を川の上、流れの上、、池の上にさし伸べ、かえるをエジプトの地にのぼらせなさい』と」。

8:6アロンが手をエジプトの水の上にさし伸べたので、かえるはのぼってエジプトの地をおおった。





8:7魔術師らも秘術をもって同じように行い、かえるをエジプトの地にのぼらせた。

8:8パロはモーセとアロンを召して言った、「かえるをわたしと、わたしの民から取り去るように主に願ってください。そのときわたしはこの民を去らせて、主に犠牲をささげさせるでしょう」。

8:9モーセはパロに言った、「あなたと、あなたの家来と、あなたの民のために、わたしがいつ願って、このかえるを、あなたとあなたの家から断って、ナイル川だけにとどまらせるべきか、きめてください」。

8:10パロは言った、「明日」。モーセは言った、「仰せのとおりになって、わたしたちの神、主に並ぶもののないことを、あなたが知られますように。

8:11そして、かえるはあなたと、あなたの家と、あなたの家来と、あなたの民を離れてナイル川にだけとどまるでしょう」。

8:12こうしてモーセとアロンはパロを離れて出た。モーセは主がパロにつかわされたかえるの事について、主に呼び求めたので、

8:13主はモーセのことばのようにされ、かえるは家から、庭から、また畑から死に絶えた。

8:14これをひと山ひと山に積んだので、地は臭くなった。

8:15ところがパロは息つくひまのできたのを見て、主が言われたように、その心をかたくなにして彼らの言うことを聞かなかった。

8:16主はモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえをさし伸べて地のちりを打ち、それをエジプトの全国にわたって、ぶよとならせなさい』と」。

8:17彼らはそのように行った。すなわちアロンはそのつえをとって手をさし伸べ、地のちりを打ったので、ぶよは人と家畜についた。すなわち、地のちりはみなエジプトの全国にわたって、ぶよとなった。





8:18魔術師らも秘術をもって同じように行い、ぶよを出そうとしたが、彼らにはできなかった。ぶよが人と家畜についたので、

8:19魔術師らはパロに言った、「これは神の指です」。しかし主の言われたように、パロの心はかたくなになって、彼らのいうことを聞かなかった。

8:20主はモーセに言われた、「あなたは朝早く起きてパロの前に立ちなさい。ちょうど彼は水のところに出ているから彼に言いなさい、『主はこう仰せられる、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。

8:21あなたがわたしの民を去らせないならば、わたしは、あなたとあなたの家来と、あなたの民とあなたの家とに、あぶの群れをつかわすであろう。エジプトびとの家々は、あぶの群れで満ち、彼らの踏む地もまた、そうなるであろう。

8:22その日わたしは、わたしの民の住むゴセンの地を区別して、そこにあぶの群れを入れないであろう。国の中でわたしが主であることをあなたが知るためである。

8:23わたしはわたしの民とあなたの民の間に区別をおく。このしるしは、あす起るであろう」と』」。

8:24主はそのようにされたので、おびただしいあぶが、パロの家と、その家来の家と、エジプトの全国にはいってきて、地はあぶの群れのために害をうけた。




8:25そこで、パロはモーセとアロンを召して言った、「あなたがたは行ってこの国の内で、あなたがたの神に犠牲をささげなさい」。

8:26モーセは言った、「そうすることはできません。わたしたちはエジプトびとの忌むものを犠牲として、わたしたちの神、主にささげるからです。もし、エジプトびとの目の前で、彼らの忌むものを犠牲にささげるならば、彼らはわたしたちを石で打たないでしょうか。

8:27わたしたちは三日の道のりほど、荒野にはいって、わたしたちの神、主に犠牲をささげ、主がわたしたちに命じられるようにしなければなりません」。

8:28パロは言った、「わたしはあなたがたを去らせ、荒野で、あなたがたの神、主に犠牲をささげさせよう。ただあまり遠くへ行ってはならない。わたしのために祈願しなさい」。

8:29モーセは言った、「わたしはあなたのもとから出て行って主に祈願しましょう。あすあぶの群れがパロと、その家来と、その民から離れるでしょう。ただパロはまた欺いて、民が主に犠牲をささげに行くのをとめないようにしてください」。

8:30こうしてモーセはパロのもとを出て、主に祈願したので、

8:31主はモーセの言葉のようにされた。すなわち、あぶの群れをパロと、その家来と、その民から取り去られたので、一つも残らなかった。

8:32しかしパロはこんどもまた、その心をかたくなにして民を去らせなかった。


本日もお読みいただいてありがとうございます。

ご感想は、如何だったでしょうか。


Scripture Plus
では、

i take this as really powerful story for our own lives

私たち自身の実際の力強い物語としてこのことを、受けとめる

と、解説されています。


私たち自身の出エジプト記と例えられます。神を信じるようにと、それぞれの人生に神様の采配、導きがあると信じます。

良い1日をお祈りします。

7:7彼らがパロと語った時、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。

2022-03-28 04:08:47 | 日記

出エジプト記 7章


7:1主はモーセに言われた、「見よ、わたしはあなたをパロに対して神のごときものとする。あなたの兄弟アロンはあなたの預言者となるであろう。

7:2あなたはわたしが命じることを、ことごとく彼に告げなければならない。そしてあなたの兄弟アロンはパロに告げて、イスラエルの人々をその国から去らせるようにさせなければならない。

7:3しかし、わたしはパロの心をかたくなにするので、わたしのしるしと不思議をエジプトの国に多く行っても、

7:4パロはあなたがたの言うことを聞かないであろう。それでわたしは手をエジプトの上に加え、大いなるさばきをくだして、わたしの軍団、わたしの民イスラエルの人々を、エジプトの国から導き出すであろう。

7:5わたしが手をエジプトの上にさし伸べて、イスラエルの人々を彼らのうちから導き出す時、エジプトびとはわたしが主であることを知るようになるであろう」。

7:6モーセとアロンはそのように行った。すなわち主が彼らに命じられたように行った。

7:7彼らがパロと語った時、モーセは八十歳、アロンは八十三歳であった。

7:8主はモーセとアロンに言われた、

7:9「パロがあなたがたに、『不思議をおこなって証拠を示せ』と言う時、あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえを取って、パロの前に投げなさい』と。するとそれはへびになるであろう」。

7:10それで、モーセとアロンはパロのところに行き、主の命じられたとおりにおこなった。すなわちアロンはそのつえを、パロとその家来たちの前に投げると、それはへびになった。

7:11そこでパロもまた知者と魔法使を召し寄せた。これらのエジプトの魔術師らもまた、その秘術をもって同じように行った。

7:12すなわち彼らは、おのおのそのつえを投げたが、それらはへびになった。しかし、アロンのつえは彼らのつえを、のみつくした。

7:13けれども、パロの心はかたくなになって、主の言われたように、彼らの言うことを聞かなかった。

7:14主はモーセに言われた、「パロの心はかたくなで、彼は民を去らせることを拒んでいる。

7:15あなたは、あすの朝、パロのところに行きなさい。見よ、彼は水のところに出ている。あなたは、へびに変ったあのつえを手に執り、ナイル川の岸に立って彼に会い、

7:16そして彼に言いなさい、『ヘブルびとの神、主がわたしをあなたにつかわして言われます、「わたしの民を去らせ、荒野で、わたしに仕えるようにさせよ」と。しかし今もなお、あなたが聞きいれようとされないので、

7:17主はこう仰せられます、「これによってわたしが主であることを、あなたは知るでしょう。見よ、わたしが手にあるつえでナイル川の水を打つと、それは血に変るであろう。

7:18そして川の魚は死に、川は臭くなり、エジプトびとは川の水を飲むことをいとうであろう」』と」。

7:19主はまたモーセに言われた、「あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえを執って、手をエジプトの水の上、川の上、流れの上、池の上、またそのすべての水たまりの上にさし伸べて、それを血にならせなさい。エジプト全国にわたって、木の器、石の器にも、血があるようになるでしょう』と」。

7:20モーセとアロンは主の命じられたようにおこなった。すなわち、彼はパロとその家来たちの目の前で、つえをあげてナイル川の水を打つと、川の水は、ことごとく血に変った。

7:21それで川の魚は死に、川は臭くなり、エジプトびとは川の水を飲むことができなくなった。そしてエジプト全国にわたって血があった。

7:22エジプトの魔術師らも秘術をもって同じようにおこなった。しかし、主の言われたように、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。

7:23パロは身をめぐらして家に入り、またこのことをも心に留めなかった。

7:24すべてのエジプトびとはナイル川の水が飲めなかったので、飲む水を得ようと、川のまわりを掘った。

7:25主がナイル川を打たれてのち七日を経た。


本日もお読みいただいてありがとうございます。

お読みいただいた、感想は如何でしたでしょうか。

(以下は、個人的な感想です。)

①3節は、違和感があります。


そして、私があなた方に言ったように、パロは心を頑なにする。

(ジョセフ・スミス訳は、このようになっています。)

聖書は、長い年月翻訳され、その間微妙に変わっていると、違和感のあるところが散見されます。


②7節 80歳代で大きな仕事を神さまから委任されています。
これまでの、苦労や経験が活かされる時です。


③魔術師も結構やるものです。
悪魔の力を軽く考えてはいけません。



こちらから学びました。


昨晩は、シードテープを作りました。
YouTubeで、トイレットペーパーを利用しているのを、学びました。



キャベツの種です。畑におろしてみます。

良い1日をお祈りします。


困っていたある女性を助ける母の行動

2022-03-26 05:16:14 | 日記

贖い

十二使徒定員会
D・トッド・クリストファーソン長老

キリストに従うにつれて,わたしたちは主の贖いの業に携わり,推し進めようとするようになります。

民地時代にアメリカでは,労働力の需要が非常に高まっていまし た。 18 世 紀 と 19 世 紀 初頭,イギリスやドイツをはじめ,ヨーロッパ諸国で移住を望む労働者の募集がありました。希望者はいたのですが,その多くは旅費を払う余裕がありませんでした。

そこで,移民後に一定の期間,無給で働いて旅費を払うという契約を結ぶことがよくありました。あるいは,すでにアメリカに住んでいる家族が,到着した者の旅費を払うという約束で移住することもありました。

しかし,その約束が守られない場合には,一定期間無給で働いて渡航費を返済する義務がありました。「無賃渡航移住者」は
こうした契約移民を指す言葉です。ある意味で,彼らは自分の自由を買うために,労役によって渡航費の代償を払わなければ
ならなかったのです。1

イエス・キリストがどのような御方かを説明する最も重要な称号は贖い主です。

これは先ほど簡単に説明した「無賃渡航移住者」と同じ語源から成る言葉ですが,贖うという言葉には,債務や負債を支払うという意味があります。また,贖いは例えば,身の代金を払うことにより救済し自由にするという意味もあります。間違いをした人が,それを修正するか,埋め合わせるならば,その人は自らを贖ったと言えます。
このような意味はそれぞれ,イエス・キリストが贖しょくざいを通して成し遂げられた偉大
あがなな贖いの側面を表しています。辞書によれば,贖罪には「罪人に代わって犠牲を払うことにより,罪とその罰から解放すること」が含まれるのです。2

救い主の贖いには二つの部分があります。第 1 は,アダムの背きとその結果として起きた,人類の堕落を贖うことです。

その方法は堕落の直接的な結果である肉体の死と霊の死を克服することです。肉体の死はよく理解されています。霊の死は人が神から離れることです。パウロの言葉を引用すると,「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように,キリストにあってすべての人が生かされる」のです(1コリント15:22)。肉体の死と霊の死からの贖いは普遍的に,そして無条
件に与えられるものです。3

救い主の贖いの第 2 の部分は,堕落の間接的な結果,すなわち,アダムの背きによる罪ではなく,わたしたち自身の罪から
の贖いです。堕落のおかげで,わたしたちはこの世に生まれました。この世界には罪,すなわち神がお定めになった律法に対する不従順が蔓まんえんしています。すべての人について,主はこう言っておられます。

「まことに彼らが成長し始めると,彼らの心の中に罪が宿る。そして,彼らは善を尊ぶことを知るために,苦さを味わうのである。
そして,善悪を知ることが彼らに許される。それゆえ,彼らは自ら選択し行動する者である。」(モーセ 6:55 - 56)

責任能力を持ち自分で選択できる人が自身の罪から贖われるためには,条件があります。その条件とは,罪を告白し,捨て,信心深く生きる,つまり悔い改めることです(教義と聖約 58:43 参照)。主はこう命じておられます。「それゆえ,あなたの子供たちに次のことを教えなさい。
すなわち,どこにいる人でもすべての人が,悔い改めなければならない。そうしなければ,決して神の王国を受け継ぐことは
できない。清くない者はそこに住むことができない,すなわち,神の前に住むことができないからである。」(モーセ 6:57)

救い主のゲツセマネでの苦痛と十字架の苦悩により,わたしたちに課せられた正義の要求が満たされ,わたしたちは贖われます。主は悔い改める人を赦ゆる
し,憐あわみを注いでくださいます。贖いは,罪のない人が被るあらゆる苦しみを癒いやし,償うことにより,正義が負う負債を補償します。

「神はすべての人の苦痛,まことに男,女,子供の区別なく,アダムの家族に属する,生けるものすべての苦痛を受けられる」からです(2 ニーファイ9:21。アルマ 7:11−12 も参照)。4

キリストに従うにつれて,わたしたちは主の贖いの業に携わり,推し進めようとするようになります。家族をはじめすべて
の人にわたしたちがこの世で提供できる最大の奉仕は,信仰と悔い改めを通してキリストのみもとへ導いて,キリストの贖い
―すなわち現世での平安と喜び,そして,来世での不死不滅と永遠の命 ―にあずからせることです。宣教師の業は,主の贖いの愛を大いに表現するものです。
彼らは主のメッセージを伝える権能を与えられた使者として,イエス・キリストを信じる信仰,悔い改め,バプテスマ,聖霊のたまものというたぐいない祝福を受けるように勧め,霊的再生と贖いへの道を開いて
いるのです。

また,わたしたちは亡くなった人々に対する主の贖いの業を助けることもできます。「この神権時代の忠実な長老たちが,死すべき世を去っても彼らの働きを続け,死者の霊たちの大いなる世界において暗くらやみと罪の束縛の下にいる者たちの間で,悔い改めと神の独り子の犠牲による贖いの福音を宣べ伝えて」います(教 義と聖 約 138:57)。わたしたちが神殿で行う死者のための身代わりの儀式により,罪に束縛されたまま亡くなった人々でさえ,自由になれるのです。5

贖いの最も重要な側面は悔い改めと赦しにかかわるものですが,この世にかかわる非常に重要な側面もあります。イエス
は善い働きをしながら巡回されたと言われています(使徒 10:38 参照)。善い働きには,病人や虚弱な人を癒し,空腹の群
衆に食べ物を与え,最も優れた道を示すことが含まれます。「人の子がきたのも,仕えられるためではなく,仕えるためで
あり,また多くの人のあがないとして,自分の命を与えるため」なのです(マタイ20:28)。わたしたちも聖霊の導きを受けて,主の贖いの模範に倣って,善い働きをすることができます。

贖いにかかわるこの種の働きとは,題を抱えた人々を助けることです。貧しい人や弱い人と友達になることです。苦痛を和らげ,間違いを正し,真理を擁護し,次世代を強め,安全で幸せな家庭を築くことです。わたしたちが地上で行う贖いにかかわる働きの大部分は,人々が成長し,義にかなった望みや願いを達成するのを助けることです。

例を一つ挙げたいと思います。わたしが常に感動し鼓舞されてきた,ヴィクトル・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』の一場面です。物語の最初の方で,司教ビアンヴニュは,行く当てのないジャン・ヴァルジャンに食事を与え,一夜の宿を提供しました。ジャン・ヴァルジャンはおなかをすかせた幼いおいやめいに食べさせるパンを盗んだために投獄されて,19 年におよぶ重労働を課せられた後に釈放さ
れたばかりでした。憤りを募らせ,心をかたくなにしたヴァルジャンは,司教の親切にもかかわらず,司教の銀の食器を盗み
ます。後に警官に引き留められ,窃盗の嫌疑をかけられると,それはもらったものだとうそをつきます。警官に司教の家へ連れ戻されたヴァルジャンが驚いたことには,司教が彼の作り話をほんとうだと言い,さらに,もっともらしい口調でこう言ったのです。「『私はあなたに燭しょくだいも上げたのだ
が。あれもやっぱり銀で,二百フランぐらいにはなるでしょう。なぜあれも食器といっしょに持って行きなさらなかった?』
司教は彼に近寄って,低い声で言った。
『忘れてはいけません,決して忘れてはいけませんぞ,この銀の器は正直な人間になるために使うのだとあなたが私に約束したことは。』
何も約束した覚えのないジャン・ヴァルジャンはただ茫
ぼうぜんとしていた。司教は
……おごそかさをもってまた言った。
『ジャン・ヴァルジャンさん,あなたはもう悪のものではない,善のものです。私があがなうのはあなたの魂です。私はあなたの魂を暗黒な思想や破滅の精神から引き出して,そしてそれを神にささげます。』」

ジャン・ヴァルジャンはほんとうに生まれ変わって正直な人になり,多くの人を助けました。神に仕えるために自分の心が贖われたことを思い出させてくれる二つの燭台を生涯手放すことはありませんでした。6

現世にかかわる贖いの働きには,共同で行う作業もあります。救い主が教会を築かれたのはそのためでもあります。定
員会や補助組織,ステークやワードや支部が組織されているので,福音の中で互いに教え合い,励まし合うことに加えて,
緊急事態に対処するためにあらゆる資源を活用することができます。大きな問題が発生して大規模な支援を必要とすると
きには,個人や急ごしらえのグループでは力に限界があります。イエス・キリストに従う聖徒の共同体は,同はらから
である教会員だけでなく,世界中のできるだけ多くの人々の必要を満たすために組織されてい
るのです。

ダリン・H・オークス長老によると,この 1 年間に教会が行った人道的援助により,36 か国の 89 万人が飲料水を,57 か国の 7 万人が車いすを,25 か国の 7 万5,000 人が眼科治療を,52 か国の人々が自然災害後の支援を受けました。また教会は他の機関と協力して,約 800 万人の
子供たちに予防接種を,また,トルコ,レバノン,ヨルダンの難民キャンプにいるシリア人に生活必需品を提供しました。同
時に,教会員の中で困っている人々が,2012 年には数百万ドルを超える断食献金やその他の福祉支援を受けました。皆さんの惜しみない支援に感謝いたします。

これらすべての支援の中には,個人的に行われた親切や援助は含まれていません。
食べ物,衣類,お金,世話など様々な形で慰めや思いやりが示され,それによってわたしたちはキリストが行われた贖いにか
かわる働きを行っています。わたしは子供のころ,困っていたある女性を助ける母の行動を目にしました。何年も前,わたし
たちが幼いころ,母は命の危険にさらされる大手術を受けて,その後 1 年近く,ほとんど寝たきりの生活を余儀なくされました。
その間,親しんせきとワードの会員たちが母とわたしたち家族を助けてくれました。扶助
協会会長のエーブラハム姉妹は,家政婦を雇ってはどうかと勧めてくれました。

ワード内に仕事に就く必要のある姉妹がいると言うのです。この話に出てくる人については,匿名にしたいと思います。その
女性をサラ,娘をアニーと呼ぶことにしましょう。母は次のように記しています。
「昨日のことようにはっきりと思い出せます。ベッドで寝ていると,エーブラハム姉妹がサラを連れて来ました。わたしの
気持ちは沈みました。そこに立っていた女性は,みすぼらしく,やせて,服はぼろぼろで,髪はくしゃくしゃで,肩を丸め,うなだれて,床を見ていました。服はだぶだぶでした。うつむいたまま話す声は,小さすぎて聞き取れませんでした。彼女の後ろには,3 歳くらいの小さな女の子がいました。このような人にどう対応したらよいのでしょうか。彼女たちが部屋を出た後,わたしは涙に暮れました。助けが必要なのに,問題が来るなんて。エーブラハム姉妹はサラと一緒に残り,二人で掃除をして,おいしい食事を作ってくれました。

エーブラハム姉妹は『2 ,3 日試してみて。彼女はほんとうにつらい目に遭って,助けを必要としているのだから』と言いました。

翌朝サラが来ると,ベッドのそばまで来てもらいました。これで彼女の声が聞こえます。サラに用事を伝えた後で,言いました。『でもね,いちばん大切なのは子供たちの世話よ。一緒にいて,本を読んでやって。子供たちは家事よりも大切なの。』
サラは料理と掃除と洗濯が得意で,子供たちにも優しく接してくれました。

その数週間の間に,サラの身の上話を聞きました。〔難聴だったサラは,学校の成績が悪く,退学させられました。若くし
て結婚しましたが,相手は酒飲みでした。

アニーが生まれ,サラの生活に喜びがもたらされました。ところがある冬の晩,酔っ払って帰宅した夫が,サラとアニーを
寝間着のまま車に押し込み,道路のわきへ下ろして去ってしまったのです。その後二度と会うことはありませんでした。凍て
つく寒さの中,サラとアニーははだしで何キロも歩いて,実家にたどり着きました。〕

家事や料理,高校生の弟や妹の世話をするという条件で,母親は家に置いてくれました。

わたしたちはサラを耳鼻科医へ連れて行き,補聴器をつけてあげました。……

サラに成人教育を受けさせて,高校の卒業証明書を取得させました。それからサラは夜間学校へ通い,大学を卒業し,特殊学
校の教師になり,小さな家を買いました。

アニーの方は神殿で結婚し,二人の子供をもうけました。サラは耳の手術を受けて,ついによく聞こえるようになりました。
数年後,定年退職し,伝道に出ました。

……サラはわたしたちに度々感謝し,わたしから多くのことを学んだと言ってくれました。特に,子供たちは家事よりも大切
だとわたしが言ったことが忘れないでいてくれて,アニーにも同じようにするよう教えたと話してくれました。……サラはとて
も大切な人です。」

イエス・キリストの弟子としてわたしたちは,ほかの人を苦痛や重荷から贖うために最善を尽くす義務があります。しかし,
人を贖う最大の奉仕は,キリストのみもとへ導くことです。人を死と罪から救う主の贖いがなければ,社会的正義の福音しか
ありません。社会的正義はこの世的な助けと和解を与えますが,天の完全な正義と無限の憐れみを授ける力はありません。
究極的な贖いはイエス・キリストのみが成し遂げられるものです。へりくだり,感謝の念をもって,主が贖い主であると証します。
イエス・キリストの御
により,アーメン。
1. Merriam-Webster’s Collegiate Dictionary ,
第 10 版(1993 年),“redemptioner”の項
2. Merriam-Webster’s Collegiate Dictionary ,
第 3 版(1988 年),“redeem”の項
3.「神の御子は最初のとがを贖われ,それによって両親の罪がその子供たちの頭こうべに帰することはあり得ない。彼らは世の初めから罪がない。」
(モーセ 6:54) キリストの贖いにより,すべての人は墓から出て復活し,不死不滅になります。
さらに,すべての人は神の御
まえに連れ戻されて裁きを受けることにより,霊の死を克服します。
イエスはこのように言われました。「わたしは人々によって〔十字架に〕上げられたが,そのように人々は,父によって上げられてわたしの前に立ち,自分の行いが善いか悪いかによっ
て,行いを裁かれるのである。」(3 ニーファイ27:14) 罪から清められた人々は天の王国で神とともにとどまりますが,悔い改めずに清められていない人々は聖なる神とともに住むことはできません。裁きの後,彼らは御前から離れ,再び霊の死を受けるのです。これは時々,第二の死,すなわち霊の死を二度受けることだと言われます(ヒラマン 14:15 −18 参照)。
4. 聖文は贖いの恩恵を受けない人々について語っていますが,それはわたしたち自身の罪に関して語っているのです。「悪人はあたかも贖いがなかったかのような有ありさまであり,た
だ死の縄目からの解放だけがある。」(アルマ11:41) 「悔い改めを生じる信仰を少しも働かせない人は,正義を要求するすべての律法にこたえなければならない。したがって,偉大な永遠の贖いの計画は,悔い改めを生じる信仰のある人のためにだけ備えられている。」
(アルマ 34:16) もし人が救い主の贖いを拒むなら,自分自身で負債を正しく返済しなけ
ればなりません。イエスはこのように言われました。「見よ,神であるわたしは,すべての人
に代わってこれらの苦しみを負い,人々が悔い改めるならば苦しみを受けることのないよう
にした。しかし,もしも悔い改めなければ,彼らはわたしが苦しんだように必ず苦しむであ
ろう。」(教義と聖約 19:16 -17) 贖いを受けない人が罪のために受ける苦しみは地獄として知られています。それは悪魔に従うという意味であり,聖文には鎖で縛られることや,火と硫黄の池という比で説明されています。
リーハイは息子たちにキリストの贖いを選ぶように懇願しました。「肉の思いとその中に潜
む悪に従って,永遠の死を選んではならない。
肉の思いは,悪魔の霊に力を与え,あなたがたを捕らえて地獄に落とし,悪魔は彼自身の王
国であなたがたを支配するであろう。」(2 ニー
ファイ 2:29) ただし,たとえそうであっても,イエス・キリストの贖いのゆえに,地獄には終わりがあり,地獄を通ることを余儀なくされた人たちは,「最後の復活〔で〕悪魔から贖われ〔る〕」のです(教義と聖約 76:85)。比較的わずかの「滅びの子」は,「第二の死が何らかの〔永続的な〕力を持つ唯一の者であり,まことに,主の激しい怒りによる苦しみを受けた後も,主の定められたときに贖われない唯一の者」です(教義と聖約 76:32;37−38)。
5. 預言者ジョセフ・スミスはこう言って歓喜しました。「死者は,王なるインマヌエルに向かって永遠の賛美の歌を語り出しなさい。王なるインマヌエルは,わたしたちが死者を獄から
贖えるようにする方法を,世界が存在する前に定められました。獄にいる者たちは解放され
るのです。」(教義と聖約 128:22)
6. ヴィクトル・ユーゴー『レ・ミゼラブル(一)』
岩波文庫,豊島与志雄訳,193 -196 参照

【末日聖徒イエス・キリスト教会リアホナ2013 年 5 月 号 から、ご紹介しました。

良い1日をお祈りします。