伝道の書 第12章
12:1あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。
悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、
12:2また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。
-------------------
( 続 1日一生 内村鑑三 からご紹介します。)
世に恥ずかしきこととて、時間に裕取(ゆとり)を与えざりしがゆえに汽車に乗りおくれし場合のごときはない。
少し早く家を出れば、この恥を取らずして済んだのである。
そうして、あに、ただ汽車のみならんや。
人生全体がしかりである。
死の間際まで、これを迎うるの準備をなさずして、急いで準備に取り掛かるも、よし全然無効ならずとも、不完全なるはまぬかれない。
「 なんじの若き日に、なんじの造り主を覚えよ 」とあるはこれがためである。
死の準備に充分の裕取あらんためである。
多く遊んで急に働かんとするがゆえに急ぐのである。
常に少しづつ働いて、泰然としてすべての責任に応ずることができる。
人生は長くして短し。
おのが使命を果たすには充分である。
されども、使命以外の事をなさんと欲して、生命が百あっても足りない。
おのが使命を自覚して、ゆったりとしたる、充実せる生涯を送ることができる。
(信22・101)
-------------------
( 続 一日一生 は、昭和39年:1964年 初版が発行されています。)
編者は、山本泰次郎、武藤陽一
発行者は、中村義治
発行所は、株式会社 教文館 です。
-------------------
内村鑑三は、万延2年:1861年 〜 昭和5年:1930年の人です。
この文章は、詳しく調べたらわかるでしょうが、明治後期あるいは大正時代に書かれていると思います。
-------------------
※ 若い時、東京の青山や恵比寿の安いアパートに住んでいました。
ある時、聖書を読んでいて、これはこんな意味ではないかなと、感じる時がありました。
結婚してすぐ、仕事は、江東区に、自転車で通っていました。
山手線を斜めに横切れば、自転車で通える距離でした。
真ん中に、日比谷図書館がありました。
そこに、内村鑑三の全集が置いてありました。
その日、帰りにそこに寄って、調べてみました。
自分の感じたことが、内村鑑三の全集の中に、同じように書いてありました。
どの箇所だったかは、残念ながら、忘れてしまいました。
50年前のことです。
それからです。聖書の解釈にすっかりはまってしまい、現在もそうです。
聖書の勉強は、早朝の静かな、頭の透き通った時間が、深く読むことができます。