もはや,死もなく
ポール・V・ジョンソン長老 七十人

昨年の復活祭の時期,アリサが亡くなる1か月ほど前に,彼女はこう綴っています。
愛する人々の死を悼んだことのある全ての人にとって,復活は大きな希望の源です。
先週は復活祭でしたので,わたしたちは再び主イエス・キリストの贖いの犠牲と復活に心を向けたことでしょう。
この1年間,わたしは普段よりも復活について考え,思い巡らせてきました。
約1年前,娘のアリサが亡くなりました。
8年近くの間がんと闘った彼女は,数々の手術とさまざまな治療を受け,喜びの奇跡と深い落胆を幾度も繰り返しました。
現世の生涯の終わりが近づくにつれ,わたしたちはアリサの体調がどんどん悪化していく様子を目にしました。
愛くるしい目の小さな赤ん坊から,才気あふれるすてきな女性,妻,母親へと成長を遂げた大切な娘が衰弱していく姿を見て,胸が締めつけられる思いがしました。
わたしの心は張り裂けそうでした。

昨年の復活祭の時期,アリサが亡くなる1か月ほど前に,彼女はこう綴っています。
「復活祭はわたしのあらゆる希望の象徴です。
いつか自分が癒やされ,完全になり,いつか体内から金属やプラスチック部品がなくなり,いつかあらゆる恐れが消え,不安から解放されることを思い起こさせてくれるのです。
それが今すぐ実現するように願っているわけではありませんが,美しい来世の生活があることを信じていて本当に良かったと思います。」
イエス・キリストの復活は,まさにアリサが望んでいたことを確かなものとし,「〔わたしたち〕のうちにある望み〔のための〕説明」を一人一人の心に植え付けてくれます。
ゴードン・B・ヒンクレー大管長は,復活は「人類の歴史の中で最も大いなる出来事」だと語りました。
復活はイエス・キリストの贖罪によって実現し,偉大な救いの計画においてきわめて重要な出来事です。
わたしたちは天の両親の霊の子供です。
この地上に来たとき,わたしたちの霊は肉体と一つになりました。
わたしたちはこの世の生涯に関わるあらゆる喜びや困難を経験します。
人が死ぬと,霊は肉体から離れます。
復活によって,人の霊と肉体は再び一つになることができ,しかも今度は不死不滅の完全な肉体で,痛みや病気を味わったり,その他の問題にさらされることはないのです。
復活した後,霊が再び肉体を離れることはありません。
救い主の復活が完全に死に打ち勝ったからです。
わたしたちが永遠の目的を達成するには,この不死不滅の命―霊と肉体の両方が永遠に一つとなること―が必要なのです。
霊と不死不滅の体が分離しないように完全に結合すると,「満ちみちる喜びを受ける」ことができます。
実際のところ,復活がなければ,わたしたちは満ちみちる喜びを受けることはなく,永遠に惨めな状態となります。
忠実で義にかなった人々でさえ,肉体と霊が分離した状態を囚われの状態と考えています。
わたしたちは復活を通してこの囚われの状態から解き放たれます。
つまり,死の縄目または鎖から贖われるのです。
霊と肉体の両方がなければ,わたしたちは救われません。
わたしたちは誰しも肉体的,精神的,情緒的な限界や弱さを抱えています。
このような試練―今はとても手に負えないように思える幾つかの問題も,いつかは解決します。
復活した後は,このような問題に悩まされることはありません。
アリサは自分と同じがんの患者の生存率を調べましたが,がっかりするような数字でした。
彼女はこうつづっています。
「でも,治すすべはあるので怖くはありません。
イエスは既にわたしや皆さんのがんを治してくださいました。……
必ず治るのです。
それを知っていてよかったです。」
「がん」という言葉の代わりに,わたしたちが直面するその他の肉体的,精神的,情緒的な病名を入れることができます。
復活のおかげで,そのような病気も既に治っているのです。
復活の奇跡,つまり完全な治癒は現代医学の力では及びませんが,神の力に及ばないことではありません。
救い主が復活され,わたしたち一人一人にも復活をもたらしてくださるので,完全に癒やされることが可能であるとわたしたちは知っているのです。
救い主の復活は,主が神の御子であり,その教えが真実であることを証明しています。
主は「かねて言われたとおりに,よみがえられた」のです。
主が不死不滅の体をまとって墓からおいでになったこと以上に,主の神性を示す証拠はありません。
わたしたちは,新約時代に主の復活を目撃した人々の証言を知っています。
福音書に書かれている男女に加え,新約聖書には,復活された主を数百人が実際に目にしたと書かれています。
モルモン書にも,さらに数百人が主を見たと記録されています。
「そこで群衆は進み出て,主のわきに手を差し入れ……た。
彼らは……自分の目で見,自分の手で触れ,この御方が,将来来られると預言者たちによって書き記された主であられることを,確かに知って証した。」
これら古代の証人に加えて,この末日にも証人となった人々がいます。
実に,この神権時代の幕開けにおいて,ジョセフ・スミスは御父とともに現れた復活された救い主にまみえました。
生ける預言者や使徒は,キリストが復活され,生きておられることが現実のものであると証してきました。
ですから,「わたしたちは,このような多くの証人に雲のように囲まれている」と言うことができます。
また,わたしたち一人一人も,復活祭で祝う出来事が本当に起こったこと,つまり実際に主が復活されたことを聖霊の力によって知ることができ,この雲のように取り囲む証人の一人となることができるのです。
救い主の復活という事実によって,わたしたちの悲嘆に暮れた心には希望が押し寄せます。
なぜなら,主の復活によって,福音の他の全ての約束,すなわち復活と同じくらい奇跡的な約束ですら全て実現するという確信が得られるからです。
わたしたちは,主がわたしたちの全ての罪を清める力を持っておられることを知っています。
主はわたしたちが経験する,あらゆる苦痛と苦難と不平等を御自身に受けられたことを知っています。
わたしたちは,主が「御自分の翼にある癒しによって死者の中からよみがえられ〔た〕」ことを知っています。
わたしたちの中で何が壊れようと,主はそれを完全に戻すことがおできになるのです。
わたしたちは,主が「〔わたしたち〕の目から涙を全くぬぐいとって下さ〔り,〕もはや,死もなく,悲しみも,叫びも,痛みもな〔くなる〕」ことを知っています。
信仰を持ち,主に従うなら,わたしたちは「この完全な贖罪を成し遂げられた……イエスを通じて完全な者とされ〔る〕」ことが可能であると知っているのです。
ヘンデルは霊感あふれるオラトリオ〔訳注―宗教的な楽曲〕「メサイア」の終盤,復活への喜びをうたう使徒パウロの言葉に美しい音楽をつけました。
「ここで,あなたがたに奥義を告げよう。
わたしたちすべては,眠り続けるのではない。
終りのラッパの響きと共に,またたく間に,一瞬にして変えられる。
というのは,ラッパが響いて,死人は朽ちない者によみがえらされ,わたしたちは変えられるのである。
なぜなら,この朽ちるものは必ず朽ちないものを着,この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
……〔そして〕聖書に書いてある言葉が成就するのである。
『死は勝利にのまれてしまった。 死よ,おまえの勝利は,どこにあるのか。死よ,おまえのとげは,どこにあるのか。』……
しかし感謝すべきことには,神はわたしたちの主イエス・キリストによって,わたしたちに勝利を賜わったのである。」
わたしは,主イエス・キリストの贖罪と復活によって与えられている祝福に感謝しています。
子供を墓に横たえ,伴侶のひつぎを前に涙し,親や愛する誰かの死を悼んだことのある全ての人にとって,復活は大きな希望の源です。
霊としてではなく,復活した肉体を持って愛する人々と再会することは,何と力強い経験になることでしょう。
わたしは母と再会し,母の優しい手の感触を感じ,愛情深いまなざしを見たくてたまりません。
父のほほえみを見,笑い声を聞き,父の復活した完全な姿を目にしたいです。
また,わたしは信仰の目を通して,アリサがこの世の煩いや死のとげの及ばない状態―すなわち復活し,完全にされ,栄光にあふれ,喜びに満ちているアリサの姿を思い描くことができます。
数年前の復活祭に,アリサは次の簡潔な言葉を記しました。
「主の名によって受ける命。
本当に大きな希望。
いつでも。
全てのことを通して。
それを思い起こさせてくれる復活祭が大好き。」
わたしは,復活が現実のものであることを証します。
イエス・キリストは生きておられ,主のおかげで,わたしたちは皆再び生きることができるのです。
イエス・キリストの御名により,アーメン。
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このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2016年4月の総大会からご紹介しました。