デビッド・O・マッケイの教え
わたしたちは肉と霊という
二つの対照的な性質を持っている
人は二面的な存在であり,人生は神が計画されたものです。これは心に留めておかなければならない大切な基本的事実です。人は肉体と霊体を持っています。
聖文はこの事実をきわめて明確に述べて
います。
「神々は土のちりで人を形造り,彼の霊(すなわち,人の霊)を取ってそれを彼の中に入れられた。そして,命の息をその鼻に吹き入れられると,人は生けるものとなった。」〔アブラハム5:7〕
したがって,人の体は霊が宿る幕屋にすぎません。非常に多くの人々,それもきわめて多くの人々が,体を人そのものであると考え,その結果,体の楽しみや欲求,望み,熱情を満たそうと努める傾向にあります。人の本質は不死不滅の霊つまり肉体が与えられるまで一個の存在として生きていた「英知すなわち真理の光」であること〔教義と聖約93:29参照〕,そしてこの霊の存在は肉体がこの世を去った後もそのあらゆる固有の特質とともに存在し続けることを知らない人があまりにも多すぎます。救い主はこのように言われました。
「わたしは父から出てこの世にきたが,またこの世を去って,父のみもとに行くのであるo」(ヨハネ16:28)
キリストの前世の霊が骨肉の体に宿られたように,あらゆる人の前世の霊はこの世に生まれて骨肉の体を得ます。これが命の第1の基本的な真理であることを心に留めておいてください。
そこで問題となるのは,「物質的な満足を得ることと,霊性を伸ばすことのどちらがいっそう豊かな命をもたらすかということです。これは重大な問題ではないでしょうか。」3
肉体の欲望を満たすことは一時的な満足でしかなく,不幸や苦悩,時には堕落を招くことがあります。これに対して,需的な成長は「悔いることのない喜び」を与えてくれます。
パウロはガラテヤ人への手紙の中で,「肉の働き」と呼ぶものと みたま
「御霊の実」を具体的に挙げています。この分類に注目してください。肉の働きはこのような形で表れます。
「..….不品行,汚れ,好色,偶像礼拝,まじない,敵意,争い,そねみ,怒り,党派心,分裂,分派,ねたみ,泥酔,宴楽,および,そのたく、いである。わたしは以前も言ったように,今も前もって言っておく。このようなことを行う者は,神の国をつく’ことがない。
しかし,御霊の実は,愛,喜び,平和,寛容,慈愛,善意,忠実,柔和,自制であって,これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は,白分の肉を,その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
もしわたしたちが御霊によって生きるのなら,また御霊によって進もうではないか。」(ガラテヤ5:19-25)
動物のような生活よりも高度の生活があるのです。それは霊的な領域であって,そこには人の持つ神に最も近い特質である愛が存在します。また,同情,親切,そのほかの特質が存在します。
〔人〕はその内に,自らの弱さを克服し,環境を制御し,肉体その他のあらゆる物質的な事柄を統御し,より高くよりすばらしい世界で生きるよう駆り立てる力を持っています。
人には単に動物として生きるよりもはるかに大きな使命があります。それは霊的な特質です。それを感じ取った人は,男女を問わずだれでも、人は二面性を持った存在であるという証を自分自身で持ちます。人はほかのすべての動物と同じように肉体を持っています。
しかし,人は,天の御父からしか得ることのできないものを持っています。わたしたちと父なる神とその御子イエス.キリストの間の仲介者である聖霊を通して,天の親から与えられるささやきを感じ,力を受ける権利を持っています。
人生は二つの性質のいずれに従い,発達させるかを試すものである
人はこの世にいる間,物質的な慰めと満足を得ることに力と心と思いを向けるか,あるいは霊的な特性を身に付けるために人生を送るかを試されているのです。
すべての気高い思い,利己的でない愛の表れ,正しいことのために雄々しく受ける苦難,自分自身よりも高いものに自らをゆだねる心,理想に忠実に歩む心,原則に心から従うこと,人類への貢献,
自制心,見せかけや策略にひるまない勇気,正しく生きること,善い行い,好ましい生活,これが霊性です。
だれでも,人を前進させ高めようとする神聖な力を内に秘めています。この内に秘めた力は,神から来る霊であるとわたしたちは信じています。この地上へ来る前には前世があり,人は内に宿る霊を
完成するために,現在地上にいるのです。生活していて時折,神と交わりたいという欲求を自覚することがあります。人の霊が神を求めるのです。このような感情は万人に共通であり,すべての人は,深遠な真理の中で,霊的な平安と自由を追求し増し加えるという偉大な業に取り組むべきです。
わたしたちには,動物として物質的な世界に生きるか,神の前に戻るためにこの地上にあるものを霊的な世界で生きる手段として活用するかの選択肢が与えられています。
これは具体的に次のようなことを意味しています。
利己心に従うか,あるいは人の益のために自分を抑えるか。
欲望〔と〕情欲のとりこになるか,あるいは慎みと自制をはぐくむか。
不道徳を選ぶか,貞潔を選ぶか。
憎しみを募らせるか,愛をはぐくむか。
冷酷であるか,親切であるか。
悲観的か,楽天的つまり希望を持つか。
背信的であるか,つまり愛してくれる人々や自分の国,教会,神に対して不誠実であるか,あるいは誠実であるか。
人をだますか,あるいは正直に約束を守るか。
人を中傷するか,あるいは舌を制するか。
人がいわゆる動物界にとどまり,動物界がもたらすものだけで満足し,努力せず欲望と激情の赴くままに放縦の域にだんだんと身を落としていくか,あるいは逆に,自制を通して,知的,道徳的,霊
的な喜びを求めて自分自身を高めるかは,人生で本人が行う毎日の,いや,時々刻々の選択にかかっているのです。
人間としての尊厳をまとい,動物には識別できない領域にまで上ることができると知りながら,道徳規範に従うことによって得られる善良さ,清さ,自制,信仰の喜びを味わうために何の努力もせず
に、ただ動物的本能に従うだけで満足することは,人間として何と恥ずべきことでしょう。「ただ少しく人を神よりも低く造って,栄えと誉とをこうむ」っているにもかかわらず(詩篇8:5)、動物
の水準まで自分を引き下げている人は,何と惨めなことでしょうか。
地球はそのすべての威厳と驚異をもってしても,創造の最終的な目的にはなりません。「わたしの栄光」は「人の不死不滅と永遠の命をもたらす」ことであると主は述べておられます(モーセl:39)。
人は選択の自由という神から与えられた賜物を使うことによって,自分に課せられている義務を悟り,この神聖な目的を果たされる創造主を助ける義務があることに気づかなければなりません。
人生の真の目的は単に存在することでも,楽しむことでも.名声を得ることでも,金持ちになることでもありません。人生の真の目的は,神の霊感による導きを受けて,個々の努力を積み重ねること
により,人間性を完成の域にまで高めることです。
真の人生は,わたしたちの内にある最善のものにこたえることです。欲望,快楽,面目,金もうけだけのために生きて,善意や潮切,清さ,愛,詩,音楽,草花,星,神と永遠への希望を大切にしない人は,生きる真の喜びを自分から拒んでいるのです。
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※本日は、ここまでです。お読みいただいてありがとうざいます。赤字は追加しています。
良い1日をお祈りします。
2021年5月19日
http://www.jhf.or.jp/publish/upload_images/28%E5%9B%9E%E5%9B%B3%E6%96%B0%EF%BC%92.jpg
このように欧州が新約聖書を盾にして好む動物食は心臓に
毒を積み込みますが、肺でも同じことです。
https://www.all-creatures.org/mfz/health-cancer-veg-lung.gif
(動物性脂肪 - 肺癌)
50~65歳の中高年層における動物性タンパク質の多量摂取は、死亡率を大幅に上昇させる
http://www5f.biglobe.ne.jp/~hni/n-topics/year_on_year/epi_topics2014/epi140427-100.htm
肉や砂糖など美味しい物ほど害があり、人類は野菜を食べねば健康になれない仕様のようです。
“動物的喜び”にいそしんでいるのはキリスト教徒ではありませんか?
パウロも初期の異端にすぎず(原始教団は彼を異端視したとされる)
そのイカサマな言葉を盾に動物の命をオモチャにしているキリスト教こそ神の教育など受けられていない。
仏教の方がキリストの教えに近くありませんか?
コメントありがとうざいます。詳細調べるお時間ください。私も、ベジタリアンです。肉は、食べません。今から、さつまいも苗植え付けに行きますので、少しお時間ください。お読みいただいて、ありがとうございます。
末日聖徒イエス・キリスト教会の聖典の1つ「教義と聖約」89章
10 節さらにまた、まことに、わたしはあなたがたに言う。神は健康に良いすべての草を、人間の体質、体力、利用のために定めた。
11 節すなわち、それぞれの季節のあらゆる草と、それぞれの季節のあらゆる果実、これらはすべて、思慮分別と感謝をもって用いるべきものである。
12 節まことに、獣の肉と空の鳥の肉もまた、主なるわたしは、人間が感謝をもって用いるために定めた。しかしながら、これらは控めに用いなければならない。
13 節冬季や寒いときや飢饉のときのほか、これらを用いないことがわたしの心にかなう。
野菜、果物は奨励されています。肉は、控えめにと制限されています。
原始キリスト教については、勉強していません。仏教の教えが、正しいと考えておられることは、尊重します。どの宗派の方とも、仲良く信仰生活を送りたいと思います。共に、頑張りましょう。コメントありがとうございました。