( 前略 )
過越の祭の重要性についても,簡単に振り返ってみましょう。
過越の祭は,イスラエルの民が 400 年の束縛から解放されたことを記念するものです。
出エジプト記によれば,この解放は,かえる,ぶよ,あぶ,家畜の死,うみの出るはれもの,雹、火,いなご,濃い暗闇などの災いの後に実現しました。
最後の災いは,国中の長子の命を脅かすものでしたが,イスラエルの民は,傷のない初子の小羊の血を入口のかもいと柱に塗ることにより,それを免れられるというものでした。
死の天使は,象徴的に小羊の血を塗った家を過ぎ越しました。
その過越は,最終的に死を克服されたイエス・キリストを象徴しています。
実際,神の小羊の贖いの血は,あらゆる場所と環境にいる主の民を幕の両側の主の群れに集めるため,「良い羊飼い」に力を与えてくれるのです。
モルモン書は,復活祭の本質である「キリストの力と復活」 を,二つの回復という観点から説明しています。
最初の回復には体が「手足と関節」,「髪の毛一筋さえも失われることなく,……本来の完全な造りに……〔な〕る」という身体的な回復が含まれます。
この約束は,体の不自由な人,つまり視力や聴力や歩行能力を失った人,また生活能力を奪う身体的および精神的疾患,その他の能力の低下に耐えてきた人に希望を与えます。
主はわたしたちを見つけて,完
全な状態にしてくださいます。
復活祭と主の贖罪の二つ目の約束は,霊的な面で「すべてのもの〔が〕ふさわしい状態に回復され」ることです。
この霊的な回復には,わたしたちの行いと願いが反映されます。
それは水の上に投げら れ た パ ン のようで あり,「善」と「義」,「公正」,「憐れみ」に回復するということです。
預言者アルマが「回復」という言葉を 22 回使って 「公正に振る舞い,義にかなって裁き,絶えず善を行いなさい」と強く勧めたのも,驚くに当たりません。
「神は……御自分で世の罪の贖いをされるので」, 主の贖罪は,以前の状態に戻すだけでなく,なるべき状態にしてくれるのです。
主はわたしたちの「あらゆる苦痛と苦難と試練……と病」と誘惑を御存じです。
主の心は憐れみで満たされており,わたしたちの弱さに応じて助けてくださいます。
御自身が「完全で公正な神,憐れみ深い神」であられるので,神の憐れみの計画は「正義の要求を満たす」ことができるのです。
わたしたちは悔い改めて,できることをすべて行います。
主は,わたしたちを「愛の御腕」で永遠に抱いてくださるのです。
( 後略 )
(「ホサナ,ハレルヤ—生けるイエス・キリスト:回復と復活祭の中心」『リアホナ』2020年5月号,54) から、ご紹介しました。
赤字は、付加しています。
画像は、ScripturePlusから引用しました。
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