イエス・キリストの福音をご紹介します。

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イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。

2021-06-16 05:18:47 | 日記
ルカによる福音ふくいんしょ
18章



1 また、イエスは失望しつぼうせずにつねいのるべきことを、人々ひとびとたとえおしえられた。

2 「あるまちに、かみおそれず、ひとひとともおもわぬ裁判官さいばんかんがいた。

3 ところが、そのおなまちにひとりのやもめがいて、かれのもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしをうったえるものをさばいて、わたしをまもってください』とねがいつづけた。

4 かれはしばらくのあいだききれないでいたが、そののち、こころのうちでかんがえた、『わたしはかみをもおそれず、ひとひとともおもわないが、

5 このやもめがわたしに面倒めんどうをかけるから、彼女かのじょのためになる裁判さいばんをしてやろう。そうしたら、えずやってきてわたしをなやますことがなくなるだろう』」。

6 そこでしゅわれた、「この不義ふぎ裁判官さいばんかんっていることをいたか。

7 ましてかみは、日夜にちやさけもとめる選民せんみんのために、ただしいさばきをしてくださらずにながあいだそのままにしておかれることがあろうか。
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( 内村鑑三 著 『 一日一生 』383ページ
教文館発行 )から、ご紹介します。

信仰の生涯は外面の無事平穏なるに対して、内部は多事動揺の生涯である。
神を信じ、彼の黙示に接し、彼の約束に与り、しかもその約束の速かに実行せられざるより、ある時は彼をうたがい、時にあるいは全く彼と離絶せんとする。
ここに忍耐の必要が起こり、信じがたきを信じ、望みがたきを望む。
時には聴かれざる祈祷に信仰の根底を挫(くじ)かれ、時には懐疑の雲に希望の空をおおわる。
ひとり泣き、ひとり叫び、ひとり祈る。
かくしてわれは数年、または数十年を経過せざるをえず。
されども見よ、時いたれば天開け、わが眼はそこにわが故郷を見るに至る。
神はわが父となりて、われは彼の子と称せらる。
世は外に拡張しつつありし間に、われは内に穿(うが)ちつつあったのである。
われはついに生命(いのち)の水に掘りあてた。
流れて永生(かぎりなきいのち)に至るの泉は、わがうちよりほとばしるにいたったのである。
( 以上 )

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※さつまいもの苗を作ってみました。
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ここは、芽が出ないと思っていました。
待つことは、大切ですね。
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※今日もお読みいただいて感謝します。
忍耐強く待てる1日となりますように。
2021年6月16日(水)








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