イエス・キリストの福音をご紹介します。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

からだのうちで他よりも弱く見える肢体が、かえって必要

2021-06-18 05:26:51 | 日記
コリントびとへのだい一の手紙てがみ
12章
21 にむかって、「おまえはいらない」とはえず、またあたまあしにむかって、「おまえはいらない」ともえない。

22 そうではなく、むしろ、からだのうちでほかよりもよわえる肢体したいが、かえって必要ひつようなのであり、

23 からだのうちで、ほかよりもおとりがするとおもえるところに、ものをせていっそうよくする。うるわしくない部分ぶぶんはいっそううるわしくするが、

24 うるわしい部分ぶぶんはそうする必要ひつようがない。かみおとっている部分ぶぶんをいっそうよくして、からだに調和ちょうわをおあたえになったのである。

25 それは、からだのなか分裂ぶんれつがなく、それぞれの肢体したいたがいにいたわりうためなのである。

26 もし一つの肢体したいなやめば、ほかの肢体したいもみなともなやみ、一つの肢体したいたっとばれると、ほかの肢体したいもみなともよろこぶ。

27 あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体したいである。
------------------------------------
※ この聖句について、どのように感じられましたか?


『 貧しい小さい者 』
ホルヘ・T・ベセラ長老
七十人
各ワードや支部では,すべての人が必要なのです。強い人も苦労している人も,全員が欠かせません

(2021年4月の末日聖徒イエス・キリスト教会の総大会のお話しの中で、ベセラ長老は、この聖句について次のように話されています。抜粋して引用します。)
------------------------
したがって,各ワードや支部ではすべての人が必要なのです。強い人も苦労している人も必要です。
「キリストのからだ」全体を教化するためにはすべての人が必要不可欠です。
わたしたちの様々なワードや支部において,わたしたちを強めて完全なものとしてくれる人がだれか欠けていないかと考えることがよくあります。
D・トッド・クリストファーソン長老は,こう教えています。
「教会の中で,わたしたちは神の教義を学ぶだけでなく,それを応用しています。
……キリストのからだとして,教会の会員は日々の現実の生活の中で互いに仕えています。
皆不完全です。
キリストのからだの中で,理論や美辞麗句を超えて,『ともに愛をもって生活する』ようになるために(教義と聖約42:45),現実の,直接的な経験をしなければなりません。」
( 「なぜ教会が」『リアホナ』2015年11月号,108-109)



1849年,ブリガム・ヤングは,預言者ジョセフ・スミスが大きな羊と山羊の群れを導いている夢を見ました。
大きく美しいものもいれば,小さく汚れているものもいました。
ブリガム・ヤングは預言者ジョセフ・スミスの目を見てこう言いました。
「ジョセフ,あなたはひどく変わった群れを飼っていますね。……このような群れを見たことがありません。どうするつもりなのですか。」
預言者は,群れのまとまりのなさを気に留める様子を見せずに,ただこう言いました。
「それぞれにふさわしい役目があります。」
ヤング大管長は目覚めたとき,自分の責任は,教会が集めた多様な「羊と山羊」をすべて迎え入れ,教会の中のそれぞれの場所において彼らが能力を最大限に発揮できるようにすることだと理解しました。
(Adapted from Ronald W. Walker, “Brigham Young: Student of the Prophet,” Ensign, Feb. 1998, 56–57.)
--------------------
※本日もお読みいただいてありがとうざいます。
社会には、強い人もいます。弱く見える人もいます。
イエス・キリストにお会いして、現世で何をしてきたか報告する時がきます。
愛の深さを問われるのです。
どれだけ周りの人々に親切にできたか、問われるのです。
その試しのために、弱く見える人々が周りに置かれているのです。
決して高慢になってはいけません。与えられている才能は、仕えあうためにあるのです。
イエス・キリストの模範に従って、人々につかえるのです。
この世で生きている意味は、ここにあります。
このように思います。
2021年6月18日(金)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿