Notice the verb tenses in verse 36: all the verbs are in the present.
36節の動詞の時制について見てください。全ての動詞が現在形です。
This is an example of what we call realized eschatology, wherein the effects of God’s final judgment and vindication are realized in the present (the Greek word eschaton means “the end,” as in “end times” or the “end of days”).
これは、私たちが終末論と理解して読んでいます。そこでは、神さまの最後の審判や恵の影響は、現在形で理解されています。( ギリシア語の eschatonは、最後の時または、最後の時代の最後 を意味しています。)
The “wrath of God” is not about to come upon the disbeliever;
神の怒りは信じないものに下ろうとしているのではありません。
it is already here and “abideth on him.”
それは、すでにここで、彼の上にあるのです。
Conversely, the one who “believeth on the Son” is not going to inherit “everlasting life” at some future time but rather already has it.
反対に、御子を信じる者は、いつか将来に永遠の命を受け継ぐのではなく、むしろすでにそれを得ているのです。
Realized eschatology has a place in modern revelation as well (see Doctrine and Covenants 132:29), and we should not doubt the Lord’s ability to provide His help, aid, and grace throughout the process of our mortal struggles.
終末論は、教義と誓約132:29のように現代の啓示で理解されていますが、私たちは、主の力は、私たちの現世での戦いの過程の中で助けと援助と恵みを与えてくださることを疑っていません。
※翻訳は、拙訳です。もっと素晴らしい訳があると思います。
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