

道 ローレンス・E・コーブリッジ長老 七十人
(後半部分をご紹介します。)
わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽い 世間で最も広く通用している魅力的な人生哲学は,「自分の人生は自分自身で好きなようにすればよいのであって,他人に指図されない」というものです。しかし,主は言われました。「わたしは道であ〔る〕」,「わたしに従ってきなさい。」「あなたがたはどのような人物であるべきか。まことに,あなたがたに言う。わたしのようでなければならない。」 不可能だと思わないでください。主の標準は,わたしたちにはとうてい到達できないほどきわめて高いため,実際には主に従うことはできないと考えがちですが,それは誤りです。少なくとも現在は,あまりにも困難で高く,能力を超えていると思うかもしれません。そのような考えを持ってはいけません。確かに主の標準は最高の標準ですが,最も能力の高いえり抜きのわずかな人だけしか到達できないとは考えないでください。 このような考えは,人生経験から誤って導き出された結論です。この世の経験によれば,人間のどんな試みであろうと最も優れた業績を残すことはいつも困難です。それゆえ,最も能力のあるえり抜きのわずかな人だけしか達成できません。標準が高くなればなるほど,達成できる人は少なくなります。 しかし,それはここでは当てはまりません。なぜなら,この世におけるいかなる経験とも異なり,この業は人間の努力による業ではなく,神の業だからです。神の業,すなわち「人の不死不滅と永遠の命をもたらす」神の栄光なのです。このようなものはほかに何もありません。いかなる場所や時代にもありません。 かつて人が考えたいかなる取り組み,機構,計画,事業,制度の中にも,人を罪から救い,人生を変えるイエス・キリストの贖いの力と聖霊の賜物を授けてくれるものはほかにありません。ですから,主に従うようにという主の招きは最高の標準ですが,だれにでも達成できるものです。わたしたちにその力があるからではなく,主がその力を持っておられ,わたしたちにもできるように助けてくださるからです。「わたしたちは,キリストの贖罪により,全人類は福音の律法と儀式に従うことによって救われ得ると信じ」ています。 主の道は困難ではありません。人生は困難ですが,福音はそうではありません。どこでも,まただれにとっても,「すべての事物には反対のものがなければならない」のです。人生はだれにとっても困難ですが,また簡潔でもあります。選択肢が二つあるのみです。一つは,主に従い,主の力を授かり,平安,光,強さ,知識,確信,導き,愛,喜びを得る道です。もう一つは,どのような道であれほかの方向へ進み,主の支えや力,導きを受けずに,混乱と疑惑,悲痛と絶望の中を孤独に生きる道です。どちらの道がたやすいでしょうか。 主は言われました。「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 ……わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである。」

人生は困難ですが,簡潔です。道をそれず,どんなことがあっても決してあきらめてはいけません。あきらめる必要はないのです。ひたすら前へ進むのです。あきらめなければ,きっとうまくいきます。 幸福と充足感を得る道はただ一つです。イエス・キリストがその道です。ほかの道は,どのような道であれ,狂気と錯乱に満ちています。 主イエス・キリストは生ける神の御子であり,命のパン,真理,よみがえり,そして命,救い主であり世の光であられると証します。主は道であり,唯一の道です。 主に従う方法をよく知ることができますように。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。
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ローレンス・E・コーブリッジ「道」『リアホナ』2008年11月号から、ご紹介しました。
前回もご紹介しています。
赤字は、追加しています。
画像は、「わたしに従って来なさい」から、引用しています。
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