ヨハネによる福音書
9章
1 イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
2 弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか。
3 イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。
4 わたしたちは、わたしをつかわされたかたのわざを、昼の間にしなければならない。夜が来る。すると、だれも働けなくなる。
5 わたしは、この世にいる間は、世の光である」。
6 イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、どろをつくり、そのどろを盲人の目に塗って言われた、
7 「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。
8 近所の人々や、彼がもと、こじきであったのを見知っていた人々が言った、「この人は、すわってこじきをしていた者ではないか」。
9 ある人々は「その人だ」と言い、他の人々は「いや、ただあの人に似ているだけだ」と言った。しかし、本人は「わたしがそれだ」と言った。
10 そこで人々は彼に言った、「では、おまえの目はどうしてあいたのか」。
11 彼は答えた、「イエスというかたが、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」。
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ここ聖句について、どのように感じられましたか?
※チェコ・N・岡崎姉妹は、次のように説かれています。
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『 つ ば き と泥 ,そ して 「気 が つ く」 』
中央扶助協会会長会第一副会長
チエコ ・N・ 岡崎
私たちは組織されたグループとして
また小さなグループや非公式なグループとして働くときに、偉大な業を行うことができます。たとえ自分ひとりだけでも奉仕したいと心から望むなら、それは可能です。
(1992年4月の末日聖徒イエス・キリスト教会の総大会の説教の中のお話しです。)
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愛す る姉 妹 の皆 さん, ア ローハ!
この歴 史的 な節 目 に, 皆様 と共
に集 え る こ とを大 変 うれ し く思 い ます。
150年 にわ た る末 日聖 徒 の 姉 妹 た ち の奉 仕, 愛, そ して努力 の成果 を私 たちは, こ こに祝 って い ま す。
今 か ら150年 後 の姉妹 たちが この 日 を振 り返 って「1992年 は,天 使 が姉 妹 た ち と手 を取り合 って奉 仕 の業 を行 な っ た年」 と言って くれ る よ うにな る こ とを願 って います。
愛 す る姉 妹 の皆 さん,私 たちが 主役
なの です。 天使 につ いて の この予 言 をし た の は ジ ョセ フ ・ス ミス で した。(「教 会 歴史 」4:605参 照)
一 人 一人 の霊性 を高 め,私 たち姉 妹が 心 をひ とつに して, キ リス トの よ うな愛 を もっ て人 々 に奉 仕 す る こ とによ り, この予 言を実現 させ よ うで はあ りませ ん か。
き ょう は, 奉仕 につ いて お話 しし ま
す。
そ の前 に,大 切 な 日本 語 をひ とつ
紹 介 したい と思 い ます。
そ れ は 「気 がつ く」 とい う言葉 で す。
「気 が つ く」 とは 「何 をす べ きか言
わ れ る前 に行 動 す る心 構 え」 を意 味 します。
第1に ,私 た ち は組 織 され たグル ー プ と して働 く ときに, 偉 大 な業 を
行 な う こ とが で き ます 。
扶 助 協 会 の150年 の 歴 史 が, それ を物 語 っ て い ます 。
コ ロラ ド州 デ ンバ ー の あ るステ ー
キ部 で は, 暖 か く肌 ざわ りの良 いキ ルトを何 十枚 も作 って, ホーム レスの人や援 助 を必 要 と して い る人 々 に寄付 して い ます。
第2に ,小 さな グルー プでも,非 公式 なグル ー プで もす ば ら しい業 を なす ことがで きます。
中央 扶助 協会 管理 会 は, ボ ラ ンテ ィア活動 で ごみだ らけのハ イ ウエ ー を掃除 し ましたが ,作業 を終 えた時 , わず か な時 間で大 きな成 果 が得 られ る こ とを知 りま した。
第3に , 自分 ひ とりだ けで も,奉 仕 した い と心か ら望 む な ら大 きな業 をなすこ とが で き ます。
南 ア フ リカ の ジュ リア ・マ ー ビ ンベ ラ姉 妹 は, 住 む所 さ えな い よ うな子 供 た ち に菜 園 を作 って土地 を活 用す る ことを教 えて い ます。
一人 一 人 の心 の 内 にあ る望 み が, 小 さな奉 仕 を行 な う源 とな る だ け で な く,人 々 の生 活 を変 える よ うな大 きな運 動や改 革 の原動 力 とな ります 。
皆 さん もそ の力 を持 って い るの です 。
皆 さん は今 マ ッ トの上 に座 ってお ら
れ ますか 。
それ とも きれ い なベ ンチ でしょ うか 。
サ リー を着 てい ますか 。
スー ツで し ょうか。
私 の話 を英語 で聞 いて い ます か。
それ とも タガ ロ グ語(フィ リピ ン の公 用 語)で し よ うか。
このよ うな違 い は, どうで もよい こ とです。
ただ心 か ら話 す私 の言 葉 に耳 を傾 けてほ しいの です 。
善 を行 ない たい とい うあな た 自身 の望 みか ら, わ き出 る力 を感 じて ほ しいの です。
幼 い こ ろ, 私 は母 か ら 「気 がつ く」人 にな りな さい としつ け られ ました。
母 は床 を掃 きなが ら言 い ま した。 「チエ コ,気 が つ く子 は今 ど うす るか しら。」
私 は走 って行 っ て ち り取 りを取って来 た もの です。
次 の よ うなす ば らしい聖 句 を読 ん だ時, あ の母 の言葉 を思 い出 しま した。
なん じ 「われ 誠 に汝 らに告 ぐ, 〔汝 ら〕 は努 よめ て善 き業 に従 い, 多 くの事 をそ の 自由意 志 に よ りて為 し, 多 くの正 し き事を為 し遂 げ よ。
そは 〔汝 ら〕 自 らの中に自由 の意 志 あ りて己 れ の事 を 自 ら為す者 な れ ばな り。」(教 義 と聖 約58:27-28)
皆 さ ん に は力 が あ り ます。
「多 くの事 をそ の 自由意 志 に よ りて為 す 」 この力 は, どこか ら来 るの で し ょうか。
それ は,救 い 主 ご 自身 か らなので す。
主に仕 えたい とい う, 皆 さん の心 に あ る望 み を感 じて くだ さい。
皆 さん に は選択 の力が あ る こ とを思 い起 こし まし ょう。
イ エ スが盲 人 を癒 された の を覚 えてお られ るで し ょう。
イ エス は地 につばを吐 き, そ の泥 を盲人 の 目に塗 って言われ ま した。
「シ ロ アム の池 に行 っ て〔顔 を〕 洗 い な さ い。」(ヨ ハ ネ9:17参 照)
姉妹 の皆 さん, この物語 に は奉 仕 に
つい て の教訓 が含 まれ てい ます。
第1に, イエ ス とこの盲人 は約 束 を作 って会 ったわ けで はなか っ た とい う ことです 。
偶 然 に 出会 った にす ぎませ んで し
た。
皆 さん も,毎 日の生活 の中 で小 さ
な奉 仕 の機 会 を見 い だ して くだ さい。
第2に , イエ ス はそ の人 が必 要 と し
てい る もの に気が つ きま した。
とき として, 私 た ち はプ ログ ラム に 目を向 けるあ ま り,個 人 をない が し ろにす る ことが あ ります。
第3に , イ エス は身近 にあ る援助 手
段 だ け を用 い て,即 座 に奉 仕 を行 な いま した。
その援 助手 段 とは, つ ば き と泥 と助 けたい とい う願 いで した。
彼 は盲 人 を立 派 な病 院 へ運 ん だわ けで はありませ んで した し, 角膜 移 植 の ため に医 者 を集 めた わ けで もあ りませ ん。
報道 関係 者 に知 らせ たわ けで もあ りません。
とき どき私 たち は,経 済 的 にむず
か しい, その た めの知識 が ない,若 すぎる, 年 を取 りす ぎてい る な ど とい う理 由 で 自分 には奉 仕 はで きない と思 って し まい ます 。
けれ ども, 奉 仕 した いとい う望 みが あれ ば, 手, つ ば き,少しの泥 の ような, 身近 な もの を用 い て奇 跡 を起 こす こ とが で き るので す。
第4に イエ ス は盲人 をた だ 目が見 え
るよ うに して立 ち去 っ たので はあ りませ んで した。
イ エス は,盲 人 が 自 らの 癒 しに関与 す る ことに よ って,信 仰 を実践 し強 め る機会 を与 え られ ま した。
それ は, シロア ム の池 で顔 を洗 う という簡 単 な こ とで した。
もし盲 人 が これを拒 ん でい た ら どうな った で し ょうか。
イエス は あえて盲 人 が 自分 の奇跡 に関与 で きる よ うに され た ので す。
奉 仕 した い とい う望 み は神 か ら来 るもので す。
愛 は私 たち のモ ッ トー です。
古代 の予 言者 の言葉 を借 りて, 女性 としての願 い を述 べ たい と思 い ます。
「主 の前 にわ た しが 述 べ た これ ら の願 いの 言葉 が, 日夜 わ れわ れ の神, 主に覚 え られ るよ うに。
そ して主 は 日々の事 に,・・・主 の民 イ ス ラエル を助 けられ る ように。」(列 王上8:59)
「あな た た ち は,神 が御 子 イ エ ス ・キ リス トに真 に従 う者 た ち に一 人 の こらず与 えた も うた この愛 で 自分 た ち の胸 を満 〔せ 。〕 ・・・
これ は また, あ なたた ちが神 の子 ら とな るため であ る。
「神 の現 われ た もう時 には ・・神 に似 た者 にな る ことが で きる・・。」(モ ロ ナイ7:48)
イ エス ・キ リス トのみ名 に よ り申 し
あ げ ます。 アー メ ン。
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※お読みいただいてありがとうざいます。
※本日は、ここまでです。青字は追加しています。
良い安息日をお祈りします。
2021年6月20日(日)
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