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日曜学校 教義と聖約​ 93章 1-37

2021-08-20 04:23:27 | 日記
末日​聖徒​イエス・​キリスト​教会​の
教義と聖約​
93章
千八百三十三​ねん​五がつむい、オハイオ​しゅう​カートランド​に​おいて、げんしゃ​ジョセフ・​スミス​を​とおして​あたえられた​けい(『きょうかいれき』​だい一​かん、三百四十三―三百四十六​ページ)。
1​-​5​ちゅうじつ​な​もの​は​みなしゅ​に​まみえる。
6​-​18​かみ​の​おん​は​御父おんちち​の​完全かんぜん​な​えいこう​を​ける​まで​めぐみ​に​めぐみ​を​けられた​こと​を、ヨハネ​は​あかし​した。
19​-​20​ちゅうじつ​な​人々ひとびと​も​めぐみ​に​めぐみ​を​ける​こと​に​よって、御父おんちち​の​完全かんぜん​な​えいこう​を​ける。
21​-​22​キリスト​に​よって​まれる​もの​は​ちょう​の​きょうかい​で​ある。
23​-​28​キリスト​は​すべて​の​しん​を​けられた。ひと​も​従順じゅうじゅん​で​ある​こと​に​よって、おなじ​よう​に​それ​が​できる。
29​-​32​ひと​は​はじめ​に​かみ​と​ともに​いた。
33​-​35​げん​は​永遠えいえん​で​あり、ひと​は​ふっかつ​の​とき​に​ちみちる​よろこび​を​ける​こと​が​できる。
36​-​37​かみ​の​えいこう​は​えい​で​ある。
38​-​40​キリスト​の​あがない​が​ある​ので、ども​たち​は​かみ​の​まえ​に​つみ​が​ない。
41​-​53​どうてきたち​に​ある​きょうだい​たち​が、ぶん​の​ぞく​を​ととのえる​よう​に​めいじられる。
1 まことに、しゅはこのようにう。ぶんつみて、わたしのもとにて、わたしのび、わたしのこえしたがい、わたしのいましめをまもものみな、わたしのかおて、わたしがいることをるであろう。
2 また、わたしがるすべてのひとらすまことのひかりであること、
3 また、わたしがちちにおり、ちちがわたしにおられ、ちちとわたしが一つであることをるであろう。
4 ちちと一つであるというのは、ちちがわたしにぶん完全かんぜんあたえてくださったからである。また、であるのは、わたしがにいて、にくたいをわたしのまくとし、ひとらのなかんだからである。
5 わたしはにいて、ちちからけた。そして、ちちわざかりやすくしめされた。
6 また、ヨハネはわたしの完全かんぜんえいこうて、あかしした。ヨハネのすべてのろくは、こののちあきらかにされる。
7 かれあかししてった。「わたしはかれえいこうにし、またかいそんざいするまえはじめにかれがおられたのをた。
8 それゆえ、はじめにことがあった。かれこと、すなわちすくいの使しゃであり、
9 ひかりであり、あがなぬしであり、られたしんたまであった。かれられたのは、かれによってつくられたからである。また、かれなかひといのちひとひかりがあった。
10 もろもろのかいかれによってつくられた。ひとかれによってつくられた。万物ばんぶつかれによって、かれつうじて、かれからつくられた。
11 わたしヨハネはあかしする。わたしは御父おんちちの、めぐみとしんちておられるひとえいこうとしての、すなわちにくたい宿やどり、わたしたちのなかまわれたしんたまえいこうとしてのかれえいこうた。
12 また、わたしヨハネは、かれさいしょから完全かんぜんけず、めぐみにめぐみをくわえられたのをた。
13 かれさいしょから完全かんぜんけず、めぐみにめぐみをつづけ、ついに完全かんぜんけられた。
14 このようにして、かれかみばれた。かれさいしょから完全かんぜんけられなかったからである。
15 わたしヨハネはあかしする。よ、てんひらかれ、聖霊せいれいはとかたちってかれうえくだって、かれうえにとどまられた。また、てんからこえがあってわれた。『これはわたしのあいするである。』
16 わたしヨハネはあかしする。かれ御父おんちち完全かんぜんえいこうけられた。
17 かれてんにおいてもにおいても、いっさいけんけられた。そして、御父おんちちえいこうかれとともにあった。御父おんちちかれのうちにおられたからである。」
18 さて、もしあなたがたがちゅうじつであれば、あなたがたはヨハネのろくのすべてをけるであろう。
19 わたしはこれらのことをあなたがたにあたえる。それは、あなたがたがれいはいするほうほうかいしてり、またぶんれいはいするものをることによって、あなたがたがわたしのによりちちのもとにて、さだめられたときにちち完全かんぜんけられるようにするためである。
20 あなたがたは、わたしのいましめをまもるならば、ちち完全かんぜんけ、わたしがちちによってけているように、あなたがたはわたしによってえいこうけるからである。それゆえ、わたしはあなたがたにう。あなたがたはめぐみにめぐみをくわえられるであろう、と。
21 さて、まことに、わたしはあなたがたにう。わたしははじめにちちとともにいた。わたしはちょうである。
22 また、わたしによってまれるものみなちょうえいこうにあずかるものであり、ちょうきょうかいである。
23 あなたがたもはじめにちちとともにおり、たますなわちしんたまであった。
24 しんとは、現在げんざいあるとおりの、にあったとおりの、またらいにあるとおりの、ものごとについてのしきである。
25 これじょうのこと、あるいはこれのことはなんであろうと、はじめからいつわものであったあのわるものれいである。
26 しんたまかみからている。わたしはしんたまであり、ヨハネはわたしについてあかしして、「しゅ完全かんぜんしん、すなわちすべてのしんけられた」とった。
27 ひとはだれもかみいましめをまもらないかぎり、完全かんぜんしんけることはない。
28 かみいましめをまもものしんひかりけ、ついにしんによってえいこうけて、すべてのことをるようになる。
29 ひともまたはじめにかみとともにいた。えいすなわちしんひかりは、そうぞうされることも、つくられることもなく、じつにそうすることのできないものである。
30 すべてのしんは、かみがそれをかれた領域りょういきにおいてどくりつし、それたいようする。すべてのえいどうようである。そうでなければ、そんざいというものはない。
31 よ、ここにひと選択せんたくゆうがあり、またここにひとつみせんこくがある。なぜならば、はじめからあったものがかりやすくしめされているのに、かれらがそのひかりれないからである。
32 そのれいひかりれないものみなつみせんこくもとにある。
33 ひとれいである。げん永遠えいえんであり、ぶんしないように結合けつごうしたれいげんは、ちみちるよろこびをける。
34 これらがぶんするとき、ひとちみちるよろこびをけることはできない。
35 そのげんかみまくである。まことに、ひとかみまくすなわち神殿しんでんである。そして、いかなる神殿しんでんでもけがされると、かみはその神殿しんでんほろぼすであろう。
36 かみえいこうえいである。えれば、ひかりしんである。
37 ひかりしんはあのしきものてる。

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