
塔の見張り人
このようなすばらしい特質に感銘を受けはしますが,わたしたちがネルソン大管長に従うのはなぜでしょうか。わたしたちはなぜ預言者に従うのでしょうか。それは,主イエス・キリストが彼を召し,御自身の塔の見張り人とされたからです。

カルカソンヌは,中世に建てられたフランスの驚くべき城郭都市です。防護壁からそびえる高い塔は,見張り人が昼夜を問わずそこに立ち,遠くの敵を見張るために建てられました。敵が近づくのを目にすると,見張り人は警告の声を上げ,カルカソンヌの人々を差し迫る,見えぬ危険から守ったのでした。
預言者は塔の見張り人であり,見えぬ霊的な危険からわたしたちを守ってくれます。
主はエゼキエルに言われました。「わたしはあなたを立てて,イスラエルの家を見守る者とする。あなたはわたしの口から言葉を聞き,わたしに代って彼らを戒めよ。」
わたしたちはよく,預言者に従う必要があると言いますが,主がその預言者に課しておられる重荷について考えてみてください。「あなたが悪人を戒めて,その道から離れさせるように語らなかったら,悪人は自分の罪によって死ぬ。……わたしはその血を,あなたの手に求める。」
さらなる個人的な証
わたしたちは,もしペテロやモーセの時代に生きていたら彼らを受け入れていたように,ネルソン大管長を受け入れます。神はモーセにこう告げられました。「わたしはあなたの口と共にあって,あなたの言うべきことを教えるであろう。」わたしたちは主の預言者の言葉を「〔主御自身の〕口から出ているかのように」信仰をもって受け入れます。
これは盲目的な信仰でしょうか。いいえ,違います。わたしたちにはそれぞれ,イエス・キリストの福音の回復が真実であるという霊的な証があります。わたしたちは自らの意思と選択により,今朝手を挙げて,「信頼と信仰と祈りによって」主の預言者を支持し,その勧告に従うことを表明しました。末日聖徒として,わたしたちはネルソン大管長が神によって召されたという個人的な確認を受ける特権があります。妻のキャシーは30年近く前からネルソン大管長を個人的に知っており,大管長に天与の外套が授けられたことに何の疑いも持っていませんが,大管長が聖任されてからというもの,預言者としての役割をより深く実感できるように祈りながら,過去34年間のネルソン大管長の大会説教を読み返し始めました。謙遜に,ふさわしい方法で求めるなら,皆さんにもさらなる証が与えられることを証します。
わたしたちは,なぜ進んで預言者の声に従うのでしょうか。永遠の命を熱心に求める人々にとって,預言者の声は荒れ狂う世にあって霊的な安全をもたらすものです。
わたしたちは非常に騒々しい惑星に住んでいます。インターネット,スマートフォン,数々の娯楽など,あらゆるものがわたしたちの注意を引いて影響を及ぼし,製品を買わせてその標準を受け入れさせようとします。
絶え間なく流れ込む情報と意見は,「だまし惑わす策略」にはまり,「吹きまわされたり,もてあそばれたりする」という聖文の警告を思い起こさせます。「風の吹くままに」「人々の悪巧みによって」それらは起こります。
わたしたちの心を主イエス・キリストにつなぎとめるには,主が遣わされる人々の声に耳を傾ける必要があります。混沌とした世にあって預言者に従うことは,凍てつくような寒い日に,温かく心地良い毛布に包まれるようなものです。
わたしたちは理性,討論,口論,論理,説明を重視する世に生きています。「なぜ?」という質問は,生活の多くの場面において建設的なものです。知性の力により,日々直面する無数の選択肢から選択し,決断できるようにしてくれるからです。
しかし,主の声はしばしば説明なしにやって来ます。信頼を寄せる伴侶や子供たちに対して,不貞が及ぼす影響について学者たちが研究し始めるずっと前に,主は「あなたは姦淫してはならない」と宣言されました。わたしたちは知性だけに頼ること以上に,聖霊の賜物を大切にします。
驚かないでください

預言者の声は優しく語りかけますが,しばしばわたしたちに変わるように,悔い改めて主に立ち返るように求めます。正す必要があるなら,先延ばししないようにしましょう。また,預言者の警告が現在支持の厚い意見と異なっていても,心配しないでください。預言者が口を開くやいなや,不信仰な人々がいらだち,あざけりの声を浴びせるのはいつものことです。へりくだって主の預言者の勧告に従うなら,安全と平安の祝福が増し加えられることを約束します。

時折,自分の見解が主の預言者の教えとはじめから一致しなくても,驚かないでください。ひざまずいて祈るなら,それはわたしたちにとって,学び,へりくだる機会となります。わたしたちは神を信頼し,信仰をもって前進します。やがて天の御父から,霊的により明瞭な教えを受けられると知っているからです。ある預言者は,救い主の比類ない賜物を「御子の御心は御父の御心にのみ込まれてしまう」と表現しています。わたしたちの心を神の御心にゆだねる〔訳注—英語では「降伏する」という意味を持つsurrender〕ことこそ,降伏などではなく,栄えある勝利の始まりなのです。
中には,何が預言者の声で,何が預言者の個人的な意見なのかを知りたいと,預言者の言葉を分析しすぎる人もいることでしょう。
1982年,中央幹部に召される2年前に,当時のラッセル・M・ネルソン兄弟はこう述べています。「『大管長は,いつ預言者として語り,いつそうではないのか』と自問することは一切ありません。わたしの関心は,『どうしたらもっと預言者のようになれるか』ということにあります。」また,こう付け加えています。「わたしの〔哲学〕は,預言者の言葉の最後に疑問符を付けないで,代わりに感嘆符を付けることです。」これが,謙遜かつ霊的な人が選ぶ生き方です。それから36年たった今,彼は主の預言者となっています。
救い主を信じる信仰を強める
神の預言者の言葉を祈りの気持ちで研究し,注意深く,そして忍耐強く,自分の心を預言者の霊感された教えに霊的に沿わせるとき,主イエス・キリストを信じる信仰が強められることを,わたしは経験を通して知りました。預言者の勧告を無視して自分の知恵に頼ることを選ぶなら,わたしたちの信仰は揺らぎ,永遠の観点は曇ってしまいます。皆さんが断固として預言者に従い続けるなら,救い主を信じる皆さんの信仰は増し加えられると約束します。
救い主はこう言われました。「預言者は皆,わたしについて証した。」
預言者は皆さんと救い主の間に立つのではありません。むしろ,皆さんの傍らに立ち,救い主に通じる道を指し示してくれるのです。預言者の最大の責任であり,わたしたちへの最も貴重な贈り物は,イエスがキリストであるというその揺るぎない証と確固とした知識です。かつてのペテロのように,わたしたちの預言者も「〔彼こそ〕生ける神の子キリスト」であると宣言しています。
将来,わたしたちは地上での人生を振り返り,生ける預言者のいる時代に生きたことを喜ぶことでしょう。その日,わたしたちがこう語れるようにと祈ります。
わたしたちは預言者の言葉に耳を傾けました。
彼を信じました。
忍耐と信仰をもって,その言葉を研究しました。
彼のために祈りました。
彼を支持しました。
へりくだり,彼に従いました。
彼を愛しました。
イエスがキリスト,救い主,贖い主であり,ラッセル・M・ネルソン大管長が地上における主の油注がれた預言者であることを厳かに証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。
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※このお話しは、末日聖徒イエス・キリスト教会2018年4月の総大会でのお話しのひとつです。
『 神の預言者
ニール・ L・アンダーセン長老
十二使徒定員会
預言者は皆さんと救い主の間に立つのではありません。むしろ,皆さんの傍らに立ち,救い主に通じる道を指し示してくれるのです』
のお話しの、後半部分をご紹介しました。赤字青字は追加しています。
※本日もお読みいただいてありがとうざいます。
本日は、預言者についてのお話しでした。現代にも、生ける預言者がおられることをご紹介しました。預言者は、私達の側に立っておられます。
良い1日をお祈りします。
2021年7月2日(金)
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