イエス・キリストの福音をご紹介します。

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わたしが神に忠実であるなら,神はともにいてくださる。

2022-05-23 04:27:34 | 日記

ヨシュア記

第1章

1:1主のしもべモーセが死んだ後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに言われた、

1:2「わたしのしもべモーセは死んだ。それゆえ、今あなたと、このすべての民とは、共に立って、このヨルダンを渡り、わたしがイスラエルの人々に与える地に行きなさい。

1:3あなたがたが、足の裏で踏む所はみな、わたしがモーセに約束したように、あなたがたに与えるであろう。

1:4あなたがたの領域は、荒野からレバノンに及び、また大川ユフラテからヘテびとの全地にわたり、日の入る方の大海に達するであろう。

1:5あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨ることもしない。

1:6強く、また雄々しくあれ。あなたはこの民に、わたしが彼らに与えると、その先祖たちに誓った地を獲させなければならない。

1:7ただ強く、また雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法をことごとく守って行い、これを離れて右にも左にも曲ってはならない。それはすべてあなたが行くところで、勝利を得るためである。

1:8この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、そのうちにしるされていることを、ことごとく守って行わなければならない。そうするならば、あなたの道は栄え、あなたは勝利を得るであろう。

1:9わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない、おののいてはならない」。

1:10そこでヨシュアは民のつかさたちに命じて言った、

1:11「宿営のなかを巡って民に命じて言いなさい、『糧食の備えをしなさい。三日のうちに、あなたがたはこのヨルダンを渡って、あなたがたの神、主があなたがたに与えて獲させようとされる地を獲るために、進み行かなければならないからである』」。

1:12ヨシュアはまたルベンびと、ガドびと、およびマナセの半部族に言った、

1:13「主のしもべモーセがあなたがたに命じて、『あなたがたの神、主はあなたがたのために安息の場所を備え、この地をあなたがたに賜わるであろう』と言った言葉を記憶しなさい。

1:14あなたがたの妻子と家畜とは、モーセがあなたがたに与えたヨルダンのこちら側の地にとどまらなければならない。しかし、あなたがたのうちの勇士はみな武装して、兄弟たちの先に立って渡り、これを助けなければならない。

1:15そして主があなたがたに賜わったように、あなたがたの兄弟たちにも安息を賜わり、彼らもあなたがたの神、主が賜わる地を獲るようになるならば、あなたがたは、主のしもべモーセから与えられた、ヨルダンのこちら側、日の出の方にある、あなたがたの所有の地に帰って、それを保つことができるであろう」。

1:16彼らはヨシュアに答えた、「あなたがわれわれに命じられたことをみな行います。あなたがつかわされる所へは、どこへでも行きます。

1:17われわれはすべてのことをモーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。ただ、どうぞ、あなたの神、主がモーセと共におられたように、あなたと共におられますように。

1:18だれであっても、あなたの命令にそむき、あなたの命じられる言葉に聞き従わないものがあれば、生かしてはおきません。ただ、強く、また雄々しくあってください」。



第2章

2:1ヌンの子ヨシュアは、シッテムから、ひそかにふたりの斥候をつかわして彼らに言った、「行って、その地、特にエリコを探りなさい」。彼らは行って、名をラハブという遊女の家にはいり、そこに泊まったが、

2:2エリコの王に、「イスラエルの人々のうちの数名の者が今夜この地を探るために、はいってきました」と言う者があったので、

2:3エリコの王は人をやってラハブに言った、「あなたの所にきて、あなたの家にはいった人々をここへ出しなさい。彼らはこの国のすべてを探るためにきたのです」。

2:4しかし、女はすでにそのふたりの人を入れて彼らを隠していた。そして彼女は言った、「確かにその人々はわたしの所にきました。しかし、わたしはその人々がどこからきたのか知りませんでしたが、

2:5たそがれ時、門の閉じるころに、その人々は出て行きました。どこへ行ったのかわたしは知りません。急いであとを追いなさい。追いつけるでしょう」。

2:6その実、彼女はすでに彼らを連れて屋根にのぼり、屋上に並べてあった亜麻の茎の中に彼らを隠していたのである。

2:7そこでその人々は彼らのあとを追ってヨルダンの道を進み、渡し場へ向かった。あとを追う者が出て行くとすぐ門は閉ざされた。

2:8ふたりの人がまだ寝ないうち、ラハブは屋上にのぼって彼らの所にきた。

2:9そして彼らに言った、「主がこの地をあなたがたに賜わったこと、わたしたちがあなたがたをひじょうに恐れていること、そしてこの地の民がみなあなたがたの前に震えおののいていることをわたしは知っています。

2:10あなたがたがエジプトから出てこられた時、主があなたがたの前で紅海の水を干されたこと、およびあなたがたが、ヨルダンの向こう側にいたアモリびとのふたりの王シホンとオグにされたこと、すなわちふたりを、全滅されたことを、わたしたちは聞いたからです。

2:11わたしたちはそれを聞くと、心は消え、あなたがたのゆえに人々は全く勇気を失ってしまいました。あなたがたの神、主は上の天にも、下の地にも、神でいらせられるからです。

2:12それで、どうか、わたしがあなたがたを親切に扱ったように、あなたがたも、わたしの父の家を親切に扱われることをいま主をさして誓い、確かなしるしをください。

2:13そしてわたしの父母、兄弟、姉妹およびすべて彼らに属するものを生きながらえさせ、わたしたちの命を救って、死を免れさせてください」。

2:14ふたりの人は彼女に言った、「もしあなたがたが、われわれのこのことを他に漏らさないならば、われわれは命にかけて、あなたがたを救います。また主がわれわれにこの地を賜わる時、あなたがたを親切に扱い、真実をつくしましょう」。

2:15そこでラハブは綱をもって彼らを窓からつりおろした。その家が町の城壁の上に建っていて、彼女はその城壁の上に住んでいたからである。

2:16ラハブは彼らに言った、「追手に会わないように、あなたがたは山へ行って、三日の間そこに身を隠し、追手の帰って行くのを待って、それから去って行きなさい」。

2:17ふたりの人は彼女に言った、「あなたがわれわれに誓わせたこの誓いについて、われわれは罪を犯しません。

2:18われわれがこの地に討ち入る時、わたしたちをつりおろした窓に、この赤い糸のひもを結びつけ、またあなたの父母、兄弟、およびあなたの父の家族をみなあなたの家に集めなさい。

2:19ひとりでも家の戸口から外へ出て、血を流されることがあれば、その責めはその人自身のこうべに帰すでしょう。われわれに罪はありません。しかしあなたの家の中にいる人に手をかけて血を流すことがあれば、その責めはわれわれのこうべに帰すでしょう。

2:20またあなたが、われわれのこのことを他に漏らすならば、あなたがわれわれに誓わせた誓いについては、われわれに罪はありません」。

2:21ラハブは言った、「あなたがたの仰せのとおりにいたしましょう」。こうして彼らを送り出したので、彼らは去った。そして彼女は赤いひもを窓に結んだ。

2:22彼らは立ち去って山にはいり、追手が帰るのを待って、三日の間そこにとどまった。追手は彼らをあまねく道に捜したが、ついに見つけることができなかった。

2:23こうしてふたりの人はまた山を下り、川を渡って、ヌンの子ヨシュアのもとにきて、その身に起ったことをつぶさに述べた。

2:24そしてヨシュアに言った、「ほんとうに主はこの国をことごとくわれわれの手にお与えになりました。この国の住民はみなわれわれの前に震えおののいています」。

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※聖句は、http://bible.salterrae.net/kougo/html/joshua.html
から、引用させていただきました。

※赤字は、追加しています。

※本日もお読みいただいてありがとうございます。

強く、また雄々しくある1日になりますように。

神さまの祝福をお祈りします。

主はわたしが心を尽くして主を愛することを求めておられる

2022-05-21 04:53:49 | 日記
申命記

6:4イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。

6:5あなたは心をつくし、精神をつくし、力をつくして、あなたの神、主を愛さなければならない。

6:6きょう、わたしがあなたに命じるこれらの言葉をあなたの心に留め、

6:7努めてこれをあなたの子らに教え、あなたが家に座している時も、道を歩く時も、寝る時も、起きる時も、これについて語らなければならない。

6:8またあなたはこれをあなたの手につけてしるしとし、あなたの目の間に置いて覚えとし、

6:9またあなたの家の入口の柱と、あなたの門とに書きしるさなければならない。

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マタイ

22:34さて、パリサイ人たちは、イエスがサドカイ人たちを言いこめられたと聞いて、一緒に集まった。

22:35そして彼らの中のひとりの律法学者が、イエスをためそうとして質問した、

22:36「先生、律法の中で、どのいましめがいちばん大切なのですか」。

22:37イエスは言われた、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。

22:38これがいちばん大切な、第一のいましめである。

22:39第二もこれと同様である、『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』。

22:40これらの二つのいましめに、律法全体と預言者とが、かかっている」。

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レビ

19:15さばきをするとき、不正を行ってはならない。貧しい者を片よってかばい、力ある者を曲げて助けてはならない。ただ正義をもって隣人をさばかなければならない。

19:16民のうちを行き巡って、人の悪口を言いふらしてはならない。あなたの隣人の血にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。

19:17あなたは心に兄弟を憎んではならない。あなたの隣人をねんごろにいさめて、彼のゆえに罪を身に負ってはならない。

19:18あなたはあだを返してはならない。あなたの民の人々に恨みをいだいてはならない。あなた自身のようにあなたの隣人を愛さなければならない。わたしは主である。



※本日もお読みいただいてありがとうございます。

自分を愛するようにあなたの隣り人を愛するときに、神さまの霊感を受けられますように。

良い1日をお祈りします。

ついにはあなたをさいわいにする方法

2022-05-19 10:06:34 | 日記

申命記 第8章


8:1わたしが、きょう、命じるこのすべての命令を、あなたがたは守って行わなければならない。そうすればあなたがたは生きることができ、かつふえ増し、主があなたがたの先祖に誓われた地にはいって、それを自分のものとすることができるであろう。

8:2あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを導かれたそのすべての道を覚えなければならない。それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたの心のうちを知り、あなたがその命令を守るか、どうかを知るためであった

8:3それで主はあなたを苦しめ、あなたを飢えさせ、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナをもって、あなたを養われた。人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたに知らせるためであった。

8:4この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。

8:5あなたはまた人がその子を訓練するように、あなたの神、主もあなたを訓練されることを心にとめなければならない。

8:6あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼を恐れなければならない。

8:7それはあなたの神、主があなたを良い地に導き入れられるからである。そこは谷にも山にもわき出る水の流れ、泉、および淵のある地、

8:8小麦、大麦、ぶどう、いちじく及びざくろのある地、油のオリブの木、および蜜のある地、

8:9あなたが食べる食物に欠けることなく、なんの乏しいこともない地である。その地の石は鉄であって、その山からは銅を掘り取ることができる。

8:10あなたは食べて飽き、あなたの神、主がその良い地を賜わったことを感謝するであろう。

8:11あなたは、きょう、わたしが命じる主の命令と、おきてと、定めとを守らず、あなたの神、主を忘れることのないように慎まなければならない。

8:12あなたは食べて飽き、麗しい家を建てて住み、

8:13また牛や羊がふえ、金銀が増し、持ち物がみな増し加わるとき、

8:14おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう。主はあなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出し、

8:15あなたを導いて、あの大きな恐ろしい荒野、すなわち火のへびや、さそりがいて、水のない、かわいた地を通り、あなたのために堅い岩から水を出し、

8:16先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせられた。それはあなたを苦しめ、あなたを試みて、ついにはあなたをさいわいにするためであった。

8:17あなたは心のうちに『自分の力と自分の手の働きで、わたしはこの富を得た』と言ってはならない。

8:18あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである。

8:19もしあなたの神、主を忘れて他の神々に従い、これに仕え、これを拝むならば、――わたしは、きょう、あなたがたに警告する。――あなたがたはきっと滅びるであろう。

8:20主があなたがたの前から滅ぼし去られる国々の民のように、あなたがたも滅びるであろう。あなたがたの神、主の声に従わないからである。

※本日もお読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。しました

彼らの強さと弱さを御存じだった神は,栄光あふれる回復の賛歌の一節または旋律を奏でるという,類まれなる機会をお与えになった

2022-05-18 11:50:02 | 日記
帰郷—切なる望み
ディーター・F・ウークトドルフ管長
大管長会第二顧問
皆さんの心を光の方に向けてください。故郷へと向かう皆さん自身のすばらしい旅を,始めてください。そうするなら,皆さんの人生は向上し,より幸福で意義あるものとなるでしょう
最近,トーマス・S・モンソン大管長に会ったときのことです。大管長は非常に厳粛に,幸福に満ちた表情で,どれほど主を愛しているかについて,また主が愛してくださっていると実感していることについて話してくれました。愛する兄弟姉妹,モンソン大管長は皆さんの愛,祈り,また主と大いなる福音への献身に心から感謝しています。
奇跡の犬,ボビー
およそ100年前,オレゴン州に住むある家族が,約3,200キロ離れたインディアナ州で休暇を過ごしていたときのことです。愛犬ボビーがいなくなってしまいました。家族は必死であらゆる場所を探しましたが,その甲斐なく,ボビーは見つかりませんでした。

家族は傷心のうちに家路に就き,後ろ髪を引かれる思いで愛犬から少しずつ遠ざかっていきました。

6か月後,驚いたことに,一家はオレゴン州の自宅の玄関先でボビーの姿を見つけます。「みすぼらしく,やせこけて,足の骨が見えそうな状態のボビーは,自分の力で,そのはるかな道のりを歩き通したのでした。」ボビーの話は合衆国中の人々の想像力をかき立て,奇跡の犬,ボビーとして知られるようになりました。

その驚くべき方向感覚と帰巣本能で科学者をまごつかせた動物は,ボビーだけではありません。オオカバマダラというチョウの中には,毎年,より生存に適した場所へと4,800キロ移動するものもいますし,オサガメというカメの一種は,インドネシアからカリフォルニアの海岸まで大平洋を渡って移動します。ザトウクジラは,北極や南極の冷たい海域から赤道の間を往復して泳ぎます。さらに驚くべきことに,キョクアジサシという鳥は,毎年,北極圏から南極大陸までを往復し,97,000キロを飛行するのです。

この興味深い行動を研究する学者たちは,「どのようにして向かうべき場所が分かるのか」「次世代はそれぞれ,どのようにしてこの習性を学ぶのか」といった疑問を抱きます。

動物たちが持つこの力強い本能について読んだとき,わたしは「人間も,同様の切なる望みを抱いてはいないだろうか,人を天の家へと引き寄せる,いわば内なるガイドシステムが備わっているのではないだろうか」と思いました。

すべての男女や子供は,人生のある時点で,天からの呼び声を感じたことがあるとわたしは信じています。わたしたちの深い部分には,どうにかして幕を通り抜け,かつて知り,愛し慕っていた天の両親を抱き締めたいという望みがあります。

中には,この望みを抑え,天の呼び声に心を閉ざす人もいるでしょう。しかし,自分の内にあるこの光を消さずにいる人々は,天の国を目指す壮大な移動,驚きに満ちた旅路へと出で立つことができるのです。
神はあなたを呼んでおられる
末日聖徒イエス・キリスト教会が携えているのは,神は御父であり,わたしたちのことを心にかけておられ,神のみもとに帰る道が確かに存在するという崇高なメッセージです。

神は皆さんを呼んでおられます。

神は皆さんのすべての思い,悲しみ,最も大切な望みを御存じです。神は皆さんが何度も主を求め,何度も限りない喜びを感じ,何度も独りで涙し,何度も自分の無力さを痛感し,困惑し,怒りを感じたことを御存じです。

つまずき,失敗し,心破れ,苦々しい思いをし,裏切られ,打ちのめされた過去があったとしても,皆さんは独りではないことをどうか知ってください。神はそれでも皆さんを呼んでおられるのです。

救い主はその御手を差し伸べておられます。はるか昔,ガリラヤの海の岸に立っていた漁師にされたように,主は無限の愛をもって皆さんにこう語りかけておられます。「わたしに従ってきなさい。

耳を傾けるなら,まさに今日も皆さんに語りかけてくださるのです。

弟子としての道を歩むとき,すなわち天の御父に向かって進むとき,皆さんの心の中には,自分は救い主の呼び声を聞き,光に心を向けているのだという確信を与えてくれる,何かがあるのです。それによって自分は正しい道におり,家路に就いているのだと分かります。

時の初めから,神の預言者たちは,その時代の人々に「あなたの神,主の声に聞きしたがい,……戒めと定めとを守り,心をつくし,精神をつくして……主に帰する」ようにと勧めてきました。

聖文には,こうすべき理由が何千と書かれています。

今日わたしは,主に心を向けるべき理由を二つ話します。

第1に,皆さんの人生が向上することです。

第2に,神は人々の人生を向上させるために皆さんを用いられるということです。
人生が向上する
神へと通じる驚きに満ちた旅に出で立つとき,または旅路を歩み続けるときに,わたしたちの人生が向上することを証します。

これは,人生における悲しみから解放されるという意味ではありません。わたしたちは皆,キリストに忠実に従う者が悲劇や不公平を味わった例を知っています。イエス・キリスト御自身が,だれよりも苦しまれました。神は「悪い者の上にも良い者の上にも,太陽をのぼらせ」てくださるように,正しい者にも正しくない者にも,逆境によって試しが与えられるのをお許しになるのです。実際,信仰に従って生活しようとしているがゆえに,人生がより困難なものとなるように思えることもあります。

救い主に従ったとしても,試練のすべてが取り去られるわけではありませんが,天の御父が与えたいと思っておられる助けと,皆さんとの間にある障害は取り除かれます。神は皆さんとともにいてくださいます。進むべき道を示してくださいます。主は傍らを歩いてくださり,助けが最も必要なときには,皆さんを背負ってくださるのです。

そうして「愛,喜び,平和,寛容,慈愛,善意,忠実」という最高の御霊の実を味わうでしょう。

この霊的な実は,一時的な繁栄や成功,あるいは運の良さから得られるものではありません。その実は,救い主に従うことで得られるものであり,最も暗い嵐の中でも,忠実にわたしたちとともにあってくれるでしょう。

現世の試練や混乱が皆さんを脅かし,恐れさせても,心を神に従わせる人々は神の平安に取り巻かれ,その喜びが消え去ることはないでしょう。見捨てられたり,忘れ去られたりすることはないのです。

聖文はこう教えています。「心をつくして主に信頼せよ,自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ,そうすれば,主はあなたの道をまっすぐにされる。

内なる呼び声を聞いて神を求め,祈り,信じ,救い主の備えられた道を歩む人々は,時に道すがらつまずいたとしても,「万事があなたがたの益となるようにともに働くであろう」という,慰めに満ちた確信を受けるでしょう。

なぜなら,神は「弱った者には力を与え,勢いのない者には強さを増し加えられる」からです。

正しい者は七たび倒れても,また起きあがる」のです。

主は慈しみをもってこう問いかけられます。

永続する喜びを味わいたいですか。

人知ではとうてい測り知ることのできない平安を,その心に感じたいと切望していますか。

もしそうなら,皆さんの心を光の方に向けてください。

故郷へと向かう皆さん自身のすばらしい旅を,始めてください。

そうするなら,皆さんの人生は向上し,より幸福で意義あるものとなるでしょう。
神はあなたを用いられる
天の御父のみもとに帰るこの旅路を歩むうちに,この旅はただ自分の人生を生きるためにあるのではないことを,やがて悟るはずです。皆さんはこの旅路において,必ず神のほかの子供たち,皆さんの兄弟姉妹の人生を祝福することになります。興味深いことに,神に仕え,同胞を心にかけ,助けるとき,自分自身の生活においても,思いも寄らなかった進歩を見るのです。

自分はそれほど役に立つとも,だれかの人生を祝福するほどの存在だとも思わないかもしれません。わたしたちは往々にして,自分の限界や欠けているところしか見ていないものです。神に用いられるには,さらに知的で,裕福で,カリスマ性や才能にあふれ,より霊的でなければならない,つまり,何かが「さらに」必要だと思うかもしれません。ところが祝福は,わたしたちの能力ではなく,わたしたちの選びによってもたらされるものなのです。宇宙をつかさどる神は,皆さんの中で,皆さんを通して働かれ,神の目的を果たそうと皆さんがささげる謙遜な努力を大いなるものとしてくださいます。

主の業は常に,次の重要な原則に基づいて進んできました。

小さなことから大いなることが生じる」のです。

使徒パウロはコリントの聖徒たちに対して,彼らの中でこの世の標準から見て賢いと見なされる人は多くないだろうと述べています。しかし,それは問題ではありませんでした。なぜなら「神は……強い者をはずかしめるために,この世の弱い者を〔お〕選び」になるからです。

神の業の歴史に登場するのは,自分自身を不十分だと考える人々ばかりです。しかし,彼らは神の恵みと約束に頼りながら謙遜に仕えました。「彼らの腕はわたしの腕となる。わたしは彼らの盾となり……彼らはわたしのために勇敢に戦うであろう。……わたしは……彼らを守ろう。

今年の夏,わたしたち家族は,合衆国東部にある教会歴史初期の史跡を訪れるすばらしい機会にあずかりました。特別な方法で,当時の歴史を追体験したのです。マーティン・ハリスやオリバー・カウドリ,トーマス・B・マーシュといった,これまで書物でよく読んだことのある人々が歩いた場所を歩き,神の王国を築くために彼らが払った犠牲について思い巡らすことで,その実在をより身近に感じられるようになりました。

彼らは,イエス・キリストの教会の回復に大いに貢献するような数々の偉大な特質を持っていました。しかし同時に,皆さんやわたしと同様,弱く,容易に誤りを犯す人間だったのです。中には,預言者ジョセフ・スミスとの意見の不一致から教会を離れた者もいました。後に,そのような人々の多くが心を変え,へりくだり,再び聖徒たちとの交わりを求め,見いだすこととなります。

わたしたちは彼らのような人々や,彼らと同様に行う会員たちを裁く傾向があります。「わたしなら,決して預言者ジョセフを見捨てなかっただろう」と言うかもしれません。

そうだったとしても,当時の状況下での生活がどのようなものだったのか,ほんとうのところはわたしたちには分からないのです。確かに,彼らは不完全でした。それでも神が彼らを用いられたという事実に,どれほど勇気づけられることでしょう。彼らの強さと弱さを御存じだった神は,栄光あふれる回復の賛歌の一節または旋律を奏でるという,類まれなる機会をお与えになったのです。

わたしたちが不完全であっても,心を神に向けるなら,神は寛大さと優しさをもって,御自分の目的のためにわたしたちを用いてくださると知るのは,何と勇気づけられることでしょう。

神と同胞を愛し,仕え,謙遜に,進んで主の業に携わる人々は,自分や愛する人々の人生にすばらしいことが起こるのを目にするでしょう。

閉じているように思われた扉は開かれます。

天使が彼らの前を行き,道を備えます。

地域や教会においてどのような役割を担っているかにかかわらず,その意志さえあれば,神は皆さんを用いてくださるのです。皆さんの義にかなった望みを大いなるものとし,皆さんがまいた思いやりの行いを,善の豊かな実りに変えてくださるのです。
自動操縦ではたどり着けない
わたしたち一人一人は,この世において「旅人であり寄留者」です。様々な意味で,わたしたちは故郷から遠く離れています。しかし,だからといって迷いや孤独を感じる必要はありません。

愛する天の御父はキリストの光を与えてくださいました。天の家へと帰る旅路において,わたしたちは一人一人,その心の奥底に,目と心を主に向けるようにと勧める天からの促しを感じるのです。

そこにたどり着くには努力が求められます。主に学ぼうと努め,主の教えを理解し,熱心にそれに従って生活し,一歩ずつ歩を進めていかなければ,天の家にたどり着くことはできません。

人生は,自動運転の車ではありませんし,自動操縦の飛行機でもないのです。

人生という水面にただ浮かび,流れに身を任せていれば,どこでも望む場所にいつか連れて行ってくれると当てにすることはできません。必要であれば流れを遡って泳ぐ意志が,主の弟子には求められるのです。

皆さんの旅に責任を負ってくれる人はほかにだれもいません。救い主は皆さんの前に道を備えてくださいます。しかし,主に従い,主の戒めを守るという決意は,皆さん自身が行うものなのです。それは皆さん個人の責任であり,特権です。

大いなる冒険なのです。

救い主の呼び声に耳を傾けてください。

主に従ってください。

主は,皆さんが神と同胞に仕えるという決意を果たせるように,末日聖徒イエス・キリスト教会を設立されました。教会の目的は,勇気づけ,教え,高め,霊感を与えることです。このすばらしい教会は皆さんに,思いやりを行いに表し,人々に手を差し伸べ,神聖な聖約を新たにして守る機会をもたらします。教会は,皆さんの人生を祝福し,家庭や地域,国家をよりよい場所とするためにあります。

どうぞ来て,わたしたちに加わり,主を信頼してください。主のすばらしい業に,皆さんの才能を貸してください。天の家へと戻る切なる望みを抱きたい,心に留めたいと願うすべての人に手を差し伸べ,勇気づけ,癒し,支えてください。天の家を目指す,この栄光あふれる旅路をともに歩みましょう。

福音は,人知を超越する希望と幸福,喜びのメッセージです。わたしたちを故郷へと導く道です。

日々絶えず,信仰と行いをもって福音を受け入れるなら,わたしたちは少しずつ神に近づくことができます。生活は向上し,主はわたしたちの周囲にいる人々を祝福し,その永遠の目的を達成するために,驚くべき方法でわたしたちを用いてくださることでしょう。わたしはこのことを証し,皆さんに祝福を残します。聖なるイエス・キリストの御名により,アーメン。

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※このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2017年10月の総大会からご紹介しました。

※青字赤字は追加しています。

※本日もお読みいただいてありがとうございます。

良い1日をお祈りします。

小さく思えることを積み重ね,時を経ることで,大いなることが成し遂げられる

2022-05-17 02:12:09 | 日記
小さな,簡単なこと

ダリン・H・オークス長老
大管長会第一顧問

 小さく思えることを積み重ね,時を経ることで,大いなることが成し遂げられるということを,わたしたちは思い起こす必要があります。

Ⅰ.
 愛する兄弟姉妹の皆さん,皆さんと同様,メッセージや音楽,そしてこの時間にともに感じた気持ちに,わたしも深く感動し,教化され,霊感を受けました。主の御手に使われる者として,この時間をともにする効果を強めてくれた兄弟姉妹に対して,わたしは聴衆を代表して,感謝をお伝えします。

 復活祭の日曜日に,皆さんに向けてお話しできることに感謝します。今日わたしたちは,ほかのキリスト教徒の皆さんとともに,主イエス・キリストの復活を祝います。イエス・キリストが文字どおり復活されたことは,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員にとって,信仰の柱です。

 わたしたちは聖書やモルモン書に記された,イエス・キリストの文字どおりの復活に関する記録を信じているので,この地上に生を受けたすべての人もまた同様に復活するという聖典の数々の教えも信じています。復活はわたしたちに,使徒ペテロが語った「生ける望み」(1ペテロ1:3)を与えてくれます。この生ける望みは,死がわたしたちの存在の終わりではなく,天の御父がその子供たちの救いのためにお立てになった憐れみの計画における,必要なステップに過ぎないという確信です。その計画の中で,人は死すべき状態から不死不滅の状態に移行します。 

 その移行の中心となるのは,死という日没と,主であり救い主であられる御方の復活によって可能になった栄えある朝であり,わたしたちはその復活を,この復活祭の日曜日に祝います。

Ⅱ.

エライザ・R・スノーが書いたすばらしい賛美歌にはこうあります。

救いの計画
いかに尊し
憐れみと愛の
神の恵み

 この神の計画を推し進めるために,わたしたちはこの総大会も含めて集会に集い,互いに教え,励まし合います。

 今朝わたしは,モルモン書の中でアルマが息子ヒラマンに教えた「小さな,簡単なことによって大いなることが成し遂げられる」ことについて話すべきだと感じました。(アルマ37:6)

 わたしたちはイエス・キリストの福音の中の小さな,簡単なことを数多く教えられています。小さく思えることを積み重ね,時を経ることで,大いなることが成し遂げられるということを,わたしたちは思い起こす必要があります。このテーマについては,教会幹部や尊敬すべき教師たちが数々の説教を残していますが,このテーマは非常に重要なので,もう一度話したいと感じています。

 散歩のときにあるものを見かけて,小さくて簡単なことの持つ力を思い出しました。これがそのとき撮った写真です。分厚く,強固なコンクリートの歩道にひびが入っています。大きく,突き動かす強力な力が働いたためでしょうか。そうではありません。歩道の脇の木から伸びた1本の根が,ゆっくりと少しずつ成長したためです。これは別の道路で見た,同じような例です。


 重いコンクリートの歩道にひびを入れた,突き動かす力は,1日,あるいは1か月単位で見たら,ごくわずかで測れないほどですが,時間をかけて与えた影響は,信じられないほど強力なものでした。

 聖典の中で,あるいは生ける預言者によって教えられている,小さな,簡単な事柄が長年かけて引き起こす強力な影響についても同じことが言えます。

 日々の生活に取り入れるように教えられている聖文研究について考えてみてください。あるいは,忠実な末日聖徒が習慣としている個人の祈りや,家族がともにひざまずいてささげる祈りはどうでしょうか。青少年のためのセミナリーや,ヤングアダルトのためのインスティテュートクラスに参加することについて考えてみましょう。これらの習慣は小さくて簡単に思えますが,時を経て,力強い霊的な高まりと成長につながります。

 これらの小さな,簡単なことの一つ一つにより,聖霊を伴侶とすることができるので,このような結果が生じるのです。アイリング管長が説明したように,聖霊は証をする者として,光を与え,真理に導いてくださいます。

  霊的な高まりと成長のもう一つの源となるのは,ささいに思える小さな罪であっても,悔い改めを続けることです。霊感を受けて自分自身を評価することにより,足りない点や,改善できる点を知ることができます。このような悔い改めを,毎週聖餐を受ける前に行うとよいでしょう。この悔い改めを行う中で考慮すべき事柄が,賛美歌の「今日われ善きことせしか」の中に示されています。


今日われ善きことせしか
人を助けしか
悲しきをも慰めしか
かくせずば悪し
人の重荷軽くして
わが手貸したるか
病みて疲れし者助け
そこにわれおりしか

 これらは確かに小さなことですが,アルマが息子ヒラマンに教えたことを示す良い例であることも確かです。「主なる神は偉大な永遠の目的を達するために,様々な手段によって事を行われる。また,ごく小さな手段によって,主は……多くの人を救われる。」(アルマ37:7)

 ブリガムヤング大学ハワイ校のスティーブン・C・ホイールライト学長は,大学の聴衆に向けて,アルマの教えについて次のように語りました。「アルマは息子に,主が従われる規範を教えました。それは,わたしたちが主への信仰を行使し,小さな簡単なことにおいて主の勧告に従うとき,主は日々の小さな奇跡をお与えくださり,また時を経て,驚嘆すべき業を示してくださるということです。

 ハワード・W・ハンター大管長は次のように教えています。

 「世の人たちが偉大だとする行いと比較してみても,わたしたちが行っている平凡な務めこそ,ほかの人の生活に最も良い影響を与えることが多いのです。」

 これと同じ原則について,インディアナ州の前議員であるダン・コーツ氏が説得力に満ちた,この世的な言葉でこのように述べています。「人生,あるいは国家を変え得るような,深遠な決断ができるように備える唯一の方法は,半分無意識に行っているものの,自分がどういう人かを定義付けるような決断,一見ささいに思えるような何百,何千という決断を自分でしていくことなのです。

 これらの「ささいに思える」個人的な決断には,時間の使い方,テレビやインターネットで見る内容,読む物,職場や家庭で自分の身の周りに置く美術品や音楽,求める娯楽,正直であり,誠実であるという決意をどのように実践するかなどが含まれます。小さくて簡単に思える別の事柄といえば,人付き合いにおいて親切で,明るくあることです

 このような小さくて簡単な好ましい事柄は,絶えず続けていかなければ,わたしたちを偉大な事柄に導いてはくれません。ブリガム・ヤング大管長はこのように語ったと言われています。「わたしたちの生活は,小さくて簡単な状況からできており,それらが積み重なって大きなことにつながり,男性や女性の人生を創り上げるのです

 わたしたちはメディアの影響や文化の退廃にさらされており,それらはわたしたちが拒絶し続けない限り,わたしたちを下へ下へと流そうとします。永遠の目標に向かって上流に進むためには,常にこぎ続けなければなりません。ともに舟をこぐ乗組員のように,わたしたちが仲間と一緒にこぐなら,助けになります。さらに言えば,もしもこぐのをやめてしまえば,世の潮流は非常に激しいので,望まない所まで流されてしまいます。絶えず前進しようと努力しなければ,必ずそうなってしまうのです。

 小さく思える出来事が偉大な結果を招くことについて述べた後,ニーファイはこのように書いています。「このようにして,主は小さな手段によって大いなることを成し遂げられることが分かるのである。」(1ニーファイ16:29)

 これについて,印象深い例が旧約聖書に記されています。

 イスラエルの民が毒蛇によって病気になったことが書かれています。多くの人が毒蛇にかまれて死にました(民数21:6参照)。救いを求めてモーセが祈ると,「青銅で一つのへびを造り,それをさおの上に掛けて置〔く〕」ように霊感を受けました。そして「すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生き」ました(9節)。そのように小さなことから,そのような奇跡が起きたのです!

 しかし,ニーファイが主に背く人々にこの例を話して聞かせたように,癒されるために簡単な方法を主が用意してくださっても,「その方法が単純であったため,すなわち容易であったために,死んだ人が大勢いました。」(1ニーファイ17:41)。

 この例とこの教えは,方法が単純で,命じられた事柄が容易であったとしても,義にかなった望みを達成することが取るに足りないという意味ではないことを思い起こさせてくれます。

 同様に,たとえ小さくても,不従順な行いをしたり,義にかなった行動を取らなかったりすることで,避けるよう警告されている結果に近づいてしまうこともあり得ます。知恵の言葉は,その一つの例です。1本のタバコや1杯のアルコール,1度の麻薬が体に及ぼす影響を測ることはできません。

 しかし,時がたつにつれ,その影響は強大になり,後戻りできなくなるかもしれません。木の根が少しずつ伸びてきて歩道にひびを入れたことを思い出してください。確かなことは,体に害を及ぼす麻薬や,思いを堕落させるポルノグラフィーのように,依存を引き起こすものを取り入れることによって起こる結果は,避けられるということです。そのためには,決して,1度たりとも試してみないことです。

 何年も前に,M・ラッセル・バラード会長は総大会で「ごくささいなことが,人の救いにどれほど否定的で破滅的な作用を及ぼすか」について話しました。

 バラード長老はこう説いています。「ちょうど弱い繊維が集まって糸になり,さらにひものようになって最後に太い綱となるように,小さなことも積み重なれば,容易に元へは戻せなくなってしまうのです。霊性を伸ばすには,小さな,簡単なことの持つ力を絶えず心に留める必要があります。同時に,小さな,簡単なことを用いてサタンがわたしたちを絶望と悲惨に陥れようとしていることを,常に忘れてはなりません。

 ホイールライト学長は,ブリガム・ヤング大学ハワイ校の聴衆にも同じような注意を与えました。「小さな,簡単なことを怠るとき,信仰は揺らぎ,奇跡は止みます。主と主の王国に近づく歩みは,最初はとどめられ,やがて,神の王国を求めることよりもこの世的なことを求め,この世的な野心を満たすことが優先されるときに破綻し始めます。

 わたしたちの霊の成長に破滅的な影響を与える負の連鎖から守るために,小さな簡単なことの霊的な規範に従う必要があります。

 デビッド・A・ベドナー長老は,ブリガム・ヤング大学の女性のための集会でこの原則について次のように語りました。必要とされないかもしれない場所に大量の水を流したり,まいたりすることと対比して,「非常にゆっくりなペースで,水を土に落としていく技術から,わたしたちはこの霊的な規範の性質と重要性について多くを学ぶことができます。」

 そして,こう説明しました。「一貫したペースで滴る水は,土の奥底まで沁み込み,土を非常によく湿らせるため,植物はよく成長することができます。同じように,皆さんもわたしも集中して,滴り落ちる霊的な養いを,絶えず,頻繁に受けるならば,福音は心に深く根を下ろしてしっかり固定され,基礎を据えられ,たとえようもなくおいしい実をつけることができるのです。

 ベドナー長老は続けてこう言いました。「小さな,簡単なことによって偉大なことが成し遂げられるという霊的な規範は,堅固で,確固たるものを生み,忠誠心を深め,主イエス・キリストとその福音に対してさらに完全な改宗をもたらします。

 預言者ジョセフ・スミスは教義と聖約に書かれている次の原則を教えました。「だれにも,これらのことをささいなことと思わせてはならない。聖徒たちに関して将来起こる多くのことは,これらのことにかかっているからである。」(教義と聖約123:15)

 ミズーリ州で初めて教会を組織しようとしたことについて主は「すべてのことは時節にかなって起こる」(教義と聖約64:32)と述べて,忍耐するように勧告された後,この偉大な教えをお授けになりました。「それゆえ,善を行うことに疲れ果ててはならない。あなたがたは一つの大いなる業の基を据えつつあるからである。そして,小さなことから大いなることが生じるのである。」(教義と聖約64:33)

 わたしたちが皆,「聖約の道」を前進するようにというラッセル・M・ネルソン大管長の勧告に従いたいと願っていると,わたしは信じます。

 それを行う決意は,イエス・キリストの福音と主の教会の指導者が教える「小さなこと」に絶えず従うことによって強められます。わたしは主を証し,主の聖約の道を歩み続けようとするすべての人に主の祝福を願い求めます。イエス・キリストの御名により,アーメン。

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※このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2018年4月の総大会からご紹介しました。

※赤字青字下線は、追加しています。

※「 小さくて簡単に思える別の事柄といえば,人付き合いにおいて親切で,明るくあることです

親切で、明るい1日になりますように。

本日もお読みいただいてありがとうございます。