イエス・キリストの福音をご紹介します。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

心と魂の深い亀裂the deep crevasses of the heart and soul.

2024-03-13 08:13:08 | 日記
灰にかえて冠を:赦しに至る癒しの道

クリスティン・M・イー姉妹
中央扶助協会会長会第二顧問

自分の人生の灰を冠に変えるような人生を送ることは,救い主の模範に倣った,信仰の行いです。

サムエル記上には,後のイスラエルの王,ダビデと,アビガイルと言う名の女性との,あまり知られていない話があります。

サムエルの死後,ダビデとその僕たちは,ダビデの命をねらっていたサウル王から逃れました。

彼らは,ナバルという名のいじわるな金持ちの男の家畜の群れと僕たちを守りました。

ダビデは10人の僕を送り,ナバルにあいさつをさせ,どうしても必要な食糧や物資を要求させました。

ナバルはダビデの要求に侮辱的な態度で応じ,使者たちを手ぶらで返しました。

気分を害したダビデは,「彼はわたしのした親切に悪をもって報いた」と言って,僕たちを連れてナバルと対決しようとしました。

ある僕はナバルの妻のアビガイルに,彼女の夫がダビデの僕たちに行った仕打ちについて告げました。

アビガイルはすぐさま必要な食糧と物資を集めて,執り成しに向かいました。

アビガイルはダビデに会うと,「ダビデの前で地にひれ伏し, その足もとに伏して言った,『わが君よ,このとがをわたしだけに負わせてください。…… それゆえ今,……主は,あなたがきて血を流し,また手ずから,あだを報いるのをとどめられました。…… 今,あなたのつかえめが,わが君に携えてきた贈り物を,わが君に従う若者たちに与えてください。 どうぞ,はしためのとがを許してください。……』

ダビデはアビガイルに言った,『きょう,あなたをつかわして,わたしを迎えさせられたイスラエルの神,主はほむべきかな。

あなたの知恵はほむべきかな。

またあなたはほむべきかな。

あなたは,きょう,わたしがきて血を流し,手ずからあだを報いることをとどめられたのです。……』

ダビデはアビガイルが携えてきた物をその手から受けて,彼女に言った,『あなたは無事にのぼって,家に帰りなさい。わたしはあなたの声を聞きいれ,あなたの願いを許します。』

こうして,二人とも穏やかに別れました。

この話の中で,アビガイルはイエス・キリストを明確に示すひながた,あるいは象徴と捉えることができます。

イエス・キリストは贖いの犠牲を通して,罪と争いの心という重荷からわたしたちを解放し,わたしたちに必要な養いを与えてくださいます。

アビガイルが進んでナバルの罪を自分が受けようとしたように,救い主も理解し難い方法でわたしたちの罪と,わたしたちを傷つけ,わたしたちの気分を害した人々の罪を引き受けてくださいます。

ゲツセマネと十字架上において,イエスはこれらの罪を引き受けられました。

主は,わたしたちが復讐心を捨てられるよう,道を備えてくださったのです。

その「道」とは,赦しの道です。

赦しは,わたしたちが行うことの中で最も難しいことの一つであり,また,わたしたちが経験する中で最も神性なものの一つでもあります。

赦しの道を歩むと,イエス・キリストの贖罪の力が生活に流れ込み,心と魂の深い亀裂が癒され始めます。

ラッセル・M・ネルソン大管長は,救い主は赦す能力を授けてくださる,と教えています。

「主の無限の贖罪を通して,皆さんを傷つけた人や,残虐な行為の責任を決して取ろうとしない人を赦すことができます。 心からへりくだって赦しを求める人を赦すのは,普通は簡単なことです。しかし,救い主は,何らかの方法で不当な扱いをしてきた人をすべて赦す力を与えてくださいます。そうすれば,有害な行為はもはや皆さんの心をむしばむことはないのです。

アビガイルがたくさんの食糧と物資を持ってきたことは,救い主が傷ついた人々に,その人が癒され,元気になるために必要な養いと助けを与えてくださることを教えています。

わたしたちは,ほかの人の行いの結果に自分一人で対処するよう放っておかれるわけではありません。

わたしたちにも,元気を取り戻し,争いの心やそれに続く行いの重荷から救っていただく機会が与えられるのです。

主はこのようにおっしゃっています。

「主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる。」

主が人を赦すよう求めておられるのは,わたしたち自身のためにほかなりません。

しかし,主の助けや主の愛,主の理解なしに行うようにとは求めておられません。

主と交わした聖約を通して,わたしたちはそれぞれ,赦し,赦されるのに必要な,強められる力や導き,助けを受けることができます。

だれかを赦すことは,傷つき続ける立場に身を置くことではないことを理解してください。

「だれかを赦そうと努力していても,その人と距離を置くようにという御霊の促しを感じることはあります。」

ダビデが「心の責め」を抱かずに必要な援助を受けられるようアビガイルが助けたのと同じように,救い主も皆さんを助けてくださいます。

主は皆さんを愛し,「翼には,いやす力を備えて」皆さんの歩む道で皆さんに会いに来てくださるでしょう。主は皆さんの平安をお望みです。

わたしは,キリストがわたしの争いの心を癒してくださるという奇跡をこの目で見ました。

父の許しを得て,わたしが育った家庭について話します。

それは,わたしがいつも安心できる場所ではありませんでした。

情緒的な,そして言葉の虐待があったためです。

青少年の時期も,ヤングアダルトの時期も,わたしは父を嫌い,その傷のために心に怒りを抱いていました。

長年にわたって,赦しに至る道を歩みながら平安と癒しを見いだそうと努力した末,わたしの罪を贖ってくださった神の御子は,自分を深く傷つけた人たちのことも救われる同じ贖い主であられるということに,深淵な方法で気づきました。

後者を信じることなしに,前者の真理をほんとうに信じることはできません。

救い主に対する愛が深まるにつれ,傷と怒りを主の癒しの乳香に替えたいという望みも強まりました。

それは何年にも及ぶ過程であり,勇気や忍耐,弱さを見せること,そして人を救い,癒すことのできる救い主の神性な力に対する信頼を会得しなければなりませんでした。

まだ努力の途中ですが,もう心に敵意はありません。

わたしは「新しい心」を頂きました。

自分の隣にいてくださり,忍耐強くよりよい場所へと導いてくださり,助けてくださり,わたしの悲しみを知っておられる,自分の救い主の,深くて不変の愛を感じたためです。

アビガイルがダビデの必要なものを持ってきたように,主はわたしに償いの祝福を送ってくださいました。

わたしの生活に助言者たちを送ってくださいました。

そして,あらゆることの中で最も貴く,人生を変えてくれたのは,天の御父とわたしの関係です。

有り難いことに,わたしは御父を通して,わたしを守り,導いてくれる,完全な御父の優しい愛を知りました。

リチャード・G・スコット長老はこう述べています。

過去に起こったことを消し去ることはできません。 でも赦すことはできます。赦しはひどい傷を癒します。主の愛によって心の中の憎しみの毒が消されるからです。復讐の思いをなくしてくれます。主の清めと癒しと愛が取って代わるのです。

わたしの地上の父も近年,奇跡的な心の変化を経験し,主に心を向けるようになりました。

この世で起こるとは思ってもみなかったことです。

人を変える,イエス・キリストの完全な力に対する証がまた一つ増えました。

主は,罪人と,罪の被害を受けた人を癒すことがおできになります。

主は世の救い主,贖い主であり,わたしたちが再び生きることができるよう命をささげられた御方です。

主はこう述べておられます。

「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために,わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして,囚人が解放され,盲人の目が開かれることを告げ知らせ, 打ちひしがれている者に自由を得させ〔る〕。」

心の傷ついた人や囚人,打ちひしがれている人,そして恐らく傷や罪により盲目になっているすべての人々を,主は癒し,立ち直らせ,解放してくださいます。

主が実際に人を癒し,立ち直らせてくださることを証します。

その癒しの時期は人それぞれで,わたしたちにはほかの人の時期を判断することはできません。

癒しに必要な時間を自分に与え,その過程で自分自身に思いやりを持つことは重要です。

救い主は常に情け深く,思いやりがあり,わたしたちが必要としている援助を与える用意を整えておられます。

赦しと癒しの道には,家族やほかの場において,不健全な規範や人間関係を持続させないという選びがあります。

わたしたちの影響の及ぶ範囲内のすべての人に対して,残忍さには思いやりを,憎しみには愛を,無礼さには穏やかさを,心痛には安心を,争いには平和を与えることができます。

自分が与えてもらえなかったものを与えることは,イエス・キリストを信じる信仰を通して実現できる,神性な癒しの力強い部分です。

イザヤが述べたように,自分の人生の灰を冠に変えるような人生を送ることは,すべての人を救うためにあらゆる苦しみを受けられた救い主の至高の模範に倣った,信仰の行いです。

エジプトのヨセフは灰の伴う人生を送りました。

兄弟に憎まれ,裏切られ,奴隷として売られ,不当に投獄され,助けると約束してくれた人に忘れられました。

それでも,ヨセフは主を信頼しました。「主がヨセフと共におられ」,ヨセフの試練を聖別して,彼自身の祝福と成長とし,彼の家族と全エジプトを救われました。

ヨセフがエジプトの偉大な指導者として兄弟と会ったときに語った優しい言葉に,赦しと,精錬された視点が表れていました。

「しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも,悔むこともいりません。神は命を救うために,あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。…… それゆえわたしをここにつかわしたのはあなたがたではなく,神です。」

救い主を通して,ヨセフの人生は「灰にかえて冠」になったのです。

BYUの学長のケビン・J・ワーセンは,神は「わたしたちの成功からだけでなく,わたしたちの失敗や,わたしたちに痛みを与えるほかの人々の失敗からも,良いものを生じさせることがおできになる。神はそれほどに善なる御方であり,力強い」と述べています。

愛と赦しの最も偉大な模範は救い主イエス・キリストの模範であることを証します。

イエス・キリストは,激しい苦しみの中で,こう言われました。

「父よ,彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか,わからずにいるのです。」

わたしは天の御父が,神の子供一人一人に対し,幸福と希望があるよう願っておられることを知っています。

エレミヤ書には,こうあります。

「主は言われる,わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは……平安を与えようとするものであ〔る〕。」

イエス・キリストは皆さん個人のメシヤであり,皆さんの愛に満ちた贖い主,救い主であり,皆さんの心の望みを御存じです。

主は皆さんの癒しと幸福を願っておられ,皆さんを愛しておられます。

皆さんが悲しいときにはともに悲しみ,皆さんを元気にすることを喜びとされます。

赦しに至る癒しの道を歩むときに,元気を出して,常に伸べられている,主の愛に満ちた手を取ることができるよう,イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。

------------------------------
お読みいただいて、ありがとうございます。青字赤字は、追加しています。
このお話しは、2022年10月の末日聖徒イエス・キリスト教会総大会から、ご紹介しました。2回目の投稿です。

英語を使う人々は、心と魂(heart and soul)の乖離あるいは心と精神(heart and mind)の乖離という表現を使われますね。

長野での新しい産業の取り組み

2024-03-09 07:54:58 | 日記



浅間山の光景は、息をのむような素晴らしさです。初めて、訪問する人々もとても優しかったです。
大自然の中で、生活する人々は、心がやさしくて、親切です。自然に触れた生活をすることが、大切と思いました。
大都会に無いものです。

浅間山山頂には、噴煙が見えます。この大自然の中で、どのように、生活を保持していくか?
ひとつの試みをご紹介します。


お店は、長野です。実に美味しいアイスでした。




https://www.atpress.ne.jp/news/359917

信州での産業の創出は、大自然の中に生きる人々に、希望を与えるものです。

新しく生まれ変わる

2024-03-07 10:21:40 | 日記
モルモン書を読んでいたら、以下の記述がありました。

第1ニーファイ17章から
25 あなたがたは、イスラエルのらがれいじょうたいになっていたことや、かれらががたいほどのえきっていたことをっています。ですから、かれらがれいじょうたいからみちびされることが、かれらにとっていことであったにちがいないことを、あなたがたはっているのです。
26 あなたがたは、モーセがあのおおいなるわざおこなうようにしゅからめいじられたことをっています。またモーセのことによって、こうかいみずみぎひだりかれ、イスラエルのらがかわいたわたったこともっています。
27 しかしあなたがたは、パロの軍勢ぐんぜいであるエジプトじんが、こうかいでおぼれてんでしまったこともっています。」
------------------------------
このところについて、聖書の記述を調べてみました。

出エジプト記14章

21 モーセがうみうえにさしべたので、しゅもすがらつよ東風ひがしかぜをもってうみ退しりぞかせ、うみ陸地りくちとされ、みずかれた。
22 イスラエルの人々ひとびとうみなかのかわいたったが、みずかれらのみぎひだりに、かきとなった。

(画像は、こちらから引用させていただきました。)
https://www.thesacredcalendar.com/exodus-parting-of-the-red-sea-story-of-moses/

23 エジプトびとはってきて、パロのすべてのうま戦車せんしゃ騎兵きへいとは、かれらのあとについてうみなかにはいった。
24 あかつきさらに、しゅくもはしらのうちからエジプトびとの軍勢ぐんぜいおろして、エジプトびとの軍勢ぐんぜいみだし、
25 その戦車せんしゃをきしらせて、すすむのにおもくされたので、エジプトびとはった、「われわれはイスラエルをはなれてげよう。しゅかれらのためにエジプトびととたたかう」。
26 そのときしゅはモーセにわれた、「あなたのうみうえにさしべて、みずをエジプトびとと、その戦車せんしゃ騎兵きへいとのうえながかえらせなさい」。
27 モーセがうみうえにさしべると、夜明よあけになってうみはいつものながれにかえり、エジプトびとはこれにむかってげたが、しゅはエジプトびとをうみなかまれた。
28 みずながかえり、イスラエルのあとをってうみにはいった戦車せんしゃ騎兵きへいおよびパロのすべての軍勢ぐんぜいをおおい、ひとりものこらなかった。
29 しかし、イスラエルの人々ひとびとうみなかのかわいたったが、みずかれらのみぎひだりに、かきとなった。
30 このように、しゅはこのイスラエルをエジプトびとのからすくわれた。…」

画像は、こちらから、引用させていただきました。https://seedsoffaith.cph.org/2015/10/28/old-testament-2-lesson-9-crossing-the-red-sea/

-----------------------------
ここを読んで感じたことは、人は生まれ変わることができるということです。

この現世について、聖書は、以下のように述べています。

1ペテロ5章から
8 つつしみ、をさましていなさい。あなたがたのてきである悪魔あくまが、ほえたけるししのように、いつくすべきものをもとめてあるまわっている。」
現世を決して甘く考えてはなりません。わながあちこちに仕掛けられています。この現世の悪魔が支配している奴隷の状態から、私たちは、脱出することができます。
------------------------------
では、脱出したらどのような状態になるのでしょうか?
モロナイ書7章から
45 あいながしのび、親切しんせつであり、ねたまず、ほこらず、ぶんえきもとめず、よういからず、あくすこしもかんがえず、ざいあくよろこばないで真実しんじつよろこび、すべてをしのび、すべてをしんじ、すべてをのぞみ、すべてにえる。
46 したがって、わたしのあいする同胞はらからよ、もしあなたがたにあいがなければ、あなたがたはなんもない。あいはいつまでもえることがないからである。したがって、もっとおおいなるものであるあいかたまもりなさい。すべてのものはかならえてしまうからである。
47 しかし、このあいはキリストのじゅんすいあいであって、とこしえにつづく。そして、わりのにこのあいっているとみとめられるひとは、さいわいである。」
このように人の心が変化します。
聖書からも読んでみましょう。
1コリント13章から
4 あい寛容かんようであり、あい情深なさけぶかい。また、ねたむことをしない。あいたかぶらない、ほこらない、
5 不作法ぶさほうをしない、自分じぶん利益りえきもとめない、いらだたない、うらみをいだかない。
6 不義ふぎよろこばないで真理しんりよろこぶ。
7 そして、すべてをしのび、すべてをしんじ、すべてをのぞみ、すべてをえる。
8 あいはいつまでもえることがない。…」
ヨハネ13章から
34 わたしは、あたらしいいましめをあなたがたにあたえる、たがいあいいなさい。わたしがあなたがたをあいしたように、あなたがたもたがいあいいなさい。
35 たがいあいうならば、それによって、あなたがたがわたしの弟子でしであることを、すべてのものみとめるであろう」。
------------------------------
このような人に、私たちは生まれ変わることができます。
エペソ4章から
22 すなわち、あなたがたは、以前いぜん生活せいかつぞくする、情欲じょうよくまよってほろふるひとて、
23 こころふかみまであらたにされて、
24 しんせいとをそなえたかみにかたどってつくられたあたらしきひとるべきである。」
------------------------------
モーセの紅海脱出から、私たち自分自身の情欲からの脱出を読み取ることができます。
------------------------------
エペソ6章から
10 最後さいごう。しゅにあって、その偉大いだいちからによって、つよくなりなさい。
11 悪魔あくま策略さくりゃく対抗たいこうしてちうるために、かみ武具ぶぐかためなさい。
12 わたしたちのたたかいは、血肉けつにくたいするものではなく、もろもろの支配しはいと、権威けんいと、やみの主権者しゅけんしゃ、また天上てんじょうにいるあくれいたいするたたかいである。
13 それだから、しきにあたって、よく抵抗ていこうし、完全かんぜんいて、かたちうるために、かみ武具ぶぐにつけなさい。」
------------------------------
では、どのようにして、神の武具を身につけて、脱出できるのでしょうか?
この戦いに勝ち抜くためには、回復されたイエス・キリストの福音を学び、その教えに従う必要があります。
モルモン書には、「完全な永遠の福音が記されてい」ます。
モルモン書は、誰でも無料で手に入れることができます。この本を読み祈ることによって、神さまが生きておられ、私たちをご存知であり、私たちのことを心にかけて助けてくださることを、祈る1人1人が、自分で確かに知ることができます。









大きな淵と恐ろしい淵

2024-03-05 11:08:18 | 日記
ルカ16章
19 ある金持かねもちがいた。かれむらさきころもほそぬのて、毎日まいにちぜいたくにあそくらしていた。
20 ところが、ラザロという貧乏人びんぼうにん全身ぜんしんできものでおおわれて、この金持かねもち玄関げんかんまえにすわり、
21 その食卓しょくたくからちるものでえをしのごうとのぞんでいた。そのうえいぬがきてかれのできものをなめていた。




22 この貧乏人びんぼうにんがついにに、御使みつかいたちにれられてアブラハムのふところにおくられた。金持かねもちんでほうむられた。
23 そして黄泉よみにいてくるしみながら、をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかにえた。
24 そこでこえをあげてった、『ちち、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先ゆびさきみずでぬらし、わたしのしたやさせてください。わたしはこの火炎かえんなかくるしみもだえています』。
25 アブラハムがった、『よ、おもすがよい。あなたは生前せいぜんよいものをけ、ラザロのほうわるいものをけた。しかしいまここでは、かれなぐさめられ、あなたはくるしみもだえている。
26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとのあいだにはおおきなふちがおいてあって、こちらからあなたがたのほうわたろうとおもってもできないし、そちらからわたしたちのほうえてることもできない』。
27 そこで金持かねもちった、『ちちよ、ではおねがいします。わたしのちちいえへラザロをつかわしてください。
28 わたしに五にん兄弟きょうだいがいますので、こんなくるしいところることがないように、かれらに警告けいこくしていただきたいのです』。
29 アブラハムはった、『かれらにはモーセと預言者よげんしゃとがある。それにくがよかろう』。
30 金持かねもちった、『いえいえ、ちちアブラハムよ、もし死人しにんなかからだれかが兄弟きょうだいたちのところへってくれましたら、かれらはあらためるでしょう』。
31 アブラハムはった、『もしかれらがモーセと預言者よげんしゃとにみみかたむけないなら、死人しにんなかからよみがえってくるものがあっても、かれらはそのすすめをれはしないであろう』」。

この画像は、以下から引用させていただきました。

https://sdajournal.today/story/rich-man-poor-man/

(ここまでは、新約聖書からご紹介しました。)
----------------------------------------
エゼキエル37章から

15 主の言葉がわたしに臨んだ、

16 「人の子よ、あなたは一本の木を取り、その上に『ユダおよびその友であるイスラエルの子孫のために』と書き、また一本の木を取って、その上に『ヨセフおよびその友であるイスラエルの全家のために』と書け。これはエフライムの木である。

17 あなたはこれらを合わせて、一つの木となせ。これらはあなたの手で一つになる。

【 ユダの木は、聖書であり、エフライムまたはヨセフの木は、モルモン書とされています。】
-------------------------------

以上は、ユダの木(聖書)からラザロと金持ちの話をご紹介しました。

----------------------------------------

次は、エフライムまたはヨセフの木(モルモン書)から、命の木をご紹介します。

1ニーファイ15章から

21 そして、あにたちはふたたびわたしに、「ちちゆめなかたことはなにするのか。ちちなにするのか」とった。
22 それでわたしは、「そのいのちあらわすものです」とった。
23 するとあにたちは、「あのところつうじている、ちちてつぼうなにするのか」とった。
24 わたしはあにたちに、それはかみことであって、だれでもかみことしたがって、それにしっかりつかまるものは、けっしてほろびることがなく、また敵対てきたいするものゆうわくも、かれらをやぶってもうもくとし、ほろびにいたらせることはないとった。
25 わたしニーファイは、しゅことこころめるようにあにたちにすすめた。まことに、わたしはあにたちがかみことこころめて、何事なにごとにおいてもつねかみいましめをまもることをおぼえるように、ぜん精力せいりょくかたむけ、のうりょくかぎりをくしてあにたちにすすめた。
26 すると、かれらはわたしに、「ちちみずながれているかわなにするのか」とった。
27 わたしは、ちちみずけがれであるが、ちちこころをほかのものごとうばわれていて、みずけがれはえなかったとった。
28 またわたしは、それはあくにんいのちかみせいからへだてているおそろしいふちであるとかれらにった。



ユダの木(聖書)も、エフライムまたはヨセフの木(モルモン書)も、神の聖徒と悪人の間には、お互いに越えることの出来ない大きな恐ろしい淵があることを教えています。



日本3大車窓のひとつ 姥捨駅からの風景

2024-03-02 14:18:44 | 日記

宣教師の集会があり、末日聖徒イエス・キリスト教会松本支部に出かけました。

毎週日曜日午前10:00から、集会があります。どなたでもお越しください。

松本市の雄大な景色です。

松本駅から、篠ノ井駅へ。

篠ノ井駅から、上田駅へ帰ります。


途中、姥捨駅からの風景です。
見事な美しさです。調べてみたら、
日本3大車窓と言われています。





美しい風景について、聖典の高価な真珠から、引用します。
「モーセ書2章から
9 かみであるわたしは、『てんしたみずひとところあつまれ』とった。すると、そのようになった。また、かみであるわたしは、『かわいたあれ』とった。すると、そのようになった。
10 かみであるわたしはかわいたりくび、みずあつまったところうみんだ。そして、かみであるわたしはて、ぶんつくったすべてのものをしとした
11 かみであるわたしはった。『あおくさと、たねくさと、しゅるいしたがってむすじゅと、たねのあるむすうええさせよ。』すると、わたしがかたったようになった。
12 あおくさと、しゅるいしたがってたねつすべてのくさと、しゅるいしたがってたねのあるむすとをえさせた。そして、かみであるわたしはて、ぶんつくったすべてのものをしとした。 」
--------------------------------------------------
姥捨山伝説をご紹介します。

姨捨山(おばすてやま)(長野地域(ちいき))

昔、年よりの大きらいなとの様がいて、「60さいになった年よりは山に捨(す)てること」というおふれを出しました。との様の命れいにはだれもさからえません。親も子も、その日がきたら山へ行くものとあきらめていました。

ある日のこと、一人のわかい男が60さいになった母親をせおって山道を登っていきました。気がつくと、せなかの母親が「ポキッ、ポキッ」と木のえだをおっては道に捨てています。男はふしぎに思いましたが、何も聞かずにそのまま歩きました。

年よりを捨てるのは深い深い山おくです。男が母親をのこして一人帰るころには、あたりはもうまっ暗やみ。男は道にまよって母親のところへ引きかえしてきました。

息子のすがたを見た母親はしずかに言いました。「こんなこともあろうかと、とちゅうでえだをおってきた。それを目じるしにお帰り」。子を思う親のやさしい心にふれた男は、との様の命れいにそむくかくごを決め、母親を家につれて帰りました。

しばらくして、となりの国から「灰(はい)で縄(なわ)をないなさい。できなければあなたの国をせめる」と言ってきました。との様はこまりはて、だれか知恵(ちえ)のある者はいないかと国中におふれを出しました。男がこのことを母親につたえると、「塩(しお)水にひたしたわらで縄をなって焼けばよい」と教えられ、男はこのとおりに灰の縄を作り、との様にさし出しました。

しかし、となりの国ではまた難題(なんだい)を言っていました。曲がりくねったあなの空いた玉に糸を通せというのです。今度も男は母親に、「1つのあなのまわりにはちみつをぬり、反対がわのあなから糸をつけたアリを入れなさい」と教えられ、との様につたえました。すると、となりの国では「こんな知恵者がいる国とたたかっても、勝てるわけがない」とせめこむのをあきらめてしまいました。

との様はたいそうよろこび、男を城(しろ)によんで「ほうびをとらす。ほしいものを言うがよい」と言いました。男は、「ほうびはいりません。実は・・・」男は決心して母親のことを申し上げました。

「なるほど、年よりというものはありがたいものだ」と、との様は自分の考えがまちがっていたことに気づき、おふれを出して年よりを捨てることをやめさせました。それからは、どの家でも年おいた親となかよくくらせるようになりました。

(千曲(ちくま)市教育委員会のきょう力をえて、「姨捨の文学と伝説」から要約(ようやく)しました。)
( 以下から引用させていただきました。)
https://www.pref.nagano.lg.jp/koho/kids/menu03/minwah01.html