1957年7月、米軍立川飛行場周辺に基地拡張反対派の集団が結集し、集団の一部が立ち入り禁止の境界柵を壊し飛行場境界内に約1時間にわたり立ち入ったため、23名が「旧日米安保条約3条に基づく行政協定に伴う刑事特別法」2条違反容疑で逮捕、うち7名が10月に起訴された。
第一審東京地裁判決(伊達判決)は、「わが国が外部からの武力攻撃に対する自衛に使用する目的で合衆国軍隊の駐留を許容していることは、指揮権の有無、合衆国軍隊の出動義務の有無に拘わらず、日本国憲法9条2項前段によって禁止された陸海空軍その他の戦力の保持に該当するものといわざるを得ない」と判事した(東京地判昭和34・3・30下判集Ⅰ巻3号776頁)。
最高裁は、憲法9条2項が「その保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊はたとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである」と判事した(最大判昭和34・12・16刑集13巻13号3225頁。第3部第6章第2節3参照)。