先日会った友人の話。


「私、主人にもしものことがあって
1人になってもロスにならないように、
今から別室で寝ているの!」と。
夫がいない私は、
「まだ夫がいるのに、
一緒の時間を過ごさないなんて、
なんて勿体無い!」と思ってしまったが、
よくよく考えれば
これも終活の一つなのかなと思えて来た。
いわゆる
「精神的終活」
ともすれば、
物を断捨離する「物的終活」や
お葬式の費用くらい残さなきゃ、という
「保険的終活」
自分の契約しているサブスクなどを解約する「契約的終活」
または、自分の言い残したいことを
文章に残す「遺書的終活」など。
そんな、形に見えるものばかりに
気を取られて、
「精神的終活」はできていなかった。
連れ合いがいなくなった時の備え。
自分がいなくなった時の連れ合いへの備え。
今の私は、どうだ。
その備えを全くできていなかったので、
いまだに自分の枕の横には
夫の枕を並べて寝てるし、
そこに夫が寝ていた姿を毎晩思い出しながら
抱き枕がないと落ち着いて寝られずにいる。
でもやっぱり、私は、
夫がこの世にいるならば、
なるべくたくさん一緒の時間を
過ごしたいと思います。
夫婦の形は十人十色。
どれが正解でもないし、間違いでもない。
私は私らしい夫婦の形を
この先も続けて行くのだろうな、と
改めて思いました。
焼き芋🍠食べながら、
そんなことを思う夜。
おやすみなさい⭐


※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます