*一部転載
東日本大震災の際、地震と津波で壊滅的な打撃を受けた被災地では、電気も水もなく、テレビも無用の長物と化した。そんな時、被害の実態から生活情報に至るまで、被災者が求める情報を伝え続けたのは新聞だった。福島県での福島民友や福島民報の活躍は今も記憶に新しい。その意味では、新聞とは、災害時における立派な社会のインフラ(基盤)といえる。今回は果たしてどうだろうか。
未曽有の大災害となった「平成28年熊本地震」の報道が、イデオロギーの“主張の場”と化しているのである。こんな時でも、新聞にとって一番大切なのは、「自分たちの主張なのか」と、読者も呆(あき)れている
大地震は「道路の寸断」をもたらし、山間部では孤立化する集落が続出する。そこで威力を発揮するのは、滑走路の必要がない垂直離着陸機だ。米軍でいえば、かのオスプレイになる。
懸念した通り、昨年、安保法制反対を唱えた各紙が一斉に批判を展開し始めた。〈必要性 疑問の声〉と朝日が異を唱えれば、毎日も〈災害で初「政治利用」の声〉(いずれも19日付)と噛(か)みついた。
純粋に被災者の利益を考えるのか、それとも政治的イデオロギーに固執するのか。危急の時ほど、新聞にとって、日頃の編集方針や思想は、より剥(む)き出しになる。被災者そっちのけで主義主張を振りまわす紙面に、一般の読者は一体、どんな感想を抱いているのだろうか。
間違いないのは、“新聞離れ”は「もはや止まらない」という冷徹な現実だけである。
被災者そっちのけでオスプレイ投入論争…“新聞離れ”は「もはや止まらない」 ノンフィクション作家・門田隆将
アカヒ エロ日をはじめとした マスゴミは 新聞の限らずTVも同罪。
報道の根幹を失ってしまった、糞共は 淘汰されて然るべき。
新聞・TVは 精神衛生上非常に宜しくなので、眼にしなくなって久しい。
内容そのものが 何処かのお国の出先報道機関に、落ちぶれてしまったものを見聞きする必要はない。
ブロパガンダの壁新聞のレベル。
赤旗の域を出ない新聞を 態々金を払って見る必要なないでしょう。
そんな新聞を 未だに購読している愚弄民は、多分思考停止した連中しかいないと思うがな!
今は 焚き物で沸かす風呂もないから、焚き付けにもならない無用の長物。
ご訪問有り難うございます!!
お読み頂きましたら“ポチ”ご協力お願いいたします
人気人気ブログランキングへ
励みになります!こちらもご協力を・・・!!
にほんブログ村