53分05秒。
これは鑑賞のための音楽作品ではない。
表現のための表現。それ以外に目的はない。
おとのしみ会における私の願いは「思いもよらない外部に出会うこと」。
そのためのフォーマットが、参加者全員による即興表現。
私はこの53分間を大いに楽しんだ。
この日参加してくださった方々、そしてこの活動を理解してくださっているカフェドジェームマスターには感謝しかない。
2022年7月21日
おとのしみ会 代表 フジサキヒロカズ
53分05秒。
これは鑑賞のための音楽作品ではない。
表現のための表現。それ以外に目的はない。
おとのしみ会における私の願いは「思いもよらない外部に出会うこと」。
そのためのフォーマットが、参加者全員による即興表現。
私はこの53分間を大いに楽しんだ。
この日参加してくださった方々、そしてこの活動を理解してくださっているカフェドジェームマスターには感謝しかない。
2022年7月21日
おとのしみ会 代表 フジサキヒロカズ
5月21日に記す。
兵庫県立美術館で『ミニマル/コンセプチュアル』の作品を観ていたら、スティーブ・ライヒやジョン・ケージあたりの音楽が聞こえてきそうになった。彫刻も絵画も音楽も、人間の表現という地平において地続きなのだと実感した。すべて人間の営為/人間が考えて行うことだと考えれば、現代美術は、ものすごく身近だ。
「コンセプチュアル」であることを省みる。
私は頭でっかちの音楽になっていないか。音楽は、脳か身体か、どちらに棲んでいるのか。どちらにも棲んでいる。脳に偏りすぎるなよと気分を戒める。アートで言われる」コンセプチュアル」にしても、頭でっかちであろうという理念では全くないはず。
展示の最後のセクション「芸術と日常」の、2人の彫刻家のメッセージが刺さった。ホームで電車を待ちながら今も暗唱している。
6月27日の月曜日。朝食前に鉄弦ギターを弾くと曲の断片が現われた。朝食後に再びギターを持つと曲の断片が更に増えた。曲の全体像が見え始めた。
朝のゴミ出しのために外に出た。玄関先の植え込みに蜘蛛の巣を見つけた。張り巡らされた蜘蛛の糸が陽光に反射して美しかった。歌詞の着想はそこから。蜘蛛の巣を観察してから家に戻り、場所を変えて三たびギターを持った。カポタストを嵌めてキーを変えて歌うと別の世界が見えた。別世界が見えたこのキーに定めて歌うと、途端にメロディーが固まった。カポタストの魔法。曲の骨となるメロディーは録音前に書きあげた。事前にメロディーを作曲したのは数カ月ぶり。作曲は新鮮だった。
■「さんてんどめ」歌詞
さんてんどめ 三点留めが
最低条件 私の住む場所
ゆらゆら ひそひそひそ ゆ
ひそひそ ゆらゆらゆら ひ
平べったくない 立体でもない
落ちないように ゆっくり 素早く
ゆらゆら ひそひそ ゆ
さんてんどめ
6月18日土曜日の午後。濃い色の曇天。即興作曲を牽引してくれそうな素材を探そうとギターを弾いていた。すると突然激しい雨が降ってきた。窓を開けていたのでギターの音が雨にかき消されてしまうほど。その中で弾いているうちに、この曲で使う言葉を、雨と落ちる、この二つに決めた。
163曲目の即興音日記。いつも通り、メロディーも詞も曲構成もすべて即興。その場で作曲しながら歌っていく。次どうする?と私の脳が、指とギターに尋ねながら土砂降りの雨音を聞きながら歌っていく。一度だけ録画したあとで聴き返し、すぐに多重録音で自分の即興に即興で応えていった。
即興で歌いながら耳に入ってくる雨の音。あまりの激しさに、土砂降りの雨が生きているように感じた。雨が意思をもって一心不乱に降っているよう。だからタイトルの英訳は"It rains single-mindedly"。こんな英語は無いと思うが、ネイティブに笑われたって別に構いはしない。
叩きつけるような雨音は凄まじかった。雨音のオーケストラとギターと声。暮らしと地続きの音楽。日々の暮らしの中にそれが在るのなら、要らない音はひとつもない。改めてそう感じた。