フジサキヒロカズ@音楽づくり

暮らしと地続きの音楽をつくる

見えないぐらい眩しい星を見たことがあるか /即興音日記#158「綺羅星は」ミュージックビデオ

2022-04-29 19:55:00 | 日記

まぶしすぎて 真っ白で

わたしには 見えない

まぶしすぎて 見えない

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即興音日記158曲目「綺羅星は」。

録音前に、ギターで弾くコードとコード進行だけは決めた。三行の歌詞を紙に書き留めた。

今回も、曲の始めから終わりまで一度も歌うことなく録音を開始。コード進行も歌詞も、すべて暫定的なもの。変わり得るもの。すべては音楽の素材に過ぎない。

曲を完成させないまま、この場で、この瞬間の音楽をつくる。ギターで最初の音を出す。それを聴いて/聴きながら、次の音を出す。その行為を繰り返す。それに集中するだけ。

弾き歌いの最中、戸惑ってもいいし、迷ってもいいし、彷徨ってもいい。即興音日記はいつも余白だらけ、隙間だらけ、スキだらけ。それが、いま・この瞬間にしか生まれない音楽になる。

1秒後の自分が何をするのか自分にも分からない。私はそれを、とても人間らしいことだと思う。




即興音日記#157「誰にとって」ミュージックビデオに寄せて

2022-04-24 09:39:00 | 日記

新曲「誰にとって」に寄せる冒頭詩

創造。新しさ。

誰もやったことがない表現。

誰も聞いたことがない音楽。

という、独自性(オリジナリティ/ユニークネス)のへ呪縛。


いったい私の音楽とは、

誰の喜びのために、何をすることなのか。

新しくあることのみが至上命題なのか。


自分の心と体と頭によく聴こう。

そして、喜びが増す方へと進むこと。

自分の感覚と身体を使って丁寧に進むこと。

 

 

「誰にとって」歌詞

新しいかどうかなんて 僕にはどちらでもいい

新しいかどうかなんて どちらでもいい

僕にとっては

新しいかなんて どちらでもいいんだ


誰にとっての新しさ

誰にとっての新しさだ

誰にとっての新しさだろう 

僕には どちらでもいいんだよ


自分の手で つかんだもの

誰にとっての 新しさだろう

 

 

即興音日記157曲目「誰にとって」録音ノート

録音前に、ギターで弾くコードとコード進行を決めた。歌詞のアウトラインを頭の中で2,3行決めた。

曲の始めから終わりまで一度も歌ってみることなく、録音を開始。決めたコード進行も脳の中にある歌詞も、すべて暫定的。変わり得るもの。すべては音楽の素材に過ぎない。

スマートフォンの録音ボタンをタップして、ギターで最初の音を出す。それを聴いて(聴きながら)次の音を出す。その行為に集中するのみ。弾き歌いながら、戸惑ってもいいし、迷ってもいいし、彷徨ってもいい。即興音日記はいつも余白だらけ、隙間だらけ、スキだらけ。


録音後すかさず、その音日記の余白に即興で応答した。即興に即興で応えていくサイクル。


1秒後の自分が何をするのか自分にも分からない。私はそれを、とても人間らしいことだと思う。




「いま照らされるひと」ミュージックビデオに寄せて

2022-04-16 09:01:00 | 日記

ギターの音に触発されて声を出す。

その瞬間瞬間に手探りで旋律をつくりながらギターの音を聴く。

そうやって出した声に触発されてギターを弾く。

深夜にクラシックギターを抱え、音の往還だけに意識を傾け、気が付いたら10分が過ぎていた。


この10分間の録音を聴いているうちに、この曲を大切な方に捧げたいと思った。その方を想い、このタイトルを付けた。その方にこの音楽が届くことを願って。

即興音日記の156曲目「いま照らされるひと」。



「しろいすじ@たつの市揖保川」ミュージックビデオに寄せて/自分の曲をおさらいする

2022-04-10 18:20:00 | 日記

「しろいすじ@たつの市揖保川」


20181111日、この日、たつの市で開催中の『龍野アートプロジェクト2018 混成軌道 Hybrid Orbit』を訪ねた。背中にクラシックギターを背負って。

街中に展示された作品と、その表現者たちに出会って話した。この日の夜のコンサートの開演時間を待ちながら揖保川の堤防を越え、川べりに踏み入った。静かに暮れていく街の明かりと川面を眺めながら「しろいすじ」を歌った。


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自分の曲をおさらいする。

当時Facebookだけにアップロードした曲のミュージックビデオを少し手直しし、YouTubeに収める。


過去は大切。過去がなければ今はない。過去がなければ未来もない。

作曲することは生きること。私は今日まで何をしてきたのか。

YouTubeは私の表現をアーカイブできる。自分に向けてYouTubeにアップロードする。

それを一覧して悦に入りたいのではない。今日までの自分の音楽の軌跡を、ただ実感したいだけ。

公開するのは、私の表現に出会う人が万に一人でもいればと、ささやかに願っているから。




「井戸端会議#3」ミュージックビデオに寄せて/自分の曲をおさらいする

2022-04-08 10:19:00 | 日記

「井戸端会議#3


異国の井戸端で人々が話している。

囁いたり、呟いたり、笑ったり、激昂したり、励ましたりしているように聞こえる。

しかし、人々が話している言葉は一つか二つだけのようだ。


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「井戸端会議#3」は2018715日の早朝、家族が起きてくる前にウクレレで書いた即興曲。曲の最後に聞こえてくる家族とのやりとりで、この時のことを思い出す。


自分の曲をおさらいする。

当時Facebookだけにアップロードした「井戸端会議#3」のミュージックビデオを手直ししYouTubeに収める。音源は当時のまま。


過去は大切。過去がなければ今はない。過去がなければ未来もない。作曲することは生きること。私は今日までどんな音楽を書いてきたのか。


YouTubeは私の表現をアーカイブすることができる。自分に向けてYouTubeにアップロードする。そこに並ぶ曲たちを一覧して悦に入りたいのではない。今日までの自分の音楽の軌跡を、ただ実感したいだけ。

音楽を公開するのは、私の表現に出会う人が万に一人でもいればと、ささやかに願っているから。