中学時代はサード。
玉野光南高ではピッチャーで、三年春の中国大会で優勝。
夏は県大会準々決勝で敗退して、甲子園には出場していません。
社会人を経て、1992年のドラフト1位で日本ハムファイターズに入団。
球団初の契約金1億円選手でした。
現役時代は速球を武器に主に抑えとしての登板が多かった。
名前を聞いて、記録よりも記憶が先によみがえってきた選手です。
現役を引退してから10年近く経ちますが、そのストレートのキレはアマチュア相手には格が違いすぎました。
先日の日曜日のこと。
あるチームの練に、太郎と参加した時の先生が、この山原和敏さんでした。
投球前の遠投を見ていても凄い。サッカーのフィールドの長い方を楽々に投げ、まだ物足りなさそうな感じ。
マウンド上では、優に135kmは出ていたような感じです。
残念ながら、太郎は打席には立てませんでしたが、練習後に数分お話しする機会がありました。
感じのいい方でした。
今年は松永浩美さん、佐野慈紀さん、干場崇永さんと山原和敏さんと、元プロ野球選手をまじかに見られた一年でした。
今だから言いますが、本当はタイミングが合えば、元中日の川又米利さんのチームに葡萄隊の野球教室に来てもらおうと調整したのですが・・・縁がありませんでしたけど。
来年は古田敦也さんでも、見てみたいなあ。