野球小僧

ごめんそうらえ 沖縄 ひめゆりの塔(沖縄県糸満市)

「ひめゆりの塔」

名前は聞いていたとしても、歴史の授業をはじめ、映画や書籍などで取り上げられ、具体的にどんなところで、どんなことがあったというところまで、具体的には知らずに生きてきました。

今回、沖縄を訪れた際、まず最初に向かったのが、「ひめゆりの塔」です。

ひめゆりの塔の入り口ににある石碑には、次の文章が刻まれていました。

ひめゆりの塔の記

昭和二十年三月二十四日島尻郡玉城村港川方面へ米軍の艦砲射撃が始まった。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員生徒二百九十七名は、軍命によって看護要員としてただちに南風原陸軍病院の勤務についた。

戦闘がはげしくなるにつれて、前線から運ばれる負傷兵の数は激増し病院の壕はたちまち超満員になり、南風原村一日橋・玉城村糸数にも分室が設けられた。看護婦・生徒たちは夜昼となく力のかぎりをつくして傷病兵の看護をつづけた。

日本軍の首里撤退もせまった五月二十五日の夜南風原陸軍病院は重傷患者は壕に残し歩ける患者だけをつれて、手を引き肩をかし砲弾をくぐり、包帯をちぎって道しるべとしてここ摩文仁村に移動した。

南にくだった後は病院は本部・第一外科・糸数分室・第二外科・第三外科に分かれて業務を続けた。第三外科は現在のひめゆりの塔の壕にあった。

六月十八日いよいよ米軍がま近にせまり、看護隊は陸軍病院から解散を命ぜられた。翌十九日第三外科の壕は敵襲を受けガス弾を投げ込まれ地獄絵図と化し、奇跡的に生き残った五名をのぞき職員生徒四十名は岩に枕を並べた。軍医・兵・看護婦・炊事婦等二十九名、民間人六名も運命をともにした。その他の壕にいた職員生徒たちは壕脱出後弾雨の中をさまよい沖縄最南端の断崖に追い詰められて多く消息をたった。南風原陸軍病院に勤務した看護要員の全生徒の三分の二がこうして最期をとげたのである。

戦争がすんで二人の娘の行方をたずねていた金城和信夫妻によって第三外科壕がさがしあてられた。真和志村民の協力により昭和二十年四月七日最初のひめゆりの塔が建ち、次第に整備された。ここに沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の職員十六名、生徒二百八名の戦没者を合祀して白百合のかおりをほこったみ霊の心をうけ、平和の原点とする。

乙女らは涙と血とを流してえた体験を地下に埋めたくないと平和へのさけびを岩肌に刻みながらついに永遠に黙した。

ひめゆりの塔とは、沖縄戦末期に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡に立つ慰霊塔のことで、看護要員として戦場に動員され、亡くなっていった「ひめゆり学徒隊」の慰霊碑のことです。慰霊塔に隣接している、ひめゆり平和祈念資料館には、ひめゆり学徒隊の犠牲者の遺品や、ガス弾によって多くの犠牲者がでた伊原第三外科壕が実物大で再現されており、ひめゆり学徒隊について学べる場となっています。

ひめゆりの塔です。

平和祈念資料館によると、沖縄県立第一高等女学校を「乙姫」沖縄模範学校女子部を「白百合」と名付けられていたそうです。その両方の名前を合わせて「姫百合」と名付けられ、ひらがなで「ひめゆり」と使うようになったそうです。

洞窟や壕のことを沖縄の方言で「ガマ」と呼ばれています。ひめゆりの塔が建っている前のガマには当時、ひめゆり学徒を含む病院関係者や住人などおよそ100名がいたそうです。解散命令後の619日に米軍のガス弾攻撃を受けて80人余りが亡くなられたそうです。

慰霊塔の前に穴があいている、この洞窟が沖縄陸軍病院第三外科壕跡です。

この地を初めて訪れましたが、静寂な静けさの中、自分が凛とするような気持にさせられます。

また、心の奥底から、言葉にできない悲しみがやってきます。もし、自分が当時の兵隊ならば、ひめゆり学徒隊ならば、住人ならば、考えると・・・いいえ、そうでなくても、この地で亡くなられた方のことを思いますと、自然と涙が流れてきます。

この、ひめゆりの塔から車で約15分言ったところに、荒崎という、沖縄本島最南端になる場所があります。そこは、沖縄陸軍病院第三外科壕の解散命令後、ひめゆり学徒隊が米軍からの攻撃から逃げるためにたどり着いた地であり、自害や米軍の攻撃で亡くなったりした、終焉の地です(今回は行くことは出来ませんでした)。

私は沖縄戦を経験したわけではなく、沖縄に住んでいるのでもありません。軽々しく言葉にはできませんが、悲惨な沖縄戦を子どもたちに伝え、平和のありがたさ、大切さを継承していってくれればいいと考え、次回は子どもたちも連れてきたいと思いました。

 

コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
おっと、唐突に沖縄シリーズが始まってしまいました。

デパートの沖縄物産フェアと東京・新橋の沖縄アンテナショップには行ったことはありますが、本当に本島へ行ってきました。

今回は社会勉強をしっかりとしてきました。いろいろと考えさせられる日々でした。
eco坊主
おはようございます。

ひめゆりの塔の参拝(でいいのかしら)お疲れさまでした。
いい経験をされたのですね。
私も沖縄は訪れたことがないので凛とする子持ちを体感したことはありませんが、広島や長崎とはまたちがうのでしょうね。

本当の意味で沖縄に平和が訪れますように。


色々ありがとうございました。
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