内海哲也選手は、京都府城陽市出身のプロ野球選手です。昨日までは読売ジャイアンツに所属し、今日からは埼玉西武ライオンズに所属する予定です。
ジャイアンツは20日、FAで入団した炭谷銀仁朗選手の人的補償として内海哲也選手がライオンズに移籍することを発表しました。
ま、長年にわたってジャイアンツのエースを務め、6度のリーグ優勝、2度の日本一に貢献する功労者ですが、ここ数年は成績が低迷し、年齢的なこともあるので、ある意味「当然かな」と思えるところはあります。また、それだけの選手でもありますから、「まさか」とジャイアンツ側は思っているかも知れません。
内海選手は2014年以降2ケタ勝利がなく、今季はやや上昇気味ではあったものの5勝。一方でチームには若手先発左腕が台頭してきており、今季は今村選手とメルセデス選手が活躍し、昨季13勝の田口選手もチームの将来には欠かせないでしょう。となれば、自然と内海選手の優先順位を下げざるを得なかったのではないかと思います。
そもそも、ジャイアンツは2014年、広島東洋カープから大竹寛選手をFAで獲得した際、人的補償で一岡竜司選手が流出。ジャイアンツ時代には通算13試合の登板のみでしたが、移籍後に大ブレークを果たし、カープのリーグ3連覇に貢献しました。世代交代を進めているのか、いないのかよく分からないなかで、ジャイアンツにとっては一岡選手の二の舞は避けたいところなのでしょう。おそらく、若手選手を優先し、28人のプロテクトを固めたのではないでしょうか。その答えは、カープが人的補償でどの選手を指名するか、それともしないのかで分かると思います。
これによってジャイアンツからライオンズへFAの人的補償で移籍する選手は、2005年の江藤智さん(豊田清さんの補償)、2013年の脇谷亮太さん(片岡治大さんの補償)、2017年の高木勇人選手(野上亮磨選手の補償)に続いて、2年連続4人目となります。
また、投手では通算8人目になります。移籍した過去の7人の投手は移籍1年目に全員が一軍公式戦に登板しています。中でも2007年の工藤公康さん、2012年の藤井秀悟さんの7勝を筆頭に6人が勝ち星を記録しています。さらに、2014年の一岡竜司選手、2017年の平良拳太郎選手はジャイアンツ時代に一軍未勝利だった投手がプロ初勝利をマークしています。
1996年 川辺忠義さん(河野博文さんの補償→日本ハムファイターズ)1勝3敗
2002年 平松一宏さん(前田幸長さんの補償→中日ドラゴンズ)0勝1敗
2007年 工藤公康さん(門倉健さんの補償→横浜ベイスターズ)7勝6敗
2012年 藤井秀悟さん(村田修一さんの補償→横浜DeNAベイスターズ)7勝7敗
2014年 一岡竜司選手(大竹寛選手の補償→広島東洋カープ)2勝0敗2S
2017年 平良拳太郎選手(山口俊選手の補償→横浜DeNAベイスターズ)1勝3敗
2018年 高木勇人選手(野上亮磨選手の補償→埼玉西武ライオンズ)1勝2敗
阪神タイガースから東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍し、その後、ジャイアンツへ移籍した中谷仁さんの話です。
イーグルスとの試合でKスタ宮城(現・コボスタ宮城)での試合前。一塁ファールグラウンドで早出練習をしていると、中谷さんのところにイーグルスの関係者の方があいさつに来て、「お前はウチに残って欲しかったんだよ。でもいいな、ジャイアンツのユニフォームを着て」と言ったそうです。その方がいなくなった後、やり取りを聞いていた内海選手が少しムキになって、中谷さんにこう言いました。「(中谷)仁さん、ありえないですね」「普通ね、チームに残って欲しいと思うんだったら残すでしょう。社交辞令とはいえ、あれはないです。見返してやりましょう」と熱い言葉をかけたそうです。
その後、中谷さんが引退して裏方になっても、接し方は何も変わらなかったそうです。人として尊敬できる意識、考え方を持った選手です。中谷さんがジャイアンツを辞める時、いろんなことを察して、「仁さん、巨人に残ってくださいね」とだけ言ったそうです。
こんな感じで、実際、移籍してきた選手、移籍していく選手にはかける言葉には内海選手の人間性が見えます。内海選手のエピソードには悪い話は出てきません。
ライオンズに移籍して、今まで以上に活躍することは難しいと思いますが、ライオンズは勝ち星以上の戦力を手に入れたといってもいいかも知れません。
なお、2007年のことです。
「ボクは長男なんで、実家への仕送りは、年に1回まとめてバーンと送っています!」と内海投手は笑って言います。
内海選手の母、広子さんは「うちは母子家庭。3人の息子がいて、末っ子の三男は大学に通っているんですが、お兄ちゃん(内海)は、その学費のことまで『心配するな』と言ってくれているんです。私が言うのもなんなんですが、本当に気持ちの優しい子なんです」といいます。
2003年のドラフトでジャイアンツ入りした直後、契約金で実家のある京都に2階建て5LDKの一軒家をプレゼント。プロ入り後から仕送りを欠かしたことがなく、その額は年俸(3600万円)の半分にもなったそうです。
「ボクは一家の大黒柱だし、母と弟2人を養っていかなきゃならない。ずっと野球を続けてこれたのも、女手一つで育ててくれた、おかんのおかげですからね」