JR森宮野原駅(もりみやのはらえき)は、長野県下水内郡栄村大字北信にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)JR飯山線の駅です。2010年4月1日付のJR東日本支社管轄割り当て見直しで、長野支社の管轄エリアはここまでとなり、以東は新潟支社の管轄となっています。
この駅名は、駅が位置する長野県栄村の「森」と、すぐ隣の新潟県津南町の「宮野原」の2つの地区名を合わせてつけられたものです。
以前は、終日駅員さんが配置されていましたが、JR飯山線の列車集中制御装置(Centralized Traffic Control = CTC)化と同時に簡易委託駅となっており、駅の管理はJR飯山駅が行っています。
私が、この駅を訪問したのは、2021年3月7日。2021年3月12日に公開した「忘れられた被災地(https://blog.goo.ne.jp/full-count/e/dd07d7764bba927561855c37bbf56397)」のときです。このとき、栄村を訪問する目的のもう1つに「駅そば」がありましたが、「ふきのとう」のランチ営業は新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、しばらくの間お休みとのことでした。
事前に調べていなかったため、現地に行って知った次第です。
営業が再開されたのち、いつの日か訪問し直したいと思っています。
このJR森宮野原駅は、1925年11月19日に飯山鉄道・西大滝~森宮野原間開通時に開業し、このときの木造駅舎は小さな平屋建てでしたが、2003年からに駅舎改築により、2004年4月に「交流館 ふきのとう」を併設した二代目駅舎が竣工しています。
ちなみに、飯山鉄道とは、地元の有志により発起され、1917年に鉄道免許状が下付されていますが資本金50万円に対し、第一次世界大戦の影響で工費が高騰、建設費車両購入費などでおよそ135万円かかり、資金が不足していました。そこに、沿線の信濃川に流入する中津川に水力発電所を計画していた信越電力(東京電燈と鈴木商店の共同出資のちに東京電燈に合併)がその建設資材の輸送手段として飯山鉄道を利用するために出資し、1921年に豊野~飯山間が開通してからは発電所建設資材運搬のため、1927年8月1日に森宮野原~越後外丸間が延伸開業、終着駅ではなくなり、1944年6月1日に国有化され、運輸通信省(後の日本国有鉄道)飯山線の駅となりました。背景には戦争のために沿線のブナ林を軍が必要としていたということがあったようです。
さて、栄村は世界的にも人が定住しているところでは有数の豪雪地です。このJR森宮野原駅では1945年2月12日に785cmの積雪を記録し、それを示す標柱が設置されています。これはJR日本最高積雪地点となっています。
ちなみに、気象庁委託観測所としては、1945年2月26日に富山県上新川郡大山町(現;富山市)真川で750cm、山岳を除く測候所では、1945年2月26日に新潟県上越市高田で377cm を記録していますので、この1945年2月はいかに豪雪だったかとわかります。
JR森宮野原駅は、長野県最北端に位置する駅であり、これで長野県最北端駅を制覇したことになりました。
本日も、私のブログにお越しいただいてありがとうございます。
今日はどのような一日になるのでしょうか。または、どのような一日を過ごされたのでしょうか。
その一日でほんの少しでも楽しいことがあれば、それを記憶にとどめるように努力しませんか。そして、それをあとで想いだすと、その日が明るくなる、それが元気の源になってくれるでしょう。
それを見つけるために、楽しいこと探しをしてみてください。昨日よりも、ほんの少しでも、いい一日でありますようにと、お祈りいたしております。
また、明日、ここで、お会いしましょう。