今年も日本のプロ野球に新外国人選手が大勢やって来ました。
お馴染みのレギュラー日本人選手の活躍は言うまでもありませんが、チームを優勝させるために大切なのが新戦力であり、中でも外国人選手にかかる期待はまだまだ大きいです。でも、海外での輝かしい履歴も、日本の“野球”文化の中で額面どおりに発揮できる場合もあれば、そうでない場合もあります。
特に、もうすぐ始まるキャンプでのスポーツ紙やネットニュースのスポーツコーナーを見ていますと、見出しで「あ、こいつはダメっぽいな」という姿が見えてきます。
「シュアなバッティング」
聞こえはいいものの、要するにパワーのない非力な選手ということです。チームによっては中距離バッターとして獲得する外国人選手もいますが、それでも外国人選手として魅力なのはホームランの長距離バッターです。よって、「シュアなバッティング」と言われると、ナニータさんを思い出しそうです。
リカルド・マイケル・ナニータ(Ricardo Michael Nanita) 左投げ左打ち / 外野手
2003年、MLBドラフト14巡目(全体412位)でシカゴ・ホワイトソックスから指名され入団。ルーキー級グレートフォールズ・ホワイトソックスで47試合に出場し、5本塁打37打点11盗塁、打率.384。
2009年は開幕をメキシカンリーグで迎えプレー。2010年もメキシカンリーグのタバスコ・キャトルメンでプレー。62試合、打率.341 ホームラン6本 30打点。8月30日にトロント・ブルージェイズとマイナー契約を結ぶ。2011年は2Aと3Aでプレー。3Aでは51試合 打率.363 ホームラン8本 33打点。
2012年は3Aで93試合 打率.306 ホームラン12本 62打点。2013年3月の第3回WBCのドミニカ共和国代表に選出。シーズンは2Aで開幕を迎え、5月に3Aへ昇格。3Aで38試合 打率.261 ホームラン2本 14打点。2014年は3Aから5月にメキシカンリーグへ移籍。
2014年12月に中日ドラゴンズと契約。2015年3月27日の阪神タイガース戦で初出場。4月14日の対タイガース戦で来日後初のサヨナラヒット。持病の腰痛や左肘痛に悩まされ58試合出場でホームラン0本だったものの、打率は3割8厘。2016年は92試合 打率.285 ホームラン8本 50打点であったが、12月に自由契約。
長打は少ないものの、ホームランを打つこともでき、広角にライナーを打ち分けることのできるアベレージタイプのバッターでしたがあまりにも非力すぎでした。実際には非力よりも、守備の非力さが足をひっぱちゃいました。
NPB:2年
144試合 打率.293 ホームラン8本 50打点
「内外野どこでもこなすユーティリティプレイヤー」
どこでもこなせる重宝な選手と思えますが、反面これと言った特徴のない選手のことを指すことが多いようです。さらに言うと、本当に内外野をこなせるユーティリティプレイヤーだったケースは非常に稀な存在です。真っ先に、セサルさんを思い浮かべます。
ディオニス・アレハンドロ・セサル(Dionys Alejandro Cesar) 右投げ両打ち / 外野手・内野手
18歳で米国に渡り、マイナーリーグやメキシカンリーグでプレー。当時はオークランド・アスレチックス、ミルウォーキー・ブルワーズ、シンシナティ・レッズ、モントリオール・エクスポズ、シカゴ・ホワイトソックス等の傘下チームを転々としたが、メジャー昇格は一度もなく3Aが最高。
2005年に台湾の中信ホエールズに在籍。28試合に出場し、打率.307、ホームラン1本、守備では8失策の記録。2006年にメキシカンリーグに戻り、米独立リーグへの移籍も重ねて2009年までプレー。2009年メキシカンリーグで打率3割8分で首位打者と40盗塁を記録し盗塁王にも輝きMVPに選手
CPBL:1年
28試合 打率.307 ホームラン1本 12打点
2009年12月に中日ドラゴンズと契約。2010年3月28日の対広島東洋カープ戦でサヨナラ安打を放つ。ただし、その試合では一時相手側の勝ち越しにつながるエラーを犯している。しかし、好機で打てず、エラーも多数犯すといった試合が続いたため、4月25日に二軍に降格。その後、二軍で結果が出ないながらも5月13日に再昇格。6月2日の対オリックスバファローズ戦では4安打。しかし、6月4日の対千葉ロッテマリーンズ戦の守備中に、捕球範囲のフライを追い越して落球した後、さらにフェンスに激突して負傷し、戦列を離れた。7月3日に再昇格。7月19日の対横浜ベイスターズ戦で、ノーアウト二・三塁の場面で見逃し三振、さらに平凡な飛球を落球し、この試合後に二軍降格。8月26日に昇格を果たしが、またしてもまったく打てなかったため8月29日に登録抹消し、そのままシーズン後に自由契約。
NPB:1年
51試合 打率.215 ホームラン1本 10打点
「当たれば飛ぶ」
日本ではパワー対パワーの真っ向勝負はごく一部です。日本で活躍するには配給パターンや変化球などに対応する必要があります。メジャーでの「当たれば飛ぶ」のスタイルのままプレーしてしまえば、日本では「三振がメチャメチャ多い」ということになりそうです。スパイクスさんのことでしょうか。
チャーリー・スパイクス(Leslie Charlie Spikes) 右投げ右打ち / 外野手
1969年にニューヨーク・ヤンキースにドラフト1位指名され入団。1972年にメジャー初昇格。翌1973年にクリーブランド・インディアンスに移籍するとレギュラーを獲得し中心選手となった。以後デトロイト・タイガース、アトランタ・ブレーブスを経て1981年中日ドラゴンズのテストに合格し入団。
MLB通算:9年
670試合 打率.246 ホームラン65本 256打点 388三振
入団当時は「ドラゴンズ最強の助っ人」という触れ込みでファンの期待も大きく、テストの際にキャンプ先を訪問した当時評論家の広岡達朗さんも「私なら即合格を出す」と太鼓判を押した程だった。
迎えた開幕戦で自打球を足に受け、病院でレントゲン撮影を受けることになったがこれを拒否しようとした。それは米国で骨折した際に足の骨にボルトを入れたままにしていたことを隠していた為であった。結局日本で活躍らしい活躍はできず、同年途中に中日が郭源治を獲得したこともありこの年限りで退団。
NPB通算:1年
26試合 打率.122 ホームラン1本 10打点 21三振
「名前がしっくりこない」
“名は体を表す”ではありませんが、活躍する外国人選手の名前は強そうですし、カッコいいです。たとえば「ランディ・バース」、「ラルフ・ブライアント」、「アレックス・カブレラ」、「ウラディミール・バレンティン」など記録、記憶に残る外国人選手の名前は如何にも強そうであり、しっくりくるものがあります。そういう意味ではディンゴさんなんかは人だか何だか。
デビッド・ウェイン・ニルソン(David Wayne "Dave" Nilsson) 右投げ右打ち / 捕手・外野手
中日ドラゴンズでの登録名はオーストラリア特有のイヌにちなんで「ディンゴ」。
1987年1月28日にミルウォーキー・ブルワーズと契約し、1992年5月18日にメジャーデビュー。1999年には野茂英雄さんとバッテリーを組んだ。同年はオーストラリア出身の選手として初めてMLBオールスターゲームに出場。さらにオーストラリア代表選手としてIBAFインターコンチネンタルカップに出場し、四番打者としてMVPを獲得。
MLB:8年
837試合 打率.284 ホームラン105本 470打点
2000年にシドニーオリンピック出場を条件としてドラゴンズに入団。多くの試合をレフトで出場するが、慣れない外野守備と日本のピッチャーに対応できず極度の打撃不振で8月に退団。キャッチャーでの出場は1試合のみ、ホームランも横浜スタジアムのライトスタンド場外に放った1本のみ。ただし、オーストラリア代表選手としてシドニーオリンピックに出場し、黒木知宏さんからホームランを放った。
その後、ボストン・レッドソックスへの入団が決まっていたが、故障のため契約を保留。2003年に契約を交わしたものの、実際にプレーすることはなく一旦は引退を表明。
2004年2月9日にアトランタ・ブレーブスとマイナー契約を結んだ後、アテネオリンピックにオーストラリア代表選手として出場。またしても対日本戦で活躍。10月15日にFA。
2006年3月に同年から開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のオーストラリア代表に選出。2010年から、オーストラリアン・ベースボールリーグのブリスベン・バンディッツで監督を務める。
NPB:1年
18試合 打率.180 ホームラン1本 8打点
間もなく、キャンプ入りです。
今シーズンのドラゴンズ新外国人選手のアレックス・ ゲレーロ選手、エルビス・アラウホ投手、ホルヘ・ロンドン投手。
野球の神様、どうか、 今年こそは外れにならないようにお願いします。(-人-)