お笑い芸人のオードリー・春日俊彰さんが日本テレビ系「得する人! 損する人!」(木曜日19:00~19:56に放送)の番組企画で東京大学受験に本気で取り組んでいます。番組内で「脳に効く得ワザを使えば東京大学に合格できる」というものです。とはいっても、独学ではなく、カリスマ講師の指導のもと、1日3時間の勉強で驚異的な成長を見せているそうです。
春日さんの地頭の良さは元々業界内でも有名だったそうで、番組で試しにやったセンター試験の過去問で古文で満点を取るなどだそうです。日本大学第二中学校・高等学校日大付属高に在籍していましたが、内申点が足りず内部進学出来ず、3ヶ月の勉強期間で一般受験の日本大学商学部(セ試得点率 73%~77%)に合格してます。カリスマ講師は1年あれば東京大学(セ試得点率 89%~90%)も可能性があるでしょうとのことです。
元々の基礎があるのですから、ずるいと言えばずるいですよね。
1990年代の日本テレビ系人気番組「進ぬ! 電波少年」の企画「電波少年的東大一直線」では、引き算もできない芸人の坂本ちゃんを、半年で東京大学に合格させる、という無謀な企画がありました。家庭教師のケイコ先生の教えもあって、学力は大きく向上したものの、当時のセンター試験では東京大学の一次通過ライン570点には及ばず、366点という結果に終わり不合格だったため、企画は「どこでもいいから一直線」に変更となり、結果として8校に合格(日本大学文理学部、駒沢大学仏教学部、青山学院大学経済学部第二部、帝京大学文学部、拓殖大学経済学部、国士舘大学文学部、明治大学二部政治経済学部、高千穂商科大学商学部 / 不合格; 慶應義塾大学商学部、早稲田大学社会科学部、立教大学観光学部、法政大学経済学部、専修大学商学部、玉川大学文学部)したというものでした。
そして、その後、ロンドンブーツ1号2号・田村淳さんがAbemaTVで「人生を賭けた重大発表」を実施すると発表し、9月23日に番組の模様を渋谷スクランブル交差点の屋外大型ビジョンをはじめ、原宿、名古屋・栄、大阪・道頓堀でも生放送し、「青山学院大学(セ試得点率 83%~90%)の受験」を宣言しました。当時、タイミングとして衆議院解散があり、政界進出かと噂された中でもあったため、世間の肩すかし感がハンパなく、日本中から大ブーイングを受けました。
おまけに青山学院大学という微妙なチョイスだったこともあり(私が言っているのじゃないですよ)に「そこはお笑いだったら東大だろ」と同じお笑い芸人の春日さんを引き合いに出されて、笑い的にも学力的にも視聴者からガッカリ認定されてしまったようです。青山学院大学だって立派ですから、ガッカリ認定というのは学生に対して失礼なことだと思いますが。
最近、芸能人の間では、こっそり大学入学が流行していると言われ、テリー伊藤さんと杉村大蔵さんが慶応大学大学院に入学したのをはじめ、多くのタレントがこっそりと入学を果たしています。テレビのクイズ番組でも高学歴タレントとして出演しています。そういう流れもあってのことかも知れません。
今回、田村さんの大学受験が残念な批判を受けているのは、ひそかに受験勉強して入学すればいいものを、番組の企画にした上、あわよくば合格しようと射程圏の目標を設定したことにあるとメディアでは言っています。また、AbemaTVの藤田晋社長の出身校だからという噂もあり、さらに反感を買っています。
オジサン方には1999年に広末涼子さんが早稲田大学教育学部に入学した際、報道陣が入学式に押し寄せ話題となりました。でも、最近はタレントが大学進学するのは、それほど珍しいことではなく、春日さん、田村さんにしてもTV番組の企画番宣も兼ての話題という感じです。人気絶頂期にモーニング娘。を卒業したテレビ東京の紺野あさ美さんや女優の二階堂ふみさんは慶應義塾大学に進学。ジャニーズでは、嵐の櫻井翔さんが慶應義塾大学、山下智久さんやNEWSの小山慶一郎さん、Hey! Say! JUMPの伊野尾慧さんは明治大学出身。薮宏太さんは早稲田大学、岡本圭人さんは上智大学にそれぞれ入学しています。
ただ、芸能人の大学受験というとAO入試(出願者自身の人物像や何らかの実績を学校側の求める学生像を照らし合わせて合否を決める入試方法)がほとんどだと思います。以前は何か1つでも秀でているものがあれば、それを前面に打ち出すことで合格を勝ち取れました。でも、最近のAO入試は高校の評定平均や英検2級以上、あるいはTOEIC600点以上といった足きりラインが設けられるケースが多くなり、非常に難しくなってきています。これはAO入試自体の間口が広がり、一般の高校生も自分なりの武器で受験するようになったことも影響しているようです。
一般入試で大学入学を狙うというのはいいことだと思います。ただ、合格したならば、キチンと大学にもかよい、卒業することをして欲しいです。受験で合格できなかった方に迷惑ですし、大学は当て馬に使われたと思うでしょうから。
AO入試と言えば、野球選手の中にもいますが、一般入試で大学へ進学した選手も多いです。
江川卓さん(元;読売ジャイアンツ) / 法政大学
1973年のドラフト会議で阪急ブレーブスから1位指名を受けるが、入団拒否。慶應義塾大学法学部政治学科を受験するも不合格だったため、法政大学法学部第二部法律学科に進学(のちに一部へ転籍)。慶應義塾大学受験に失敗したことはニュース速報として報じられるほど、大きな話題になった。不合格について「日本史で、過去の出題傾向から明治以降を完全に捨ててかかったら、その年に限って近代史の問題が多く出題された」と江川さんは分析。一方で、「江川を入学させると裏口入学だと騒がれる」という思惑から「例年なら野球部セレクションによる加点があるはずが、この年に限って加点が行われなかった」という説もある。
松家卓弘さん(元;北海道日本ハムファイターズ) / 東京大学
香川県No.1の超名門校の県立高松高校出身。現役で東京大学文科二類に合格。高校時代に読売ジャイアンツや北海道日本ハムファイターズから入団打診があったも断る。元々は指定校推薦での慶應義塾大学進学を希望していたも、担任の先生や友人の勧めで東大を受験。
佐藤友亮さん(元;埼玉西武ライオンズ) / 慶應義塾大学
高校受験生時代に猛勉強。1日10時間の勉強をして、一般入試で慶應義塾高校に進学。そのまま内部進学して慶應義塾大学へ。元々は弁護士を目指して勉強していた。現役時代は「プロ野球一IQの高い男」と紹介されることもあり、「グラウンドの諸葛亮孔明」の異名も持っている。
小宮山悟さん(元;千葉ロッテマリーンズ) / 早稲田大学
県立の進学校を目指すも不合格。滑り止め校の芝浦工業大学柏高校へ。早稲田大のセレクションに参加をしたものの、一般入試では不合格。代々木ゼミナール柏校に通うも、浪人1年目も勉強になかなか身が入らずに早稲田大に再び不合格。一念発起後は睡眠時間を1~2時間に削って、2浪の末、早稲田大学教育学部に合格。別名、「投げる精密機械」、「ミスターコントロール」。
江尻慎太郎さん(元;福岡ソフトバンクホークス) / 早稲田大学
宮城県No.1進学校の県立仙台第二高校出身。仙台二高は東北地方の東大合格者数で1位を争い、東北大合格者数もトップクラスの伝統ある県立進学校。慶應義塾大からの誘いを受けるも断る。浪人時代は、代々木ゼミナール仙台校で授業を受けていた。2年の浪人のあと、早稲田大学社会学部に合格。二浪の末に早稲田大学に入学したという経緯が同じであるため「小宮山悟二世」と呼ばれた。
川村丈夫さん(元;横浜ベイスターズ) / 立教大学
神奈川県央の公立名門校である厚木高校出身。高校卒業後は立教大学へ一般入試で進学(慶應大は不合格)。チームメイトが「川村に聞けばどんなことでも教えてくれる」というほどの秀才。
石井浩郎さん(元;横浜ベイスターズ) / 早稲田大学
秋田No.1の超名門校、県立秋田高校卒業。大学は一般入試で早稲田大学第二文学部に進学。
古田敦也さん(元;東京ヤクルトスワローズ) / 立命館大学
高校進学時には私立校から誘いがあったものの、自宅に近い公立の兵庫県立川西明峰高等学校に進学、高校3年間はほぼ無名の存在。高校三年の8月から受験勉強を始め、関西大学商学部、立命館大学経営学部経営学科の一般入試を受験し、どちらも合格。合格後は高校時代の監督から立命館の練習に参加するよう勧められ、そこで評価を得た。そして、当時、関西学生野球リーグにおいて関西大学は立命館大学より強豪だったため、関西大学への進学を決めて、入学を断るつもりで立命館大学へ挨拶に出向いたところ、立命館大学硬式野球部監督の中尾卓一さんに大喜びされ強引に押し切られ、またその夜、先輩に高級料亭における夕食に誘われ、京都の祇園の夜の街に魅せられたことで心変わりし、立命館大学に入学。
金本知憲さん(元;阪神タイガース) / 東北福祉大学
大学入試で何度もトラブルに遭う。法政大学野球部のセレクションを受ける準備を進めていたが、当時の広陵高監督が本当なら8月に行われるセレクションを12月だと告げ、受けられず、1年間の浪人生活の後、広陵の監督が推薦は大丈夫だと言い、中央大学硬式野球部のセレクションを目指すが、中央大学の監督からは浪人は推薦がないと聞かされ不合格。この間、ヤクルトスワローズの入団テストを受けたがこれも不合格。失意の中、知人から当時は無名だった東北福祉大学を紹介され一般受験で入学。
上原浩治選手(ボストン・レッドソックス) / 大阪体育大学
体育教師になる夢を叶えるため大阪体育大学を受験。運動能力、学力とも合格ラインに達していると自負していたが、結果は不合格。この時のショックは忘れられないほど強烈なものだったが、浪人してもう一度受験。隣町の予備校に通う傍らジムでトレーニングを積み、更に家計への負担を減らすために夜間は道路工事のアルバイトもこなした。この間の努力は「人生であれほど燃えた1年間はない」程だった。翌年、再度大体大を受験し合格。