野球小僧

東京大学出身のプロ野球選手

日本の最高学府として、東の東京大学、西の京都大学と並んで呼ばれます。過去にその最高学府からプロ野球の世界へ進んだ秀才選手は、東京大学卒が5人いましたが、いずれもプロ野球選手としては大成出来ず、初の京都大学卒となった千葉ロッテマリーンズの田中英祐選手に、そのジンクス破りが期待されていましたが、残念ながら戦力外通告を受けました。

2014年のドラフト2位。当時、阪神タイガースもリストアップしており、もしマリーンズが2位で指名しなければ、3位以降でタイガースが指名予定だったそうです。大学出にしては線が細かったものの、最速は148km/hをマークしており、スライダー、フォークで三振も取れました。

1年目はキャンプ、オープン戦と順調で開幕一軍こそ外れたものの、二軍で2試合14イニング無失点の結果を残し、4月29日の埼玉西武ライオンズ戦で初先発。しかし、6安打3四球5失点で、わずか3回でKO。その後、中継ぎ登板となりますが、そこでも結果を出せず二軍降格となり、過酷なプロの世界で肉体が悲鳴をあげてメンタルもパンクしてしまいました。いわゆる“イップス”となってしまい、2年目はほとんどピッチング練習さえできない時期が続き、今年はスリークォーター気味に腕を下げ再起を喫したものの、二軍戦でさえわずか3試合、2回3分の1を投げただけで終わり、球団としてはこれ以上契約を継続するのは難しいと考え、わずか3年で戦力外になりました。

そして、まだ決定していませんが、その田中選手と入れ替わるように、今年、東京大学の宮台康平選手がプロ志望届を提出しました。プロ入りが実現すれば、東京大学出身者として6人目になります(2017年10月6日時点)。

新治伸治さん / 大洋ホエールズ
経済学部卒業後に大洋漁業(後のマルハ)に入社。その後すぐに子会社「大洋ホエールズ」への出向を命ぜられ(1965年当時はドラフト制度がまだない)、事実上会社命令でプロ野球選手となる。
ストレートを武器にリリーフとして活躍するも、3年目以降は低迷。プロ入りを後押しした三原脩監督が退団したことで1968年に引退。
引退後は親会社に復帰し、海外勤務や支社長を経験。その後横浜ベイスターズの球団顧問も務めた。
2004年に東都六大学春季リーグの始球式を行い、その翌日、自宅にて急逝した。
通算; 68試合8勝43敗 防御率3.21奪三振149

井手峻さん / 中日ドラゴンズ
1966年のドラフト3位で中日ドラゴンズに入団。ピッチャーとして1年目に1勝するも、その後低迷。1970年に外野手に転向し、俊足と強肩を武器に守備固めとして活躍。また代走にもたびたび起用。長嶋茂雄さんの引退試合にも出場していたことで知られ、最期のスコアボードに名前が出ている。
引退後は二軍監督や解説者を経て、1987年からは中日フロント入り、取締役員にまで出世し、編成担当兼チーム運営部長兼渉外部長を務めた。
通算; 17試合1勝4敗 防御率5.13 奪三振21
通算; 359試合 64打数12安打 ホームラン1本 2打点 打率.188

小林至さん / ロッテオリオンズ
経済学部経営学科に在籍中にロッテの金田監督から入団テストの機会を与えられ合格。しかし、留年していたため一年間は練習生としてオリオンズに在籍、1992年にドラフト8位で入団。
入団後は二軍登録が続き、プロ生活での一軍経験なし。二軍での成績も防御率が6点台を超え、2年間で自由契約、引退。
その後経営学の知識を生かしてコロンビア大学へ留学、経営学修士(MBA)を取得。フロリダ州のケーブルテレビ局で通訳などを務めた。2000年に日本に帰国後、参院選に出馬するも落選、江戸川大学にて教授を務めながらスポーツ評論家としての活動を行い、2005年からは福岡ソフトバンクホークスの球団取締役として編成育成部長などを務める。しかし、2011年に杉内俊哉選手(現; 読売ジャイアンツ)との契約更改時に「FA宣言してもお前を取る球団はない」と発言し、杉内選手はFAを行使し移籍したとされ、責任を取る形で取締役を辞任、編成育成部長から海外担当兼中長期戦略担当部長に異動するという騒動が起きた。現在は江戸川大学教授。

遠藤良平さん / 日本ハムファイターズ
東京大学文科3類に在籍。1年春から六大学リーグ戦のピッチャーとして活躍、通算57試合で150以上の奪三振を記録。1999年にドラフト7位で指名を受け入団。
現役生活は2年と短く、そのほとんどを二軍で過ごす。一軍として登板したのも一打席、それも2球だけであった。引退後はアメリカへ留学し、帰国後に日本ハムの球団職員となり、現在はGM補佐を務めている。
通算; 1試合0勝0敗 防御率--- 奪三振0

松家卓弘さん / 横浜ベイスターズ→日本ハムファイターズ
現役で東京大学文科二類に合格。六大学リーグでは通算3勝ながら、前優勝校である明治大学を相手に2安打完封勝利を挙げて話題となる。2004年にドラフト9巡目でベイスターズが交渉権獲得。しかし、卒業単位が足りないため卒業できず、結果的に史上初の現役東大生プロ野球選手となった。
プロ入り後は何度か一軍に昇格するも登板機会はなく、初登板は5年後の2009年のことであった。しかし、11月にトレードでファイターズに移籍。ファイターズに移籍後も一軍登録は序盤のみで、長い二軍生活を余儀なくされた後、2012年に戦力外通告を受けた。
その後日本や台湾でトライアウトを受けるもオファーが無かったことを受けて、アメリカ球界挑戦を決意。2013年4月にアメリカン・アソシエーション(独立リーグ)のゲーリー・サウスショア・レイルキャッツと契約したが、1試合に登板したのみで5月に解雇。
その後、東洋大学の通信課程にて地歴公民科の教員免許を取得。2015年度香川県教員採用試験を受験して合格を果たし、2015年4月より香川県立香川中央高等学校に教諭として勤務、また同校野球部でコーチを務めている。
通算; 14試合0勝0敗 防御率4.50 奪三振15

コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
おいら岬の~灯台守は~♪

なんの才能もない私がこんなことを言ってもどうしようもないのですが、東京大学出身でプロ野球で大成しなくても、プロ野球という世界に入っただけでも充分すぎますよね。

野球だけがすべてじゃないですから。喜びも悲しみも幾歳月ってところですね。
eco坊主
おはようございます(*Ü*)ノ"☀

東京大学出(東出昌大と似ているけど)と聞きてもやはり井出さんと小林さんくらいしか思い浮かびません。
井出さんは代走のイメージです。
小林さんは選手っていうより鷹の取締役として件の発言ですね。

今の芸能界での出世頭は林修氏でしょうか!?

我が家の直ぐ傍には何本も”とうだい”がありよく行ったもんです!
とういう”ベタ”なオチで・・・・。
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