野球小僧

高校野球のスタート

中学三年生を対象の進学者に対して高校では学習内容を体験したり、進路相談をしたりとの体験学習会があります。
何校もの説明会に参加して、その中から自分に合った高校を選んだり、最初から希望する高校一本だったりといろんなパターンがあります。

大体の流れは次のようなものです。
「受付」→「あいさつ」→「入試概要説明」→「学校紹介」→「生徒会行事説明」→「学校見学」→「模擬授業」→「部活動見学・体験」

基本的には中学三年生が高校の部活を体験する「部活動体験会」があるため、高校で野球をやりたい中学生にとって進学のための、一つの選択肢にもなります。

ここでの大きな目的の一つは、野球で進学をしたい中学生が主に私立高校へ野球の推薦で入学をする場合、部活動体験会に参加して高校の監督に直接プレーなどを見てもらうことです。また、学校側も部活動体験会に参加した中学生の実力を観ることが出来るため、バッティングや守備、ピッチングのほか、走塁のタイムを測ったりというのもあるようです。あくまでも、これは体験ですので、実際の入試とは関係はありません(のはず)。

一つ言えるのは、この場で面倒を見てくれる高校生を通じて、その学校の野球部の雰囲気を掴むことですね。ある程度事前にいろいろな情報を得ていると思いますが、実際に自分の野球観と合うかどうかは、実際に触れてみないと判りませんので、短い時間ですが、いい機会になります。


(この時の背番号は8でした)


1977年の夏の甲子園。
華奢な体格ながらひたむきに投げ続けるピッチャーが話題になりました。硬球を握ってわずか5ヶ月。愛知・東邦高校の一年生右腕は高松商、黒沢尻工高、熊本工高、大鉄高(現・阪南大高)を破って決勝進出。決勝戦では兵庫・東洋大学付属姫路高校を相手に好投し、1-1の延長10回裏の2アウト一・二塁から決勝史上初のサヨナラ3ランホームランを打たれ準優勝に終わりました。その悲劇性も加わり、人気は最高潮に達し、「バンビ」の愛称で甲子園のアイドルになりました。

そのピッチャーは坂本佳一さん。現在は名古屋市内でサラリーマン生活のかたわら、NPO法人「フィールドオブドリームズ」で野球の普及活動のほか、高校野球の解説者も務めています。

中学時代は軟式野球部で外野の補欠。名古屋電気高(現・愛工大名電高)のセレクションを受けましたが、華奢な身体を理由に落とされてしまいました。そして、一般入試で東邦高へ入学しました。「打倒・名電。見返すことができる学校を選んだ」そうです。入学式が済むと、その足で当時の野球部阪口慶三監督(現・大垣日大高校野球部監督)を訪ねて入部を申し出ました。
東邦高と言えば、愛知私学四強にも挙げられるほどの野球部強豪校です。一般入試からの入部も、阪口監督に入部を直訴した生徒も珍しかったそうです。

そして、ピッチャーとしての才能を見いだされ、一年生夏の県大会から背番号10でベンチ入り。決勝の名古屋電気高戦で先発に起用され、6-1で勝利投手となり、いきなり「打倒・名電」を果たしての、甲子園出場を果たしました。

「サヨナラホームランを打たれた瞬間は、今でもよく覚えています。不思議と悔しさはなかった。飛んで行くボールを眺めながら、これで解放されるんだな、という気持ちでした」

そう坂本さんは振り返っています。

「疲れていたんです。当時、私は15歳でした。甲子園に来てから3週間。親元をあんなに長く離れたことはなかった。自分で洗濯をするのも初めてでした。初体験の連続を何となく面倒くさいなあと思っていて、ようやく終わったなと」

でも、甲子園が終わっても普通の高校生には戻れず、甲子園での活躍によって、より一層注目され続けられるようになってしまったそうです。

「それからは応援してくれる人の期待に応えようと必死でした。でも私は、毎試合相手を完封できるような投手ではなかったんです。それは自分が一番わかっていた。自分で自分が可哀想になりました」

自分の実力と、注目の大きさとの差に悩み続け、本来の力を発揮出来ずに、再び甲子園のマウンドに立つことはありませんでした。
二年生の夏の県大会は決勝で敗れ、三年生の夏は三回戦で名古屋電気高に0-1で敗れてします。卒業後、法政大学に進学しましたが、イップスもあって投げられず、社会人野球では2年で現役を引退して、現役生活に別れを告げています。

でも、坂本さんは高校時代の経験は決して無駄ではなかったと言っています。
仕事に悩むとあの頃を思い出すそうです。サラリーマン人生は難しいことばかり。人生には良いことも悪いこともあると、高校時代に身をもって知ったからだそうです。

コメント一覧

まっくろくろすけ
eco坊主さん、こんばんは。
一年生ピッチャーとして驚きでした。しかも、あの細い華奢な身体でしたし。
私がこんな偉そうなことを言ってはいけないでしょうけど、プロには行かずに良かったのではないでしょうか。

人生には良いことも悪いこともある。まだまだ、これから先は何が待ち構えているかは判りませんが、きっと「あの時と比べれば」ということがあるはずです。
eco坊主
おはようございます。

バンビ坂本・・よく覚えています!
同世代ですから~~~
彼もまた甲子園アイドルでしたね。
彼にイップスがあったとは知りませんでした。
大学に行ってから聞かなくなったぁ~と思っていましけど。

高校時代が糧に・・私はどうでしょう?
考えさせられちゃいます。
JRで1時間半かけて通った高校。
遊びでアメフト(もどき)しかやってなかったなぁ・・・

でも其処があるから今がある!
まっ、いいか^^;
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