帰りのバスの中で、「大変やったな、3年間」と西谷浩一監督(大阪桐蔭高野球部監督)からそっと声をかけられました。
いつも淡々としていて、感情を表に出すことのない岩田稔選手(当時;大阪桐蔭高/現;阪神タイガース)の涙腺は崩壊。声をあげて「ギャン泣きした!」といいます。
岩田稔選手は、阪神タイガースに所属する大阪府守口市出身のプロ野球選手です。ポジションはピッチャーです。
守口市立庭窪中から大阪桐蔭高に進学。二年秋からエースとなり、秋季大阪府大会で準優勝、近畿大会でもベスト8入りしましたが、同年の冬に風邪を引いた際のウイルス感染が原因で1型糖尿病を発症。三年時にもエースナンバーを背負っていましたが、腰の故障により夏の大阪府大会での登板機会はありませんでした。
高校卒業後に社会人野球チームで野球を続ける予定でしたが、1型糖尿病の影響で白紙となり、関西大に推薦入試で進学。大学進学後も故障に悩まされたため、関西学生野球リーグ戦では通算23試合6勝10敗 防御率2.11 143奪三振という成績でした。
しかし、最速151km/hの速球や縦に割れるカーブを軸に、カット・ファスト・ボールやチェンジアップなどの多彩な変化球を投じるスタイルを、当時阪神タイガースのスカウトだった大学の先輩・山口高志さんが評価し、2005年のプロ野球大学・社会人ドラフト会議で、希望枠によってタイガースに入団しました。
2009年には、レギュラーシーズンの開幕前に開かれた第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表に選出。本選では、中継ぎで2試合に登板するとともに、日本代表の大会2連覇に貢献しました。しかし、大会後に左肩を痛めていたことが発覚。帰国後の検査で「左肩肩峰下滑液胞炎」と診断されたため、一軍公式戦へのシーズン初登板は6月10日の埼玉西武ライオンズ戦まで持ち越されました。
2010年は開幕前の3月に左ヒジを故障。手術を受けた後にリハビリへ専念したため、一軍公式戦への登板機会はなく、シーズン終了後のフェニックス・リーグ最終戦で実戦に復帰しています。
2013年には、開幕から先発ローテーションに入ったものの、序盤から制球に苦しみ、4月を3連敗で終えると、5月11日の東京ヤクルトスワローズ戦で途中で交代し、二軍行きとなります。夏場に一軍へ復帰したものの、不安定な投球が続いたことから、中継ぎへ配置転換したものの、結果を残せなかったため、シーズン終盤には再度二軍行きとなりました。
2014年には一軍ローテーションに定着し、月間MVPを受賞を受賞。クライマックスシリーズ ファイナルステージ突破に貢献。日本シリーズでも、好投し、シーズン終了後の日米野球2014の日本代表に選出するまで復活しました。
2016年は開幕から先発ローテーションの一角を任されましたが、4月末から二軍で調整。9月に一軍へ復帰したものの、すぐに再度二軍行き。0勝3敗、防御率8.85と不振。このため、シーズン後の契約では、NPBの野球協約に定められた年俸1億円以下の選手に対する減額率の上限(25%)に迫る減俸とまり、「初心に返って引退覚悟で2017年シーズンに臨む」とコメントしています。
2017年に開幕直前からは二軍での調整。7月27日にシーズン初登板し、公式戦では2015年9月20日のスワローズ戦以来676日振りの勝利。この年は10試合3勝2敗、防御率4.25にとどまったものの、復調の兆しを見せました。
2018年は一軍での登板機会に恵まれず、シーズンの大半が二軍。登板試合数はわずか6試合。0勝4敗に終わり、この年もシーズン終了後の契約更改で、NPBの減額制限に近い24%の減俸を球団から提示され、契約を更改しています。
これまでの野球人生において、いくつもの苦難を乗り越えてきた岩田選手。
なかでも大阪桐蔭高時代、二年の冬に発症した1型糖尿病はその後の野球人生に大きな影響を及ぼしました。
世間一般に言われる、主に肥満、運動不足、ストレスなどが原因で起こる2型糖尿病とは違い、1型糖尿病は、すい臓のβ細胞が壊れインスリンが突然分泌されなくなってしまう病気です。子どものころに発症することが多いため、岩田選手と同じ悩みを抱く子どもたちが多いのが実情です。また、世間ではまだまだ糖尿病に対する認識不足があることも事実です。
2005年ドラフトの自由獲得枠でタイガース入団を決めたが、その理由が、「阪神は人気球団ゆえ、大きく報道されることが多いため」でした。これは、「自分が活躍することで同じ病を持つ子どもたちに生きる希望を与えられる」、そう考えた岩田選手の優しさでもあります。
1型糖尿病のため1日4回のインスリン注射は欠かせません。しかし、アマチュア時代に糖尿病を発症しつつもプロで活躍したビル・ガリクソンさん(元;読売ジャイアンツ)や、8歳で1型糖尿病を発症しながらエアロビックの世界チャンピオンになった大村詠一さんに勇気づけられ、「自分が頑張ることで、同じように糖尿病と戦っている人たちを勇気づけていきたい」と話しています。
2012年からは、登板した一軍の公式戦で1勝するたびに、10万円を糖尿病研究のために寄付。シーズンを終えるたびに、1シーズン分の総額に相当する寄付金を、NPO法人の日本IDDMネットワークへ贈呈しています。また、糖尿病を患う少年たちを激励する目的で、阪神甲子園球場での野球観戦と交流会に招待しています。2013年には、糖尿病患者に対する慈善活動が評価されたことによって、阪神球団から若林忠志賞を授与されました。
2016年に自身初の著書「やらな、しゃーない! 1型糖尿病と不屈の左腕」を出版し、印税を全額日本IDDMネットワークへ寄付しています。
2017年には、以上の活動に対して、報知新聞社から第19回ゴールデンスピリット賞を授与されました。
2019年。春季キャンプから公式戦の開幕直後まで二軍で過ごしたものの、二軍で4試合に登板し、防御率0.53を記録するなど好調だったため、4月18日のスワローズ戦で先発し、5点を失いながらも、一軍2年振りの勝利を自身4年振りの完投勝利で挙げています。
岩田選手は子どもたちのために野球人生最後の復活にかけています。
プロ野球選手は、子どもたちの希望であり、憧れでもあります。特に岩田選手は、同じ1型糖尿病を抱え戦う子どもたちの希望でもあるでしょう。再びマウンドで活躍する姿を見せて欲しいと思います。
苦難を乗り越え、何度も立ち上がっていくことの意味を岩田選手に教わりました。