横浜スタジアムは、日本の神奈川県横浜市中区の横浜公園内にある野球場です。プロ野球セントラル・リーグに所属する横浜DeNAベイスターズの本拠地(専用球場)として使用されています。通称:「ハマスタ」。
1978年3月、老朽化した横浜公園平和野球場(通称「平和球場」)の跡地に竣工。同年より、川崎球場(現:川崎富士見球技場)から移転した横浜大洋ホエールズ(現:横浜DeNAベイスターズ)の本拠地となったほか、神奈川大学野球連盟のリーグ戦や、全国高等学校野球選手権神奈川大会、横浜市長杯関東地区大学野球選手権大会(明治神宮野球大会出場決定戦)、社会人野球等、アマチュア野球の会場としても用いられる他に、アメリカンフットボールの会場としても利用されています。ちなみに、一般的な知名度こそ高くないですが、全国の中学、クラブチームが参加する全日本少年軟式野球大会も1984年から開催されており、中学軟式野球の聖地にもなっています。
平和球場の前にも、この地には歴史があり、もともとは1876年に横浜居留地に開かれたクリケット場でした。1899年に居留地が日本に返還され、横浜公園球場として整備された。その後、関東大震災で崩壊しましたが、早期に復興されています。
クリケット場時代には、旧制第一高等学校と横浜カントリー&アスレティッククラブによる日本初の国際試合が開催され、1934年にはメジャーリーグ選抜と全日本選抜の親善試合も開催されました。ルー・ゲーリッグさん(元ニューヨーク・ヤンキース)やベーブ・ルースさん(元ニューヨーク・ヤンキースほか)が来日し、全日本選抜を圧倒。この一戦から日本でのプロ野球(当時は職業野球と呼ばれていた)誕生の機運が高まりました。
野球に敗れた日本は1945年8月に第二次世界大戦にも敗れ、横浜公園野球場は連合軍に接収されてしまいます。基本的に接収地は建物が取り壊され、転用される場合も多かったのですが、ゲーリッグさんがプレーした球場は大事に扱われ、「ルー・ゲーリック・メモリアル・スタジアム」として、そのまま球場として使用されました。
1946年には照明が設置され、1948年にはナイターで急映フライヤーズ vs. 大陽ロビンスの職業野球公式戦も開催。これが日本プロ野球界初のナイトゲームでした。
その後、1952年に日本に返還され、「横浜公園平和野球場」としてアマチュアを中心に利用されてきましたが、1977年に老朽化のため閉場・解体となり、新たに「横浜スタジアム」が建設されました。
なお、横浜スタジアムは2020年夏季東京オリンピック野球・ソフトボール競技の主会場に用いることが決まっており、スタジアム改修計画の真っ最中です。
横浜スタジアムは100年以上の歴史を持つ「野球の地」です。その地には阪神甲子園球場や明治神宮球場にも劣らない伝統があります。そして、私は約35年ぶりに、その地を訪れる予定です。