(「にふぇーでーびる 沖縄 斎場御嶽 / せーふぁうたき(沖縄県南城市)(https://blog.goo.ne.jp/full-count/e/71bca0caaef0231e461b9d2edefa1910)」の続きになる、2020年2月に訪問した際のことです)
中城城跡(なかぐすくじょうあと)は、沖縄本島東海岸の中城湾に沿った標高約160mの高台上に、 北東から南西にほぼ一直線に築かれた城(ぐすく)で、沖縄戦戦禍をまぬがれ、沖縄県内に300余りあるといわれている城の中でもっとも原型をとどめていることで有名です。
築城技術という点でも注目されており、城は連郭式で6つの郭から成り、南は断崖、北は急傾斜地となっています。城壁は、自然の岩石と地形をたくみに利用した美しい曲線を描いており、南の郭と西の郭が「布積み」 、三の郭と北の郭が「あいかた積み」の2とおりの手法が用いられています。
また、城内には首里城を遥拝したり、雨ごいのための御獄など、いたるところに拝所があります。
景勝地としても知られ、城壁に立つと東に中城湾(太平洋)、西に東シナ海を望み勝連半島、知念半島、さらに周辺の洋上の島々までも見渡すことができます。城郭部の面積はナゴヤドーム約2.5個分の122,399㎡と広大な場所です。
ちなみに、こういう史跡を訪れる場合、その歴史背景を少しだけ事前に仕入れておくことで、当時の情景をさらに膨らませて楽しむことが出来ます。
今話題の明智光秀さんと言えば岐阜県のご当地ヒーローですが、沖縄で絶大な人気と知名度を誇る歴史のヒーローと言えば、護佐丸(ごさまる)さんと阿麻和利(あまわり)さんです。当時、二人は按司(あじ)と呼ばれる実力者でした。
中城城は、築かれた年代は不明ですが、14世紀中頃(室町時代)に先中城按司(さちなかぐすくあじ)と呼ばれる琉球の豪族の初代が台城に居城を構え中城城を築き始めます。
その護佐丸さん(ごさまる、生年不詳~1458年。15世紀の琉球王国・中山の按司。1440年~1458年居城)が琉球王の命により、移り住んできたのが中城城です。護佐丸さんは先代の按司たちにより建設されていた中城城の防御をより強固にするため、北の郭と三の郭の増築が行われたといわれています。
城壁の石はサンゴ礁によって作られた「琉球石灰岩」なのだそうです。サンゴを見ますと、小さな穴がポツポツと開いていますが、それと同じで、沖縄の石畳や昔ながらの家の石垣などにも使われている、沖縄ではお馴染みの石で、精工で頑丈です。何しろ、台風や海風など自然環境の厳しい沖縄で600年以上、当時の姿のままであります。また、戦時中に日本軍が防空壕を造ろうとしたものの、石垣の堅牢さに建設をあきらめたらしいです。
その築城技術のおかげもあり、グスク独特のカーブを描いた城壁を今でも見ることが出来ます。中城城跡イメージ城壁がカーブを描いているのは、グスクが丘陵地にあるため。城壁が一気に崩れ落ちてしまわないように、ゆったりとした曲線を描いた形になっているのです。
城内には神聖な場所とされる「拝所(はいじょ)」が8ヶ所あり、いまでも多くの人が拝みに訪れるそうです。
城内には、鮮やかなピンクの花を咲かせるカンヒザクラが咲いていました。
2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺跡群」として登録された世界遺産のひとつ。
琉球が海外交易で栄えていた14世紀~15世紀に築かれ、今なお古き良き琉球の風を肌で感じることのできる貴重な古城跡でした。
あらためて、2度とこない今日という1日を大事に大切に過ごしたいと思います。
良いことはずっと続き、良くないことには、必ず終わりが来ると信じていきましょう。
今日も、私のブログを最後まで読んでいただき、ありがとうございます。明日もまた、元気にここでお会いしましょう。