「信州を紹介します」のコーナー第5回は、「長野県上水内郡信濃町」です。
信濃町の玄関口は、しなの鉄道・北しなの線路線にある「黒姫駅」になります。黒姫駅は、長野県長野市のJR長野駅と新潟県妙高市の妙高高原駅間の約37kmを結ぶ、第三セクターしなの鉄道・北しなの線路線にある長野県上水内郡信濃町の駅です。北しなの線の長野県最北端駅です。
しなの鉄道・北しなの線は、もとは東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の一部でしたが、2015年3月14日の北陸新幹線・長野駅~金沢駅間延伸開業にともなって、並行在来線として経営分離された区間になり、そのうちの長野県内の区間になります。ちなみに、妙高高原駅以降は「えちごトキめき鉄道」となっています。
(2020年11月下旬に訪問したときの写真です)
「信濃町」は、1956年9月30日に、旧信濃村・旧古間(ふるま)村・旧信濃尻村が合併して発足した町で、町名は旧国名(信濃国)に由来する、「古来この地方は、北信濃あるいは奥信濃ともいわれており、文献古書などにもこの名称が数多く収録されており、この地方の住民にも親しまれていることから、この呼び名を簡潔に表現して信濃町とした」とのことです。
信濃町は風光明媚な避暑地として、また、ナウマンゾウの発掘で有名な野尻湖、登山やウィンタースポーツでにぎわう黒姫高原や戸隠山の玄関口になっています。そして、小林一茶さんの故郷にして終の棲家でもある小林一茶旧宅をはじめとする一茶さんゆかりの史跡も数多く残っています。
黒姫高原にある黒姫山は野尻湖を挟んで東の斑尾山と向かい合う、大きな火山です。山全体が黒木に覆われ、お椀を伏せたような山容は、不思議な感じですが、この山には伝説があります。
「信濃の民話」(1957年発行)より
春、高梨政盛(室町時代後期から戦国時代にかけての武将)は黒姫(盛頼の妹)と共に家臣を連れて花見に出かけた。盃を上げていると一匹の白蛇が姿を現し、黒姫は政盛に促されて白蛇にも盃を分けてやった。その夜、黒姫のもとに狩衣を着た小姓が現れて求婚する。
彼は昼間に姫から盃を頂いた者だといい、その気高く美しい様に、姫も心を惹かれた。
数日後、その小姓は黒姫を嫁にもらおうと政盛のもとを訪ねた。政盛から見ても立派な青年ではあったが、自らを大沼池の主の黒龍であると話す小姓に対し、人間ではないものに黒姫を嫁がせる訳にはいかないと破談にした。
それから毎日のように小姓が城を訪ねて来るようになって100日、政盛は小姓に試練を課す。しかしそれは政盛が仕掛けた罠であり、痛めつけられた小姓は正体をさらし、怒って四十八池の水を落とそうと嵐を呼んだ。
黒姫は小姓に酷い仕打ちをした政盛を責め、黒雲に向かって嵐を鎮めるよう叫び、鏡を高く投げ上げた。すると黒龍が姿を現し、黒姫を乗せて駆け上った。洪水で荒れ果てた下界を見て嘆き悲しむ黒姫に、黒龍は許しを乞うた。それから二人は共に山の池へと移り住み、その山は黒姫山と呼ばれるようになった。
(正面にある「ふじのや旅館」さんは、有形文化財に登録されている、昔ながらの古い建物です)
なお、信濃町の北東側には、リゾートエリアとして人気のタングラム斑尾などがあります。こちらは、以前の夏に訪問したことがありますので、いずれご紹介いたします。
ちなみに、東京都新宿区にも、「信濃町」という地名があり(JR中央線・JR総武線の駅名にもあります)、こちらの地名の由来はその土地に江戸幕府の幕臣永井尚政さん(信濃守)の屋敷があり、その名前から取ったものが町名となっていいます。信濃守は幕府の中での役職のことです。由来はまったくの別物です。また、愛知県東春日井郡にあった「品野町」あるいは神奈川県横浜市戸塚区の「品濃町」とも違います。
さらに、元関脇の黒姫山秀男さんの四股名は、「黒姫山」ですが、由来は出身地新潟県糸魚川市にある黒姫山からで、信濃町の黒姫山とは別の山です。
夏には、甘くて粒の大きな名産のトウモロコシを求めて足を運ぶ人でにぎわいます。
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