サッカー日本代表の国際試合を観ていて、いつも気になっていることがあります。それは、マスコミなどでもよく言われている「ゴール前の弱さ」「決定力不足」というものです。
なかでも、よく目立つというのが、ペナルティエリア内でのパス。
自分がゴールを決めてやろう、というよりも、失敗の責任を取りたくない(?)的なことで、パスコースを探し出してしまうこと。
これはGKキーパーと一対一で、近くに味方がいた時などでも見受けられることがあります。
これは日本の社会、日本人の縮図みたいなものですよね。
どちらかというと日本人は社会生活では控えめな行動をとることが多いと考えます。
自分から、積極的な行動に出る人は、そうそう多くありません。地域の集会なんかでもそうですし、学校の授業でも、だんだんと積極的に「ハイハイ」言って手を挙げている姿は少なくなっているのではないのでしょうか。
そこには失敗してしまって恥ずかしい思いをしたり、損をしたりしているうちに、前へ出ることをためらう人が多くなっていったように考えます。
それと譲り合いの精神。これはある意味良いことですよね。某国では行列に並んでいても、関係なしに割り込んで来たりする人がいます。私なんか、ちょっとムッとして、一言言っちゃいます。日本では言葉が通じるので言いませんといか、言えません。というよりも、よほどのことがない限り、こういうことはありません。また、お年寄りなんかの場合“譲り合い”みたいな感じで「どうぞ、どうぞ」(これが言いたい)になりかねません。
「積極的に自己表現をしてシュートしなさい」と言っても、そもそも「どうぞ、どうぞ」と譲り合いの精神をDNAに持った民族ですから、そう簡単にはDNAに反した行動が出来ません。だから、パスする方を自然と選択してしまうのでしょうね。
それに反して、海外のサッカー(特に欧州)では「サッカーは戦争だ」ではありませんが「侵略と復興」の歴史の中で人は育ってきました。だから、誰かを当てにするのではなく、自分一人でも生き抜いていけるようなDNAを持っているのでしょう。ですから、ゴール前でも自分を信じてシュートを放つ。
つまり、日本サッカーは日本人の姿そのものを表しているよう思えてなりません。
また、日本代表の試合のコントロールも同じ。海外チームは試合開始直後、前半終了直前、後半開始直後、試合終了間際など大事な時間帯にゴールを決めていきますが、日本代表はリードを守れなかったり、追いつけなかったり、試合の中での強弱をうまく付けられない、試合運びの拙さ。
これもある意味では、日本社会そのもの。
オンとオフを切り替えられず、朝から深夜まで会社で長時間働き、効率の悪い状態になっても毎日残業。
休日も仕事を家に持ち帰ったりして、メリハリの利かない生活を送って疲れている。
肝心なところで集中力を発揮し切れず、ゲーム運びが拙くなる日本代表のサッカーは人生の縮図、社会の縮図なのかも知れません。
でも、レジのおばちゃんのような手際の良さ、ファストフードの店員のようなテキパキさ、働き蜂のような会社員。
しつこく、激しく、相手にプレッシャーをかけ続ける積極的果敢なディフェンス。このような守備コンセプトは、協調性、持久力、俊敏性に優れ、監督の指示を忠実に守ることができる日本人の国民性そのものでもあります。